Menu

Home
修了生インタビュー 浅生ハルミン

修了生インタビュー 浅生ハルミン


━━━『私は猫ストーカー』の最後に載っているプロフィールに、現代美術家としても活動していたと書いてあるんですが、現代美術もされていたんですか?

短い期間でしたけれども、現代美術をやっていました。1993年頃。当時、大森にあったレントゲン藝術研究所というギャラリーで、西原みんさんがキュレーションをした『G-GIRLS』という企画展に、花代さん、田代ももこさん、米津眞理さんと出品しました。手芸をテーマにした作品です。それがきっかけで、飴屋法水さんに声をかけてもらって、ぬいぐるみや巨大な風船を使ったインスタレーションを発表するまで発展しました。猫ストーカーもそれとひとつづきのことだと思っています。

猫ストーカーは、猫はかわいいし、大好きだったというのが一つあって、あと猫が自分の頭では思いつかないような道に行ったりするから面白いんですね。猫をつけて行くと自分が、猫の思考という外付けハードディスクに接続されている感じがします。自分の考えの領域が拡張されるような。例えばしょっちゅう歩いていた近所でさえ、これまで全然知らなかった細い抜け道を見つけたり、猫についていくとこんなところに井戸があったんだみたいな驚きがあったりして、小さいことですが本当に近所の見え方が変わります。

それで私は地図を書くのが好きなので、道を歩いてできた線を地図に書いたりするんですけど、猫ストーカーの地図は自分の考えじゃなくて、猫の道です。自分の意図からこぼれた形は、こんな形だったかと、あとから見ると面白いんですよ。ものすごく面白いわけじゃありません。でもそういう薄味なことが好きなんです。

━━━『私は猫ストーカー』を読んでいると自分も猫の後をつけてみたくなるんですよね。そう思うような本なんですけど。ハルミンさんの場合は猫という外付けハードディスクに接続して、それに従って街を歩いて行くということですよね。

そうそう。そうなんです。猫の視点は外付けハードディスクな感じ。知ってる近所が猫のお陰で違うふうに見えてくるんです。

自分が思ってもみなかったことをやってみて、それを辿って線にするというシリーズでは、タクシーの運転手さんに憧れた時もありました。タクシーの運転手さんは今日どこに行くか決まっていなくて、お客さんの言う通りに行って、それを今日行った道はこうだったって毎日線にして並べて見ていたら色んな形になって面白いだろうなあと思ったり。

━━━確かに面白そうですね。お客さん次第で行く場所が変わりますもんね。

でも実際聞いてみたら私が思っていたよりドリーミーな話ではなかったですね。やっぱりある程度行く場所は決まっているから。でもすごく遠くまで走って帰ってくるのが好きな運転手さんと、路地をちょこちょこ行って戻ってくるのが好きな運転手さんとか色々なタイプの人がいるらしくて、猫に似てる…って思いました。

だから私はいつも外付けハードディスクが欲しいのかもしれません。今は家族と住んでなくて一人暮らしなんですけど、一人の暮らしというのも、全部自分の考えだけで成り立っていて、起きたい時に起きて、食べたい時にご飯を食べて、それは自由でいいねって思われるけど、全部自由だとつまらないです。今は家のなかにある生活用品はすべて自分で把握していますけど、実家の納戸のよくわからなさとか、何これ?みたいな、母さんこれを買ってどうするんだみたいな、そういう驚きがないのがすごく寂しい。そういう、自分を台無しにするものを求めているのかもしれません。

だから自分の好みの趣味だけで固めたインテリアとかそういうのから逃れたくて、一人暮らしの家を実家みたいにしたくて、実家化する計画を立てて実践していたこともありました。

━━━ハルミンさんの家とかすごいおしゃれそうですけどね。

全然おしゃれじゃないですよ。

━━━実家化を意識的にするのって難しいですよね。あれは何十年もの蓄積があってああなっているわけじゃないですか。色んな偶然が重なって。

━━━エッセイやイラストを描くようになったいきさつを教えてください。

私は   田村治芳さん(注4)のなないろ文庫でバイトをしていたんですけど、それも美学校の西村陽一郎さんがそこでアルバイトをしていて、自分は写真だけでやっていきたいからといって、なないろ文庫を辞めることになったんです。それでその代わりを探しておられて私が立候補しました。

それがご縁で、田村さんがやっていた『彷書月刊』という古本情報誌にエッセイを書かせてもらうようになりました。

それもその頃自分がデザインをしていた雑誌に勝手にコーナーを作って古本のコラムを載せていたんですけど、店番をしていた時にそれを田村さんに読んでもらったら、うちの『彷書月刊』で書く?という感じで始まって。それが私が26歳ぐらいの時ですね。

━━━写真の方面に行こうとは思わなかったんですか?

私は才能がないと思いました。全然楽しくなくて、楽しくなくてやっていてもなと思いました。

━━━イラストを描くきっかけは何だったんですか?イラストはずっと描いていたんでしょうか?

高校生の頃から描いていました。ホワホワッと描いていて。ただ普通に描いていただけなんですけど、それを見て、描いてみたらと言ってくれる人がいて、いきなり単行本の挿絵を描かせてもらったり、それを他の編集部の人が見て、次の仕事が来たりしていました。あとはデザイン事務所で働いていた時に社長が、浅生さんのイラストを使うと言ってくれたりして、段々イラストの仕事が多くなっていったんです。

━━━来た玉を打ち返していたら、イラストを描くようになったし、文章も書くようになったと。

そうなんですよ。ずっと来た玉を打ち返している人生ですね。

━━━猫ストーカーをやるきっかけは何だったんですか?

『relax』という雑誌がマガジンハウスから出ていて、そこに連載を持っていたんですけど、連載が終わって、次に違うテーマをという時に、ちょうど猫を飼い始めたんですね。ずっと室内で飼っているのですが、実家にいた猫はいつもどっかに行っちゃって帰って来なくても特に心配もせず、ふらりといつの間にか帰ってきていたなということを、部屋にいる猫を見て思い出したんですよ。そう言えば実家の猫はどこに行っていたんだろうなと疑問に思って、それじゃあついて行ってみようと思ったんです。

それで猫のあとをついて行こうかなと思っているんですと言ったら、それいいかもしれない!って言ってもらえて、書くことになりました。

映画もそうでした。『私は猫ストーカー』が本になって、これを本にしてもらえるなんて思わなかったなあなんて思っていたら、ある日プロデューサーの越川道夫さんが映画にしたいと話を持ってきてくださって、びっくりして。私はまわりの人に恵まれているなあと思います、ありがたいです。


  注4:田村治芳(たむら・よしはる)
1950年京都府出身。高校卒業後、美学校・ペン画教場に入る。七月堂古書店部で1年働いた後、独立して自身の古書店(なないろ文庫ふしぎ堂)を経営。1985年『彷書月刊』創刊。2011年死去。


ページ: 1 2 3