実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第42回 富髙有紗



Wikipedia「視野」より

実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

富髙さんとは、美学校で今年始めたオープン講座「集まって話す」に一度ご参加頂きました。

ある日、僕はSNSで知って、たまたま時間があったので、ほとんど何も知らないまま某劇団の舞台を観に行きました。富髙さんはその劇団の制作を手伝われていたそうです。僕がその後に、観た舞台について、その協働のあり方について疑問を感じて、その事を書いたことがあって、富髙さんはそれに反応してくださってオープン講座に参加してくれたとのことでした。実は僕が感想を書いたのは別の団体の舞台についてだったのですが、勘違いもあったとは言え、何気なく舞台を観に行ったことから、こうして後々繋がるのは面白いなと思いました。オープン講座では様々な話題があっちに飛びこっちに飛んで出ましたが、その中で肉食についての話が出ました。富髙さんは一時期、肉食について思い悩んで肉が食べられなくなったことがあるそうで、それで他の生き物を殺して肉を食べるのはどういう事なのか、たしか鹿だったと言われていたと思いますが、自分で解体して食べるという事をしてみたと話されていて、その事も強く印象に残っていて、それで今回リレーエッセイをお願いしました。そしたら、また他の動物との食の話で何だか面白いなぁ。あれから一度も再会出来ていませんが、富髙さんのダンス、いつか拝見したいです。

(生西康典)


「鴨川の鴨に鴨にされる」 富髙有紗

今この文章を書いている日、2022年7月27日水曜日の朝4時過ぎに目が覚めてまだ暗いけれどシャワーを浴びて、日が昇ったくらいに鴨川を散歩した。途中腹がへったので朝ごはんとして出町柳の、出町座とかあるほうに行って、ファミリーマートでしゃきしゃきレタスサンドと白バラコーヒー200mlとドールのオレンジジュース500mlを買って、ストローとおしぼりをもらった。

そこから、もう一度川におりて、ぼーと近くの川の水が少しの段差を流れるところの近くのベンチに座る。サンドを口にふくみ、含んだまま、またぼーっとなぞする。鴨川は悔しいほどに今日も最高で、朝早くから人間も、スズメも、カラスも蟻たちもみんな元気だなあと思いながら。

あとは一瞬の出来事でした。右ほほをすざっと、ゴンっと?何かが当たり、その衝撃でサンドが口からベンチに落ちました。茶色い大きな鳥、あれはおそらく鴨だったのでしょうか、それともトンビ、とにかく何かしらの巨大なきれいな茶色いものが飛んでいくのが見えました。鴨に鴨にされる、という言葉があれば、今が絶好のその言葉使用タイミングだと思いました。顔を触った手にほんのり血がついていて、ぎょっとするとともにシメタと。こんなこと人生にそうないだろう、そしてその瞬間はなくなくおさめられなかったが、このほほの傷こそが何よりの証拠だから、記念に写真を撮ろうと思い、出町柳駅にある証明写真機に行き、取られた写真がこちらのお写真(これを撮影のときアイフォンは宿に忘れていました):

右下の顎ニキビの方が目立ってしまっているが、注目してほしいのは写真の左ほほ中央ちょっと下、にある、すっと入った切り傷です。そうです、これがまぎれもない、茶色い物体とわたしとが衝突、もしくは茶色い物体がわたしを鴨に、違うぼーっとしてるんならうまいものよこせと、食物連鎖を突きつけた、平和ボケして忘れてたのを確認させられた証拠です。お顔に傷残るかな。
そのあとからは大変です。視界という視界に特に周辺視野の方にも意識を集中する。(高校のときに授業/ワークショップでゲスト講師のM先生が周辺視野(peripheral vision)を最大限使ったりオフしたりして舞台上でいる、みたいな練習をしていたのとかを思い出しながら)全感覚をふり絞る。前方正面を向いていてもその正面の焦点から左右は120度くらい上下もたぶん120度くらい全部に何が入ってきてもわかるように、そしてたまに横を向いたりして帰路に立ちました。恐ろしや。

