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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第5回 冨田学

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第5回 冨田学


実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ

リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第5回 冨田学



実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じるような、
そんな状況下にあります。

大規模なものから小規模なものまで、人が集う様々な催し物が中止、延期になっていますが、
この講座でも4月21日に予定していた今期受講生の修了ソロ公演がありました。
同時上演に『おれたち、そこにいる』と題して植野隆司さん、黒木洋平さん、鈴木健太さん、武本拓也さん、冨田学さんに、受講生と同じ場にいて、何かしらのパフォーマンスをして頂く予定でしたが中止としました。いま人が集まれないならば、その「集えない」ということをテーマに、先ずは同じメンバーでリレーエッセイのようなことが始められないかと思い、このような場をつくりました。読んで頂けたら幸です。第5回は冨田学さんです。彼は遅れて来た俳優/作家、、、になるかもしれないし、ならないかもしれない(本人次第だが)。何れにしろ舞台上での彼の独特の佇まい、書く台詞には観た人が癖になってしまう強烈な中毒性があることは確かです。あぁ、また観たいなぁ冨田さんの作品。

(生西康典)


 

「面白かった本について」 冨田学

コロナ、大変ですよね……。連休僕は熊本の不知火海とかに行ってみたかったのですが、今行っても迷惑だろうから行かず、本を読み、面白かったということで紹介をさせていただきます。ミルトン・エリクソンという催眠を使った心理療法の有名な人のセミナーを記録したものです。

催眠というのは私の理解では、①色んな方法を使って被験者をリラックスさせたり緊張させたり驚かせたり、とにかく日常的な意識の箍が外れたような状態を作ったうえで、②習慣的・無意識的に根付いた考え方や行動様式の変容をうながす、というコミュニケーションです。

非日常的な状態をつくる、といっても、このエリクソンという人は30年来、アメリカの西部のアリゾナ州のフェニックスという砂漠の街に診療所を開いていて、例えば誰かが何か心に決めて診療なりセミナーを受けようと思ったら、はるばるそこまで、しかも催眠とか言って何をされるのかもはっきりと分からないようなものを頼って行かねばならない、その時点でかなり非日常的な意識状態になるのではないかと思います。

自宅兼診療所の部屋は紫色のものだらけで、彼は車椅子に座っています。なぜなら彼は色覚弱者で、かつ『そのころエリクソンは多くの身体的問題で苦しんでいました。彼はポリオの後遺症による激しい苦痛や幾多の身体的病気で苦しんでいました。彼は事実上、四肢麻痺患者でした。つまり右腕はほとんどきかず、左腕のみが使えるだけでした。両足も全くききませんでした。エリクソンの横隔膜は半分しか使えず、唇は部分的に麻痺し、舌の位置も正常ではありませんでした。』(P12-13)

彼がポリオウイルスに感染し、0.1%の確率で麻痺型ポリオを発症したのは17歳の時で、『私は全身が麻痺してしまい、目を動かすことがやっとだったのです。――聞くことや考えることは何も問題ありませんでしたが――世話をしてくれた準看護婦はよく私の顔にタオルをかけたので、見ることさえできないことがありました。彼女はよく手で私にさわり、どこにさわっているかを答えさせました。私は、左足、右足、腹部、手、つまり右手、左手、あるいは顔さえもいいあてなければなりませんでした。私がつま先や足の位置を自覚して、身体の一つひとつの部位がわかるには長い時間がかかりました。私はそれがわかるまでに、何度も何度も目隠しをさせられました。』(P339)

また新婚旅行の時、車に入ってきた蜂に奥さんが刺されて、『蜜蜂が私の代わりに君を刺してくれて、とてもよかったよ』と言ったところ、奥さんに憎悪の表情で睨まれたそうです。『ものすごい憎悪がありました。圧倒的なものでした。』(P484)それは彼が、以前蜂に刺されたとき三日間意識不明になってしまったからだったのですが。

