実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第13回 山下宏洋
「2020年4月26日の歌舞伎町(ミラノ座前)」撮影:山下宏洋
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今週のリレーエッセイはイメージフォーラムの山下宏洋さんです。
(生西康典)
「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」 山下宏洋
6月1日。2ヶ月近く続いた映画館の休業が明けた。その再開第一本目として、新宿歌舞伎町の新宿TOHOに、周星馳の『新喜劇王』を観に行った。
映画は正直期待していたほど面白くはなかった。観終わって、ラーメンでも食べるか…と歌舞伎町を抜け、小瀧橋方面の蒙古タンメン中本に向かう。街に出るのも久しぶりで、何となくおぼつかない足取り。病み上がりのように、手探りで歩いているような気分だ。
少し歩いてみると、街の雰囲気がいつもと違う感じがした。久々に歌舞伎町を歩いていて「怖い」と感じた。
若者たちが路上に座り込んで缶酎ハイを片手にダベったり、男女がイチャイチャしたり。一見楽しそうではあるけど、そこに何か鬱屈したものが滲み出ている。自暴自棄になっているような、暴発しそうな空気。そこにいると何かに巻き込まれそうな気がして、彼らの傍を急いですり抜けた。
その一ヶ月ちょっと前、4月終わりの日曜日。コロナで人気が無い新宿はどんなものなのだろう?と思い、新宿TOHO前あたりを自転車で回ってみたことがあった。映画館はもちろん、大半の店は閉まっていて、人が殆ど歩いていない。街頭の巨大モニターには、自粛を呼びかける小池知事の顔。彼女の声がただ響き渡っている。その風景を目の当たりにして、意外なくらい気分は落ち込み、気軽にやって来たことを後悔した。
街はガランとして広々としているのに、息がつまるような閉塞感を感じる。どこもかしこも均質な空気が隅々まで充満しているようだった。自分の家の濃密な空気が、生活感そのままに街を満たしてしまっているような。
人が少しだけ歩いていることにホッとするも、ちょっと近づいてみると、その人たちそれぞれが、気楽な感じから程遠い、切羽詰まった表情をしていていることに気がついた。目の前のものが見えているのかどうか分からないような、遠くを見ているような顔。人々が家に引きこもっている時、何らかの事情があって街に出て来ざるを得ないような状況にある人たちなのだろうか。しかしこの空洞になってしまった歌舞伎町に、何をしに来ているのだろう?「Stay home」するための、精神的・経済的・人間関係リソースを持ちあわせない人が、この街を彷徨っているということなのか?ここにいる自分も同じような顔をしているのか。
80年代の終わりくらいから、歌舞伎町にはよく通っていた。地元の街では100円かかるゲームが、歌舞伎町のゲームセンターでは50円でプレイできる。西武線の往復電車賃をかけても、充分安く遊べるのだ。置いてあるゲームの種類も、地元とは比べものにならないくらい多い。高校に入ってからは、ゲームがパチンコとパチスロに変わった。西武新宿駅横の「日拓」や、コマ劇場前の「オデオン」に朝から並んだりしていた。90年代前半は、パチンコ産業の全盛期でもあった。
その頃の歌舞伎町は、結構怖い街だった。ゲームセンターに行く時は、街をうろつくチンピラにつかまって、カツアゲされる危険性が常に付きまとっていた。所持金を別々のポケットに分けて入れる対策は欠かせない。パチンコでせっかく勝っても、ぼったくり飲み屋に所持金巻き上げられたり、声をかけてきたおじさんに偽物の映画招待券を買わされたりもした。道の向こうから、絶対に目を合わせてはいけない人が歩いてくることは、普通のことだ。
街の風景は変わり、最近の歌舞伎町では歩いていて怖い思いをすることは、ほぼ無くなったように感じていた。
しかし、先日久々に歌舞伎町で感じた「怖さ」は、かつて感じたものとはまた別のもののようだ。陰険で、もっと粗暴でプリミティブ。かつてのチンピラが持っていたような様式性はそこに無かった。
もしかしたら、その幼稚でドメスティックなエネルギーを、街が包摂するその再構成の過程を改めて目にしているのかもしれない。「街」が、そのようなエネルギーの受け皿として今後も機能し続けるのかどうか。今そんなことが問われる事態になってしまっている。それは「映画館」というものが(ここまで書いて何ですが、私は都内の映画館で働いている者です)今後も存続していくのかどうか、ということにも関わっているかもしれない…などとこの間考えたりしていた。
(2020年7月1日)
山下宏洋 Koyo Yamashita
東京生まれ。1996年より実験映画・個人映画のための非営利組織、イメージフォーラムで勤務を開始。2001年から現在に至るまで同組織運営の映像祭、イメージフォーラム・フェスティバルにてディレクター。2005年から渋谷のアート系映画館、シアター・イメージフォーラムの番組編成を担当しています。今年のイメージフォーラム・フェスティバルは9月26日から10月4日開催予定です(http://www.imageforumfestival.com/)。
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。