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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第15回 伊藤敏

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第15回 伊藤敏


実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ

リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第15回 伊藤敏


撮影:伊藤敏


実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

今週のリレーエッセイは伊藤 敏さんです。
今年、36年ぶりの詩集『針ノ木』を刊行されました。
僕が生まれて初めて出会った詩人が敏さんでした。
もう30年以上前のこと、敏さんは自宅を「すぺーす宝船」と称し、来る者は拒まず、24時間解放していました。
僕はそこで出会った年長の友人たちに多くのことを教えてもらい、
自由に解放された場所の素晴らしさを謳歌し、同時に場所を解放するということの難しさも知りました。
まだ十代だった僕は皆から「びんさん」と呼ばれている人の本当の名前が「さとし」だということを考えもしなかったし、その場所が彼の自宅なんだということもほとんど忘れているくらい蒙昧な若者でした。

 六十六になって二十二で死んだ仲間のことを綴る
 書くなら書ききれという声が聴こえる
 (「肴たち」)

敏さんが六十六歳になって二十二の体験を詩に纏められた『針ノ木』を読むと、
何故だか自分の十代の頃が生々しく思い出され、
しょっちゅう会っていたはずなのに何も知らなかった敏さんのことを詩というカタチで知り、
突然、ごろっと大きな冷たい石を抱かされたようでした。

(生西康典)


 

「鹿児島にいます」 伊藤 敏

鹿児島と言えばやはり「桜島」でしょうか。写真は自分の家(実家)から15分ほど歩いて撮ったものです。手前の海が錦江湾です。この地下に大噴火をいつでも引き起こせるだけの巨大なマグマ溜まりがあります。

林芙美子の母は桜島の大きな旅館の娘でした。結婚を反対され駆け落ちしてその後芙美子は生まれたようです。芙美子は小説のなかで桜島を『屏風のように立っている』と書いていますが、桜島を見るたび『屏風のように』という言葉が浮かびます。屏風とは背後から人や物を飾るもの、でなければ間仕切り。

生西君はもう30年以上まえ、私の棲家(「すぺーす宝船」と称していましたが)そこに出入りするようになった高校生の一人でした。生西君たちにSexPistolsを教えてもらいました。Facebookで美学校のことはいつも見ているのでそんなに気持ちとかは昔と変わりません。いずれ再会できると楽しみにしています。

私は6月に詩集を出しました。『針ノ木』という表題です。そのことで生西君とやりとりがあり、それで今回のエッセイを依頼されました。たぶんこれまでで最高齢の執筆者です。さてどこにいるか? 今は実家にはいません。鹿児島の街中でもうじき93歳になるお袋とマンション暮らしです。

いわゆる「老々介護」というのでしょうか。よそと実態を比べることは無理ですが、お袋は瞬間的なフットワークはいいので、みんなに若いと言われてはよい気になっています。きょうは何日何曜日から始まって、ボケてきているのは間違いありません。私も昨年は足の手術をして今はまだリハビリ中です。

還暦になって塾の仕事を教え子に譲り帰郷して3年ほどは極楽の毎日でした。朝飯を済ますと風呂へ行って(鹿児島の銭湯はどこでも源泉かけ流しの温泉です)、昼飯のあとは映画や読書、夕方は6時になるとそろそろ焼酎でも呑んだらどう?とうるさい。そんな日々がお袋の骨折で一変しました。

タクシーを降りたとたん尻餅をついて大腿骨を骨折し、入院・手術・リハビリとその時どきに決断を迫られることもありました。もともと贅沢な女なので夕餉どきに合わせてデパ地下で刺身などを買って通う毎日です。看護師さんたちとも顔見知りになって、感心ですね親孝行ですねとか言われましたが。

実家はモータリゼーション以前の60年前に建てられたもので坂の上にあります。帰れないのでとりあえず近くの施設に預けました。近い分私の仕事はかえって増えました。私も坂の上まで往復するわけで、そのうち足の具合が悪くなり手術することに決めました。人工股関節置換術というものです。

私の手術やリハビリが終わり施設からお袋を引きとって、ここ、このマンションでの二人暮らしが始まりました。ちょうど1年になります。すぐ下にコンビニがあって何かと便利なのですが、『お母さん食堂』にも飽きられて今は宅配のオカズを頼んでいます。お袋は週2回のデイケアに通って温泉に入ります。

92歳と67歳、まあこんなものかなと思っていますが、この暮らしがいつまでも続くのかというのは確かにストレスです。それは目下のコロナ禍でも同様でしょう。感染者が全国で少ないほうから3番目か4番目、10名ほどとタカをくくっていたのが、クラスターの発生でみるみる150名を超えました。

いつまで続くのか、そう思っておられる方は少なくないでしょう。この「老々介護」禍で言えるのはいつまでも続くと覚悟するほかないということです。何世代にもわたって私たちはこうやって生をつないできたのです。私など独り身のその後はどうなるのか、そのことは考えないようにしておりますが。

コロナもいつまでも続きます。うまく収束したとしてもまた次のコロナが発生するでしょう。いつまでも続くのです。私たちは原発禍とか大型台風禍や洪水禍にもあります。何の禍なら私たちの手で軽減できるのか、冷静な議論と判断のもと考え対処していかなくなくては。暮らしのカタチが変わります。

リビングにベッドを2台並べて寝ています。もう一室は洗濯物干場とゴミ置場。さらにもう一つの6畳の間は、名古屋の兄や千葉の妹が帰ってごくたまに寝室として使うだけです。とにかく母の骨折以来暮らしのカタチがすっかり変わりました。きょうは17日金曜日だよ、朝から聞くの何度目?

桜島は日本一の活火山です。それゆえ観測や対策も日本一進んでいます。大爆発の3日前には察知できると言われています。大正3年の大噴火に匹敵するマグマが地下に溜まっていていつ爆発してもおかしくないそうです。震度7の地震、市内には深さ60センチメートルの軽石が積もるとも言われています。

高度3000から5000メートルの噴煙をしょっちゅう上げています。風向き次第では大量の火山灰が降ります。ですから洗濯物干場というのはここでは欠かせません。今はコロナで途絶えていますが、噴煙を上げる様が観光客を喜ばせています。『屏風のように』、背後から彼らを明るく照らす山です。

エッセイなど書いたことがないのでツラツラ綴ってきましたが、こんなものでもよいのでしょうか、生西君? そもそもが隔離病棟のような暮らしなので今のカタチは変わらないと思います。東京の人たちは大変だろうと察します。あの電車の光景だけでも何とかならないものか。暮らしのカタチを変えて。

私の詩集『針ノ木』は Amazon でも買えますが、次のアドレスに住所をお知らせくださればお送りさせていただきます。興味のある方はぜひご連絡を。
b53i06n06@gmail.com

(2020年7月17日)

 

 

伊藤 敏 Satoshi Ito

1953年生まれ。1978年、「<ラ>音」「裏祭り」を詩誌『ユリイカ』に掲載される。1984年、詩集『航海日誌』を田螺(たにし)社より刊行。のちに三浦照子主催の『風神』に参加した。今年、36年ぶりの詩集『針ノ木』を南方新社より刊行した。

 

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」

 

 

▷授業日:毎週金曜日 19:30〜22:30
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。