撮影:Tanaka Chihaya
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今回のリレーエッセイは舞踏家の加藤道行さんです。
僕が加藤さんの踊りを拝見したのは、2016年の春の日に大野一雄舞踏研究所で行われたアクショニスト首くくり栲象さんとの公演『十』においてでした。僕は大野一雄舞踏研究所を訪れたのも初めてでした。確か坂の途中にあり、入り口に向かう道すがらにある花壇には花が咲いていて、とても気持ちの良い日でした。研究所の中は、当然長い歴史を感じられましたが、大野一雄さん亡き後も、その場所は歴史の重さなど感じさせず生き続けていて、とても風通しの良い、今思い返せばまるで大樹の影のような場所でした。栲象さんは何度も観に行っていた庭劇場での時と比べると、どこか場所に対してやり辛そうな緊張した面持ちも感じられましたが、それは大野さんへの尊敬の気持ちがそうさせていたのか。一方、加藤さんの踊りはとても柔らかで、春の日差しのようでした。その印象は踊りだけではなく、加藤さんご自身に対しても、全く同じものを感じました。その柔らかさが何処から生まれているのか。加藤さんがどのようなことを考え、日々生活された中から、立ち現れたものだったのか。僕はその時知りませんでしたし、今も知っているとはとても言えませんが、エゴイズムがますます剥き出しになっていく世の中で、蓮の花のような人がいらっしゃるというのは、どこか救いのように感じます。
(生西康典)
「自分の中に石を投げる。」 加藤道行
「今どこにいる?」というお題でこのお話をいただいたときに場所にこだわって踊っていることを書こうと思いました。その場所は、津久井やまゆり園、5年前にしょうがい者虐殺事件があった場所です。去年の1月友人に誘われて月命日の26日に踊ったのが始まりでした。
このような場所で踊るということはどういう意味があるのか、また、どう受け止められるのか様々な葛藤を抱えたまま裸足で踊った後、その場に献花に来ていた人がとても喜んでくださり「私もここで裸足になって彼らを感じました。」と話しかけてくれました。それ以来、月命日の26日は、都合がつけば訪れて踊り、本命日の7月26日は、去年に引き続き踊る予定です。
さて、表題の「自分の中に石を投げる」ですが大野一雄舞踏研究所の稽古の中で大野慶人先生がよく稽古のテーマとされていたことです。60年代多くの人たちがデモに行って石を投げていた時に舞踏家は自らの内に石を投げていたというお話しとともにこの稽古がされていたと記憶しています。そして、あの場所で自分の中に石を投げるように踊るということは、自分にとってここで踊り続けることの意味を問い続けることのように思っています。
私が舞踏を踊ることになったのは、しょうがいを持った人たちとのダンスワークで踊ることの楽しさに目覚め重度のしょうがいを持った方々のたたずまいや何気ない動きに美しさを感じて自分もあのように踊りたいと思い大野一雄先生のところに舞踏を習いに行ったことがきっかけです。彼らの踊りに感動し大野先生に出会いそれから様々なご縁をいただき豊かな舞踏人生を送らせてもらっています。しょうがいを持った方との出会いが私の舞踏人生の始まりであり彼らは私の舞踏の先生でもあります。この事件の犯人の言い分は、私自身の生きてきた歩みを否定するものであり、彼の言ったことに「違う」と踊り続けることが自分にとってのあの場所で踊ることの大切な意味でありあの事件と向き合うことと思っています。
今年も間もなくあの日がやってきます。私はその日その場所に身を置き静かに踊りたいと思います。
(2021年7月25日)
加藤道行 Michiyuki Kato
1962年 クリスチャンの両親の元、東京郊外に生まれる。
1985年東洋大学卒業 社会福祉専攻
大学卒業後知的しょうがい者施設で働くなか、しょうがい者の表現活動に興味を持ち1995年頃より様々なワークショップに参加する。1996年頃より横浜市内の的しょうがい者施設でダンスワークショップを実践する中、自身も表現する楽しさに目覚めていく。2000年より偶然手にした公演案内に導かれ大野一雄舞踏研究所で舞踏修行を始める。2001年からは、師大野一雄の日常の介護を数名の研究生と共に行いながら師の身近で舞踏を学ばせていただく。師の昇天(2011年)された後、2012年高齢者向けダンスセラピーにも関心を持ちで研鑽と実践を重ねる。また、近年では、認知症の方のパーソナルプログラムおうち劇場にも力を入れている。
舞台では、コンテンポラリーダンサーや能、日本舞踊といった伝統芸能の方々との共演やオペラへの出演をしている。また、舞台以外でもミュージシャンや画家との即興コラボレーションを積極的に行っている。
日々、美と醜の間の真理を求め、ひと振りでもいのちのかたちを伝えることができればと願い踊り続けている。
https://mi2chi2yu8ki.wixsite.com/michiyuki-website
撮影:Tanaka Chihaya
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」
第29回 瀧澤綾音「ここにいること」
第30回 鈴木宏彰「「演劇」を観に出掛ける理由。」
第31回 福留麻里「東京の土を踏む」
第32回 山口創司「場所の色」
▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。