【レポート】実作講座「演劇 似て非なるもの」校外へ 第2回(ゲスト:高山玲子)


今期の実作講座「演劇 似て非なるもの」は美学校での開催は隔週にして、月に1回は校外に集まることにしました。
外の風にあたりながら、受講生たちと時間を過ごしてみたいと思いました。

「校外へ」第2回のゲストは高山玲子さんです。

僕が高山さんに初めて出会ったのは18年7月に美学校ギグメンタのプログラムのひとつとして行った鈴木健太君とのワークショップ公演「日々の公演」ででした。共通の友人が居て、お互いに存在は知っていました。高山さんの体メンテナンス体操にも誘われた事がありましたが行けずじまいで、この公演に高山さんが参加して下さった事で出会うことが出来ました。日々の公演はその日に集まった人と日中に稽古して、その日の夜には観客を入れて公演するというもので、参加者には出来る限り鈴木君の書いた台本を覚えて来て下さいということだけお願いしていました。自分としては、予め色々考えて準備しておきたい気持ちを堪えて、とにかく実際に顔を合わせて出会うまでは何も決めないようにということだけを心に留めておきました。稽古のとき、高山さんがここは覚えていますという箇所をひとりで、やや上を見上げるようにして語ってくれました。会場は天窓があり外光が入るギャラリーでしたが、高山さんのあまり大きくはない声は、その場にいる者に対してだけではなく、天井を超えて、その場にはいない者たちへと届いていくように感じました。僕も鈴木君も、そのシーンはもうそのままで良いです、と言いました。何も付け足したり変えたりする必要はありませんでした。実際のところはわかりませんが、高山さんが、僕や鈴木君を信頼してくれたとしたら、その時からなのではないかと思っています。

9日間続いた日々の公演を終えた後、参加者の皆さんと感想文集を作りました。
高山さんはこう書いてくれました。

‥‥

わたしは月曜日にあの場所に行きました。
行こうと決めたのは土曜日の夜でした。
(いつも思うのは、誰かに会うというのは、わたしやわたしたちが決める事ではないのではないか、ということ。わたしは自分で行くことを決めたけど、でもやっぱりそれはわたしがわたしで決めた事ではないと、思う。)
行こうと決めたあと言葉が届きました。
わたしはそれに目を通し、沸き立つイメージを抱え、その夜は眠りました。
翌日、その中の一遍を口に出すと、なんていうのかな、ちょうど胸の真ん中辺りに、人差し指で穴が穿かれ、種がポトンと落ちたような、そんな感じがして、そしてそこにだけ光が当たるような、そんな感じがしました。

次の日、その言葉を持ってわたしはあの場所に行きました。
言葉は太陽の光を浴び、芽を出し、伸びていきました。
今もまだ、ずっと、伸びていきます。

こんにちは

お元気ですか?

‥‥

高山さんは今年、彼女が「冊子の演劇」と呼ぶ、ふたつの作品を制作されました。2月にTPAMフリンジ作品として制作された『ここで会いましょう。』、9月に豊岡演劇祭フリンジ参加作品として制作された『演劇の町』です。豊岡演劇祭はコロナ禍で中止となりましたが、『演劇の町』は作品の性質上(人が集わない)、無事に発表されました。
どちらも参加者自身が立ち上げる演劇作品だと思います。

演劇は俳優(そして言葉や照明や美術や音響や諸々のそこにあるものや無いもの)が立ち上げているように見えるし、事実それも間違いではないのですが、
最終的に観客も協同して、それぞれが立ち上げるしかありません。
高山さんはどのような思いで、こうした作品を制作されているのでしょうか。

今回の校外へは6月のある土曜日に行いました。
これは受講生のあおいゆきさんと三井朝日さんふたりのレポートと高山さんからの返信です。

生西康典

追記

鈴木健太君との『日々の公演2』が第1回目とはカタチを変えて今年の10月から来年の3月まで月イチで開催されます。(詳細は近日発表します。)
是非、ご参加ください。


拝啓 高山玲子さま

お元気ですか?

