「歌謡曲〜J-POPの歴史から学ぶ音楽入門・実作編」講師・LL教室インタビュー


2021年に開講した本講座は、日本のポピュラー音楽の歴史を通して、音楽を「知る/聴く/作る」楽しさを学ぶ講座です。戦後から現在に至るまで、各時代のヒット曲を対象に「なぜこの曲がヒットしたのか?」を分析することで批評眼を養います。また、座学と実作を交互に繰り返すことで、無理なく実作を重ね、自身の楽曲制作のスキルアップはもちろん、リスナーとして音楽を体系的に聴く力を身につけます。本稿では、講師であるLL教室の皆さんに、3人の出会い、講座内容、ご自身と音楽の関係などについてお話しいただきました。

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写真左よりLL教室の矢野利裕、森野誠一、ハシノイチロウ

矢野利裕|著書『コミックソングがJ-POPを作った』(P-VINE)、『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)などで音楽と芸能について論じている。TBSラジオ『アフター6ジャンクション』『荻上チキ Session-22』などに出演し、ジャニーズ楽曲やコミックソングについて解説を行う。

森野誠一|構成作家として主に音楽・バラエティ番組を担当。テレビ東京『ゴッドタン』の人気企画「芸人マジ歌選手権」ではマキタスポーツ presents Fly or Dieにベーシストとして参加、「ROCK IN JAPAN FES」「COUNT DOWN JAPAN FES」などにも出演している。「Pop’n music」「太鼓の達人」などのリズムアクションゲームにも楽曲提供。

ハシノイチロウ|「洋楽の日本語カヴァー曲」研究の第一人者として、収集したレコードをブログやラジオなど各メディア上で紹介している一方、酸辣湯麺を食べ歩く活動では『マツコの知らない世界』(TBS)にも出演。

3人の出会い

森野 僕もハシノくんも元々バンドをやっていて、ライブハウスで知り合いました。ハシノくんのバンドは作品を批評的に作るタイプで、当時から和を取り入れたロックバンドみたいなことをやっていて面白かったんですよ。それで僕が構成作家をやっているラジオの企画に出てもらって。矢野くんとは最初……

矢野 僕はずっと音楽評論を書いてるんですけど、音楽のことを考えるためにはお笑いのことを考えなきゃダメだなと思ったときがありまして。それで、芸人のサンキュータツオさんがやっているお笑いの勉強会の情報をネットでたまたま見て参加させてもらいました。そこに構成作家としてタツオさんの番組も手掛けている森野さんがいて知り合ったという感じですね。

森野 ちょうど矢野くんが『ジャニ研!ジャニーズ文化論』(原書房、2012)を出したときだったんだよね。マキタスポーツと一緒に作ってたものも結構チェックしてくれていて、僕があまり詳しくないヒップホップについても論じていたので、じゃあそういう切り口でラジオ出てみない?という感じで交流が始まりました。

ハシノ 森野さんとマキタさんがやってる番組に、別の回のゲストとして矢野くんと僕が出ていたんですよね。

森野 だから、そのときはふたりは会ってないんだよね。2015年の春に番組が終了したときに、これで終わっちゃうのはもったいないなと思って、じゃあ音楽の勉強会的なゼミっぽいことをやらない?ってふたりに声をかけて。

矢野 そのうち「LL教室」というユニットの形をとってDJイベントにDJとして参加したり、J-POPに関するトークイベントをやったり、一回だけですけど、演芸と音楽をミックスしたライブイベントをやったりする中で、岸野(雄一)さんを通じて美学校からお声がけいただいて講座を持つことになりました。

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縛りがあることで個性がにじみ出る

矢野 実作を取り入れた講座をやりませんかと美学校からお話をいただいて、最初は大丈夫かなと思ったんです。僕自身、楽器ができないので受講のハードルがあがるんじゃないかって。でも、美学校には音楽ライター講座があるし、音楽に対して知識を得る講座もあるので、僕らの講座は実作にフィードバックさせることを特色にしたいと考えました。実際、楽器の経験がない方も作詞や訳詞で参加してくれたりして、すごく面白いです。しかも、クオリティが大変高い。

