「生涯ドローイングセミナー」講師・丸亀ひろやインタビュー


2018年より「生涯ドローイングセミナー」の講師に加わり、現在はメインの講師を務める丸亀ひろやさん。このほど、HIGURE 17-15 casで丸亀さんの個展「いま居た鳥」(〜7月30日)が開催されるのを機に、インタビューを行いました。講座の話はもちろん、熊本県天草市で過ごした幼少期から、欧米の美術と出会った美大生時代、同講座で講師を務めるO JUNさんと宮嶋葉一さんと出会ったドイツ・デュッセルドルフ時代のお話など、これまでの足跡を振り返りながら、「絵を描くこと」についてお話しいただきました。

marugame_01

丸亀ひろや|1961年熊本県生まれ。1986年東京造形大学造形学部美術学科卒業。88-90年ドイツ・デュッセルドルフ美術アカデミー絵画専攻。91-93年ドイツ・デュッセルドルフ大学美術史専攻。おもに平面作品を制作。目の前の対象や印刷物の図像から抽象的な事柄まで様々なテーマを雑食的にドローイング、そこを足掛かりにした絵画作品は抑制が効いているがどこか即興の愉楽がある。https://hiroyakame.wixsite.com/hiroya-marugame

空き箱に絵を描いていた幼少期

 出身は熊本県天草市です。天草市でも一番南に位置するところで生まれました。ひいおじいさんが熊本県八代市から天草に来たんですが、当時は漁業と炭鉱で栄えていたので、天草に行けば何か仕事があるんじゃないかって考えたんでしょうね。ひいおじいさんは芝居小屋の支配人をやっていた時期があったので、芸事に興味はあったのかなと思います。ただ、親が芸術家だったり、幼少期から芸術に親しんでいたわけではありません。いろんな遊びに比べると絵を描くのが楽しいなと思うくらいで、マジックインキで空き箱に絵を描いたりしていました。

 中学まで天草で、高校3年間は熊本市で過ごしました。やっとこさ少し都会に来て、はじめて画材屋で油絵の具を買ったんです。それで油絵を描きたいと思って美術部に入部しました。美術部の先輩が美術大学を受験すると聞いて、美術大学に行く人がいることをはじめて知りました。話を聞くと勉強しなくていいらしい。ちょうど勉強が辛くなりはじめた頃だったので、それなら自分もという感じで美大を目指すことに決めました。結果的に2浪して、東京造形大学に入学しました。

marugame_02

「ドクメンタ7」との出会い

 2年間の予備校時代にも美術館に行ったりはしていましたが、自分から情報を探して勉強するようになったのは大学に入ってからです。そこで初めて欧米の美術を知りました。僕らの時代は、どちらかと言うとストレートにキャンバスに絵を描くのではなく、インスタレーション、メディア・アート、ニューウェーブが最先端だという風潮がありました。言葉が分からないながらも、学校の図書館でドイツやアメリカの雑誌を見て、いろんな表現があるんだなと思いましたね。

 大学1年から2年にかけての頃に、「ドクメンタ7」(※1)が開催されました。もちろん当時は海外でどういう展覧会があるかなんて知りませんでしたが、ギャラリーを回っていたときに、あるギャラリーで、ドクメンタ7のカタログを輸入して販売していたんです。2冊組で1万2千円ぐらいだったかな。いろんな作家の作品図版が載っていてびっくりしました。なんとかお金を出してカタログを買って、それを頼りにいろんな作家を自分で調べていくようになりました。

 造形大学は油画科とか日本画科といった区分けではなく、美術学科の中に絵画専攻領域があります。大学進学後も絵は描いていましたが、ストレートにキャンバスに油絵を描くのはやめようと思って、変形パネルを作ってコラージュをやったり、インスタレーションをやったり、自分なりに考えていろんなことを試していました。

marugame_03

大学時代の作品《馬》1983

どんなに勉強しても「わからない」

 大学を卒業して2年ちょっとの間は、フリーターみたいな形でアルバイトをしながら、2回個展をやりました。だけど、卒業して1年が過ぎたあたりかな……ここで頑張っても全然先が見えないと感じはじめました。それに、欧米の美術や日本の美術について、研究者が書いたものを読んで一生懸命勉強しても、どうしても理解できないんです。コンセプチュアルやミニマルアートについてだとか、いろんなことが説明されているけど、本当にこれが価値があるのかどうか肌感覚で理解できない、咀嚼できない。