だいたいそんなに感覚をつかった後は疲れてしまい、昼寝をして、さらには夜も早く寝てしまって次の日になったらまたぼーっとしたりしてしまっているのですけれど。

また違う日。2022年7月6日水曜日、この日も朝早くに目が覚めたので、鴨川を散歩しようと、ただ腹もへっていたので、東山三条店のマクドナルド(略すとマッド※命名は、今年2022年の3月に愛知県豊橋市のPLATにて『階層』という映像演劇に一緒に出演した共演者のTさんが、ミニストップのことをミップと呼ぶといって、それに天丼したYさんが、じゃあマクドナルドはマッドじゃん、ていったことが背景にあります)へ。
エッグマフィンセットをテイクアウトして鴨川で食べてたら雀が一羽きてかわいかったのでマフィンのはしっこをあげたら、すぐ食べて、いっぱい他の雀たちもやってきて、人間も雀も一緒だなを確認している。
植物も一緒で水をあげすぎると腐る。枯れる。わたしはアボカドの種をうえで苗が育って土に植えかえて水をあげすぎて枯らした。

またふと、エッグマフィンを食べながら、そしてセットのホットコーヒーMサイズを飲みながら、昔のことを回顧する。幼少期2000年前後の、なぜか覚えてる一回だけの出来事。父が朝マックでエッグマフィンを買ってきてくれて、ゲボみたいな味と思って(食事中だったらすみません)、苦手だった。なぜ父は朝マックを、みんなの分をそれも何がほしいか、わたしはきっとパンケーキセットがよかったのに買ってきてくれたのだろう。しかし、いま食べたら2口目からエッグマフィンのことがすきになってることに気付く。1口目は、口内がマフィンのざら付きと、舌の味覚機能が卵とマフィンとの関係性とはじめましてで、うまく処理できず、混乱。プラスきっと昔のイメージによる先入観や懐疑心。2口目でマヨネーズも合わさった全体としての味?あ、エッグベネディクトのざらつきマフィン強め版ね、と分かる。おいしいが後からついてくる。といった具合。
ぱくぱくと全部食べ終えそうなときに、鳩がやってきてこっちを向くが、ごめんよもう食べてしまうよ、と手を握っては開く。

そんなような時間を日々、過ごしたりしています。
なんか悲しいこととか、疲れたなとおもったときとか、どこかにこんな間抜けなやつもいるよ、ということでぷっと笑ったり何かの足しにしたり引きにしていただけたら何よりです。

どこかでお会いする日まで~

(2022年7月27日)

富髙有紗

会社員をしながら、舞台(演劇・踊り)や映画などに関わっています。8月10日から12日には6年ぶりの生のお客さんの前での踊り:大谷悠振付『solosolosolos』(2022)を京都はSpace bubuにて行う予定です。

主な活動
小田尚稔の演劇『是でいいのだ』(2021)にて「女1」として主演・制作助手
劇団ほろびて『苗をうえる』『心白』(共に2022)にて制作助手
岡田利規演出『階層』-チェルフィッチュの<映像演劇>の手法による-(2022)に出演

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」
第29回 瀧澤綾音「ここにいること」
第30回 鈴木宏彰「「演劇」を観に出掛ける理由。」
第31回 福留麻里「東京の土を踏む」
第32回 山口創司「場所の色」
第33回 加藤道行「自分の中に石を投げる。」
第34回 市村柚芽「花」
第35回 赤岩裕副「此処という場所」
第36回 原田淳子「似て非なる、狼煙をあげよ」
第37回 石垣真琴「どんな気持ちだって素手で受け止めてやる」
第38回 猿渡直美「すなおになる練習」
第39回 橋本慈子「春」
第40回 堀江進司「動くな、死ね、甦れ!」
第41回 増井ナオミ「すべては初めて起こる」


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。