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修了生インタビュー 佐藤直樹

修了生インタビュー 佐藤直樹


収録:2011年10月


CETやTDBでの活動


 

  2003、4年でCETをやる時に、仕事の面ではアジール・クラックを作って   『DAZED & CONFUSED JAPAN』(註13)や   HRC(註14)みたいなものを作ったりだとかして、広告とか商業的なものの中での成果も出しながらだったんですけど、どこまでいったら一人前で、どこまでいったらやりきったと言えるのかキリがないなと思い始めたんです。

 だからやれることはなんでもやった方がいいと思って、実際   松蔭さん(註15)の写真作品をCET05の企画としてやろうとした時に、そこで展示するのはどうすればいいかと言って、ものすごく大きなパネルを作って、巨大出力して貼ればいいんだけどそんな金ないから、看板屋さんみたいにして描いたんですよ。そうしたら描けたんで、ちょっとびっくりした(笑)。それも僕としてはあくまでデザインとしてやっているんです。巨大出力機になっているわけです。

 2004年、TDB(東京デザイナーズブロック)の最後の年にも転機があって。六本木の芋洗い坂にあった空ビルのフロアに展示をしたんですけど、その時も完全に印刷機になって、CMYKのペンキだけで富士山を描いたんです。もう指がおかしくなるかと思いましたね。ペンキを指に付けて、アミ点をランダムドットで付けていくんです。CMYKで出力したものを貼って、その通りの濃度で描いていくんですけど、難しいんですよ(笑)。

 CMYKの分版した富士山の型で、全部富士山の形をしているんだけど、例えばシアン版は下の方が濃くてだんだん薄くなっていって、空のところになるとまた濃くなっている状態。それでイエロー版なんかは全体にふわーっとなっているだけ。マゼンダ版は紫っぽいところを補強するようなかたち。その4版をそのカラーで出すんだけど、イエローなんて見えないんだよね。だからその横に全部をスミ版で出したものを並べるわけです。だけど僕が付けるのはイエローだから、だいたいこの密度でこうやったらこう見えるかなと遠くから見てやっていくわけです。型は小さい紙だから手元で見て向こうにある富士山にかざすとわかるわけです。できた、よし次みたいな感じで。だけどやっぱりコンクリの壁に指でやるのは危ないですね。ボロボロになります。それでそのままその下で寝てたりするんですよ。次の日仕事してまたそこに行って。

 それをその期間ずっとやっていて、それが楽しくなってしまった。でもアートだなんて思っていないし、アートの文脈に採り上げてもらおうとも思ってなかったし、いまだにそんなこと思ってないし、あくまでデザインの延長として考えることもアリだなと思ってやってました。

 多分それがあったから松蔭さんの写真があの面積だったら描けると思ったんでしょう。200号よりちょっと大きいぐらいかな。先に壁作ってもらっているから、それに合わせて描いて、その時はそっくりに描けばいいわけで混色していいんで、そうしてやったら割とスムーズに絵が描けた。

 最初はこんなの引き受けちゃって絵にならなかったらどうしようと、ちょっと血の気が引いていた。プロジェクターで投影して輪郭を引いて、そこにちょんちょんと色合わせをやったらできるだろうと思ったんだけど、写真の面の大半は波だから、プロジェクターで投射したって、波なんて描けないんですよ。結局手元で見て近くに寄ったり離れたりして見て描いた。

 それが2005年で、だから毎年なんだかんだ作ってるんですね。毎年CETを成立させるために、何か肉体的に作るという作業をやっていて、その時点で普通のデザイナーがやっている動きとは随分変わってきている。だけどそういうのをやってデザインの仕事ができなくなるというのがものすごい嫌で並行してやっていた。

 

「絵画部」の活動


  それで   小田島くん(註16)が2005、6、7年と参加してくれてた。彼はアートヒストリーに対する知識も豊富だし、興味関心もすごく本質的だから、作っているものに対して小田島等流にいろいろ解説をしてくれるんですよ。この辺はリアリズムの流れからきてますよねとか。そんなの考えたこともなかったから、面白いこと言うなと思って。でもそうやって見てくれて、そういうこと言ってくれる人がいるっていうのは嬉しい。あとデザインの業界の中の言語というのが、だんだん退屈で貧しいものであるように思えてきてたからすごく新鮮でした。僕も小田島くんのことを尊敬していたし、作るものも面白いから、それで仕事の上でも接点ができて「絵画部」の活動を思いついたところがあったと思う。

