アーティストの斎藤美奈子さんが講師を務める「ビジュアル・コミュニケーション・ラボ」は2006年に開講。現代美術講座の中では、長年開講している講座のひとつです。受講生一人ひとりの関心とペースに合わせ、制作とフィードバックを繰り返すことで、講座修了後も創作活動を継続する力を身に着けます。講師の斎藤さんは、東京藝術大学大学院修了後、ニューヨーク、ベルリン、ウィーンなど諸外国で活動。自身の記憶を原体験とし、鑑賞者の記憶に語りかけてくるような風景を写真や映像で表現しています。本稿では、斎藤さんと受講生の言葉とともに、講座の様子をご紹介します。
それぞれの山を登る「ビジュアル・コミュニケーション・ラボ」
少人数制を特徴とする本校ですが、本講座も概ね数名で開講しています。2021年度の受講生は5名。うち2人は2年目、3年目の受講生です。講座では座学と制作を行いますが、集まった受講生の要望や興味によって内容やカリキュラムを柔軟に変更しています。2021年度は、コロナの感染状況も踏まえ、一年の前半に座学を集中的に行い、後半は制作を行っています。取材時は、それぞれ制作中の作品、作りたいものを持参し、各自制作を進めていました。絵画、インスタレーション、写真、映像と、メディアも制作ペースも人それぞれ。斎藤さんが教室内をめぐり、一人ひとりに合わせたアドバイスを行います。
受講生の作品にアドバイスする斎藤さん(写真右)
「今年、受講している方たちは、やりたいことが明確で、自分で方法を探して作品を作ることができるので、それぞれ制作を進めてもらっています。もちろん、そうではない場合もあるのですが、そういう際は自分で制作を進められるようになるまで、課題をやっていただくこともあります。全員で一斉に同じことをやろうとすると、各々の関心や経験値が違うので、難しい部分があるものですから。みんなで一緒に同じ山を登るのではなく、それぞれが自分の山を登る感じです。ただ、ひとりで山を登っていると、その山が高いのか低いのか、どのあたりまで登って来ているのか、分からなくなることがあると思います。ときどき課題をやったり、作っている作品についての講評を聞いたりしてもらって、自分の登っている山を、山の外側から俯瞰して見るような、そんな機会を作っているつもりです。この辺まで登って来たんだなって分かると励みになると思いますし、楽しいですよね。毎年、講座の最後に修了展として展覧会を行うのですが、この修了展もそういう機会のひとつと捉えています」(斎藤)
「大事なのは講座を修了した後」講師・斎藤美奈子さん
美術評論家の故・小倉正史さんの講義にゲストとして呼ばれたことがきっかけで、美学校で講座を持つことになった斎藤さん(当時についてのインタビューはこちら)。当初は、まさか15年も講座を続けることになるとは思っていなかったと振り返ります。
「最初の頃は、受講生の方たちが作っている作品を、私自身が一緒になって作っているように捉えていたところがありました。良かれと思ってなんですが『ここはこうしたほうがいいんじゃない』とつい言ってしまう。『こっちとこっちのどちらがいいですか。先生が良いと言った方を作ります』と言う方が現れて、さすがに、これはまずいなと思いました。たとえ誰かから良いと言われる作品ができたとしても、自分が納得できるものになっていなければ、全く作る意味がありません。美学校に通っていた時間が何にもならなかったことになってしまいます。ですから、私はあくまで黒子に徹しようと思っています。
15年で時代の変化は感じますね。私が年をとって感じ方が変化したことも一因かもしれませんが。最近は、ネットで話題になりたいとか、社会的に評価されたいという、どこか結果を急いでいる印象を受講生の方から受けることが増えました。若いときは、どんどん新しい作品を作って、作品を次々展開していきたいと考えますよね。それは決して悪いことではないのですが、やってみると実際はそんなに簡単にはいかなくて、納得のいく作品をつくるには1年とか2年とか、あるいはもっと時間がかかったりすることもあると思います。あまり短いスパンで物事を考えようとせずに、時間をかけて、その先に成果が生まれることを良しとする姿勢も大事かなと感じています。