ハシノ 講座では、できるだけ音楽理論を言葉として使わないようにしています。提出された作品に言及するときは多少そういう話もしますけど、モノを作ることは誰でもできるんだよってことを押し出していきたいなと。作詞も作曲もしたことがない、楽器もやったことがない方が、最初の一歩として何か作ってみるための課題を毎回出しています。講座ではJ-POPの歴史を戦後の歌謡曲から順に追っていくんですが、J-POPってどんどん複雑化しているので、昔になればなるほど楽曲構成も言葉数もシンプルなんですね。だから偶然ですけど、作るもののハードルも低いところから徐々に上がっていく形になっています。ブギーとかツイストとか、フォーマットが決まっていることが良い意味で縛りになって、ある程度自分で音楽を作ってきた方からも「縛りがあることで自分の新たな一面が出た」と言っていただけました。

矢野 「自由に作ってください」って言うと、必ずしも自覚してない自分のパターンとか手癖が出ちゃうんですけど、「この文字数で」とか「このフォーマットで」とか、縛りや枠組みをガチガチに作ることで、逆に個性がにじみ出てくる感じもあって。注文や縛りをひとつの考えるきっかけにしてもらえたらいいですね。

森野 僕は、90年代から2010年ぐらいまでは自分の作りたい音楽を作ってCDを出してたんですけど、2011年ぐらいからは仕事として音楽を作りはじめて。そうすると縛りしかないんですよ。最初から(楽曲の)ゴールが見えてるじゃんって話が多くて。でも、その縛りの中でもがいて作ってると、どうやっても作家性みたいなものがにじみ出てくるんです。そこに自分らしさみたいなものを見つけてもらえれば良いというか。「自己実現的な作品づくり」と「仕事」を完全に切り離しちゃうんじゃなくて、その間のところを自分なりにうまく見つけてもらえたらいいなと。

ハシノ 講座の課題を一つ例に挙げると、すでに訳詞が3パターンぐらいある「ルイジアナ・ママ」の4パターン目の訳詞を作ってみましょうとか。原曲のメロディーもあるし、訳詞の前例も複数あるので、作詞を一切したことがない人でも取り掛かりやすいし、どんな言葉を選ぶかで個性も出ます。実際に言葉を当てはめて歌いやすいかどうかって、自分でやってみて初めて分かる部分も大きいんですよね。ミュージシャンにならなくても、自分で歌に言葉を乗せてみた経験があると、リスナーとして音楽の味わい方に深みが出ると思います。

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発注や枠組みは作家性を殺さない

矢野 この間、1950年代後半から60年代ぐらいに流行った「ドドンパ」というリズムで曲を作ってくださいって課題を出したら、受講生が作った曲が確かにドドンパなんだけど、めちゃめちゃ個性的で、今リリースされたら買うなと思える曲で。講義では、当時発売されても違和感がない、当時の人たちに売れそうな曲を作ってくださいと一応言うんですけど、一番の目標は、自分の中のものを引き出したり、どうやっていい曲を作るかなので、ドドンパから発想して、結果的にいい感じのシンガーソングライター的な曲に仕上がったのはびっくりしました。

森野 できあがった曲からドドンパ要素を抜いてアレンジし直してもすごく良い曲だった。あれは不思議な体験だったね。

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矢野 公開ガイダンスでも強調したことですけど、枠をはめるとか発注に答えるのは、作家性を殺すことじゃないってことだと思うんですよね。僕らが商業主義じゃないと思ってる曲でも、そこに何かしらの発注がある可能性もあるし、逆に商業主義じゃないアーティスティックな音楽だったとしても、それほど響かないことだってある。何かしらの要望に答えながらクリエイティブである瞬間に立ち会うのが面白いんだけど、講座は結構毎回そうなんですよね。

ハシノ 自分のやりたいことだけをやっている今のインディーズのアーティストと、レコード会社が全部お膳立てして売り出した50年前の歌手って、あり方が全然違うように見えて、実は時代に対する距離感は同じベクトルで、単にグラデーションが違うだけだったりするんですよ。たとえば、すごいアングラで反商業主義なフォークソングと、すごい大衆的なニューミュージックって対立するものと思われがちなんだけど、本当は同じ系統の発展型だってことを時間をかけて解きほぐしていきます。日本でポップスとして流通している音楽は、基本的に同じ構造で語れるんじゃないかっていうのが我々の考え方で、それでもっていろんな時代にアプローチしています。

矢野 もうひとつエピソードを挙げると、授業で「ブーガルー」というリズムについて解説したときに、「アリゲーター・ブーガルー」という曲の日本語訳を作ってくださいってお題を出したんですね。「ブーガルー」って、最近ではトランプ主義の過激右派の一群を差す言葉にもなってるんですけど、訳詞を提出した受講生の方が、今「ブーガルー」という言葉を使うなら、その状況を避けて通れないと語ってくれて。最初は全然気づかずに聴いていたんですけど、実は現在の文脈を踏まえて作られていて予想外の面白さがありました。