高山さんに街歩きを教えてもらったのは、6月下旬の土曜日でした。あれから2ヶ月が経ちました。高山さんと生西さん、三井さんと私の4人で、中央線のあの駅の改札口で待ち合わせしたのは、PM13時のことでした。梅雨が始まる前の真夏日のように暑い日で、煌々と照り返す太陽のアスファルトが少し痛いくらいに感じたのを覚えています。

あの日わたしが感じたことを3つくらいに、まとめて書きたいと思います。

撮影:あおいゆき

高山さんに連れられて、街の奥まで行くと、そこは林や森のような住宅街で植物が生い茂り、駅の近くで感じられたような太陽のギラギラした光は全く感じられないことに気づきました。木々の繊細な線の描写・・・ヘンテコに折れ曲がった不思議な杭の様なもの・・・水路の表面の質感・・・水浴びをする名も知らぬ鳥たち。途中で高山さんが植物に実際に手を触れてらっしゃったことを印象深くみておりました。

アニミズム。1単語で言ってはいけないような複雑なものだと思いますが、私が高山さんとの街歩きで感じたことの1つ目は、確実にアニミズムだと思います。自然の一つ一つに生命があり、霊魂が宿っているということです。歩くことで、足の筋肉が動いて、全身の血や肉が敏感になって、街の中にある生きているものを感じやすくなったのかもしれません。あのお風呂屋さんに入ることができたら、もっと良かったかもしれません。何か特別な用がなくても、歩くことで新しい生命と出会えるということは、新鮮な体験でした。

高山さんの「ここで会いましょう」を読んだときの感覚にも似ていました。ちなみに、「ここで会いましょう」はQRコードから音楽が聴けるようになっていて、その音楽をiPhoneで流しながら読み進めると、ちびまる子ちゃんの友蔵さんのようなおじいさんが空き地で焼芋をしているようなカラーの挿絵があって、私はその付近のページが凄く好きです。蛇足になりますが・・・

撮影:あおいゆき

休憩をした公園のベンチにて。もう少し深い話をしました。ここで話したことで書きたいことはたくさんあるのですが、やはり死者はどこから死者なのかということです。死んだひと、もう会わないひと、その境界線は実は曖昧で、実際に死んだひとも生きているように感じることがあるし、実際に生きていても、もう電話で話もしない人であれば、本当に(自分の中で)生きていると言えるのだろうか?という話でした。

この話は、どちらかというと私が高山さんに一方的に質問したことで、高山さんの方から持ち出されたテーマではなかったのですが、もともとお会いする前に、高山さんがインタビューなどで答えている記事(「ゴーストライター」「祈りの素描」など)を読んで、私が1番感じたことを率直に質問してみたかったのです。

あまり関係ないのですが、あのあと8月中旬から東京で新型コロナの第5波がやってきて、実は私も感染してしまい、数週間療養していました。幸い大事に至らなかったのですが、一人暮らしの家で自分が死ぬかもしれないという状況で、誰かと連絡を取らないと、「私の死」が誰かにとっての「私の死」にならないかもしれないという恐怖を知りました。「私の死」は私が能動的に動かないと「私の死」にならないかもしれない。

高山さんとの街歩きで、私たちはひたすら歩いて、街で生命を宿している植物や水など自然に一つ一つ触れていきました。あの時のベンチでは答えは明言されなかったけど、実のところ、もう答えは出ていたのかもしれません。歩かなければ生も死も感じられないのかもしれない。私は療養から回復して、今これまで会わなかったひとに連絡して、これから会おうと思います。私の生や死を、誰かにとっての私の生や死にするためです。もちろん第5波が収束してからになりますが・・・。

撮影:あおいゆき

最後に、高山さんが帰り際に、川のほとりで朗読をしてくださったこと、良い思い出になりました。舞台で一度、高山さんを観たことはありましたが、あの距離で実際に朗読の声を聞けて良かったです。決して大きな声ではないけれど、確かに届く高山さんの声は、当たり前ですが、舞台で観たものと同じ声でした。私は表現者として、高山さんの声のような武器をまだ掴めていないのですが、見つけていかないといけないと思いました。

