実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第6回 竹尾宇加
撮影:竹尾宇加
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今週のリレーエッセイは竹尾宇加さんです。
僕は竹尾さんがSNSに書いていた文章が好きでした。
例えばワークショップ形式の公演『日々の公演』(2018年)に参加してくれた時の書き込み。
「結局何かをしても日常は日常だ。でも誰かの時間の中に入っていくのは面白い。」(7月27日)
「コトバと言うのは本気で言えば伝わるというのはすごいなぁー。何がそうさせるのだろう、、」(7月28日)
「信じればちゃんと伝わるってことが分かってきて、なんかじわじわ来ている。。。」(7月28日)
「『日々の公演』は私の中では演劇ではないな。人との繋がりの中のキセキみたいなものを自分はあの中で体感したと思ってる。というか、体感させてもらった。だから、何かを演じたいとかは思わないかなー」(7月29日)
ユリイカ!彼女は日々とても大事なことを発見し指し示してくれた。その短い言葉に何度もハッとさせられ、励まされもしました。でも、しばらくするとSNSには一切何も書かなくなり、どうしてるのかな~と思っていたら、突然、昨年秋に石版画、絵画などによる初個展『知らない世界に触れる時』の知らせが届きました。僕がその個展で購入した石版画に描かれているのは、光の中に舞う粒子、カタチになる前の何かが空間に満ちているような、そんな絵です。今は日々生活している部屋の一部として、ずっとそこにあったかのように存在しています。
竹尾さんが今年の春に予定されていた二回目の個展は残念ながら中止になりましたが、絵と言葉による小さな冊子「a picture book」をつくられました。
ちなみに竹尾さんがSNSで書いていた言葉は、彼女が自分自身の為に書いている文章の一部だったそうです。今も文章は書き続けているとのこと。
(生西康典)
「新しい日常」 竹尾 宇加
新しい日常がやってくる。
新型コロナウィルスによって世界中の人々の生活が様変わりした。
先月、WHOのテドロス事務局長が人々の生活は「新しい日常」を迎えるとの発言をしているニュースを見た。
不謹慎かもしれないけれど、私はこの「新しい日常」という言葉に少しわくわくしてしまった。自粛生活にも慣れてきて(人間の適応能力の速さを身をもって感じた)、なんだかずっと前から今の生活だったような気もしてきているが、今まで以上に一人でいる時間が長くなったことにより、これまでのことやこれからのことを考える時間が必然的に増えた。
そうした中で自分にとって何が本当に必要なことなのか、大切なことなのかが徐々に明確になってきた。考える時間といってもただ頭の中で考えるだけではなく、日記のようにメモを取ったり、文章を書いてみたり、絵を描いてみたり。様々なことをここ最近はしている。ありがたいことに、私は現在完全にリモートワークなので、そういった状況もあって考える余裕というものがあるのかもしれない。私はとても恵まれている(いた)のだなとこの状況下で感じた。
私にとって必要で大切なことは生活をすること。その生活というのは言い換えると、仕事や制作を通して人と繋がりを持つこと。昔から人と関わることは良いことや楽しいこともある反面、嫌になることのほうが私にとっては多かった。けれどもそんな理由で人との関わりを断ってしまうのはもったいないことだなと最近は思う。今まで人を嫌いになることはたくさんあったけれど、人に救われたことも数えきれないくらいあった。
私は美術を学んでいくことで人に対する考えに変化が起きた。きっかけは美学校に入る前に通っていた近所の画塾だったと思う。当時、絵を全く描くことが出来なかった私は仕事の関係でデッサンを学ばざるを得なくなり、たまたま見つけた近所の画塾に通うことにした。絵を描くことが好きではなかった私にとって、ひたすらデッサンをし続けることは苦痛以外の何物でもなかった。だが、だんだんと描けるようになっていくとそんなに辛いことでも無くなっていった。ある日のこと。私がりんごを描いていた時、画塾の代表に「りんごをただ見て描くのではなく、どんな味なのか重さなのかどんなふうに育っていくのか想像して描きなさい」と言われた。その人は、音楽や演劇にも携わっており、美術という枠に縛られていないとても自由な考えを持っている人だった。私はその言葉を言われたとき目が覚める思いがした。目に見えるものだけが全てではないのか。と。
その後、さらに絵(美術)を学びたいと思うようになり美学校に通うようになった。好奇心旺盛な私は絵だけに飽き足らず、演劇や版画も学ぶようになった。美術のことはそんなに詳しくもないし偉そうなことは何も言えないのだが、様々な学びを通して私の中で制作することの原点はその画塾で教わったデッサンであり、ものを見ることだと思っている。そしてものを見るということは見えないものも見るということだと。
ものを人に置き換えてみる。これは演劇を経験したことで学んだことだ。私は幼少期の体験から自分のことをどうしても好きになれなかった。そのことは罪悪感のようにずっと私に付きまとっていた。私はそのことに苦しんでいたし、そのせいで人を傷つけていたこともあったと思う。しかし、演劇を通してたくさんの人を見ることで自分自身を見つめることが出来るようになった。それは決して簡単なことではなかったが、当時の私にとっては必要なことだったと今なら思える。
人を見ることでその人を想像する。見ることや想像しているのは私自身なわけで、その人(対象)は他人ではなく自分になる。屁理屈みたいだけれど、単純なことだ。私はたくさんの人を見て、そして想像していくと、自分と他人との境界がぼやけてきた。人は皆、同じ感情を持っていて根本的には何の違いもなく、同じ生き物なのかもしれないと思うようになった。そうすると不思議なことに、自分のことが好きとか嫌いとか他人のことが好きとか嫌いとか、そういったことに執着しなくなっている自分がいた。次第に私の罪悪感は薄くなっていき、身体が軽くなっていった。また、それと同時に自然と人を受け入れられるようになった。私は精神的にゆとりを持ち、自分の周囲の人と向き合えるようになった。そして今までなんとも思っていなかった日常の生活の中で、たくさんの人に助けられていたということに改めて気付かされた。目の前の世界が全く違うものになった。
私にとっての「新しい日常」は、常にマスクをするとか飲食店で横並びに座るとか人と人との間隔を2mとるとかそんなことではなくて(念のため書いておくが、これらを無視した行動を取るつもりはなく必要なルールはもちろん守っていく)、今までの自分にとっての当たり前の生活にさらに強度を持って向き合っていくということ。私はそのことにわくわくしているのだ。
(2020年5月10日)
竹尾 宇加 Uka Takeo
1988年東京生まれ。
内装設計の仕事をしながら制作活動をしています。
2018年 美学校「造形基礎Ⅰ」・実作講座「演劇 似て非なるもの」修了
2019年 美学校「石版画(リトグラフ)工房」修了
2019年3.21 美学校オムニバス修了公演「ある家族のせんねんまんねん」(@SCOOL)出演・美術・衣装
2019年10.29-11.04 個展「知らない世界に触れる時」(@sheepstudio)
『日々の公演』2018年7月27日(@BLOCK HOUSE)より
撮影:皆藤将 Masaru Kaido
竹尾さんの活動や作品集「a picture book」にご興味ある方はこちらまで↓
メールアドレス:ukaukashitenai@yahoo.co.jp
Instagram:takeouka
u_u0219
次回はベルリン在住のドルニオク綾乃さんの予定です。お楽しみに。
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。