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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第11回 千房けん輔

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第11回 千房けん輔


実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ

リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第11回 千房けん輔


exonemo 「realm」


実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

今週のリレーエッセイはNY在住のアーティスト、エキソニモの千房けん輔さんです。
コロナ渦の直中で制作された作品のリンクも公開されています。

(生西康典)


 

「中間地点」 千房けん輔

久しぶりに生西くんから連絡をもらい、このリレーエッセーの依頼をもらった。テーマは「いま、どこにいる?」。まさにいま、この瞬間に誰もが自問しているんじゃないかとすら思えるこの質問は、とても腑に落ちるものだった。いま自分(もしくは自分たち=人類と言っても良い)がどこにいるのかという問いは、この世界的なパンデミックの中、またはそれ以前から続く、政治的な混乱、日本に限定すれば、2011年の震災以降、より強く問われ続けている。逆に言えば、それ以前は、問うことすら野暮だった感じもする(もはや当時の空気感は思い出せないが)今よりはるかに安定して感じたあの頃は、自分がいる場所なんて問わなくても「ココでしょ」と自信を持って答え、それが永遠に続く場所として了解された時代だったとすら思う。

自分が「いま、どこにいる?」に愚直に答えれば、5年前から住み始めたNYにいると答え、新型コロナウイルスに世界で最も強烈に見舞われたパンデミックの残り香の中だと答え、そんなタイミングで起こった、白人警官による黒人殺害事件からの熾烈なデモの只中にいると答える。それが一体「どこ」で、どこに向かっているのかは、誰にもわかっていないし、最終的には歴史が決める事なんだろう。あまりにも立て続けに起こる歴史的な事件の数々にもはや感覚はついていけないが、とは言ってもインターネットやニュースで繰り返される逼迫した医療現場の混乱や暴動の映像などと、自分含め大部分の市民はあまり関係なく日常を過ごしているとも言え、そのことがことさら、いまいる場所を見つける事を難しくする。

ここ数ヶ月を個人的な体験を元に振り返ってみる。今年の2月の中旬には、表参道にあるMaki Galleryでの個展があり日本に戻っていた。このタイミングではNYでは未だ新型コロナの感染者は見つかっておらず(ただ単にテストをしていなかっただけだが)、日本ではダイアモンドプリンセス号のトラブルの真っ最中だった。そのタイミングで日本に帰るのは正直、気遅れする感じもあったし、感染を恐れてかなり慎重に行動していたのを覚えている。NYに戻ってからは例の豪華客船の件が知れ渡っていたこともあり「日本から戻ってきた」事で訝しく思われる可能性を感じ、何度も自分には自覚症状もないとか、帰ってきてから既に2週間経ったなど、自らエクスキューズしたのを覚えている。

しかし、3月の中旬、突如風向きが変わる。いま仕事をしている会社のCEOから、ある日全員に「地下鉄に乗るな、出社はタクシーでして良い」と通達があり、その週末には次の週のリモートワークが決定、とほぼ同時にNY市全体のロックダウンが発令されたのだ。

その間、ほぼ数日の出来事だ。ほとんど狐に摘まれたような気分で、ビデオチャット越しのミーティングに移行する。正直言ってその時点では新型コロナに対して、かなり甘くみていた。少しひどい風邪くらいでしょと。しかしロックダウンが始まった2日後に突然友人のアーティストからのメールで、彼の弟がコロナの症状で、突然死した事を知らされた。

36歳のその彼には友人宅のパーティで何度も会ったことがあった。コロナウィルスは高齢者にとってのみ危険だと思って甘くみていた自分に、若干36歳で亡くなった身近な人がいるという事実が突きつけられ、一気に現実になった。そのほかにも知人が家族全員で発熱しているなどの連絡もあったり、いつもよりも頻繁に聞こえる救急車のサイレンを聞くたびに、一人の人間が生命の危機に瀕している(そしてその周りには必ず家族が複数いるのだ)と想像し、気が滅入ってくる。毎日YouTubeで現状の報告を始めたクオモNY知事の発表で、感染者や死者の数が日に日に倍増していく状況を横目に、出口の見えないトンネルの中にいるような感覚に襲われていた。

食や医療などのエッセンシャルワーカー以外の出勤が禁止され、市民も最低限必要なこと以外の外出が禁止される中、ソーシャルディスタンスを確保する事を条件に許されている散歩の行先として、自宅から5分ほどの場所にある巨大な「墓地」を発見した。今までにも行ったことはあったけど、そんなに頻繁に行く様な場所でもなかったそこに、ほぼ毎日のように行くようになっていった。

