【レポート】実作講座「演劇 似て非なるもの」校外へ 第3回(ゲスト:川口隆夫)


今期の実作講座「演劇 似て非なるもの」は美学校での開催は隔週にして、月に1回は校外に集まることにしました。
外の風にあたりながら、受講生たちと時間を過ごしてみたいと思いました。

「校外へ」第3回のゲストは川口隆夫さんです。

僕が隆夫さんと知り合ったのは2009年、ラフォーレミュージアム原宿で開催された「HARAJUKU PERFORMANCE +(PLUS)2009」に参加した時でした。最初に出演者を当時ベルリン在住で確かまだ13歳だった点子ちゃんに決めていて、彼女に振付してくれる人は誰かいないかとプロデューサーの小沢康夫さんに相談したところ、隆夫さんを紹介してくれました。そして出会い頭に言われたのが「僕は他人に振付をつけるのはあんまり得意じゃないんだよねぇ(大意です)」で、それに対して僕は即座に「それなら川口さんも出て下さい(大意です)」と応えて、無事に?出演者は点子ちゃん、隆夫さん、吉田アミさんの3人となりました。隆夫さんに出演してもらえて大正解でしたが、思い返しても、あの作品で隆夫さんが舞台上に居なかったとしたら、一体全体どうするつもりだったのか、自分でも全く想像が出来ません。その後も隆夫さんのソロ公演を観に行って、終演後に隆夫さんに非常にユニークな感想を伝えている人として、生身の首くくり栲象さんに初めて出会い、庭劇場に足繁く通う切っ掛けをもらったり。そのことは隆夫さんには預かり知らぬことでしょうが、僕の人生の大きな分岐点でした。その後、美学校で二人には共演もしてもらいました

隆夫さんには何かとお世話になっていますが、講座にゲストで来てもらい受講生と一緒に稽古してもらった時のことがとりわけ強く記憶に残っています(レポート)。この時の僕や受講生たちが持っていたテーマのひとつが「他者に触れること」でしたが、二日間の稽古の最後に行ったセッションは惨憺たるもので、ある意味この時の受講生たちの関係性が剥き出しになった後、隆夫さんが最後にみんなに投げかけてくれた言葉がとても感動的なものでした。他者と向き合うということ、世界に対して「開く」ということ。他者/社会への無関心さ。そういう小さな個人個人の態度が、この社会の有り様と決して無関係ではないということを語ってくださいました。その時のみんなの悔いの大きさの分だけ、隆夫さんの言葉や態度は大きな糧になったのではないかと思います。本当にあの時はみんな必死で切実で、それに真っ向から応えてくださったことは、いまだに感謝しています。去年は隆夫さんに誘ってもらってTokyo Real Undergroundで『棒ダチ 私だけが長生きするように』を制作させてもらいました。『棒ダチ』は土方巽のテキストによる作品ですが、僕が制作時に考えていたのは舞踏それ自体のことではなく、今の社会から見えて来るものについてでした。舞台上に立ち尽くす俳優の姿は、かつて自分が新宿西口の地下通路で見た路上生活者の立ち姿であり、それらは自分とも無縁ではありません。土方も世間からこぼれ落ちそうな周縁の世界こそを掬い取っていた思います。そして隆夫さん自身は『大野一雄について』を制作されました。その撮影が上野恩賜公園野外ステージであり、僕は同じ時間帯に近くの会場で『棒ダチ』についてのトークイベントの収録があって最後まで観ることは出来ませんでしたが、撮影が終わった後に路上で関係者と歓談している隆夫さんに出会って少しだけ立ち話をしました。隆夫さんは地べたに横になった時に初めて見えて来るものがあるということを語ってくれました。自分と同じというと語弊があるかもしれませんが、同じような地平からモノを観ようとしている人が身近にいて、その人に声をかけてもらえたことを嬉しく思いました。僕の隆夫さんへの感謝と信頼は出会い頭の何者かも分からないような人間の作品に即断で出演してくださったことから始まりましたが、美学校の教場の稽古でのこと、上野公園の近くの路上で交わした短い時間のことがとても大きいです。生きていると人からかけられて一生忘れないような言葉や態度というものに出会えることがありますが、これらも全てそういうものだったと思っています。僕が憧れる人たちはみんな嘘が無く晴れやかで、どこか人間が可愛らしいのでした。

