アートのレシピ /
松蔭浩之、
純血四姉妹の四人(2008年度ヨレヨレアートコース[旧アートのレシピ]修了)
進行:皆藤将 2010年5月4日美学校にて
━━━ではまず基本的な事からお伺いしていきたいと思います。ヨレヨレアートコース(注:アートのレシピの旧名)はまずヨレヨレという講座名が面白いと思うのですが、なぜヨレヨレアートコースという講座名になったのでしょうか?
松蔭 これ(『彷書月刊』2009年9月号)知ってる?特集「美学校のあれから十年」、これに僕も美学校について4000字書いてるんですよ。僕が美学校に関わるようになった十年前から、ヨレヨレがどういう成りゆきでできたか。それを文章じゃなくて言葉に直して言うと、ヨレヨレは2005年なのね。2005年は昭和40年会のメンバーがちょうど40歳になる年だったんですけど、40年会の40歳ということで「40×40」という名前をつけて、一年間展覧会とかイベントとかネットで連載を始めたりだとか、何でも一年間やろう、みんな忙しいけど昭和40年会というグループ名義で極力やろうと。メンバーが会田誠や小沢剛も含めて七人いたんだけど、七人それぞれ40歳になる誕生日が来るじゃないですか。それでその誕生月、誕生日には、その人名義のイベントをやるとか、そういうプロジェクトをやっていたんです。
ヨレヨレはそれの一環だったんです。それで美学校でも一年間40年会の講座を持とうと。それで、それの名前が「40×40」=「ヨレヨレ」ということでスタートしたんです。その年はすごく学生が集まったんですよ。やっぱり会田くんの人気とか、それ以上に明和電機の土佐正道くんがいたんでその人気もありましたね。定員埋まるぐらい、12人とか来てたかな。その意味では常に学生が少ない風前の灯火の美学校を立て直すという意味でもよかったと思います。
しかし次の年も40年会でやったら学生は激減。どういうわけかは知らないよ。しかも二年目でメンバー全員のモチベーションは落ちてて、土佐正道くんにも後期の授業を担当してもらう約束だったんだけど、来ないどころか連絡も取れなくなって。それで僕がずっとやる事になっちゃったんですよ。たまに会田くんに来てもらったりしてたんだけど、36回のうち30回近くを僕が担当した。学生に嘘をつくのは一番よくないから40年会名義でやるのはやめて、ただヨレヨレという名前がユーモラスというかいい名前だなと思ったのでそれを残して、三年目の2007年度から初めて僕個人名義の松蔭浩之のコースとして「40×40」からカタカナの「ヨレヨレ」に変えた。それがヨレヨレアートコースの名前の簡単ないきさつです。
━━━ありがとうございます。今ヨレヨレアートコースでは三田村光土里さんと倉重迅さんもゲスト講師として来ていただいていると思いますが、どういう経緯で美学校に呼ばれたんでしょう?
松蔭 二人ともすごい仲良しでもあるし、ここにも書いているんですけど、「2007年から松蔭浩之個人の講座としてスタート、名前も『ヨレヨレアート』とマイナーチェンジして、ここで一人で務め上げる事の不安とこの学校には女性の講師が少ないということが問題であると思い、旧知の三田村光土里に基本の月末講師として参加してもらった。」と。
━━━では2007年からお二人がヨレヨレに?
松蔭 倉重くんは2008年から。映像を使ってアートをやるっていうのは必須になってきてると思うのね。例えば若い世代はニコニコ動画を使ったりだとか、初出しの作品をYouTubeでぶつけてみたりだとかね。いまUstreamの時代でもあるでしょ。だから映像とコンピュータとネットワーキングっていうのをカリキュラムの中に入れないといけないし、いつまでもアナログ、ローテクにこだわる必要も無いかなと。僕もできる限りではやってるんですけど、専門ではないんで。その時に倉重自身がやりたいと三田村さんに言ってきたみたいで、彼は映像強いしね。試しにやってみなよと。そうすると彼も居心地がいいみたいで、誰が言い出したか知らないけど今年度から独立して講座を持つことになったよね(笑)。それで話が飛ぶけどキリ(桐川)が希望してるんだって?
桐川 そうなんですよね~
松蔭 若い男が好きなの?(笑)
藤崎 ダメ男が好きなんです(笑)。若い男じゃなくて。
松蔭 なるほどね(笑)。やっぱり倉重くんはアーティストらしいよね。ダメ男のかなり代表格だから。
桐川 ダメ男は好きですけど...
