特別講義デジタルコンテンツ時代の著作権


法の境界に挑む創作~Banksy、Chim↑Pom、ZEVSの事例

吉田 『キメこな』とは対照的な事例として、BanksyやZEVSといったアーティストについても紹介して頂けますか?

斎藤 2011年には初監督作品『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』でも話題になったBanksyというアーティストは、社会的な批判を込めたとても攻撃的な作品を多く作っています。ゲリラ的なグラフィティや、過去の名作に手を加えて全く異なる文脈に落とし込むことで、意味を変容させるといった手法を用いています。もの凄く威厳のある、誰でも知っているような価値の高い作品に手を加えることによって新たな価値を作り出している。

吉田 こうした既存の作品に対してゲリラ的に手を加えるというやり方で言うと、震災後、Chim↑Pom(チンポム)が岡本太郎『明日の神話』の一部に福島原発を張ったというアートが話題になったことを連想する人もいるかと思います。

齋藤 そうですね。Chim↑Pomの例も、その手法も含め、大きな問題提起となった作品でした。

吉田 ちなみにChim↑Pomのほうはそれで訴えられた(書類送検)という話を聞きましたが。

斎藤 Banksyもそうなのですが、世界的に評価を得ている素晴らしいアーティストも、法律の世界に持ってくると一転、アウトサイダーになってしまうという事が起こってしまうんですよね。その現実と法律の世界の乖離というのはすごく難しい問題だと思います。

吉田 Chim↑Pomの人達は訴えられてもOKという覚悟でやっているとDommuneでも話してました。

齋藤 そこで萎縮してしまうか、開き直って「アートなんだ」というのかは、恐らく大きな分かれ道だと思います。

吉田 そこが作家性みたいなところですよね。というところで、次の例としてZEVSの作品を紹介しましょう。

ZEVS

齋藤 Googleのロゴ(をもじった画像)が出ていますけど、ZEVSのサイトです。大企業のロゴをあえてこういう形でネタにして、それを捩るのが彼らの作風です。Google以外でもマクドナルドだったりシャネルのロゴだったり、わかりやすい大企業大資本に対するとても反抗的なメッセージをこういう形で表現しているということでしょう。ZEVSが一番最初に有名になったのが、ヨーロッパの有名な広告に関して、その看板広告の女性モデル部分を切り取って誘拐して企業に身代金を要求したという事件があったと思います。

吉田 そうした過激な作風によって人気を博しているんですよね。

齋藤 そうです。企業によっては、ZEVSにペイントされることよって話題性を生み、逆にPRになるという部分すらあるかもしれません。

吉田 Chim↑Pom、Banksy、ZEVSの一連の話は著作権というより、器物損壊だとか軽犯罪法違反に問われるののではないかと思うのですが、この辺りは如何ですか?

齋藤 それはまさにその通りですね。著作権の話からちょっと逸れますが、もう少し話題を広げて法律とアートのあり方というのはまた面白いテーマかなと思います。企業のロゴに著作権があるかというのは諸説あるようで、それぞれロゴによって違うみたいなんですが。

要は文化とかアートの文脈において、『意義ある反社会的なこと』が萎縮してしまうと、このようなラディカルな表現も生まれてこなくなってしまう。そこは色々な考え方があると思うのですが、法律というのは結局全て後追いに過ぎないんです。社会で現象が起きて、それを後から法律が規制するということになるので、全て法律通りに守っていたら、あるいはグレーゾーンは全て『クロ』として遵守していたのであれば、恐らく法律は変わることはないでしょうし、それ以上新しいことは出来ないのかなと思います。

吉田 特に今日本の著作権法が過渡期になっているということも聞くのですが。

齋藤 現在(註:2011年9月)、日本の著作権法改正作業のまっ直中なのですが、硬直化している部分を少し緩くする方向で検討されていて、フェアユースという条項が設けられると思います。フェアユースというのは、『公正な利用であれば、著作権侵害になったとしても許される』という幅を持たせる条項で、その幅をどの程度持たせるかというのが争点で色々議論している状況ですね。一般的には導入時には幅はかなり狭いです。例えば、写真を撮ってその背景にミッキーマウスが映ってしまったと。それは本当は著作権侵害なのですが、その位なら許容しましょう、というようなレベルでしかありません。パロディや二次創作までは全然射程に入っていない感じですね。
ただ、そのあたりは現場のアーティスト達が声を上げていけば、もしかしたら広がっていくかも知れないんです。例えばサンプリングやパロディ、二次創作といった表現方法がある、それによってこれだけすばらしい作品が生まれている、人々を楽しませている、あるいは大きな経済効果を生んでいるだとか、そうした現場の動きがあれば法律もそれについてくるという風になっていくはずなんです。

吉田 法律がまだまだ現状に追いついていないんですね。