生西康典


「フィジカルでの克服について」 三井朝日

新宿中央公園を集合場所に、川口さんとお会いした。
公園は、スケートボートをする若者や、親子連れなんかが多くて、小綺麗で……何というか、少しヤンチャ感はありつつもそれが定規で引かれた枠の中に収まっているような、着崩しているけど衣服のどれもがそれなりの値段がするような、そんな雰囲気だった。
そこに集まった僕ら四人はどことなく異質な感じがした。
しばらく公園内をゆっくり歩きながら、川口さんのお話を聞いた。
新宿中央公園は以前、炊き出しが行われているような場所であったことや、ハッテン場として利用されていたこと、TOKYO LOVE PARADEの出発点となったこと。新宿駅から公園に向かうまでの道の様相が変わったこと。都庁のこと。川口さんの若い頃のことと、この辺りのこと。

それから公園を出て、西側へ歩いた。
少し道を進むと、この辺りが新宿だと信じられないくらい、閑静で素朴な風景になった。
川沿いに生えた草花の名前を知りたいと思った。
しばらく歩いても、僕らの背中には都庁をはじめとする高層ビルたちが貼りついたように見えていた。
それから少し座ったり、また歩いたりした後、飲食店に入ってお話をした。
TOKYO REAL UNDERGROUNDのことや、大野一雄や土方巽のことなどをお話をした。
向かい合いながら、川口さんの所作を見ていて、僕は何というかチャーミングだと思った。
踊っているときの川口さんの動きと近い瞬間があったり、だけど不意にそれが砕けたり、川口さんの身体が饒舌だと感じた。
(ここを書いた後、生西さんも、美学校の記事「首くくり栲象さんと」のテキストの中で「(栲象さんと)川口隆夫さんとの素晴らしくチャーミングな共演もありました」という風に書いていることを思い出した)

川口さんの踊りのお話を聞く中で、川口さんの行っていることは、非常に現実的なことだと感じた。
現実に存在する肉体を突き詰めているのだから当たり前だけど、妙に強くそう感じた。
肉体がどう可動して、どう可動しなくて。どう動けば肉体が地面を引き上げるなどといったエネルギーを生じさせることができるか。
……僕は、すぐに言葉を捏ねくり回してしまう。
身体よりも言葉を動かすことに慣れてしまっていて、それにすごく閉塞感というか、このままではいけないように感じていた。
物事への、メンタルの克服だけではなく、フィジカルでの克服をしたい(この言い回しは、シン・エヴァンゲリオン劇場版で言っていた)と、最近よく考えている。
頭の中や机上で思い描いているものを、現実に起こして、初めて「とらえることができた」となる感覚。
僕はまだ川口さんのように肉体から表出する強さに欠けている。
それが自身が演者としてなのか、それとも演出としてなのかは、分からないし、さほど問わないかもしれない。だけど、どちらにせよ現実でとらえたいと思っている。
そんなことを考えている中で、川口さんのお話を聞けたのは非常に良い刺激になった。

また、第四期「似て非なるもの」の講座で、川口さんが稽古に来られたときの武本さんのレポートが僕にはずっと気になっていた。
特に「神妙さ」のことについて。
ここでいう「神妙さ」は、「安易な神妙さ」のことであり、何となく「成立している風」に見えているとか、「それっぽい雰囲気」のこと。自分もこの「神妙さ」には、心当たり、身につまされる思いがある。
以前、生西さんの「棒ダチ-私だけが長生きするように-」を観て、演者の橋本さんと冨田さんとも「神妙さ」についてお話しして、「神妙さ」から逃れる方法を思案した。
そのときは以下のようなことを考えた。
・ここにある空間を自分の肉体を道具にして変化させてみたい、といった純粋な興味から生まれた行為は「神妙さ」から遠ざかっていく。
・場に対して、空間に対して、物語に対して、さらに一番重要なのは作品に対して、自らを作用させる、という意識。それを行動原理とする。

