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実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第35回 赤岩裕副

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第35回 赤岩裕副




実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

赤岩さんは音楽家です。
もう四半世紀くらい前のこと、
僕がロス・アプソンという当時、西新宿(現在は高円寺)にあったレコード屋のスタッフだった頃のある日、先輩のククナッケと閉店後に、ストレンジ・ガーデンこと赤岩さんの音楽を聴いたことがありました。丸~い音の粒がキラキラキラキラしていて、この上ない多幸感に包まれました。ただ友達と2人で仕事の後にまったりして、音楽を聴いただけなのに。その晩のことは夢みたいに良く覚えています。後にも先にも、あんな風に体感出来た音楽はストレンジ・ガーデンだけです。赤岩さんが生きている以上、まだ音楽は鳴り続けてるはずです。その音を何処かで、聴ける日を楽しみにしています。

(生西康典)


 

「此処という場所」 赤岩裕副

わたしは今、どこにいるのかすらわからない。
うっすらとボンヤリ物理的に此処にあることくらいわかるが、勿論。しかし此処とは何処なのだろうか?わたしにはわたしがいた部屋の数だけの此処があり、結局は此処とは全て同じ空間であったような気もしないではない。それはいつもシーンッとしている。退屈や恐怖を超えた静寂は、ただ若い好奇⼼と⾁体が、⽣きている歓喜に満ちた⾃覚であったが、わたしはそれを失くしてしまって久しい。

この喪失感こそ、わたしが持つ或る疾患による症状のひとつであるに違いなく、わたしは⾃分で計画を⽴てることが出来なくなってしまった。たとい家族や友⼈がわたしのためにスケジュールを⽴ててくれたとしても、わたしは独りでそれを遂⾏することが困難になってしまった。さらに酷い⽅向⾳痴もつけ加わり、⽬的地に着くためには地図がなくてはならない。それもスマホの地図アプリでない紙に描かれた地図が。それだと迷うことはないからと親切な友⼈が勧めてくれて以来、慣れない所へ向かう時には、紙に印刷された地図を携帯することが多くなった。

たいてい、わたしは妻と⽣活をしている所沢の⾃宅マンションにいる。これを書いている今も。
結婚して19年が経ったが、最初の1年と数ヶ⽉は飯能の銀座通り商店街、国道299号線に⾯した⼀軒家で暮らした。その⼀軒家は錆びるトタンをつぎはぎ、取り壊されることなく⽴っている、ユーモアに溢れたバラック建造物だった。新婚⽣活を其処ではじめた経緯…。わたしは結婚することになり、療養中の⿅児島の実家から新居を決める為に関東にむかった。不動産情報誌でみつけた、狭⼭にある楽器演奏可能の閑静な住宅街にある家だった。妻とふたりで内⾒していちど其処に決めた。その数⽇後、東京上野公園を友⼈と歩き、別れた後、急に此処が何処なのかわからなくなった。わたしは携帯電話で妻に助けを求めてた。

「帰る⽅法がわからないから、仕事が終わったら迎えに来て欲しい。上野公園、⻄郷隆盛像の近くのベンチで座って待っている。」

妻の誘導尋問によりなんとか『その時の⾃分の居場所』を答えられた。どれくらいの時間待ったのだろう?わたしには全く時間の感覚がなかったが、妻は確かに来てくれた。それから妻を頼りに電⾞を乗り継いで、妻の実家がある横浜鶴⾒へと向かった。⾞中わたしはわたしの両掌を⾒⽐べながら、ブツブツと険しい表情で呟いていたらしい。わたしは何を⾒ていたのだろう?

JR鶴⾒駅で降⾞して、またしばらくすると、わたしは此処が何処なのかわからなくなり、その場をクルクルと⼿を広げて回りだしたという。妻が危険を察知し⽌めようとして近づいた瞬間、急に脱⼒して顔⾯からアスファルト上に倒れて前⻭が⼀本⾶んだ。妻は驚いて救急⾞を呼び、わたしはそれに乗って脳神経外科病院へ運ばれたのだが、特に異常は⾒つからず、その夜はそのまま妻の実家に泊まった。翌⽇、妻は仕事を休み、⿅児島のわたしの実家まで肩を貸しながら、わたしを送り届けてくれた。わたしにはこの妻の⾏動がとても⼼強く思われ、いや、今まで他⼈にここまで親切にされたことはなく、かたじけない想いでいっぱいだった。

それから数⽇が過ぎ⿅児島の実家の部屋に妻からFAXが届く。賃貸物件の図⾯だった。ふたりで決めた狭⼭の家とはずいぶん違う、かなり専有⾯積の広い物件であった。わたしはまだ頭が朦朧としていた。妻のメッセージが付記されていて、家賃が安い上に広い物件を、何件か当たった不動産屋から紹介されたので、詳細を送ります。諸条件は同じです。どうしましょうか?、といった内容。わたしにはその間取り図がとても魅⼒的だった。⼀階は駐⾞スペース奥にだだっ広いワンルームの⼟間があるだけ。⼆階が2LDKの住居になっている。商店街にある物件だけあって、普通なかなか⾒ない住居兼商⽤物件であった。わたしには判断する気⼒も無く妻に任せた。妻は新しい勤務地に近いからと狭⼭の家をキャンセルして、飯能の家を選んだ。そうしてわたしたち夫婦の暮らしは始まった。そして同じような些細な、ときにどでかいトラブルを繰り返し、もうじき20年が過ぎようとしている。それは時間と空間が織りなす、曼荼羅状の、世界地図と呼ばれる滲みに違いない。

此処は、いつもシーンッとしている。退屈や恐怖を超えた静寂は、ただ若い好奇⼼と⾁体が、⽣きている歓喜に満ちた⾃覚であった。わたしが体験した、⽣⻄康典⽒の「演劇 似て⾮なるもの」も⽣きる歓喜そのものだ。

(2021年11月2日)

 

 

赤岩裕副 Yusuke Akaiwa

1970年、鹿児島市生まれ。サイケデリック・ダブ・ユニット『ストレンジ・ガーデン』主将。現在、野放し中。

 

 

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」
第29回 瀧澤綾音「ここにいること」
第30回 鈴木宏彰「「演劇」を観に出掛ける理由。」
第31回 福留麻里「東京の土を踏む」
第32回 山口創司「場所の色」
第33回 加藤道行「自分の中に石を投げる。」
第34回 市村柚芽「花」

 


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。