「公園には結構人が集まっている」と聞いていた中、墓地にはほとんど誰もいなかった。言い換えれば「生きている人間は」ほとんどいないが「かつて生きていた人間たち」は大量に地中に息を潜めているわけだが。バスキアやモールスなどの有名人もたくさん眠る500エーカー(東京ドーム40個分)の敷地は、全面緑に覆われ、丘や谷が連なり、池があり、まさに自然公園のような場所だ。人が少ないのは単に、アメリカ人にとっては小さい頃から刷り込まれた墓地のイメージ(ソンビやゴーストが出るなど)を持っていない外国人である自分たちだから、気にせず行けているのかもしれない。

家の中から出ない、人へは近づかない、物には触らない、触ったら手を洗う、そんな神経質な生活から、自然の中にいると嘘みたいに精神が解放されるのを感じた。見晴らしのいい丘(ソフィ・カルの「嘘を葬る墓」のインスタレーションがある)から遠くを見ると、マンハッタンのビル群が見える。

あの島の四角い箱の中でパニックになっている現代社会、自然から来たウィルスに翻弄される人間社会の脆さを想像すると滑稽にすら思えてくる。足元を見ると、丘の所々に人工的な立体物(つまり墓石)がボコボコと埋め込まれる景色が広がり、これもまた奇妙だ。自然と人工の間に挟まれたような場に立ちながら、どうにかバランスが取れた視点を取り戻しているような感覚になる。

いや、「取り戻す」と言ったが、このパニック以前にバランスが取れた視点なんて持っていただろうか?なんとなく、僕らは技術や科学が進み、100年前よりも断然「進歩した」生活を送っていると思っている。だけど実際にウィルスのことなんてほとんどわかっていないわけで、100年前のスペイン風邪の時と似たような事を繰り返している。僕らがいるのは「先端」ではなくて、いつまでも「中間」なんじゃないか。そんな気持ちが湧き上がってくる。

昨日より今日が成長すると無理やり信じる宗教でもある「資本主義」は、目に見えないなんの意思もないつぶつぶであるウィルスに、いとも簡単にエンストさせられてしまった。技術が進んだらあんなこともこんなこともできる、しかも昨日の何倍も早く正確に、と言われ続け、ここから日本までも1日かからずに帰れる事になんの疑いもなかった。

が、今はそれもできない。でも、実際のところそう言った近代社会の利点が失われたところで、まぁ普通に生きているし、それで突然不幸のどん底に落ちるかと言ったらそうでもない(病気にかかればまた別だが)。

そんな事を考えていたら、今の自分が作れる、どこでもない場所を表現するアイデアが浮かんだ。そして自然と手が動いて作っていた作品が「Realm」という作品だった。Realm=領域とタイトルされたその作品は、時代が推し進める技術の可能性を脱色して、ただそこに何かを見てしまう/見ることができない人間の性質を(例えば日本人である僕たちがNYの墓場では見ることがないゴーストのように)存在させる、そんなことができないだろうかと思って作った。

https://exonemo.com/realm/

今はもう社会の再開が始まり、また半年、1年もすれば以前のような精神状態に戻っていくだろうと思う。もうすでに、ロックダウン初期の感覚も少し遠く感じ始めている。そんなギリギリの状態でこのエッセイの依頼があったので、思い出しながら、当時の気持ちを留めておこうと思った。そしてこの作品も、見る度に当時の気持ちを思い出す作品になりそうで、数年後に振り返って見てみたいと思っている。震災の後にも似たような感覚を抱いたような気がするが、もう忘れている。10年後にはこのパンデミックの事もすっかり忘れて、また同じようにエンジンを吹かし続ける社会に戻るんだろう。そんな時の為にも、その時々に自分が感じていた事に戻ってこれるような目印になる場所を作っておけたら、と思う。

(2020年6月22日)

 

 

千房けん輔(exonemo/IDPW)

1996年より赤岩やえとアートユニット「エキソニモ」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。またニューメディア系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。アルス・エレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭などで大賞を受賞。2012年に東京よりスタートしたイベント「インターネットヤミ市」は、世界の20以上の都市に広がっている。2015年よりNYに在住。「Video Print」を標榜するNY発のスタートアップ Infinite Objectsでアートディレクターを務める。

 

 

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」

 

 

▷授業日:毎週金曜日 19:30〜22:30
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。