そして、その上で川口さんに同様の質問をして、川口さんはより演者側の具体的な意識から答えてくださった。
「閉じ過ぎると神妙になっていく。開いた状態で、常に自分から多方面にベクトルを向けていると良い。また、具体的にはあえて〈外す〉ことや〈抜く〉こと」
きっと「神妙さ」とは、自分の中だけでそれっぽい世界を作り上げて、外から壊されないように躍起になっている状態だ。だからこそ独りよがりに見えるし、外から思いがけないアクションがあったとき、簡単に壊れてしまう。

川口さんとの対話の中で、川口さんからいただいたものはとても大きい。
ただ、僕はまだそれを現実に起こすところまで至っていない。きっとこれから先の僕の課題だ。


拝啓 川口隆夫さま

お元気ですか?私は元気です。
新宿中央公園の噴水前で待ち合わせをして、川口さんが私の虹色のカバンを見て「レインボーだね」と仰ったのを覚えています。川口さんは股関節を痛めていて、自転車を引きながら歩いていました。香水の良いかおりがした。私はダンサーというのはこういうものなのかもしれないと思いました。

ダンスというか身体というか、これが1つ目の話題なのですが、4期の武本さんがして下さったプチWSで「ただ裸足で床に3分間立つ」というものがありました。摩擦というか揺らぎというか、私は静止していることはできなくて、バランスを取れず揺れていました。川口さんは、あの日、暗黒舞踏についても沢山話してくれました。特に手の話が面白かったです。土方巽の身体コンプレックスの話、白塗りの話、舞踏の型の話、骨盤は地面へ、上半身は天に向かう・・・。私は川口さんの踊りの手の動きが好きです。写真で撮って伝わるかわかりませんが、手の筋肉の引っ張る・引っ張られる表情が好きです。

あの後も考えていることがあるのですが、川口さんは人間の身体の完全さと不完全さのどちらが好きですか?私は不完全な身体が完全を志向することに(ある意味で性的な?)関心があります。ただ言葉ではそうなるけど、実際は細かく見ていくと、もっと複雑な気もしています。

2つ目の話題に移ろうと思います。あの日、川口さんが初めに話して下さったのは、社会学者のロード・ハンフリースの話でした。男性同士の性行為の場所として使用された公衆トイレの研究をしていた人と教えてもらいました。その後も場所の話が出てきました。新宿中央公園のどの公衆トイレでスチール撮影をするか悩んだ話。公園を出て、川口さんのゆかりの場所を訪ねました。シャッターを閉じた八百屋さんや居酒屋、うねった道があって、そして大きな川があり、川には災害用の水位表示があり、神社があり、川の向こう側に都庁のビルがあった。3人暮らしのシェアハウス。そして私たちは真っ赤なオープンカフェに入りました。滅多にしないけどダンスの演出をされる時、振付けというより配置を指定したという経験談も聞きました。

あの日の「場所」の話を私は印象的に聞いていました。連想ゲームのように。都庁ビルは、人によっては政治圧力のヒエラルキーの象徴のようにみる人もいます(私はそこまで思いませんが・・・)。配置とかデザインとか・・・場所の問題って、社会や経済の問題と繋がりやすい傾向があると思います。あの日の真っ赤なカフェに、私は新宿2丁目のMIXバーをデジャヴしたのですが、そういえば新宿2丁目も特殊な場所です。ご飯も食べれるし、音楽も聴けるし、大抵のことは2丁目の中で済んでしまいます。それってどうなのかな?って思うことも私はあります。柵の中で飼われているという見方もできる。言い換えれば合意の話でもあると思います。場所と合意の話です。飛躍すると、日本も場所だし、日本国籍は合意です。マンションも場所だし、賃貸契約は合意だと思います。ハッテンバもその1つだと思います。話題に出しておいてなんですが、私もよく分かっていません。結局のところ、隣人に気を遣いながら生きているのが実際のところで。どうなのかな?って思うけど、仕方ないかな?ともおもっているのです。良い部分も、悪い部分も、両方あるというか。