 そんななかで──先程のドクメンタ7のカタログの話に戻りますが──ドクメンタ7にゲルハルト・リヒター(※2)が出品していて、大学を卒業する前後にも、西武がやっていたギャラリーに、リヒターの作品が数点来ていて観に行きました。その少し前にも、ヨーゼフ・ボイス(※3)が来日して、彼がデュッセルドルフ美術アカデミーで教授をやっていたという話を本で読んで知りました。そしたら、リヒターも同じ大学で教授をやっているらしいと。しかも学費が無料で、言葉は大して喋れなくても入れるらしいと聞いて、「えー、マジっすか」みたいな感じです。

 大学を卒業して1年後ぐらいに、造形大学のOBで、ドイツのフランクフルトに留学していた母袋俊也さん(※4)が帰国されて、話を聞きに行ったら、リヒタークラスを卒業した日本人を知っていると。それが渡辺えつこさん(※5)で、そこから渡辺さんとエアメールでやりとりをはじめました。手紙を往復するのに1、2週間かかったかな。僕としては、ヨーロッパにすごく興味はあるけど、フリーターでグズグズやっている人間なので、すぐに踏ん切りがつかないんですよね。だけど、向こうに行けば渡辺さんがいろいろ教えてくれそうなので、現地に行って、話を聞いて見たうえでどうするか決めようと思ったんです。

marugame_04

 ゲルハルト・リヒターに会う

 それで、1988年の5月から6月にかけてドイツに行くことにしました。そしたら渡辺さんから「丸亀くん、その時期ちょうど入試だから、ついでに入試を受けたら。日本の入試と違ってポートフォリオを出すから、自分で考えて作ってきて私にも見せて」と手紙が来たんです。学生時代のドローイングとかをファイルして、オリジナルの小さい作品も持って行きました。どうせ行くんだったら将来的にはリヒターのところで勉強したい──かなり遠い話ですけど──そういう話を持っていきました。

 だけど、ドイツで渡辺さんに会って話を聞いたら「実はリヒター、最近学校に来ていない」と。リヒタークラスの学生アトリエに行って「リヒターはいつ来ますか」と聞いても「わからない」。フランクフルトの学校に移るという噂を頼りにその学校に行って聞いても「わからない」。しょうがないから一回ヨーロッパを旅行してくるかと思っていたら、渡辺さんが「リヒターが住んでいるところを知っている」と言うんです。渡辺さんが番地を教えてくれて、まずは手紙を書いたけど返事が来ない。完璧におのぼりさん状態で舞い上がっていたから、今度は直接リヒターの家に行きました。

marugame_05

 呼び鈴を押したら若いアシスタントの兄ちゃんが出てきて「お前何?」と。「日本から来たんだけど……」と言うと「ちょっと待って、聞いてくる」と。戻ってきたら「ダメだ、会えない」と言われて「すみませんでした」と謝って帰りました。ユースホステルに戻ってから、いきなり家に行ったのはやっぱりマズかったなと反省して、「もしも会える機会があるなら、どうすればいいかだけ教えてください」と、もう一度手紙を書きました。返信用封筒を入れて投函したら1週間後にリヒターから返事が来たんです。「何日か後にアカデミーに寄る用事があるので、この時間にユースホステルのロビーで待っていろ」と。

 そしたら当日、本当にリヒターが車を運転して来ました。「うちで勉強したいの?」と聞かれて「はい」と。そんなに突っ込んだことは言ってくれませんが、ポートフォリオも見てくれました。だけど、制度上の問題で僕みたいな学生を直接取ることができないし、自分もあと何年かで引退なんだと言うわけです。それで、お礼を言ってリヒターと別れました。だけど、すごい収穫ですよね。リヒターに自分の作品を見てもらえたし、これで日本に帰ってまた同じような生活に戻ってもいいやと思えました。