小澤 でも厳しいんですよね。
藤崎 すごいストレートに言ってくれるので。
松蔭 それで意外と保守的なんだよね。やっぱり育ちがいいというか。坊っちゃんだから。暴れたりする割にはコンサバなんだよね。だからそういう三人のトライアングルで、援助を二人に求めたというよりは、36回僕だけだと行き詰まる時もあるし、僕も海外に行ったりだとか展覧会の準備で忙しくなる時も毎年必ずあったんでね。そういう時のウルトラセブンのカプセル怪獣というか(笑)。そういう点では三田村さんと倉重くんとのトライアングルは、僕の中では受講生たちにとって絶妙なパワーバランスじゃないかなと思っています。
━━━では実際ヨレヨレアートコースではどのような授業を行っているのでしょうか?
松蔭 毎年ケースバイケースですよ。学生によっても変わってきますし。池袋にある創形美術学校というところでも教えていますけどあっちの経験で思うのが、あっちは専門学校なんだけどこっちは私塾で自由じゃない。自由に耐えられない人が多い年ってあるんだよね。創形美術学校みたいな専門学校だったらカリキュラムをこなすということで授業は成立するけど。何が言いたいかというと美学校は毎年違うわけですよ。個人差というよりもこの学年は暗いなとかこの学年はトロいなとか盛り上がるなとか、一つに束ねることができるんですよ。
━━━ちなみにここにいる純血四姉妹がいた時の印象は?
松蔭 これはもうヤバいなと(笑)。
藤崎 ヤバいって何ですか(笑)。
松蔭 だってこの娘たちは自主性がすごかったもんね。最初ヤバいなって思ったのは、主義主張、ファッション見てもわかるんだけどね、自分というのがある程度見えてる人が来て、しかも全員女性だとぶつかるなと思って、そのクッション役をやらされるんだなこの一年は、みたいなね。というのがあったんですけど、回を増すごとにむしろ助けてもらったというか、そういう年でしたね。
━━━基本的にはアーティスト志望の人たちが集まってきて、作家活動の根本となるような事を授業で教えていくと?
松蔭 何かそうなっちゃうね。中には過去にアーティストになりたいというのではなく、単に美術に興味があってカルチャースクール感覚で来る人もいる。それも全然オッケーなんですよ。そういう人にも応えられるよう努めているつもりなんだけど。でもやっぱり実際作り出すとね。ぶっちゃけ言うと、こういう言い方すると賛否両論かもしれないけど、やろうと思えばたった一年で現代美術はできる。それぐらい見栄えだけこさえるには簡単なものですよ。それで「私、現代美術家です」って手を挙げるのも簡単だよって。だけど美学校って一年だから、その後は知らないよっていうそういう無言の、暗黙のメッセージが入ってる授業です。だから僕の考え方とか倉重くんとか三田村さんのフォローを経て、なおかつ会田誠の夏合宿……会田誠のアトリエに遊びに行けるっていうのもこのヨレヨレコースの魅力だと思うし、そういう現役のいきのいい売れっ子の人たちに触発されながらも、何らかの形で最後に作品を発表できるところまで指導する。
それで最近僕ははっきり言ってるんだけど、「どうやったらアーティストになれるんですか?」って質問があるじゃない。それちゃんちゃらおかしくて……自分がアーティストだって言えばアーティストなんだよね。自分が写真家だって言えば写真家なんだよ。なるのは簡単だけど、なった後がもっと大変だよということを最後の卒業制作展の講評で言うんですよ。具体的にどんな事をやっているかは、せっかく彼女たちも集まってくれたんで彼女たちに聞いてみてもいいんじゃないかな。
━━━ではいかがでしょうか。一昨年ですかヨレヨレにいらっしゃったのは?こういうのは楽しかった、これは大変だったなどありますでしょうか?
松蔭 一番最初に「セルフポートレイト」をやるよね?これは毎年小手試しという感じでね。
藤崎 私の場合は全く現代美術を知らないで入ってきたので。その言葉も知らないぐらいの勢いで。
━━━ちなみになぜヨレヨレを受講しようと思われたんですか?
