実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第40回 堀江進司



撮影・堀江進司


実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

堀江さんと初めてお会いしたのがいつだったのか思い出せません。黒沢美香&ダンサーズの人としてか、モード研究室の人としてか。
おそらく後者でしょうか。少なくともお話しするようになったのは美学校でお会いしてだった気がします。

堀江さんがリメイクして作られた可愛らしく大胆なジャケットと、素晴らしくかっこいいシャツをモード研究室の展覧会で買わせてもらったことがあります。ジャケットは一時期着倒しましたし、シャツの方は作品として敬意を示すためにも買うしかないと手に入れたものの着る勇気が無くて自分よりはるかに似合いそうな若い友人に譲ってしましました。

もちろん、ダンサーズの一員としての舞台の勇姿を何度か拝見したこともあります。

堀江さんは鈴木健太くんとの『星座はひとつの願い』に参加してくださったこともありますし、先日行われた『日々の公演2』に代役として参加してくださって、味わいのある演技を見せてくださったり、講座にも何度かゲストで来ていただいたこともあります。

そうしたいろいろな場で接していて、堀江さんから感じるのは、物事に対する真摯さです。それは表現に対してだけではなく、人に対しても同じで、陽だまりのようなとてもあたたかい人柄をいつも感じています。そんな、あたたかい人柄だからこそ生じる弱さもまた素晴らしい人間らしさゆえに。とても信頼できる人です。

なかなか直接お会いする機会はありませんが、いつもSNSへの書き込みを見て、同世代の人間として、その趣味の良さを感じ、いつか堀江さんと一緒に好きな音楽でも聴きながらお酒を飲んでみたいものだと夢想しているのですが、、。

(生西康典)


「動くな、死ね、甦れ!」 堀江進司

タイトルに引用させて貰った言葉は、ヴィターリー・カネフスキー監督による、1989年のソビエト連邦時代のロシアで公開となった、映画の題名です。

『動くな、死ね、甦れ!』

これだけでも見事な詩であり、人間の傲慢さ、欲望に突き進む愚かしさ、哀しみに明け暮れる人生のままならさ、それでも残る、微かな希望を示してくれているんじゃないかと、勝手に、めまいのような啓示を受け取った、心の中の大切な言葉です。

池畑慎之介のデビュー曲は、このエッセイにおけるタイトルの次点でした。

『夜と朝のあいだに』

ピーターという特異な素材を得た、なかにし礼の戦慄は、地の底から響く福音と黙示録の如き言葉となって、語り、歌われる作品集『失われた神話(1970)』に収録されています。

あらゆる現象は「夜と朝のあいだに」孵卵を夢見て、産まれ落ちる様々な出来事に翻弄される私達は、常に紙一重の綱渡りな存在なのだと、たかが歌謡曲、されど歌謡曲に諭され、様々な音楽に慰められては、何とかして、心の正気を保っているのです。

コロナウイルスによる生活行動の制限で、人々は勿論、社会や経済も疲弊する中、ロシアとウクライナによる戦争の余波も加わり、混乱と混沌に向かって行く現状は避けられないと思います。

共産主義は未だに生きているし、民主主義も何だか訳が分かりません。

人と人との繋がりは、ますます、困難へと追いやられています。

殺すな、戦争反対。

◎ 

いきなりですが、私には特定の恋人もパートナーもありません。

とぼとぼ乏しい毎日です。

皆さんは、日々、愛を語り、愛し合っておられるのでしょうか?

もし、そうだとすれば、それは、とても素晴らしい事実であり、真に羨ましい限りです。

そのような、受難と共に在る、満たされた人間同士の営み、建設的な交流があるのであれば、人は、人前で何かを発表したりしなくても良いのではなかろうか?

そんな身勝手な事を思います。

一方で、私の様な、欲求不満の自家中毒にこそ、表現は必要なのでしょうか。

そうでもあると言えるし、そうでもないとも思うのです。

「人は生きている、それだけで詩です」

そう伝えて下さった、詩人・金時鐘の言葉に射抜かれ、襟を正します。

私は踊りと出逢えた事で、様々に救われましたし、沢山の出逢いも授かりました。そのお陰で今日まで生かされて来たと痛感しています。

美学校と云う懐の広い場所と巡り会えた事実にも畏敬の念を抱きます。

ですが、不肖、私個人の事情によって、家計の経済が頭から離れない昨今であり、何をするにしても、お金に付き纏う悩みが尽きません。

多かれ少なかれ、同じ不安を皆さんも抱えていらっしゃるとは思いますが・・・

例えるならば、

何かしらの芸術や表現を自ら繰り広げようとしたり、感心ある集いに参加するとしても、経済的にゆとりがあり、しなやかに他者と繋がれる土壌の有る人。

或いは、

日々のやりくりは大変でも、目標に向かって真摯に取り組み、他者を惹き寄せる才能の在る人。

更には、

時間を忘れて夢中になれる人。

それらの人々は作品を創り続け、発表を出来る資格と意義を有していると思えます。

その上で、

それら創造の果実を愛で、味わえるのは、悲しい哉、矢張り、情報に長け、経済的にゆとりの在る人達と云う、資本主義の構造と宿命を前に、幼稚な、ひがみ根性に彩られた、もどかしい現実の達観です。