エリクソンは治療のコミュニケーションにおいて、患者の所与の条件を自在に利用するのですが、それは彼自身の身体についても同じことで、キャリアの初期に先輩の医師に言われたんだそうです。
『患者はあなたよりもまさっていると思うので、競争心ももたないでしょう。あなたを一人の男としてみないでしょう。ただの身体障害者とみなして、話を打ち明けても安全な人だと思うでしょう。だから、ただぼんやりとした顔で、口を閉じ、目を見開き、聞き耳を立てて歩き回るのです。そしてあなたの推論や判断を支持する証拠を実際につかむまで、判断を差し控えるのです』(P337)

①の非日常的な意識状態のことを「トランス状態」とこの界隈では呼ぶのですが、明確な定義はないらしく、オハンロンという弟子みたいな奴の本によると、例えば「これから」トランス状態に入ります、と言うことによって、『区別された状態が言語的ないし体験的にあるという考えを構成してい』(※P36)く、つまり、あると言えばある、ことになる、というものとされています。

そのトランス状態になるために、よくある「目が段々閉じていきます」とか「腕が勝手に上がっていきます」というのをやったりします。私も以前やってもらったことがあります。なぜ腕が勝手に上がるのか、といえば、そもそも被験者はそれをやってもらいたくて来ているわけであり、また施術者はその権威を利用している部分も当然ありますが、本質的には、そうしたコントロールの関係を作るということではなく、それらが自分の意志・自分の言葉なのか、それともそうでないのか、ということ自体を気にしなくなる、という状態が目指されているのだと思います。催眠にかかって手が上がった人はよく、「手を下ろせますか」と言われて「下ろそうと思えば下ろせるけど、別に下ろす気にならない」と言います。誘導のやりとりを読むと、ごっこ遊びのようでもあります。
『私が「閉じる」を勝ち誇ったように言ったとしたら、彼女は目を開けていたでしょうね。』(P480)
そうした状態というか関係性を作るために、様々な手練手管を使ってコミュニケーションをします。例えば注意の段階を細かく分けることで、被験者の状態の描写と誘導の間の境目を接合していきます。『催眠治療家が腕浮揚を暗示しようとすれば、小ステップ、つまり暗示の種を「連鎖する」ことでそれを行う。たとえば、治療者は患者を手に注目させる。次に手に何か感じられることに注意を向けさせ、それから手が動きそうであることに注意させる。また次に手を動かしたいことに注意させ、それから動いていることに注意させる。そして、実際に手が上がることを暗示する。』(P36)指示でありながら、自発性の掘り起こしのようでもあります。

中にはそれが「本当」かどうか試すとか、その人に根付いた行動様式とそぐわないことから、逆らおうとする人も出てきますが、彼は抵抗をかいくぐりながらコミュニケーションを続けます。そのため非常によく喋り、喋り続けます。

彼が喋ることの内容は、自分に実際にあったことや会った人、患者となった人たちの話です。次から次へと、床に目を落とし自分もトランス状態に入りながらひたすら具体的な事例を語ります。それはこれがセミナーだからでもありますが、治療の一種としても語りは使われるそうで、つまりある患者の治療として、別の誰かの話をする、三人称で間接的に働きかけるということをします。

そこで語られる諸々の逸話は、おとぎ話のような趣すらあります。突飛な指示をして、患者は訳も分からず従い、それで症状が改善する、というのが彼が語る逸話のよくある展開です。一つの理論があるのではなく一人ひとりを観察して、個別の対処をするんだそうです。その点で彼はパフォーマー的です。その逸話がどの程度本当なのかは分からない、少なくともそれは彼の視点から語られた物語ではあります。エリクソンは天才とか魔術師とか言われますが、それはその結果から見た語られ方によるところもあるかもしれないと思います。