森野 こういう曲を作ってくださいというお題をクリアしつつ、文脈や背景を知っている人に目配せすることでお題以上のものを届けるってことだよね。外部から発注されたものだから作りたい音楽が作れないとかではなく、そういう面白がり方もできると思います。

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自身とカルチャーとの関係

ハシノ 僕は大阪出身なんですけど、母親が家でラジオをつけっぱなしにしてたんです。それで、自然と昔の歌謡曲を大量に浴びたり落語が好きになったりして、幼少期から音楽とお笑いの両方に同じぐらい興味がありました。10代でたまたま周りにバンドやろうぜってやつがいたので、バンドマンになったみたいなところがありまして。大学に入ってもずっとバンドを続けて、自分たちでCDを出してツアーを回ったり、同年代のバンドと切磋琢磨して、30歳ぐらいまで作る側にいたんですね。バンド活動が一旦落ち着いた頃に森野さんとやりとりするようになって、書くほうに軸足が移っていきました。自分で音楽を作ってたときに、これとこれを組み合わせたら面白いなとか、これをやってるやつは今いないぞとか、自分がやることを俯瞰して見ていたのが今にもつながっていると感じています。

矢野 僕は90年代後半に中学時代を過ごしたんですけど、当時はクラブカルチャーが流行っている真っ最中か直後くらいだったと思うんですね。ヒップホップとかDJに興味を持ってレコードを買うようになって、その後実際にDJもやるんですけど、ダンスミュージックとして昔のソウルとか、「和モノ」みたいな感じで昔の歌謡曲を集めてました。DJの視点で曲を選ぶので、60年代の美空ひばりとか橋幸夫に関しては、演歌というより踊れるものとしてリズム歌謡の曲を買っていました。そうやって音楽の歴史をたどっていったんですね。加えて、僕は評論にも関心があったので、それらを言葉にする立場にもなったわけですが、いつもクラブでしている会話の延長という感覚もあって。だから、僕の場合はDJとして音楽を聴いていた影響が大きいですね。

森野 僕の家はポップカルチャーには無縁で、音楽も映画も本にもあまり触れてこなかったんです。80年代初頭、バンドブームがこれから起きるってぐらいのときに、当時高校生だった兄がバンドをはじめて。兄や兄の友達と遊ぶ中で、習うともなく小学生の頃からギターに触れていました。大学に入って自分でバンドをやるようになって学生時代にレコードやCDを作ったんですけど、就職でみんなバラバラになっちゃってどうしようかなって思ってたときに、たまたまマキタスポーツと出会いました。音楽の批評的なネタをやる人だったので、バンドを伴って盛大にバカバカしい音楽ネタをやりませんか、と持ちかけたんです。それがちょうど20年前なんですけど、そこからずっと一緒にマキタさんとモノ作りをするなかで、音楽と笑いはかなり密接なことが分かったりしました。音楽ネタをやるときは、音楽好きじゃない人にも通じるように笑いの要素を多めにしたり、音楽的な要素を薄めたりという作業もあるんですが、そうじゃないこともやりたいなと思っています。

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いろんなものがフラットでダサくない時代

矢野 90年代でもかなりそうですけど、YouTube、サブスク時代になって、時代的な体系とか文脈がますますバラバラになっていると思ってまして。それは制作者側も同じで「ここはあの時代のあれっぽくやりつつ、ここはこの時代のこれっぽく」みたいに、いわゆるコラージュとも違うんですけど、すごく細かくデータベース化して組み合わせてる印象を持っています。図らずも、講義でも「この時代のこの部分をとってきて……」と言うことがあるので、良くも悪くも今っぽいなとは思います。

森野 90年代以降、ジャンルの多様化もあると思うんですけど、いろんなものがフラットになって、どんどん「自分のための音楽」になっていると思います。何が流行っているかより、共感が重視されていますよね。あと、SNSでどう見られたいかといった意識が標準装備されていて、音楽が自己演出をするためのツールになった。TikTokとかがまさにそうだと思うんですけど、自己表現のためのBGMとして音楽が作られることが実際にあります。あとは短い曲のほうが聴かれやすいから、尺は3分くらいとかどんどん短くなっている。90年代はイントロだけで1分を超えるような曲もありましたけど、今はあまりないと思いますね。

