実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ
リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第8回 冨岡葵
撮影:冨岡葵
実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。
今週のリレーエッセイは冨岡葵さんです。
(生西康典)
「Letter」 冨岡葵
「集えない」ことをテーマに始めたリレーエッセイのメールを、生西さんよりいただきました。
私は2016年5月~2017年4月まで生西さんの「演劇 似て非なるもの」の講座に参加していたのですが、その後すっかりご無沙汰をしていたところへ、エッセイへの参加のお誘いがありました。現在は鍼灸の勉強をしています。
昨年4月から鍼灸学校に通い始め、一年が過ぎました。ありがたいことにご縁があり、学びたい<鍼>に出会えたので、十年後には…(あのような鍼ができるようになろう!)と思い描いているところです。
大学生の時に、耳の絵を描きました。自分の手で、自分の耳を触りながら、感じたことを絵にしました(普段、必要とされていない感覚を使いたいという欲求、それを現したいという欲求に駆り立てられて、絵を描いていた時がありました)。今は、「腹診」で、患者の腹や手足、背中などに触れて、感じた寒熱やピリピリした感じ、症状が起こった経緯をイメージ化できることが、治療方針を立てる上で必要となってきています。
さて、テーマの「集う」ですが、私は新型コロナの影響での外出自粛期間中に、ウェビナーに参加をしていました。大学は文学部に進んだのですが、それは「本を読むことも集うこと」という発想を高校生の時に得たことがきっかけでした。「血となり肉となり」ではないですが、身近に思う詩人がいます。今回ウェビナーに参加しての発見は、同時間に同じものをみている人がいる、という<他の人の存在>を感じられたことです。「どこか」にいる仲間、と言いますか、一人で本を読んでいる時(「本」と「私」の関係)とは違う感覚を味わえました。
物理的に「集えない」ということで、鍼灸学校も、自宅での課題学習となりました。今学期の半年しか担当されていない先生の<鍼>を学校授業で学べることを楽しみにしていたので、実技授業ができないと聞いた時、ものすごくコロナ影響での「不足」を感じてしまいました。(※正規授業と任意参加の特別授業があって、これは正規授業の話です。今は休講となっていますが、通年の特別授業も担当されています。)しかし、これは当初のことで、今は(動画配信や資料が手元にあることも関係するかもしれませんが)、自分の中に不足感はありません。動画や、書籍の一部にも思える詳細な資料で、知りたかったことへの理解を深められています。学校での鍼の稽古ができないという意味では「不足」ですが、丁寧に咀嚼していきたい資料や映像があるということが、ありがたいなあと思っています。ない方に焦点が合っていたのですが、心待ちにしていたものが充分にあるなあと感じました。
明日から6月ということで、このリレーエッセイが始まった時とは状況が変わってきているかもしれませんね。学校も、実技授業のみの登校予定となっています。
(2020年5月31日)
冨岡葵
フランス留学を経て、2019年~鍼灸師を志す。
美学校「造形基礎Ⅰ」、実作講座「演劇 似て非なるもの」修了生。
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』
第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。