実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第3回 黒木洋平


実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ

リレーエッセイ 『いま、どこにいる?』第3回 黒木洋平



実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じるような、
そんな状況下にあります。

大規模なものから小規模なものまで、人が集う様々な催し物が中止、延期になっていますが、
この講座でも4月21日に予定していた今期受講生の修了ソロ公演がありました。
同時上演に『おれたち、そこにいる』と題して植野隆司さん、黒木洋平さん、鈴木健太さん、武本拓也さん、冨田学さんに、受講生と同じ場にいて、何かしらのパフォーマンスをして頂く予定でしたが中止としました。いま人が集まれないならば、その「集えない」ということをテーマに、先ずは同じメンバーでリレーエッセイのようなことが始められないかと思い、このような場をつくりました。読んで頂けたら幸です。第3回は亜人間都市の黒木洋平さんです。

(生西康典)


「もっと引き籠る」 黒木洋平

やらなくてよいなら、やらないに越したことはない。集わなくて済むなら、集わないに越したことはない。そのように思います。

今、私は在宅勤務をさせてもらっています。家ごもりのストレスを訴える人は少なくないですが、私は全くストレスがありません。もとよりインドアで、「出社する」というのがとにかく嫌でした。だから働くに家から出なくてよいことには多大な「開放感」があります。

でも、こうして日中パソコンに向かって作業をし、仕事が終わってもゲームをしていれば1日が終わるのっぺりとした毎日の中で、いろんなことを忘れてしまいそうになるのを感じます。

そもそも在宅勤務が可能であるというのも恵まれた身分です。在宅勤務が不可能な業態の人々は、いまも不安を抱えたながら現場で働いていて、あるいは現場では働けないために首を切られた、事業を畳まざるをえなくなったという人も少なくないでしょう。やらないわけにはいかない人、集わなくてはならない人が多くいます。

しかしそのような人々の存在も、家を出なければ何も見えず、感じることができません。世界中が危機の只中にあることが、テレビの向こうの話になってしまいそうです。私自身、先月末に予定していた公演が中止となったことのショックも、遠い過去の話のような、もはや自分のものでないかのような感覚になりつつあります。

でも、何か大切なものを忘れそうになると、自分の中でアラートが鳴ります。「忘れる」ということに対する強い恐れが、私にはあります。認知症の祖母が、私の存在を忘れてゆくのが怖かった。自分自身、大切にしていたものや人のことを忘れ、傷つけてしまったことが怖かった。だからこそ自分が何かを忘れそうになるとアラートが、「忘れるな」という、いつかの誰かの声が聞こえてきます。

集えないという事態の前に、新たな集い方が模索されていますが、今の私に必要なのはそのようなものではない気がしています。それよりも思い出すこと。このアラートがいつの、誰の声であるのか、そして何を示しているのかを読み解くこと。そうしたことが必要な気がしています。

それはつまり、もっと引き籠る必要があるということです。これを書きながら思いました。私は半端な引き籠り方をしていたのが良くなかったのかもしれません。集えないのならやはり集わなくてよくて、引き籠ることができる身分ならば、それを徹底するべきなのかもしれません。できないことはやれないし、できることならやれそうです。なので、はい、そうしてみます。

(2020年4月19日)

黒木洋平
1994年生まれ。劇作家・演出家、演劇ユニット「亜人間都市」主宰。定期的に演劇公演を行いながら、演劇のワークショップや読書会など、集まりを作る活動を行なっています。

次回は武本拓也さんの予定です。お楽しみに。

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第1回 植野隆司「トゥギャザー」
リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第2回 鈴木健太「交差点」 

▷授業日:隔週火曜日19:00〜22:00+月1回外部開催
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。