 それでも一応、大学にポートフォリオを提出して帰国したら、受かったという知らせがあり、その年の秋にはまたドイツに行って、結果的に約6年ドイツで過ごしました。「生涯ドローイングセミナー」の講師を一緒にやっているO JUNさん(※6)と宮嶋葉一さん(※7)、「ペインティング講座 – 油絵を中心として」の長谷川繁くん(※8)、奈良美智さん(※9)や村瀬恭子さん(※10)とはデュッセルドルフで知り合いました。

marugame_06

「自然とは一体になれない」という不思議を描く

 ドイツにいた6年間は辛かったですね。何をやればいいのか分からなくて、これからどういうふうに自分の仕事を進めていけばいいのかを考えるためにドローイングをやったり、悶々としていました。大した成果もなく1993年に帰国して、それから何年も何もできない状態が続いて、98年に帰国後初めて個展を開催しました。当時長谷川くんがディレクターをしていたT&Sというギャラリーのこけら落としとして開催したので、長谷川くんのお陰ですね。それでも、ようやく作品らしいものができはじめたかなという感じでした。

 と言っても、新たにテーマを見つけたということではなく、やっている間に「以前から考えてきたことはこういうことだったんだ」って少しずつ気がついてきた感じです。80年代半ばにリヒターに惹かれた理由が、具体的かつ俯瞰的に言葉にできるようになってきたのも、ここ1〜2年だと思います。美学校で「生涯ドローイングセミナー」の講師をやるようになったのもすごくいい影響がありました。受講生と同じ目線で自分もドローイングをやってみたり、受講生の皆さんがやっていることを見たり話をしたりすることで、自分がやってきたことを抽象化できるというか、ぐっと俯瞰する高さが得られたというか。もしかしたら講座に参加して僕が一番得しているかもしれないですね。

marugame_07

丸亀ひろや個展「いま居た鳥」会場風景

 今回展示した作品は、主に植物を描いているんですけど、植物自体を描いているのではなく、植物図鑑に載っている植物の図像と植物の名前を描いています。要は、絵のなかに絵が描かれているんです。植物や自然になるべくダイレクトに接したいという欲求はあると思うんですよ。だから人はたまに山に行ったり海に飛び込んだりするわけです。

 一方で、植物を見て「この植物の名前を知っている」と言うことは、植物そのものを知っていることとイコールではないじゃないですか。「ほうれん草を食べたらこんな味がするよ」はあるけど、どこまで行ってもどこかの一線で対象と完全に一体化することはできない。だけども、それ(一体化)を渇望してもっと知りたいし分かりたい。その渇望が現れているのが図鑑であったり、自然を紹介するテレビ番組であったりすると思うんですが、そのように、ワンクッション置いた自然との接し方みたいなものを絵にしています。直接植物を描けばいいじゃないかとも思いますが、それだと絵にならないなぁと思ってしまうんです。やっぱり人と違うこと、新しいことをしたいという気持ちはあります。

marugame_08

丸亀ひろや《TULIPA》2022

「これはチューリップですけど、植物図鑑を机の上で開いたのを、斜めから写真を撮って描いています」(丸亀)

marugame_09

丸亀ひろや《デュシャンの定規》2019

1メートルのひもを1メートルの高さから落として偶然できた曲線を定規として固定したマルセル・デュシャンの《三つの停止原理》(1913-14)を援用した作品。「画集に載っている3本の定規をフォトショップで平面に直してレプリカを作って、そのレプリカを組み合わせてモアレを作っています。デュシャンの作品を、再度レディメイドとして用いて、デュシャンが批判した網膜的な絵画とは何なのかと考えてみるわけです」(丸亀)

絵を描く前と、描いた後の人生が違うものになる

 講座は本当になんにもないんですよ。何を描くか、どういう描き方をするか、それぞれが考えて見つけてやってもらう。それを僕が見て、一緒に一年間やったときに何が見えてくるかですよね。だから、こちらから描き方を教えることはあまりできないんですが、それでも良ければと伝えています。ただ、なかなか「自分で」ということがうまくできない人もいますね。