 最初は   都築さん(註17)と   イケちゃん(註18)と   マジック(註19)に声をかけて、小田島くんは最後に加わってきたんだけどそれが「絵と美と画と術」に繋がっていくんです。もう一回そういうものの基にある、全部を貫通するような考え方に対してちゃんと言葉が欲しいという気持ちがあった。そういうことと僕がCETでやっていることとは全部どこかで繋がっているはずなんだけれども、つなげて説明する言語がないわけです。業界は業界で分かれているし。それは正解が出ないから考え続けるしかないわけで、その時に都築さんが非常に魅力的だったわけです。

 都築さんもCETに吸い寄せられて来ていて、結局イケちゃんもそうだしマジックもそうなんだけど、ああいう先の見えないことに対して反応して近づいて来てくれるっていうことはさ、やっぱり何か共通するものがあって、みんなまたがっているんですね。デザインとアートの間を行き来している部分があって、そこでようやく長年の美学校以来の、バラバラでなかなか繋がらなかったものが、結びついてきた。

 それでとにかく何かテーマをもってその場所で面白いことができないかなと言って、馬喰町スタイリングをやった。それはスタイリストの高橋毅くんが、即興で服をかき集めて、そこならではの不思議なスタイリングをしてもらったものをまたみんなで絵に描いていくというものだったんですけど。

 だからそれも広告をやったりだとか普通のデザインの仕事をやる中で高橋毅というスタイリストとの出会いもあって、そういうところからまた新しいクリエイションができないかなと思ってやっているから、別にそれがアートであろうとデザインであろうとファッションであろうと何だっていいわけです。

 そこでUSTREAMを初めて体験して、流してみたら 宇川くん(註20)が書き込んでくれて。もちろん   DOMMUNE(註21)はまだ始まってませんでした。   パルコさん(註22)も2003年の最初の年から参加してくれていて、松蔭さんもそうだし、アートの世界で活躍している人とも仲良くなっていった。だから今振り返ってみると少しずつ繋がっていったんだなとわかる。動いている最中は何も考えてないし、イベントを無理矢理にでも成立させなきゃいけない時にはものすごいパワーが必要だから、個々に強いパワーを発揮してくれそうな人を次々に繋げていった感じです。

 たとえば  宇治野さん(註23)と   津村さん(註24)のコラボレーションみたいな、路地でいきなりやぐらを立ててやるような行為というのは、宇治野さんの長年の活動があってのことじゃないですか。それで宇治野さんと僕はそれぞれの業界で、それぞれに活動してきていたから、何となく知ってはいたけどしゃべったことなんかなかったわけです。

 宇治野さんだって声をかけられて不思議だったろうと思うんだけどね。でもそれで美学校に行っていたこともあるんですよみたいな感じで話したりするようになって、ああやっぱり美学校にいなかったら何も繋がってないだろうなと思うようになりましたね。

 封印していたというのもあると思うし、実際文字通り忘れてたというのもあると思うんだけど。それぐらい距離を置いていましたね。最初からずっと順風満帆で少しずつキャリアを重ねていって、経歴化してということはないんじゃないですかね。それは別に美学校に限らず普通の美大であっても専門学校であってもそうだと思うけど、直接そこのものがスライドして積み重なって何かのキャリアになっていくって人も中にはいるのかもしれないけど、そういうものではないですよね。


 註13:『DAZED & CONFUSED JAPAN』
2002年に刊行されたファッション&カルチャー誌。2010年休刊。
参考:http://www.asyl.co.jp/category/works/dazed-confused-japan

  註14:アルファベット H/R/C サイドスライドボックスシリーズ
2004年より地域限定で発売されたたばこ。国内で初めてサイドスライド方式のパッケージが採用された。2004日本パッケージデザイン大賞受賞。