『私はとても自信があります。よい治療家ははとても自信があるはずです。』(P101)
『私の家族も「どうして患者さんは、あなたの言うとおりにそんなに気違いじみたことをするのか」と言います。私は、「患者にそれをとてもまじめに言っているのだ」と答えています。「患者は私の意味することを知っています。私は非常に誠実です。患者がすると絶対的に信じています。「患者はあんなばかげたことをやってくれるだろうか」とは決して思いません。そうではなくて、患者がやると思っています』(P288)

ここでいう「信じる」とは、何を根拠に何を信じているのだろうか。自分の処方の結果的な正しさだと考えるとしたら、それは彼を魔術師のように思うことになりますが、そうではなく、継起する事象を眼差し続けることへの自信があるのではないかと私は思います。さらにそれを可能にするのは、彼個人の力によるものではないのでしょう。ちなみに彼は子供が8人いて、孤高の隠者みたいな感じでは全然ありません。

語られている逸話の一つですが、あるとき、ある大学病院で開かれた大会で催眠のデモンストレーションをする。その時被験者にベティという看護師を指名する。その人は抑うつの診断を受けており、身寄りもなく自殺を考えていたため周囲には反対するが、取り下げが拒否と受け取られると考えたエリクソンはそのまま採用し、壇上で催眠をかける。翌日彼女は病院に来ず失踪し、エリクソンは非難を受ける。次の年も大会に行き非難を受ける。5年経ち10年経つ。16年後電話がかかってくる。

『「あの夜、病院を出た後、海軍の新兵補充所へ行きました。そして海軍の看護隊へ、すぐに入れてほしいと頼みました。二期、軍在籍期間を勤めました。フロリダで除隊になり、ある病院の仕事を得ました。退役空軍士官と出会い、結婚しました。今では五人の子供がいます。そして、病院で働いています。先生が私の身に何が起きたのかを知りたがっていらっしゃるのではないかと、今日、思いついたのです」(…)さて、私は植物園に行って彼女に植物園の幻覚を見せ、何の話をしていたのでしょうか。生命のパターンについて話していたのです。つまり、現在の生命、将来の生命、花、実、種、それぞれの植物にはおのおの異なった形の葉があることなどです。それから、動物園に行き、また私は彼女に生命について話しました。――若さにあふれた生命、成熟した生命、渡りという生命の不思議さ――などです。その後、海岸に行きました。そこは、過去に幾世代にもわたる人たちが喜びを見つけ、将来も数えきれないほどの世代の人たちが喜びを見つける所です。また、現在の人たちが喜びを見つけている所でもありました。それに海の神秘についても話しました。すなわち、鳥の渡りに似た鯨や海亀の移動など人間には理解できないが、魅惑的なことを話しました。
私は、生きる価値のあるもののすべてを挙げました。だが、だれも、私が心理療法をしていることを知りませんでした。(…)』(P229-230)

私は、生きる価値のあるもののすべてを挙げました。かっこよ……。このセミナーはエリクソンの死の前年のものですが、私もいつかこれを言いたい。しかしそのためには、もっとちゃんと色々なことを頑張っていかねばならないなと思いました。自分、もうしばらくこの本読みますね。ではまた!

(2020年5月1日)

■引用
ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー J.K.ゼイク編 成瀬悟策監訳 宮田敬一訳 星和書店 
ミルトン・エリクソンの催眠療法入門 W・H・オハンロン,M・マーチン著/宮田敬一監訳/津川秀夫訳 金剛出版 (※のみ)

 

冨田学
1981年生。美学校「実作講座 演劇 似て非なるもの」6期受講。青年団リンク キュイ「景観の邪魔」に出たことがある。演劇に少し出ることがある。

撮影:前澤秀登 Hideto Maezawa

 

このリレーエッセイは中止した上演『おれたち、そこにいる』に出演予定だった皆さんに先ずは蹴り出してもらいましたが、自粛要請が続くこのような状況下で、もうしばらく続けてみたいと思います。お付き合い頂けたら幸です。
次回は竹尾宇加さんの予定です。お楽しみに。

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」

 

 

▷授業日:毎週金曜日 19:30〜22:30
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。