受講された後に、作家として続けて活動している方もいますし、受講時はインスタレーション作品を作っていたけど、今はニットのデザイナーをしているというような方もいます。好みや考え方が異なるいろいろな人たちが集まって、モノを作るための、場所と時間が用意されているということは、今、とても貴重なことだと思っています」(斎藤)
「斎藤先生は、受講生をよく見ている」受講生から見た講座
学歴、年齢、経験などの制限を設けていない本校には、毎年様々な人が集まります。今年度の受講生で、写真にかかわる仕事をしている児玉さんは、講座では主に抽象画を制作しています。「美学校にはずっと通いたいと思っていました。コロナで外国に写真を撮りに行くことができないので、今なら通えるかなと。評価されるために制作しているわけではないですが、とりあえず手を動かせば斎藤先生がコメントしてくれますし、絵の具のキャップをちゃんと閉めましょうとか、初歩的なことから教えてくれます。写真は具体的すぎて、気持ち悪くなってしまうときがあるんです。そういえば小さい頃から絵を描いていたなと思い出して、講座では没頭して絵を描いています」(児玉)
仕事の休みを利用して通う児玉さん。黙々と制作
取材時は、持参した石膏の芯材でインスタレーションを制作していた山田さんは、本講座と「芸術漂流教室」の2講座を受講。「美大のデザイン科出身で、工芸はやってたんですけどファインアートは教わったことがなかったので、現代美術の講座を受けてみたいと思って受講しました。ちょうど子供が成人したタイミングだったので、通えるなと思って。講座では、考えるより先に手を動かしています。斎藤先生は受講生をものすごくよく見ているので、『あなたはこういうのに興味があるんじゃない』って、その人に合ったアドバイスをしてくれます。斎藤先生が『作品って結局人なのよ』とおっしゃっていて、作家として成功している人たちも含めて、作品というのは結局その人そのものなんだと言われると腑に落ちるというか、だから自分は美術が好きなんだなと思えました」(山田)
素材を触りながら即興でインスタレーションに取り組む山田さん
今年が受講3年目となる吉村さんは、20年前に「造形基礎Ⅰ」を受講。現在は写真作品を制作しています。「一度ぱったり活動をやめてしまったんですけど、またやりはじめようかなと思ったときに斎藤先生とお話しして、その感触で受講を決めました。いろいろとダメ出しをしていただけたので、ここだなと(笑)。昔は写真を表現と結びつけて考えていませんでしたが、機械を通して制作してみたいと思い、新しくカメラを買って撮ってみたら、なんで今まで表現の手段として考えなかったのかと思うぐらいしっくりきたんです。正直、現代アートにこだわってるわけではなくて、どのカテゴリに入るかは考えなくていいかなと思っています。ただ、『キレイな写真』とか『良い写真』を超えて作品として成立させるためには、かなりの枚数を撮って、展示方法も色々と試す必要があるので、目下試行錯誤中です。今年は後半から仕事が忙しくなってしまって、全然制作が進んでいなくて、講座に遊びに来ているような感じですが、先生はそれでも構わないと仰ってくれたので、1時間だけでも来て先生とお話して、ヒントをいただいています。これだけ写真があふれている中で自分だからできることを考えていきたいです」(吉村)
美学校スタジオで開催した修了展における吉村さんの作品
その他にも、障害者施設で利用者の方の作品に触れて作品制作に興味を持った方、自身の作品を深めるべく受講されている方など、受講動機は様々です。実際に手を動かし、自分の関心事などをビジュアライズすることで、できあがったものを媒介にして斎藤さんや受講生とコミュニケーションを行う本講座。分からないことがあれば質問でき、雑談も行える環境は、自室で一人で制作するのとはまったく異なります。興味を持たれた方は、ぜひ一度講座に見学にいらしてみてください。
2021年11月30日取材
取材・構成=木村奈緒
▷授業日:毎週火曜日 13:00〜17:00
作品制作を中心に、現代美術に関する講義を交えて進む講座です。制作を通して、美術作家としてのものの捉え方や考え方も学んでいきます。まず、ゆるやかな方向性をもったカリキュラムを用意します。とにかく、何か作ってみる。そこからスタートです。