ハシノ 道具としての側面の強まりは本当に感じています。90年代はアーティスト信仰みたいなものがあって、アーティストは見上げる存在だったけど、今はどちらかと言うと聞き手のほうが立場が上だと思うんでうすね。プレイリストにしても「元気になりたいときのプレイリスト」みたいに、音楽を「役割」で見るようになってきている。80年代には50年代の、90年代には60年代や70年代のリバイバルがあったけど、2周目はこなかった。同時多発的にいろんなものがリバイバルしてるし、何もダサくならないようになったと思っています。求心力のあるムーブメントにみんなが集まってくるより、それぞれがフレッシュなまま細々と続いていってる感じでしょうか。

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森野 昔は、前のものを否定することで、自分たちがのし上がる感じがあったと思うんですけど、今はそうじゃなくて、前のものもどんどん取り入れていくのがすごく印象的です。

ハシノ そうそう。自分たちが音楽やってた頃とか、一番音楽聞いてた頃って、そのときの10年前のものが一番ダサかったって感覚がすごいあるんですよね。90年代に自分がバンドやろうって思ったときに、一番の仮想敵は80年代でした。同年代のミュージシャンもみんなそうで、80年代の音楽は、馬鹿にするかあえてネタとして取り入れるかのどちらか。でも、今の人はその感覚がもうないんじゃないかな。

森野 僕もぎりぎりライブハウスで喧嘩とか見てましたけど(笑)、今はバンド同士の喧嘩とかないんじゃないかなって気がしますよね。皆、仲良さそうに見えますよね(笑)。

矢野 それこそ「シティ・ポップぽいコード進行的なカッティングギターに、打ち込みは80’sっぽいんだけど、リズムパターンの組み方はヒップホップ」みたいなのが流行ってるとは思うんですね。そういう感じで作れば、2010年代後半から2020年ぐらいのサウンドっぽくはなると思うんですよ。問題は、その背後にどういう文化背景が広がっているかという話で。楽曲がその時代の何を象徴するのか。戦後は言いやすいんですよ。60年代は学生運動がありましたとか、文化背景と楽曲が一直線に結びつくんですけど、今は一直線に結びつかない語りにくさがある。「若者がこうだから、こういう音楽が流行ってます」とはいかない気がします。

僕は職業柄、中高生と話すことも多いんですけど、中学生のなかに浅倉大介&小室哲哉ファンと、松本隆ファンの二人がいるんです。二人ともYouTubeで音楽を聴いていて。流行りの音楽を聴かないという意味では二人ともオルタナティブなんだけど、聴いているものは全然違う。30年前だったら二人は同じ音楽を聴いていたかもしれないけど、今は違う音楽を聴きながらオルタナティブでいられるってことが起きています。そういう下部構造まで踏まえて考えたときに、新しいヒット曲って何なのかってことを講座では考えたいですね。なかなか難しいんですが。

森野 メディアで仕事をしていると、たとえば「今、若者に人気なのはこれです」って言い切らなきゃいけなかったりするので難しいんですけど。誰かが断定してくれるものを聴くのではなく、聴く側も自分で考えたほうが面白いと思うんですよね。思考停止で音楽が聞けるのは手軽な一方で、味わいみたいなものは薄れてしまう。若い人にもマニアックな人はいっぱいいると思うんですけど、音楽を自分のBGMにしている人たちと二極化してしまっている。90年代とか音楽産業が隆盛だった時代は、みんなが底上げされて、いろんな人がいろんな音楽を聴いていました。講座を通じて、楽曲制作に活かすのはもちろん、音楽を深く聴く楽しみを味わってもらえたらと思います。

2021年10月24日収録、11月14日撮影
聞き手・構成=木村奈緒 写真=皆藤将


歌謡曲〜J-POPの歴史から学ぶ音楽入門・実作編 LL教室 hitosong

▷授業日:第2日曜日 19:00〜21:30
この講座では、日本のポピュラー音楽の歴史とそこで使われていた技術を学び、実作・講評を通してアウトプットしていきます。ヒット曲がなぜ多くの人の支持を得て、歴史に残る形になっているのか?現在までに蓄積された先人たちの歴史と技術の両方に向き合うことによって、独りよがりではないポピュラリティを獲得することを目指します。歌謡曲〜J-POPの歴史と呼応しながら“知る/聴く/作る”楽しさを学びます。