藤崎 私のやりたい事は何なのかと思ってネットで検索していて、現代美術というのがなんて呼ばれているのかわからなくて、調べたら現代美術っていう言葉だったんです。それで学校検索して、四ッ谷の学校と美学校ぐらいしか出てこなくて、美学校だなと思って入りました。それで現代美術演習で斎藤美奈子さんのクラスと松蔭さんのクラスを、何となくフィーリングというか直感でヨレヨレだなと思って入りました。
━━━実際入ってみていかがでしたか?
松蔭 忌憚なき意見を(笑)。ストレートな、実直な意見を(笑)。
藤崎 まったくやったことの無いことばっかりやっていたので楽しかったですね。
松蔭 オザキョウ(小澤)なんかは前の年に見学に来たもんね?
小澤 そうです。でもその見学もよくわからなくて(笑)。その年ちょうどワークショップ的なものがあって、それで学校の様子を見るのを兼ねて、内容も全くわからずに行ったんです。そうしたらその時の現代美術の話で、絵を描けなくてもいいとか、うまくなくていいとか、彫刻ができなくてもいいとかいうのを教わって、私はアートに興味あったんですけど、自分には雲の上の世界という感覚だったので、それを松蔭さんが言われた時に、あぁこれ私にもできるかもって思って、はまっちゃって、やりますみたいな。
松蔭 だからそう思わせる授業ですよ(笑)。
桐川 うまい。
松蔭 だから詐欺だよ(笑)。
小澤 (笑)でもあの中で、実際来たの私しかいなかったっていうのが、私には不思議でしょうがなかった。あんな面白かったのに、なんでみんな来ないんだろうって思いましたけど。
松蔭 オレもちょっとがっかりだったけどね。あんなにみんな楽しそうにしていたのに。無料だったからよかったのかみたいな感じだよね(笑)。蓋を開けてみたら誰も来てない。オザキョウだけっていうね。
藤崎 でもみんな最初からいたわけじゃなくてぽろぽろ見学に来て、みんな後から入ってきた。
桐川 最初もっといっぱいいたしね(笑)。
藤崎 いたいた!四人じゃなかった。
松蔭 そうそうこの学年はちょっと立ち直した感じの、ウハウハにどんどん増えていってたよね。七人いて、みんな優秀だったんですよ。ところが諸々の理由で三人来れなくなってね。
桐川 優秀な人が来れなくなっちゃった。
藤崎 社会的エリートが消えた(笑)。
松蔭 勝ち組が(笑)。
藤崎 でも三人がいたのも短いですもんね。夏までだったから。
松蔭 すっと来なくなったもんね。だからこの四人が運命付けられてたんじゃない?
桐川 藤崎 すごい感じるよね。それすごい思っちゃいます。
松蔭 それがありがたいよね。こっちとしてはね。
━━━美学校ってそういう出会いが面白いですよね。普通の学校と違って色んな所から色んな人が集まってくる。桐川さんはいかがですか、ヨレヨレの授業でこれが面白かったとかありますか?
桐川 課題はどれも面白かったですね。まずセルフポートレイトがあって、それで夏が終わって。
松蔭 そうそれをクリアしてから会田誠のところに行って海遊びをすると。
桐川 それで九月に写真の授業があって、あれは課題だった?空ともう一つ。空の写真を撮って...
松蔭 何だったっけね? ストーリーを作るみたいな。何を対比させていくか、みたいなやつ。それで佐保(古澤)が写真が上手な人だったから、逆に「なんで空を撮らなくちゃいけないの」みたいな反抗心をむき出してきて、それで裏の裏をかいていくとかね。そういう四種四用の取り組みができる課題だったりだとか。それで後半から「キッチュ論」。
━━━「キッチュ論」とは?
松蔭 キッチュって何っていう、基本僕は僕で答えをいつも持ってはいるんだけど、それを教科書的にみんなに話すんじゃなくて、考えてきてもらうっていうのが大事だと思っていて、じゃあキッチュって何っていうのを箇条書きにしていきながら、それにマルバツ三角を付けていって、それぞれにイメージできる具体的なキッチュを怪獣としてデザインする(笑)。
藤崎 ゴジラの映像とか見たりして。
松蔭 怪獣とかそういう突然変異体っていうのは、往々にして現代美術を考えることとすごい似ている。怪獣には現代が反映されているものが多いからね。公害だったり、今だったらエコだったりと。そういうふうに分析してものを作る事が大事だよという授業です。
桐川 あと女性アーティストとは?というレポートを書いたり。