実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』第31回 福留麻里




実作講座「演劇 似て非なるもの」は「人と人が出会うところから始まる」と考えています。
でも今は人と接触することに、どこか恐れや不安を互いに感じてしまうような状況が続いています。
家族や職場の人たち、ごく限られた人にしか会わない生活をしている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、みんな、どんなことを感じたり考えたりして暮らしてるのかなと思ってみたりします。
実際に会ってはいなくても、いろんな場所に信頼する人たちが居て、それぞれ日々の暮らしがある。
そのことを灯火のように感じています。

今回のリレーエッセイはダンサー、振付家の福留麻里さんです。
福留さんと面識が出来てからはどれくらい経つんだろう、かなり時間が経っている気がします。でも、僕にとってグッと身近な存在になったのは、3年前共通の友人を見送ってからでした。それから黒沢美香&ダンサーズのリナ・リッチさんのソロ公演では振付家チームの一員としてご一緒する機会もありました。稽古場では何度か福留さんがすごい速さでリナさんを振り付けしているのを見させてもらったりという贅沢な時間もありました。
そういえば、福留さんは、首くくり栲象さんに「みんな、からだのどこかに天使の羽根が生えていて、まりっぺの羽根は、きっと足に生えているんだな」と言われたことがあるそうです。
足に天使の羽が生えたダンサー。素敵ですね。この栲象さんの台詞には傑作な続きがあるのですが、それはまたの機会に。

(生西康典)


「東京の土を踏む」 福留麻里

2020年4月、第一回目の緊急事態宣言真っ只中に、東京から山口に引越しました。
家族の仕事の関係でもともと予定していて、私も初めての土地に住むのを楽しみにしていましたが、
時期が時期だったこともあり、ものすごい緊張感とプレッシャーを感じてしまい、
息を潜めるような気持ちで準備して移動して、山口に到着してからもしばらくは、気配を消すようにして過ごしていました。
それからちょうど1年くらい。
昨年の緊急事態宣言が明けてから、秋くらいまではなんやかんやと移動をしていて、東京行ったり、関西行ったり、山口にいる時間は半分くらい。なかなか「住んでいる」っていう感覚にならなくて、レジデンス気分が抜けないまま、半年以上が過ぎていた気がします。

私は東京生まれ東京育ちです。
ダンスの長期的な滞在制作や、海外ツアーなどの時以外は、基本的には東京にずっといるんだっていうことに大きく自覚的になったのは、2011年の東日本大震災の時でした。
あの時、自分にとって生まれ育った実質的な土地は東京だけれど、自分には故郷として認識している場所、帰る場所と思える場所がない。ということに愕然とするような気持ちになりました。

そうやって自分と自分のいる場所との関係に改めてぐるぐると思いを巡らせていくうちに、
ああ、例えば、長めの旅から東京に戻って、東横線で横浜方面へ向かう途中の車窓から多摩川を見るとき、唯一ほっとしている。それって「帰ってきた」という感覚に近いのかもしれない。ということに思い至りました。

多摩川には、子供のころから時々遊びに行っていました。
自転車で20分くらい。
好きだな、とは思っていたけれど、自分で思っていた以上に自分にとって大きめの存在だったんだな、ということに気がついてからは特に、しばらく心の拠り所のような感じになっていました。
なので、2013年にはじめて1人暮らしをすることにした時、多摩川のすぐ近くに住むことは絶対に決めていました。

そのアパートは多摩川まで徒歩約5分。
川原にはほぼ毎日通いました。
季節によって、日によって、時間帯によって、全く違う表情を見せる川原は、だだっ広くて何もなくて、
都会の川原らしく整備されている場所も、ほっぽらかしになったままのワイルドな場所も混ざっていて、
そこにいる人たちは、思い思いにやりたいことやって過ごしている。
春になると、上半身裸のおじいさんが、日焼けするために寝転んでいたり、ぼーっとしている人も、ジョギング中の人も、犬を遊ばせている人も犬も、キャッチボールしている人たちも、それぞれがそれぞれの時間を過ごしていて、その様子が全部見渡せる。
夜は全然人がいなくてちょっと怖い時もあるけれど、誰もいない何もないような広い場所にぽつんと立ち尽くすのは最高。そんなに遠くはないはずの対岸の風景が、全然別の世界のように思えてくることも。

