実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第26回 しのっぺん
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今週のリレーエッセイはしのっぺんさんです。
しのっぺんさんは最近ではテニスコーツたちが立ち上げた「Minna Kikeru」という素晴らしいウェブサイトを作られました。他にも山口小夜子さんと高木由利子さんがやられていた蒙古斑革命の長らく失われていたウェブサイトを復活させつつあったりと大事な仕事をされています。また時には、ざやえんどう等でトランペットを吹いていたり、黒川幸則監督の映画に出演していたり、これは少ししか出演シーンなかったけど、とても良かった。名演! 僕はしのっぺんさんに美学校で行った演劇公演の照明をやってもらったことがあります。それまで彼は照明なんてやったことも無かったし、それ以降もやってないと思いますが、何で頼んだのか、何故引き受けてくれたのか分からないけど、彼に頼んだことで不思議な安心感がありました。音楽をやってる人だからか、ちゃんとその時その場を捉えて、的確に反応してくれた。で、彼は何者なのか。しのっぺんさんはしのっぺんさん。ローマ字表記になると何だか可笑しいな。
(生西康典)
「歩きながら」 しのっぺん
こんにちは。ぼくは東京で住宅街に住んでいます。仕事は自宅でデスクワークなので、今の状況になって生活への影響は大きくないと思いきや、元々多くない人との関わりや外出の機会が輪をかけて減ってしまった。
自分の知人、特に勤めている人は仕事が楽になったと言っていたり、マイペースにあまり支障なく過ごしている(ように見える)人が多いですが、自分はなかなか窮屈に感じています。今は10月で状況が少し落ち着いているように見えますが、どこにでも行ける、という気持ちにはなかなかなれない。
運動も得意ではないし音楽やコンピューターが好きなので、インドア派だと思っていた自分がインドアの活動ばかりではフラストレーションが溜まる人間だったとわかって意外。状況が変わらないと知り得ない自分っているもんですね。なので無意味に外に出たり、近所を散歩することが増えました。
昔から思っていたことだけど、住宅街って森みたいだなと。似たような景色が続いて、どこにいるのかわからなくなってくる。自分の方向感覚の問題かもしれないけど。家はそれぞれ、まあまあ違うけど大体似ているように見える。たまにけっこう違うのがある。意識を向けて見てみると、もちろんひとつひとつの建物に特徴はある。
そして開かれた場所のない心細さ。ほとんどは誰かのプライベートな場所。歩いているとずっと家ばかり、ふと、このすべての中に人がいて暮らしを営んでいるんだと想像したりして、遠い気持ちになります。生活の匂いが漂ってきたり、下水のマンホールを流れる水だったり、色んな音が聞こえてきます。
最近、ものを感じるときに偶然性が大切だと思っていて、それは何かっていうと、自分が予期していないタイミングで何かが起こるようなこと。音楽を聴こうと思って聞いたり、作品を見ようと思ってみたり、そういった自分の予期?の外にある体験が、鮮やかに感じられます。
どうも頭でっかちなのか、先入観みたいなものが強いのか、「これから何かを見ようとする自分」みたいな入り口のところで退屈しているように感じています。なんなら「見ようとすること」を緩和しようとする試みにも斜に構えている。こんな感覚には付き合わない方がいいんだろうけれど、浮かんできてしまうものだから困ったもんです。突然、出会いたい。
話を戻すと(?)、そんなこんなで最近家をよく見るんだけど、重ね合わせるように人の世代や年齢を強く意識するようになりました。数年前までは二世帯住宅の意味すらちゃんと知らなかったのですが、人の家の表札や入り口を見て、ほうここは二世帯だな、とか敷地内に二軒建てているんだな、大きな敷地だ、とか。
東京は当たり前だけど土地の値段がとても高い(ところが多い)。そんなところに家を建てる人がたくさんいる。土地を買うのはべらぼうに高かったり、そもそも手放す気がなかったりするので、借地権というものを何十年とかで契約して家を建てるようなケースも多いらしい。
このところ、うちの近所では、土地のうつりかわりが激しいです。銭湯がなくなって大きく土地が開いたり、新築の家を何軒も立てていたり、完成したり。建物が取り壊されたら、最初からなかったように、前になにが立っていたかなかなか思い出せないのはさみしい。もっと大きな風景で言えば戦後の東京の風景なんかを映像で見ても、今と同じ場所とは思えないようなものばかり。
吉村宗浩さんという画家の方がいるんですが、彼は自分の作品をどんどん更新していってしまいます。書き足したり、広い部分を書き換えたり。いいなと思った作品が、次見たときにはちょっと題名が違った、別の作品になっている。人が増減したり、背景の時間が経っていたりと変わり方は様々なんだけど、おそらく買われるまで変わる可能性がある。自分の見た、好きだと思った絵はどんなだっけなと、記憶を辿る。なんとなくその方を思い出しました。
時の流れを意識するような大きな視点で色々思いを巡らせると、やはり遠い気持ちになって・・どこか抱えきれないような思いがして身近なことに焦点を戻します。技術や科学やいろいろな進歩で人が扱える時間軸は拡がる一方だけど、自分事のように感じられるのはせいぜい100年前後ぐらいだな。創業100年とかよく目にしてふーんと慣れちゃってるけど、とてつもない。30年、10年でもすごい。
つらつらと、歩きながら考えたらこんな感じになりました。今年は大変だけどなんだかあっという間です。四苦八苦しているうちに時間が過ぎているような。いつもそうかもしれないけど。ひとまずこの先、晴れる日が多いといいなと、今は思います。
(2020年10月23日)
しのっぺん Pen Shino
目立った活動はしていません。ざやえんどうというバンドでトランペットを吹くことがあります。黒川幸則監督「VILLAGE ON THE VILLAGE 」に少しだけ出演しています。「Minna Kikeru」という音楽のストリーミングや購入ができるサービスを作りました。https://minnakikeru.com
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。