3つ目は人間の「多面性」の話です。あの日、川口さんの大学時代の話は特に面白くて、バイト先のホテルと大学との間に、新宿中央公園(ハッテンバ)があって、ホテルマンとしての自分とハッテンバでの自分を切り替えていた(せざるをえなかった?)という話です。大学生としての自分も含めると3つの役割をスイッチしてたのかな?と、私はその話を聞いていました。生西さんが、ジキルとハイドの話をしてくれました。川口さんは、そのつもりじゃなかったのかもしれないですが、私は色々な顔を持っている人が好きなので、単純に素敵な話だと思いました。写真は都庁の昼間と夜なのですが、全然見た目は違うけど、構造は同じというのは面白いです。別に多重人格でなくても、人間は多面的な生き物なのではないかと、私は思っています。

あの日、特に言いませんでしたが、私はパンセクシャル(男性も女性もトランスセクシャルも恋愛や性の対象です)で、そのこととも繋がっているのかもと思いました。また最近まで上場会社の会社員をしながら作家活動をしていたので、川口さんのホテルマンの話を自分のことのように聞いていました。私の複雑でごちゃごちゃしているものを愛する体質は、大多数の人々にはわからない(気持ち悪い)かもしれないけど、私は変わることができません。どのように取り繕っても、私は本質的にMIXを愛している人間なのだと思います。

あの日、私は特に何も言わなかったので、当事者としての情報交換ができず、お手紙が長くなってしまいました。いま夫婦別姓とか同性婚の話が出てきていますが、私は政治的なことをあまりわかってません。マイノリティといっても隣人(そもそも隣人なのか?)のことは全然わからず、色んなケースがあるので、法制度を作る人は相当に緻密な調査と分析が必要だし、大変だと思います。ただ立ち止まっているよりは新しい制度を作ったり、試行錯誤していく方が未来のためと思います。

また、どこかの「場所」で川口さんと会いたいです。

(川口さんほどの人に恐れ多いですが・・・)
どうかその時は「別の川口さん」で、
わたしも「別のわたし」で会いたいと思います。

またいつか必ず。

あおいゆき


前略

「香水の良いかおりがした」とのこと、はて、どうだったかと思い返して、僕の誕生日にパートナーからプレゼントしてもらった香を焚き染めたようなセーター(プラダ)を着てたのかと思い至ったものの、後から散歩は9月12日で僕の誕生日はその4日後だったのでその推測ははずれだということになり、いったい何があなたにそう思わせたのか今でもわかりません。「ダンサーというのはこういうものなのかもしれない」というのは、だから、その定義は途端にあやふやなものになってしまうけれど、ひょっとしたらダンサーというのはそういうものなのかもしれません。ちなみに、僕はプロフィールにダンサーとかパフォーマーとか名乗っていますが、そのときによって変わるし、あやふやです。

そもそも僕がダンス(と言えるのかどうか)を始めるきっかけになったのは、1年間のスペイン留学から帰国した1989年の年末、今はなき明大前キッドアイラックホールで大晦日に開催される「除夜舞」という舞踏を中心にしたイベントに誘われて、黒沢美香さんの稽古場で知り合った女性ダンサー二人と、新宿二丁目で知り合ったアメリカ人のパフォーマー(狂言を習うために留学中)と一緒に、「演劇でもダンスでもない、パフォーマンスとしか言いようのない」ような演目(のちに『プラスチック・ドリームズ』というタイトルで再演もした)で参加した体験なのでした。そのあと、どれくらいあとかは覚えていませんが、あるとき、その女性ダンサー二人と僕の3人で、また別のゲイの友人の誘いで、いわゆるLGBTQ関連の会合(当時はまだ<国際レズビアン・ゲイ連盟>と称していました)でパフォーマンスをする機会がありました。これもまた、ダンスとも演劇ともつかぬ、いわゆる<パフォーマンス>的なものでした。

