実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第2回 鈴木健太
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じるような、
そんな状況下にあります。
大規模なものから小規模なものまで、人が集う様々な催し物が中止、延期になっていますが、
この講座でも4月21日に予定していた今期受講生の修了ソロ公演がありました。
同時上演に『おれたち、そこにいる』と題して植野隆司さん、黒木洋平さん、鈴木健太さん、武本拓也さん、冨田学さんに、受講生と同じ場にいて、何かしらのパフォーマンスをして頂く予定でしたが中止としました。いま人が集まれないならば、その「集えない」ということをテーマに、先ずは同じメンバーでリレーエッセイのようなことが始められないかと思い、このような場をつくりました。読んで頂けたら幸です。第2回は鈴木健太さんです。
(生西康典)
「交差点」 鈴木健太
このところは、仕事以外はだいたい家にいて、たまに散歩します。仕事は、重度障害者のヘルパーをしてます。重度障害っていうのは例えば脳性麻痺とかのことで、その人たちが生活するのに必要な手足になる、という仕事です。そういう、すぐそばにいることだけが意味を持つものだから、テレワークってのはなくて、だから基本変わらず仕事があれば電車に乗って誰かの家に行ってご飯作ったりおむつつけたりお風呂で体洗ったりしてます。手洗いをなんらかの接触の度にやる…っていうのと、常時マスクを着用することが加わった程度。いつもと変わらないと言えば変わらない。
強いて言えば、利用者さんら、ぼくが介助をする人たち、は極力外出を控えるようにしていて、そのため2人だけで家にいる時間が少し多くなりました。そもそもこの仕事は、誰かの生活空間にとってある意味で異物というか、よそ者である自分を、なじませながらその隣に居てみよう、というもので、しかし慣れると自然なこととなって、よそ者としての自分など意識から遠くなるのですが、最近は自分が外にいる間に保菌していて感染させてしまったら、などと考えることもあり、あーそうだった、ぼくはこの家の「よそからやってきた人」なんだなと、物理的な意味で再認識させられます。ぼくやぼく以外のヘルパーらが、利用者の家を交差点にして、それぞれ違う風景を通り過ぎてやってきて、その家に入れ違いに「よそ」を持ち寄ってるんだな、ということ。あるいはその逆もしてて、そういう行き交いが今は危険を伴う営みとして表面化している。電車でもなんでも。コロナによって、体に新しい存在感が付与されて、それは恐怖や差別に結びつきやすく厄介で、でもそばに人が居るってこういうことだよな、って思いだしたりします。やっぱり人間は身の危険を、感知や想像の原動力にしているんだな。
最後に、近所に多摩川があって、ちょこちょこ散歩にいきます。去年の10月の台風であらゆる木や草が海の方向へ向かって倒れているんだけど、春になって菜の花っぽい黄色い花がたくさん咲いてます。いつもまばらに人はいるんだけど、とにかく広いし公園と違って一箇所に固まらず移動している人が多いから気が楽で、息をしやすいです。声をだしても反響するものがないからほんのそばにいる人にしか届いてる気がしない、逆に他の人の声も聞き取れない。けどなんか話しているってことは案外わかる、なんか笑っているなってこともわかる、あの水辺のコンクリートブロックに乗って子どもが木の枝を振りながら歌を歌ってることは、父親らしき男が気をつけなーって声かけてることとかも、川岸のそばにある、これホームレスっていうのかな、自家製ぽいテントの中から、姿はみえないけどラジオなのか音楽が聞こえてきてああいるなって感じとか、そういう、直接会うって訳でもないんだけど、ああなんか生きものがいるなってわかることに、今は気が休まります。別に今じゃなくても、自分はそういうところが好きです。そういえば美学校はそんな場所だった気がします。
(2020年4月14日)
鈴木健太
1993年生まれ。美学校実作講座「演劇 似て非なるもの」第2期修了。舞台作品の制作のほかに、グラフィックデザインとヘルパーの仕事をしています。
次回は亜人間都市の黒木洋平さんの予定です。お楽しみに。
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第1回 植野隆司「トゥギャザー」
▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。