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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第29回 瀧澤綾音

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第29回 瀧澤綾音



2020.11.11 撮影 bozzo http://www.bozzo.jp/


実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

今年最初のリレーエッセイは俳優として活動されている瀧澤綾音さんです。瀧澤さんは「演劇 似て非なるもの」4期生。今年の春からは第9期が始まります。この講座は毎年集まって来る人たちによって場の雰囲気が全く異なります。4期を振り返るとまるで青春時代みたいでした。僕はその時、40代後半。そんな風に感じた事は何だか変な気もしますが、それくらい瀧澤さんたちの純粋さにあてられていたのだろうと思います。当時ゲストでいらした川口隆夫さんと一緒に稽古をした時のこと。瀧澤さんにゆっくりと近づいてくる隆夫さん。到来するものを真正面から待ち受ける瀧澤さんの立ち姿。確かにそこには人がいる。あの場所に人がいた。あのように存在する人をまたいつか観たいと切望し続けています。ほとんどそれだけが僕が演劇に求めていることです。瀧澤さんありがとう。

(生西康典)


 

「ここにいること」 瀧澤綾音

 

ここがどこなのか どうでもいいことさ
どうやって来たのか 忘れられるかな
(「恋は桃色」細野晴臣)

この歌詞を口ずさんでもう10年になる。

私はどうやってここにきたのだろう。

 

11月に堀企画「水の駅」に出演し、その後 生西さんに「水の駅を終えたタイミングで、書いてみませんか」とリレーエッセイのお誘いいただきました。
やりたいと答えた直後、急な仕事といくつものトラブルが重なり1ヶ月も締め切りを延ばしていただくことになりました。

11月の私と、今の私は、もう別人のような気がする。

人間は細胞は、わずか2ヶ月で全て入れ替わっているらしい。1月の今はもうほとんど別のひとか。
では、私を私たらしめているものは何か。

 

 

いつも思うんです。
公演が終演し、日常の生活に戻ると、私は 本当に舞台に立っていたのかといつもわからなる。覚えているのだけど、覚えていない。映像をみると、私だが私と思えない。役を演じているから、ということではなく。

よく考えてみると、公演以外でも、私は過去をうたがってかかることが多い。あったけど、本当にあったのか。あった ということが不思議。覚えているが、今には その過去はないし。
私の中で覚えていても、一緒にいたあなたは 覚えていなくて 別のことを覚えているかもしれない。

「水の駅」公演中に撮ったトーク映像を堀企画主催の堀夏子さんが編集してくれた。今日 観てみると 映像の自分はとても楽しそうにカラカラとたくさん笑って話していた。
そうだ、とても楽しい創作の時間で 素敵な方々とご一緒していたのだった。私はすぐに忘れてしまう。

 

 

私は今、月に2回ほど、整体に通っています。
一日中 働いた後に「水の駅」の乱闘シーンの稽古をやっていたときの身体、
「水の駅」公演中 心身を整え続けた身体、
一日中 仕事でほとんど下を向いた作業をした身体、
全ての身体が全然違った。
整体時は、乱闘してないし 下向いて作業していないのに 私の身体はその身体になっていて。身体が覚えていた。

その整体をしてもらっているのは 美学校 「演劇 似て非なるもの」2期の福澤香織さん。彼女と私が4期の時に出会った過去があったから、今 整体してもらっている。
じゃあ、やはり過去はあったのか。

 

 

12/29 美学校をお借りして撮影をしました。
10年前、引きこもっていたときの絵や写真を、美学校の机に並べ 写真を撮ってもらいました。
10年前に新潟で作ったものを、東京の 4年前濃密な時間を過ごした美学校 に並べる不思議。
写真を撮影いただいたのは、4期の公演を撮影いただいた前澤秀登さん。
生西さんから照明を借りて 灯したその部屋から、ひんやりとした静けさからくる 肌感覚に、記憶が蘇り重って。今と過去が同居するような時間だった。