アパートの人や、ご近所のギャラリー(hasu no hana /当時は大田区鵜の木。現在は品川区戸越)とのつながりで、近くに住む人たちとも仲良くなって、ちょくちょく川原に集合してご飯食べたりお酒飲んだり、野草摘みをしたり、ゲリラパフォーマンスやワークショップをしたり、たくさん遊びました。人と人との関係が土地によって結びついて育っていくということを、そういうプロジェクトではなく生活の近くで、大人になってからははじめて感じたりもしました。

その部屋に住んでいたのは、6年弱くらい。その後も、2年くらい多摩川の近くに住みました。

今、こうやって多摩川のことを思い浮かべている時、風景や出来事と一緒に強く蘇ってくるのは、川原の土を裸足で踏む足の裏の感触で、そういうのって面白いです。
川原で息を吸って吐いて、芝生やでこぼこの土やコンクリートの地面を踏んで、歩いて走って遊んで、遠くを眺めて、30代のほとんどの時間を、川原を心の支えにして空気を循環させてもらいながら、色々なことを教わりながら、生きていた気がします。

でも、同時にずっと住むわけではないだろう、自分にとっての多摩川との結びつきが、世界中どんな場所でも川の近くを自分の居場所と思わせてくれるようになるだろう、とも思っていました。
山口に住むことになるとは、予想もしていなかったけれど。

今住んでいる部屋の前にも、川が流れています。
あと窓からは山が見えます。
1年前は、山口で過ごしながら、よく多摩川のことを思い出したり、さみしくなっていました。
今こうやって文章にしてみると、少し距離ができていることがわかります。
山口にもまだ、お邪魔してますっていう感じがあって、今はなんだか自分が宙に浮いているような、
やっと少しずつ今いる山口の地面にちょっと触れている?くらいの感じがしはじめているかな、どうかな?っていうところ。

多摩川は自分にとって特別な場所ではあるけれど、帰る場所だと感じているのかは、わからない。
もしかしたら自分は、どこにも根を生やしたくないと思っているのかもしれない。
だからこれからも、どこかの土地が帰る場所になることはないのかもしれないです。
こういうのって、みんなはどうなんだろう。

少し先の未来もまだよく見えない。それはきっと、誰にとっても同じように現実で、
1年後はたぶん今と全然違う日常が待っているんだと思う。
いつかまた東京に住むかどうかもわからないけど、もしもまた東京に住むことがあるとしたら、あの辺りに住みたいです。

(2021年5月7日)

福留麻里 Mari Fukutome

ダンサー・振付家。2001年より新鋪美佳と共に身長155cmダンスデュオほうほう堂として活動。独自のダンスの更新を試みる。2014年より個人活動開始。劇場での作品発表、川原、公園、美術館、道など、様々な場所でのパフォーマンスやワークショップ、他分野作家との共同制作を継続的に行ない、いくつもの関係性とそのやりとりから生まれる感覚や考えや動きを見つめ紡いでいる。2019年からだに対する小さな指示書をSNSで配信する「ひみつのからだレシピ」をBONUS(木村覚)と共同企画。「Whenever Wherever Festival」、「ダンス作戦会議」メンバー。2020・2021年度セゾンフェローⅠ。2020年より山口県在住。

リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

第1回 植野隆司「トゥギャザー」
第2回 鈴木健太「交差点」
第3回 黒木洋平「もっと引き籠る」
第4回 武本拓也「小さなものの食卓」
第5回 冨田学「面白かった本について」
第6回 竹尾宇加「新しい日常」
第7回 ドルニオク綾乃「集えない」
第8回 冨岡葵「Letter」
第9回 岡野乃里子「体を出たら窓から入る」
第10回 奧山順市「17.5mmフィルムの構造」
第11回 千房けん輔「中間地点」
第12回 佐竹真紀「お引っ越し」
第13回 山下宏洋「休業明け、歌舞伎町に映画を観に行った。」
第14回 小駒豪「いい暮らし」
第15回 伊藤敏「鹿児島にいます」
第16回 コロスケ「無意義の時間」
第17回 嶺川貴子「空から」
第18回 加戸寛子「YouTubeクリエイターは考える」
第19回 いしわためぐみ「OK空白」
第20回 井戸田裕「時代」
第21回 Aokid「青春」
第22回 佐藤香織「ここにいます」
第23回 池田野歩「なにも考えない」
第24回 皆藤将「声量のチューニングに慣れない」
第25回 寺澤亜彩加「魂の行く末」
第26回 しのっぺん「歩きながら」
第27回 野田茂生「よくわからないなにかを求めて」
第28回 野口泉「Oの部屋」
第29回 瀧澤綾音「ここにいること」
第30回 鈴木宏彰「「演劇」を観に出掛ける理由。」


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。