西新宿の散歩で話した、中央公園(あるいは新宿駅西口)のハッテントイレは、僕がまだ大学生の頃の話ですが、僕がゲイとしてカミングアウト(自分で自分の性的指向を受容)したのがちょうどその時期で、それは、僕が演劇や舞踊、舞踏、パフォーマンスといった世界に足を踏み入れていった頃と重なります。

僕のカミングアウトは大学3年の夏です。入学したときからずっと同じ学科の女子と交際を続けていましたが、それと並行して、入学と同時に田舎から東京へ出てきて、それまでゲイ雑誌の中だけの性世界がリアルな広がりを得て、昼間は女子とデートするフツーの大学生を演じながら、夜は足繁く二丁目に通ってゲイセックスを消費するという、完全双極性<ジキル&ハイド>的生活を送っていました。最初の2年間くらいはそれに矛盾を感じなかったけれど、徐々に<夜>が<昼>を侵食していったのです。大学3年の夏、新宿二丁目の公園でアメリカ人ゲイ男性と出会い、彼のとてもオープンで健康かつ文化的な暮らしぶりを見て「ああ、ゲイでいいんだなあ」と思いました。しかし、ちょうど同じ時にそうした<夜>を通して梅毒に感染してしまい、天罰がくだったのだと思いました。ただ、そのことで<クローゼット>(同性愛を隠すこと)でいること、つまりそれを隠して女子と交際することは道義的にダメだと思うようになりました。そうした一連の事件が僕をカミングアウトへと誘い、つきあっていた女子を含むいろんな人にカミングアウトできる(せざるをえない)ような状況へと導いていった。僕の天空を覆っていた暗雲はそうして晴れていったのです。

僕の舞台へのイニシエーションは、その時期とぴったり重なっています。大学三年の夏にプロの劇団のワークショップに通い始め、舞踏を含む前衛芸術に触れるようになったのも、その舞台に立った(第2回檜枝岐フェスティバル参加、1986年)のもこの時期です。ピナ・バウシュ/ブッパタール舞踊団の初来日公演を見たのも同じ年の夏でした。僕もそのパフォーマンスから受けた衝撃によって舞台の道に引きずり込まれた多くの人たちのうちのひとりです。ヰタ・セクスアリスへの目覚め、つまり性的志向はこのようにして舞台芸術への志向とも分かち難く絡み合ってきたのではないかと思います。

セクシャルマイノリティのひとりである自分が政治的であろうとするとき、提示すべきなのはマイノリティ側からの視点に立ったオルタナティブな見解、逆に言えば、社会に対して、マジョリティ側からでは見えないパースペクティブを顕在化させることであり、それは社会にとって非常に貴重な活力となりうる、ということをゲイ・アクティビストの大先輩から教えていただいた。今日、まさにそのことがいよいよ重要さを増しつつあるように思います。

<空間において自分がどこにどのように立つか>を考えるとき、僕にとって、上のことが大きな指標となっている気がします。いかにオルタナティブな視点を提示することができるか。そこここにはびこる欺瞞や惰性を転覆させ、一枚岩に見える現実にいかに亀裂を生じさせることができるか。