  註15:松蔭浩之(まつかげ・ひろゆき)
1965年福岡県出身。現代美術家。1988年大阪芸術大学写真学科卒業。1990年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でベネチア・ビエンナーレに世界最年少で出展。以降、写真家、アートディレクター、空間デザイナー、ライター、俳優など多岐に渡り活動。現代美術家集団「昭和40年会」では会長を務める。
美学校「アートのレシピ」講師

  註16:小田島等(おだじま・ひとし)
1972年東京都出身。イラストレーター、漫画家、デザイナー。桑沢デザイン研究所卒業。1990年に「ザ・チョイス」入選。1995年よりCD、書籍等のアートディレクションを多数手がける。漫画『無 FOR SALE』。監修本『1980年代のポップ・イラストレーション』。2010年作品集『ANONYMOUS POP』を上梓。同年大橋裕之、箕浦建太郎と全日本ポスト・サブカルチャー連合を結成。
美学校「絵と美と画と術・しま専科」講師

  註17:都築潤(つづき・じゅん)
1962年東京都出身。イラストレーター。1986年武蔵野美術大学デザイン科卒業。1993年四谷イメージフォーラム中退。1987年ザ・チョイス年度賞優秀賞。2000年毎日広告賞部門賞。2004年TIAA銅賞、カンヌ国際広告祭銀賞。2005年アジアパシフィック広告祭銀賞、TIAA銀賞、ニューヨーク One Show,Festival, Cresta等でファイナリスト。
美学校「絵と美と画と術」講師

  註18:池田晶紀(いけだ・まさのり)
1978年神奈川県出身。写真家。1999年自ら運営していた「ドラックアウトスタジオ」で発表活動を始める。2003年よりポートレート・シリーズ『休日の写真館』の制作・発表を始める。2006年個人スタジオ「ゆかい」設立。2010年スタジオを馬喰町へ移転。オルタナティブ・スペースを併設し、再び「ドラックアウトスタジオ」の名で運営を開始。国内外で個展・グループ展多数
美学校「絵と美と画と術」講師

  註19:マジック・コバヤシ
日本イラストレーション展特別賞、アブソルートアート佳作。株式会社メイウェルにグラフィックデザイナーとして入社。後に横尾忠則氏と石川次郎氏のデザイン事務所株式会社スタジオ・マジック設立に参加。1999年よりフリーランス。グラフィックデザインを軸に映像、写真、インスタレーションなど表現方法にとらわれない制作を続けている。
美学校「絵と美と画と術・しま専科」講師

  註20:宇川直宏(うかわ・なおひろ)
1968年香川県出身。グラフィックデザイナー、映像作家、現代美術家。OM/N/DAD PRODUCTIONS主宰。Mixrooffice代表。GODFATHER主宰。自らメディアレイピスと称し、ジャンルを横断して多岐に渡る活動を行っている。

  註21:DOMMUNE
宇川直宏が主宰する、東京・渋谷のライブストリーミングチャンネル/スタジオ。さまざまなゲストを招きトークショーやライブなどを中継する。すべての番組は動画中継サービスUSTRAEMで無料配信されている。2010年3月1日に開局。

  註22:パルコキノシタ
1965 年徳島県出身。漫画家、現代美術家。1989年日本大芸術学部卒業、日本グラフィック展パルコ賞受賞。小中高の教師を経てイラストレーターとなる。1993年には月刊漫画『ガロ』で漫画家デビュー。世界各地の大規模な展覧会でゲリラパフォーマンスも行う。昭和40年会会員。

  註23:宇治野宗輝(うじの・むねてる)
1964年東京都出身。現代美術家。1988年東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒業。1993年より、バイク部品とエレキギターを融合させたオリジナル・サウンドツール「ラヴ・アーム」の製作を開始。以後、ライブパフォーマンスを多数敢行する。近年は海外を中心に、個展、グループ展、ライブパフォーマンス等を行っている。
美学校元講師

  註24:津村耕佑(つむら・こうすけ)
1959年埼玉県出身。ファッションデザイナー。1982年第52回装苑賞受賞。1983年三宅デザイン事務所入社。1994年第12回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞。同年、パリ・コレクション初参加。以後、「KOSUKE TSUMURA」として年2回パリでコレクションを発表している。また、造形作家としても制作活動を行っている。


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