実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第22回 佐藤香織
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今週のリレーエッセイはギャラリーナユタの佐藤香織さんです。
僕が佐藤さんに初めてお会いしたのは10年近く前、まだナユタを立ち上げて独立される前のこと。
あるグループ展に参加した時、そのギャラリーのスタッフとして対応してくださったのが佐藤さんでした。
僕はそこで観客1人、出演者1人というインスタレーションとも上演ともつかないような、ややこしいことをさせてもらいました。もしかしたら最初は戸惑われたかもしれませんが、話し合いをさせてもらい、とても真摯に対応してくださいました。展示期間の最後にどうしても佐藤さんにも体験してもらいたくて、観客になってもらいました。その時、佐藤さんから受け取った受容と記憶をめぐる言葉はずっと大切なものとして、僕の中に在り続けています。何故だか分かりませんが、子どもの時から、信頼出来るかどうかの判断は、付き合った時間に比例しないと信じています。たったひとつの体験であれ、言葉であれ、自分の中に生きているあいだは、その時間は続いているのでしょう。
(生西康典)
「ここにいます」 佐藤香織
『 いま、どこにいる? 』
この問いかけ、とってもいいですね。
こころの状態。興味、意識。実際のからだの置き場所。夢との距離。終わりとの距離。
…さまざま、それぞれに導きだされてくるのですね。
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はじめまして。こんにちは。
自分は、ここに。
「ギャラリーナユタ」という、小スペースを運営しています。
場所は銀座一丁目にある 奥野ビル。
昭和初期に建てられた レトロビルです。
展示スペースは一間四方(一間=約180㎝)、小さいのです。
「ナユタ」の名の由来は、数の単位、こちらは逆で大きいです。
【無限大数の手前】といわれています、だいたい10の60乗らしい。
ミクロからマクロ。想像の飛躍。
集う人を星に例え、人と人が線を結び重なり、豊かな宙(そら)に繋がっている。
… そのような願いを込めた場所ですが、コロナで展示はすべてキャンセル延期。白い壁の春から3ケ月間。
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家中心の生活。
多くの方が、家族と、これまでになく近く共にいる体験をされたと思います。
以前なにかで読みましたが、携帯、GPSが網羅された現在、真の秘境は地図上に無くなってしまったが、唯一それが残っているのが 家の中だ、と。
「秘境」。
ささやかな幸せの発見、青い鳥はほんとうにいた、の喜び。
そして、悲しみや、あきらめや、どうしようもない嫌悪。
そんな さまざまな感情の機微を、味あわれたのではないでしょうか。
50代ミドルの自分は、ステイホーム期間中、認知症の父親とこれまでになく多くの時間を過ごすこととなりました。
2016年12月にナユタがオープンした際は、銀座まで来てくれた父も、現在は要介護度3。
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中学生時に引き揚げで帰国してきた父。
ふた親とも失った日々を、物語さながらの苦労で生きぬいてきた父は、
温かな家庭を築こうと努力する一方で、かなり気難しいところもある人でした。
思春期以来の(父と娘の軋轢)。忘れたかのように見えても、それは
静かに眠っているだけ、ある時 記憶の芯部から沁みだしてくるのですね。
そんな父親と、密な日々を過ごすにつれ、気づいたことがありました。
「こんな表情をするのだ … 」と。
忙しく通りすぎる日々には見えなかった、その表情の変化には、驚き、感じるものがありました。
脳(=心)の状態が、顔にストレートに反映するのです。
おおげさなものではないのですが、内側から表情がつくられる感じでしょうか。
いちばん可愛らしい時は、少年の顔。
(たぶん、私の事は「おかあさん」だと思っています。)
ふしぎな かすかな色気のある顔。
(若い時に戻っている? 奥さん、つまり私の母と思っているような。)
崇高な顔。
(マリア・カラスの「恋に生き、歌に生き」が流れた時。音楽に没入した時。)
哀しい顔。
プライドが傷ついた時。できない事、自分の病気に自ら気づく瞬間。
怖ろしい顔。
「もう私は、だめなんです」と真顔で言われた時は、
背筋が凍りました。
智恵子抄(高村光太郎)の詩を思いだしました。
「わたしもうぢき駄目になる」……
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コロナ時間の中で、さまざまな表情の父に会えた事。
自分には、ひとつの、なにか 出来事でした。
あけすけない者は、不思議な力をもっている。
認知症の老人。無表情に思われるかもしれません。
表情は ときに読み取りにくいかもしれませんが、
その中では 本当にいろいろと起きている、感じている。
ここ にいます と。
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被災地 という言葉が「福島および東日本大震災の被害地域」を指さなくなってしまった。
そして、コロナ。人どおしの関係を断ち切った。しかし世界を結んだともいえる。
ひとしくこのウィルスに面して、思いやりと想像力で 自ら動く社会へ向かうのだと思いたいです。
それぞれ、このコロナ期間、感じた事 を、忘れないようにしましょうね。
ほんとうに、すぐに忘れてしまうから。
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すこしナユタの告知をしますね。
7月から 再オープンしています。
よろしければ遊びにいらしてください。
10月の 吉川直哉展「Family Album 」。
記憶がまさに テーマの展示です。
https://www.gallerynayuta.com/2020/03/04/%E5%90%89%E5%B7%9D%E7%9B%B4%E5%93%89%E5%B1%95-family-album/
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父が泣いた曲
マリア・カラス「Vissi d’arte, vissi d’amore 歌に生き、愛に生き」
https://www.youtube.com/watch?v=NLR3lSrqlww
(2020年9月17日)
佐藤香織 Kaori Sato
ギャラリーナユタ 代表
https://www.gallerynayuta.com/
早稲田大学教育学部国語国文科卒
朗読家
©Mio Kisaca
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。