「多様性(ダイヴァーシティ)」について。僕は性自認は男で性的指向も男の、いわゆる男性同性愛者(ホモセクシャル)ということができるでしょう。言葉をかえれば、ホモ、オカマ、ゲイ、オネエなどなど。<パンセクシュアル>と比べるとリベラル度は低いかもしれない。そもそも、そういう分類を自分のアイデンティティの指標としない、といった、今日の感性の方がよりクールでしょう。こういう意味においては自分は<古い>かもしれないと思います。ゲイの間では<タイプ>は非常に細かく分類されていて、好きなタイプのことを<~専>とか英語では<~Queen>と呼ぶことがあります。たとえば、<外専>は外国人が好き、<デブ専>や<老け専>、人種構成が複雑な欧米では<snow queen>(白人好き)や<chocolate queen>(黒人好き)、<rice queen>(アジア人好き)、アジア人同士だと<sticky rice>(直訳すると「もち米」だけれど、日本ではこの言い方はありません)といった呼称があります。ラティーノ好きだったら<salsa queen>とでも言うのかどうか? これらの用語には人種差別的なニュアンス、<デブ専>や<老け専>、<ヨゴレ専>(身なりや衛生的に汚い人好み)、<ダレ専>(誰でもいい)といったカテゴリーにいたっては、明らかに侮蔑的なニュアンスが色濃いですね。同僚に「ゲイは分類、ラベル付けが好きなんだね」と言われて合点がいった。何の話をしていたのかわからなくなってきましたが、そうやって個々に異なるタイプを集めるお店がごちゃ~っと集まってできている二丁目界隈なんかは、多種多様な生物の生息する豊かな生態系を形成しているのでありました。と言いながら、通わなくなってずいぶん久しくなってしまった。

多様性でしたね。ひとつの<色>もやはりグラデーションになっていて、ここからここまでが何色なんてレインボーフラッグみたいにきちっと線引きできるはずなどないのでして、一言で<ゲイ>といってもそのカテゴリー内にも濃淡や濁りだってありまして、そうしたときに、まあ相対的に自分の属するカテゴリーの枠線も必然的に曖昧になってくるのでありまして、ときには複数にまたがったりなんかして、とたんに<自分>があやふやになったりなんかしてくるってえと、その<玉虫色>の照りというのは、ある意味面倒くさかったりするんだけど、それ以上に面白かったりするんじゃなかろうか。はっきりしないというのは不安なのでついつい白黒つけたくなっちゃったりするんだけど、自分のリトマス試験紙がいろんな色に染まって滲んで入り組んでたりなんかするのを受け入れることができればね、楽しいのにね。実は、その<曖昧さ>の中に宙吊りになった状態、つまり、<自分の正体を自分ではっきりとらえきれずに宙ぶらりんになっている状態>こそが、次に述べる事態への対策だったりするんではないでしょうか。