 「生涯ドローイングセミナー」の一番のポイントは「何を描くか」からはじめる点です。自分が普段見ているものや感じていること、気にかかるものや出来事を探してきて描いてみましょうということですから、ドローイングをする前の段階、生活の中で物事を見る目からすでにドローイングがはじまっているわけです。それをどういうふうに紙と鉛筆で表現していくか。そうして描いたものを自分がもう一回見てどう思うか、他の人が見たときにどう思うか。そういう流れですよね。

 ある程度キャリアを積んだ後に、何をやればいいのか分からなくなって講座に入ってこられる方もいます。若いときは勢いで描けるけど、自分のなかに蓄えていた体験のストックみたいなものが切れてくる時期がある。そういう方は、何を描くのかからはじめて、紙を使って描いて、ひとつずつ時間をつぶしていく。そのときに、1枚、2枚描いたなかで良い悪いを判断しないんですね。自分がやった事実が点ではなく、何らかの線や塊に見えてきたときに、「ああ、自分はこっちの方向に向かってるんだな」と感じられたり、自分の身体が押されたりということを一年で感じられればものすごく成功だなと思います。

marugame_10

写真左より、丸亀ひろや《Manipulation》2017、《Manipulation》2020

「植物らしきものではあるけど、何が描いてあるかわからない ヴォイニッチ写本という有名な写本があって、そこからモチーフを取っています。地面の上と下では違う植物で、マニピュレーションというか勝手に想像しています」(丸亀)

 絵を描く前と、描いた後の人生が違うものになる

 ペインティングもドローイングも、解釈は人それぞれだと思います。ドイツでは作家活動のコアにドローイングがあるから、みんなものすごい量を描くんです。自分が見てきた先人のアーティストの作品や活動がどういうふうに組み立てられているのかを勉強すると、やっぱりドローイングとかデッサンからはじめていて、その量がどのくらいあるかを見るわけです。日本の大学にいたときは、その量がわからないんですが、リヒターがやっているドローイングの量とか、シグマー・ポルケ(※11)がやっているドローイングの量は、僕らが思っているよりも桁違いに多いんです。

 「生涯ドローイングセミナー」でも、枠に張っていないキャンバスの布を持ってきて、アクリルで描く人もいます。油絵具を使いたい人がいたら使ってもいいですが、基本は持ち帰りが前提なので、どう持ち帰るかですね。長谷川くんの「ペインティング講座」は油絵を描く前提で、ジェッソを塗ったりするところからはじめていると思いますが、おそらく長谷川くんも「何を描いてもいいよ」と言っているんじゃないでしょうか。

 講座を立ち上げたO JUNさんが講座名に「生涯」をつけたのは、「生涯描け」という意味ではなく、「講座を起点に、そのあとの『生涯』がなにか違うものになったらいいよね」という意味なんです。講座を修了した瞬間に描かなくなる人もいますが、それまで描かなかった人が一年間描いたり、それまでとは違う姿勢で一年間描くことで、その後の人生が違ってくればすごく良いですね。

marugame_11

2022年7月16日 収録
聞き手・構成=木村奈緒 写真=皆藤将

※1)ドクメンタ7
ドクメンタは、ドイツのカッセルで4年もしくは5年ごとに行なわれる現代美術の国際展。ドクメンタ7は1982年6月19日〜9月28日に開催。美術史家でキュレーターのルディ・フックスが芸術監督を務め、ゲルハルト・リヒター、ヨーゼフ・ボイス、ハンス・ハーケら182名の作家が参加。ボイスは、カッセル市に7000本の樫の木を植えるアクションを展開した。https://www.documenta.de/en/retrospective/documenta_7

※2)ゲルハルト・リヒター
1932〜。ドイツ・ドレスデン生まれの画家。デュッセルドルフ美術アカデミーで絵画を学び、ベルリンの壁が建てられる直前の1961年に西ドイツへ移住。写真を忠実に描いたフォト・ペインティングや、40年以上続けるアブストラクト・ペインティングのシリーズなどで知られる。2022年、生誕90年・画業60年の展覧会が東京国立近代美術館で開催。世界で最も重要な画家のひとりとして名高い。