その後、12/30に写真や多くの絵とさよならをした。
ものは捨てたらなくなるのか。ひとは死んだらなくなるのか。大切にするってどういうことなのか。

最愛の祖母は亡くなり。だけど、祖母は母を生み、私の血肉も祖母から受け継がれている。細胞は入れ替わるけど、生まれた形の少しを祖母からもらっている。
小さい頃から神社に連れて行ってもらっていた私は今でも神社が大好きだし、祖母が死ぬときに何百回と言ってくれた「ありがとう、よかった、幸せだった」という言葉は私をここに生かして 立たせておくための土台となっている。

ここにないと、それはないのか。
捨てることは大切にしていないからなのか。
忘れてしまったら、それはなくなるのか。
全てのことはある。しかし 元々ないのかもしれない。

 

 

私はヨーガ療法を勉強していて ヨガ哲学も教えてもらいました。
ヨガの人間構造説では、魂→記憶→思考→呼吸→内臓→感覚器官・肉体 というように作用していくらしい。
記憶によって思考はつくられ、思考は選択や判断を行う、それによって呼吸・内臓・感覚器官・肉体が反応を起こしていく。

魂以外のものは全て移り変わるもので、不動のものは魂だけ。魂の入っているところは、正常な状態では いつも喜びで満ちている。その周りが曇っていたとしても 本来 人間は誰もが魂は歓喜に満ちている。
そしてその魂は、大きなひとつの湖のように繋がっているらしい。自分という個体は そこからのひと掬いなんだそうだ。
だから 私はあなたであり、あなたは私である。全ては ばらばらな個体であり、全ては一つのものらしい。

じゃあ、本来、世界は喜びで満ちている?

祖母は亡くなるときに全てを許して旅立っていった。それは喜びと感謝で、魂へ 大きな湖へに近づいていく作業だったのかもしれない。

 

 

過去はあったし、なかった。
今、私はあるし、ないかもしれない。

しかし、あるとしたら。喜びと感謝で、ただただ純粋に 透き通るようにここにいて、いろんなことを経験したい。
透き通るようにここにあれないとき、感情でギトギトになるとき。
これからの人生でどんなことがあっても、それは 祖母の旅立っていたところ へいくため。

「愛ではないものを知らないと 愛を知ることができない」
愛が存在するためには、愛以外のものがないとそれをそれと定義できない。
それを思い どんな瞬間も愛しんで生きれたら こんな幸せなことはないと思う。

 

 

「ここがどこなのか どうでもいいことさ
 どうやって来たのか 忘れられるかな」
 私は、どうやって来たのか を忘れたくて、この曲を口づさんでいたのかもしれない。

「ここがどこなのか どうでもいいことさ」という歌詞に、今 気がついた。
どうでもいいこと と思うと、なんだか軽くなったような気持ちがした。
愛なんか知らなくていいし、喜びと感謝なんてなくってもいい。苦しんでたっていい。

しかし、これを書いているうちに、私はどんなにか人に助けてもらったり、素敵な人に出会ってきたのを思った。
過去はあるかわからないけど、記憶を持っているなら。
やはり私は うれしかったことや感謝したいことを、宝のように生きる柱になるようにとっておきたいと思う。

暗闇にのまれたり 苦しい記憶が繰り返しやってくることもある。
しかし、ただ今を生きて。
いい悪いがなくなり 自分がなくなるほどに生きて、どこまでも自由にありたい。
そして あなたは私であり、私はあなたなのだ。
今、私があなたが どこにいたって関係ない。

 

 

生きていくうちに、きっと。魂が みんな行き着くところへ運んでくれるのかもしれない。

 

 

(2021年1月1日)

 

 

瀧澤綾音 takizawa ayane

新潟生まれ。植物、海、空など自然が大好き。
ただあることの美しさ、生きていることの尊さに光をあてるため 俳優として活動している。

美学校 「演劇 似て非なるもの」4期生。
映画美学校 アクターズ・コース9期生。
バストリオ、時々自動、ひとごと。、企画団体シックスペース、生西康典、本橋龍などの作品に参加。
スワミ・ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団認定ヨーガ療法士養成講座受講中。

Twitter mobile.twitter.com/ayanetakizawa
Instagram instagram.com/ayane.takizawa

2020.12.27 撮影 comuramai https://www.comuramai.com

 

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」

 

 


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。