<神妙さ>について、静かに澄んでいる池に石を投げ込んでみたくなるのはあまのじゃくの習性。告別式に赤い靴下を履いていってみたり、君が代斉唱でひとりだけ背を向けて口をつぐんでみたり、「話しかけられたらお答えするだけで、こちらから話しかけてはいけない」と言われていたのに皇太子妃殿下に話しかけてしまったり。果ては、同じことの繰り返しや真似が大嫌いというので有名な名人の踊りを(本物を見たこともないくせに)ビデオを見て完コピするなどという狼藉まで働いてしまう。投げ込んだ小石がどんな泥を巻き上げるのかがどうしても見てみたくなるのです。充満して張り詰めた空気の膜に針を刺して破裂させること、いわゆる<パンク>。「タイヤがパンクする」の<パンク>は英語で<puncture>ですが、これがパンクロックの<punk>と同じ言葉、少なくとも語源だと思っていたら、どの辞書を引いてみてもそうは書いてない。でも僕の中ではこのふたつはつながっていて、どちらも目の前の現実を<破裂させる>、<転覆させる>ことなのです。「こうしなさい」、「こうしなければならない」と言われたらつい反対のことをしたくなってしまう。先日(2021年10月)の武本くんのパフォーマンスで一見深刻な重い空気を背負いながらゆっくり歩いてくる彼の指先がときおりひきつったように動いていたのは、そういうことがじつに周到に用意されていたのかもしれないと思いました。ひょっとしたらそれは過半数の人には気づかれないものかもしれません。ゲイ同士間には他の人には気づかれずに当事者間だけでキャッチできるシグナルというのがあって、たとえば道ですれ違いざま目が合ってその視線が3秒以上絡み合うと、ゲイの出会い! みたいな。100メートル先から近づいてくる男を見ればそれとわかっちゃう、みたいな。身なりや身振り、話し方、その内容、昔は音楽や文学の嗜好などでも、外部者には気付かれずに通じ合うことも。あるいは英語で”friend of Dorothy”というと”お仲間”っていうことだったり。(ドロシーというのは『オズの魔法使い』(オリジナル版映画)でドロシーがかかとをカチカチッと合わせると、ここではない、虹の向こう側にある夢の国へ行ける(”Somewhere Over the Rainbow”)というので、ゲイが迫害される田舎を飛び出して自由の楽園(サンフランシスコやニューヨークなど)へ行くということと重ねられて、それ以来、ドロシー役を演じたジュディ・ガーランドは、ゲイのアイコンとなった。)その他に、ズボンのケツポケットに入れるバンダナの色で性的嗜好を示し、右ポケットか左ポケットかでそれぞれタチ(能動)かネコ(受動)かを示していたり…。そういう具合に一昔前までのゲイコミュニティにはさまざまな暗号(もちろんそれは文化ごとに異なっていますが)がはりめぐらされていました。90年代まではそういったシグナルをその身にまとって交信しあっていたのが、今では公けに同性愛をはじめ性指向や性自認の意識が普及し、その存在も可視化が進んで昔ほど隠れていなくてもすむようになったり、あるいは逆にインターネットの普及によってそういった物理身体的なプロセスを経ずともつながることができるようになったことは、一方では都心と地方の如何を問わず広く民主的にその恵みが享受されるようになったといえるのでしょうが、もう一方で、これまで豊かにそのサブカルチャーを花咲かせてきた、暗闇にしか咲かぬ極彩色の生態系が、さらに目につかない奥深いところへと衰退しつつあるというのもまた本当かもしれない。

ますます何を言おうとしていたのかわからなくなってきましたが、実際、インターネットやSNSのおかげで同類が群れやすくなってきている反面、異種との混交が難しくなってきているというのもあると思います。

1991年に現東京都庁が丸の内から現在地へと移築されて以来、西新宿および北新宿あたりの風景はがらりと様相を変え、今でも再開発の波は広がりつつあります。今回の散歩は、そのすぐ西側を南から北へ横切る神田川周辺(僕もその近くに住んでいます)を上流へ、新宿西口中央公園から中野新橋へと巡りました。散歩したときはこれほどはっきり意識していたわけではないけれど、長者橋から少し上流、中野新橋近くの橋の真ん中に立って、護岸化された神田川の上流から下流を見渡すとき、ほぼ水面からにょきっとそびえつような新宿高層ビル群が夕闇にうっすら消えていく景色、そのジェントリフィケーションの軌跡を見るとき、その流れに逆らおうと足掻く自分の<ヰタ・セクスアリス>を重ねるのでした。

このところ、どうしたことでしょうか、いろんなことを自分のセクシュアリティにからめて視る傾向が強い気がします。新宿駅の向こう側で開花した<ヰタ・セクスアリス>を、今は西側から見晴らして思うことであります。とりとめのないことを書き連ねてしまって赤面していますが、これを美学校・イクニシ講座・散策レポートの返答とさせていただきます。僕にとっても非常に貴重な時間(ずいぶん長くお待たせしてすみませんが、ここに書いた少なくない部分は、あれ以降ついこないだまでの経緯の中で思い至ったことでもあるので、ご容赦ください)をありがとうございました。2022年、みなさんにとって玉虫色の時間の集積となりますように。

カワグチタカオ

実作講座「演劇 似て非なるもの」校外へ

第1回 ゲスト:飴屋法水
第2回 ゲスト:高山玲子


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:毎週火曜日 19:00〜22:00
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。