※3)ヨーゼフ・ボイス
1921〜1986。ドイツの現代美術家、彫刻家、社会活動家。脂肪やフェルトを用いた作品のほか、数々のパフォーマンスを行う。「すべての人間は芸術家である」という考えのもと、「社会彫刻」の概念を編みだす。

※4)母袋俊也
1954〜。画家、美術理論家。78年東京造形大学絵画専攻卒業後、渡独。フランクフルト美術大学絵画・美術理論科でライマー・ヨヒムス教授に学ぶ。フォーマート(画面の縦横比・サイズ)と精神性の相関をメインテーマに制作を展開。現在、東京造形大学名誉教授、嵯峨美術大学客員教授。

※5)渡辺えつこ
1960〜。画家。武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業後、デュッセルドルフ美術アカデミーでゲルハルト・リヒターに師事。以来、約30年にわたってドイツを拠点に活動。現在は日本を拠点に制作を続ける。武蔵野美術大学非常勤講師。

※6)O JUN
1956〜。画家。1982年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修士修了。84-85年スペイン・バルセロナ滞在。90-94年ドイツ・デュッセルドルフ滞在。身の回りの日常的な対象を自身の視点で新鮮に捉え、絵画・ドローイング・版画と、さまざまな媒体の平面作品を制作。2005年より「生涯ドローイングセミナー」講師。

※7)宮嶋葉一
1954〜。画家。1982年東京藝術大学大学院美術研究科油画修士課程修了。88-98年ドイツ・デュッセルドルフ滞在。具体的な対象をモティーフに簡略化された線と強いストローク、対象に意味を持たせないスタイルが特徴。2009年より「生涯ドローイングセミナー」講師。

※8)長谷川繁
1963〜。画家。1988年愛知県立芸術大学大学院絵画科油画専攻修了、89-92年デュッセルドルフ美術アカデミー、1992-94年オランダアムステルダム デ・アトリエーズ在籍、96年帰国。帰国後、自由が丘に展示スペースを設立し2004年まで若手アーティストの展覧会を企画継続した。2021年より「ペインティング講座 – 油絵を中心として〜絵を見て、考えて、描く そして自分の絵を描く〜」講師。

※9)奈良美智
1959〜。画家。愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業後、同大学院修士課程修了。88年に渡独し、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学。アカデミー修了後、94年にケルンに移住し、2000年に帰国。絵画、ドローイング、立体作品は国内外での展示、収蔵多数。2018年には活動拠点とする栃木県那須市に、自身の私設現代アートスペース「N’s YARD」を開設。

※10)村瀬恭子
1963〜。画家。1986年愛知県立芸術大学卒業、89年同大大学院修了。90-96年デュッセルドルフ美術アカデミーに在籍。主な個展に「絵と、 vol.3 村瀬恭子」(ギャラリーαM、2018)、「Fluttering far away」(豊田市美術館、2010)が、主なグループ展に「絵画の庭-ゼロ年代日本の地平から」 (国立国際美術館、2010)などがある。

※11)シグマー・ポルケ
1941〜2010。旧東ドイツ(現・ポーランド)シュレージェン地方出身の画家。53年西ドイツに亡命し、デュッセルドルフに移住。61-67年デュッセルドルフ美術アカデミーで絵画を学び、同大で教鞭を執っていたヨーゼフ・ボイスに強い影響を受ける。60年代後半にゲルハルト・リヒターらとともに「資本主義リアリズム」を提唱。86年、第42回ヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞。 


生涯ドローイングセミナー 宮嶋葉一+OJUN+丸亀ひろや Miyajima Yoichi

▷授業日:毎週木曜日 18:30〜21:30
Drawing「線を引く。図面」などを意味します。美術の世界では、紙などに鉛筆やペン、水彩などで描かれた表現形式を言います。描ける材料ならどのような画材でも持参してください。毎回ドローイングの制作を行います。