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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第23回 池田野歩

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第23回 池田野歩


実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ

リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第23回 池田野歩



実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

今週のリレーエッセイは池田野歩さんです。
ちょうど10年前、どういう経緯でだったか覚えていませんが、まだ大学生だった野歩くんに恵比寿映像祭に出品した大勢の人たちと恊働してつくった90分のサウンドインスタレーション『おかえりなさい、うた Dusty Voices, Sound of Stars』に演出助手として参加してもらいました。言葉、声、歌による作品で、僕はその時、初めて台詞を書きました。何をどう書いたら良いのか手探りで何にも見えないところから始めるのに彼は淡々と平常に付き合ってくれました(一緒に居て流れる時間の空気感は記憶に残っています)。その頃から野歩くんはどっしりとして物怖じしない人でした。何かの舞台の時だったか、いくつかあるアイデアのどれが良いか迷ってしまって時間も無いので焦っているとき、彼に意見を聞いたら「見てみないと分かりません」(!!!)と言われたのはもうずうっと忘れないだろうなと思います。
肝心な時には、その場に居て欲しいひとりです。

(生西康典)


 

「なにも考えない」 池田野歩

僕は普段、舞台を中心に音響デザインや舞台映像等で携わっています。
いわゆる「裏方」という職種です。
人前に立ったり、文章を書くという機会はあまりありません。

今回エッセイを書くにあたり、何を書こうかなと考えましたが、
考えないことについて書いてみようと思いました。

自粛期間中はベランダで本をよく読んでいました。
新しく購入したものや、買ったまま読んでいなかったもの、いろいろ雑多に読みました。
埼玉の実家にいた頃は、毎日行き帰りで2時間くらい移動時間があったので、
その時間で本を読む機会も多かったのですが、
数年前から早稲田近辺に住み始め、大体の場所に自転車経由で行けるようになり、
移動時間も減っていきました。
遠くに住む事と、近くに住む事で、得られる時間は違うんだなと思いました。

本を読んでいる時、読みながらだんだん別の事を考えている感覚があります。
それは映画や舞台などを見ていても、同じような感覚になります。
なにかを吸収しながら、自分の中で別のなにかに転化されていくような。
目の前にあるものを見ながら、自分の中では別のものを見ている。
それは自分の表現の中でも、大事にしている感覚でもあります。
目の前のものだけを見せるのではなく、作品の奥行きを広げる作業です。

ふと本を読むのをやめ、ベランダにある植木鉢たちを眺めながらタバコを吸う。
そんな時、今度は逆に、今自分は何も考えていないなと感じます。

考えている時と考えていない時について意識的に気付く瞬間を、個人的に興味深く思っています。
「考えている時」は、「考えている」ということ自体に気付いていなくて、
「考えていない時」は「考えていない」ということ自体も考えていない状態だと思っています。
「考えている」「考えていない」ということに気付いた時は、
それらについて、もう考えてしまっています。
そんな瞬間に気付いた時、その一瞬の思考の中に、別の自分がいたような気がして、
不思議な気持ちになります。

考えるとはなにか。考えないとはなにか。

たしか中学生の時だったと思いますが、
国語の授業で「歩行と思索」という本の抜粋が教科書に載っていて、
感銘を受けた記憶が残っています。
人は電車や車で移動している時よりも、歩いている時の方が思索をしている、
といった文章だったと思います。

僕は子供の頃から、どこかに行くことと、その移動の過程がとても好きです。
あの角を曲がるとあの通りに出て、あの景色が広がる。というように、次に見る景色を想像したり。
数年ごしに見た景色をもう一度見て、記憶が呼び起こされたりすると、感慨深い気持ちになります。

温浴施設が好きで、子供の頃からよく一人で自転車に乗り、
10分くらいの所にあるスーパー銭湯に通っていました。
今でも定期的にサウナや銭湯に通っていて、
ツアー現場などでは、自由時間で温泉に行くのを楽しみにしています。

サウナでは「なにも考えていない」という状態に気付く事が多いです。
テレビの無いサウナ室内は、ヒーターのノイズや汗を拭う音、風呂桶などの漏れ音が響き、
とても洗練された環境となっています。
いろんなことを考える余裕がたくさんありそうなのですが、
自分にとってはなにも考えない、考えなくていい空間だったりします。
サウナの後、水風呂に入ったり、外気浴したりしますが、
その時も、なにも考えていないという感覚が続きます。
なにも考えないまま、1時間半があっという間に過ぎていきます。
なにも考えないということは、いわゆるリラックスの時間とイコールなんだと、
その都度感じています。

人と出会うと、その度にいろいろなことを考えます。
この人はこういう人だなとか、その気持ちわかるなとか、様々です。
考えないということは、本来、意図的にやろうとしても、案外できないことなのかもしれません。
特に忙しい世の中では。
そんな時、考えないでいられる場所、考え事をしたい場所が、きっと各々にあるんだと思います。

人々の動きが少なくなって、人となかなか会わなくなって、
今までにないくらいに「今、何も考えていない」という瞬間に触れました。

先の見えない不安を感じる状況の中で、たくさん考える事も多かったのですが、
それと同じくらい「なにも考えない」ことで、
安息を求めながら、密かに楽しんでいたのかもしれません。

あの頃のスーパー銭湯の帰り道。
電灯もほとんど無く、暗い畑の中の道を自転車で漕いでいる時、
何度も通ったその道は、もうすでに自分の無意識の中に入り込んでいて、
ホカホカの身体でなにも考えないまま、気がつくと家についていた。

考えない数ヶ月を過ごして、
たぶん今、自分はここにいます。
また家に戻ってきた感覚。また考える。
人とまた出会い、考えて、時々考えない。

エッセイの大半を、自粛が明けてから初めてのツアー先である山口県で書きました。
そして、締めくくりを羽田空港からの帰り道で書いています。
なにも考えず、家に帰ります。

 

(2020年9月27日)

 

 

池田 野歩 Ikeda Nobu

1987年生まれ、埼玉県出身。
舞台を中心に音響デザイン、舞台映像などで関わり、
ライブやインスタレーション等、幅広く手掛けている。

今後の参加作
2020,10月 東宝 恋を読む vol.3「秒速5センチメートル」@ヒューリックホール東京
2020,11月 カンパニーデラシネラ「Knife」@KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

 

撮影:Shota Meguro

 

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」

 

 

▷授業日:毎週金曜日 19:30〜22:30
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。