時節の波に乗らなければ「ままごと」でしかありません。

ままごと、上等じゃねぇか。

強く、しなやかな意志も持ち合わせず、労働と創造を捻出できない人間は、世間からこぼれ落ちてしまう。

それは、致し方ない事なのかも知れませんが、多くの人々は期待と失望を繰り返し、背負う必要のない、負い目に萎縮しながら生きる手立てしか、残されていません。

私もそんなひとりです。

人と会って話す、それだけの事でさえ、持つ人と持たざる人が問われる時代。

世界から疎外されゆく我が身としても、どの機会を最優先して、溢れる情報の波に疲弊しつつ、ご無礼のないよう、万一に備えて、お断りと謝意の文言を内に忍ばせてもいるのに、時として、やりきれず、自身も発信源となってしまう矛盾を肴に、手酌酒へと逃げるばかりです。

過日、とあるテーマに惹かれて、演劇のワークショップに申込み、参加する事が出来ました。

『老いとケアフッド』

care-hoodとは「ケアによる繋がり」を意味する造語だそうです。

旧態依然な家族との関係に縛られず、軽やかに老いを生き抜く為に、私達には何が必要か?

共に支え合う新たな仕組みや価値観を考える事で得られるであろう、心の拠り所を求めて。

10代から60代までの、様々な生い立ち、境遇を持つ参加者が、介護や家族にまつわる体験を持ち寄り、誰もがたどる「老い」に想いを馳せ、胸襟を開き、ドラマを共に立ち上げようと試みる、ささやかな冒険をめぐる試行錯誤。

他者の経験に寄り添い、引き寄せながら、自分自身の体験も共有してもらう時間の中で、悲観的になりがちな私の心と体も励まされ、整えて貰う過程から、どんなに困難な境遇であったとしても、人と繋がり、関わる事を決して手放してはいけないと、痛感させられました。

分かり合うばかりでなく、わからないことも含めて、互いを認め合う尊さと、出逢い直せたのです。

私も含めた他の参加者達と、演劇人の進行役が一丸となって、奮闘し続けた濃密な航海から、無事に戻る事が出来ました。

私も中年となって、拗れた自己憐憫の上に根付いた、不満と愚痴ばかりが増えてしまったと、感じ入ります。

この先も、その時々で関われる物事の中から、発見し、学んでゆく希望を胸に、周りの誰か、気になる人や、困っている人には声を掛けられる勇気と共に、相手の立場を思い遣る交歓で、互いの心を湧き立たせる事が出来るなら、人前や舞台に立つ時と同じように、震えながら、眼前にある世界と対峙していると、私は言えるのだろうか。

今現在、奇跡のように繋がれている方とも、いつかは離れて仕舞う。だからと言って、これから出会う、未知なる人にばかり期待をせずに、目の前の、最も理解し合えない、一番身近な家族と向かい合う季節を迎えました。

認知症の母と、発達障害の姉には、心配りを贈る事しか出来ませんが、逃れられない家族という存在は、父の遺した、冥途の置き土産なのでしょう。

それでも何かを形にしたいと、反吐が出る程、表現や踊りへの憧れ、未練を山程抱えています。

押し潰されそうな心持ちを払い除け、森羅万象から感化を授かろうと、拙き己が表現に全霊を捧げ、駆け抜けたい心積もりも、怠惰な時間に支配され続けては、虚無と仲良くなるばかりです。

内なる慟哭を見えない糸にしたため、闇雲に張り巡らせる事も必要な行為ではありますが、たとえ、現実は立ち上がらなくとも、踊るような想いを胸に人々と関われるならば、その時間は、私の踊りと成り得るだろうか。

「美という奴は恐ろしい、おっかないもんだよ!」

三島由紀夫『仮面の告白』冒頭

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』からの引用

「お前のやりたいことをやればいいんだよ」

藤川公三

寄る辺なき未来への想いを馳せ、つつましい牛を見倣い、幾つもの言葉を反芻しながら、来たるべき死へ歩みを進める。

いつかまた踊るために。

(2022年4月6日)

堀江進司 Shinji Horie

1971年生。

83年中学生。YMOと越美晴の音楽で文化芸術に目覚める。

87年高校生。教育テレビで見た勅使川原三郎のダンスに撃たれ、88年MMM『SKIN』に辿り着く。

就職上京を機に様々な表現を浴びる中、94年、KARASのワークショップに参加。以後、ダンスに覚醒し、江原朋子、上杉満代、最上和子、黒沢美香、折田克子の稽古場で身体の畏怖と出逢い続ける、敬称略。

黒沢美香&ダンサーズの活動に合流(2003~2017)様々な機会に恵まれる。

ソロダンス発表の他、文章の執筆、二人芝居、映画での演技にも関わり、現在に至る。

現実社会を脇に、美と官能に仕える永遠の下僕、贅沢貧乏。

踊りを見始めた90年代「テルプシコール」「planB」で何度もお見かけする紳士が、実は、美学校の藤川校長であったという事実に、運命を感じる。

2006年、首くくり栲象氏を通じて美学校を伺い知る事となり、服への関心も重なって、2014年「モード研究室」受講。

https://bigakko.jp/report/mode_labo

撮影・シノダミハヤ

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」
第29回 瀧澤綾音「ここにいること」
第30回 鈴木宏彰「「演劇」を観に出掛ける理由。」
第31回 福留麻里「東京の土を踏む」
第32回 山口創司「場所の色」
第33回 加藤道行「自分の中に石を投げる。」
第34回 市村柚芽「花」
第35回 赤岩裕副「此処という場所」
第36回 原田淳子「似て非なる、狼煙をあげよ」
第37回 石垣真琴「どんな気持ちだって素手で受け止めてやる」
第38回 猿渡直美「すなおになる練習」
第39回 橋本慈子「春」


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。