抽象的な議論やお金を沢山使った豪華な物品やパフォーマンスの魅力はあると思います。ただ、そう言ったものは大自然の中で、ちっぽけに感じることがある。ですから、私も自分の身体で感じたもの、手にとって感じられる質感を大切にしたいと思います。

あおいゆき


撮影:三井朝日

撮影:三井朝日

撮影:三井朝日

撮影:三井朝日

撮影:三井朝日

「いる/いない、いのち」三井朝日

高山さんの案内で、西荻窪の町を歩いた。高山さんは歩きながら、長くここにある場所、新しく生まれた場所、今はなくなってしまった場所を、僕らに紹介してくださった。その中で、高山さんがかつて住んでいたアパートと、その部屋の窓から見える空き地を教えてくださった。空き地には雑草が伸びないようにする防草シートが張られていた。高山さんが住んでいた頃は防草シートはなく、草花が伸びていたらしい。季節とともに表情を変える空き地を眺めて、楽しんでいたそうだ。高山さんは、この空き地をきっかけに「ここで会いましょう」という作品をつくったとのことだった。

撮影:三井朝日

それから、善福寺公園で腰を下ろしてお話をした。その中で高山さんが話してくださった事柄は、以下のようなことだった。(その場で記録していた訳ではないので、僕目線での変換が入り、高山さんの考えと異なる部分がありましたらすみません)

~~~

死を「終わり」にしたくない。
死んだ人と生きている人はどちらも同じ速度で進み続けていて、時間が経ったあるとき、どこか
の一点で再び交じり合う。
交じり合い方は、死んだ人のある側面を何かのきっかけで生きている人が知ったときであった
り、死んだ人の影響で生きている人が何か変化したり……他にもいろんな交じり合い方がきっと
ある。
全てのものは絶対的に「終わり」を迎える。
それは否定したくないし、否定できない。
けれども、それが「終わり」に至ったから全てがストップするとは思いたくない。

~~~

高山さんのこのような考え方が、「空き地」への興味や執着にも通ずるのかと思った。何かがなくなった場所。「不在」になった場所。「不在」になってそこで終わり、ではなく、「不在」が一緒に同じ速度で進み続けている。はずだけど、やがて「不在」すら忘れられたり、上書きされたりして、消えていく。それに抵抗したいのか、抵抗までとはいかなくとも、何かがなくなったことを認識し続けていたいのか。
僕も以前、所属している団体「IE-イエ-」の公演で、空き地(更地)について触れたことがある。そのときは、以下のように書いた。

~~~

1 更地って、なんだか不思議な場所ね。家の幽霊がいるみたい。
2 幽霊?
1 そう幽霊。なんていうか強い面影みたいな?何があったかは思い出せないけど、何かがあるべき場所だって思うような感じ。
2 ああ、わかるかも。
1 そこに住んでいた人からすると、更地の上に家の幽霊が見えていて、新しい建物が建った後でも、ずっとそこには特別な面影があるんだもの。もっといえば、その幽霊が自分についてくるの。そして、その家の存在も、家であったことも、更地の姿も、全部憶えてる幽霊が時々耳打ちするの。

~~~

空き地になることと、人が亡くなることはきっと近い。
家の幽霊と、人の幽霊。どちらも誰かの認識によって成立する。なくなったことを憶えている誰か。ある人や建物がこの世から去り、不在になったとき、思い入れのない者からすると、誰がいたのか/何が建っていたのかさえ思い出せない。ぼんやりと、何かがなくなったことしかわからない。やがて、その認識すら消えていく。思い入れのある者にとっては、その人/家の幽霊(面影や記憶など)を忘れない限り、見続ける。幽霊の存在を何らかの方法で共有し、誰かが認識していることが、「今あるもの」と「かつてあったもの」が同じ速度で進み続ける手段になるのだろう。

……話が逸れるけれど、最近友人に子どもがうまれた。高山さんとお会いして、ひと月も経たない頃だった。友人の子どもにはまだ会えていない。会うのをとても楽しみにしている。ぼんやりと、うまれる前のその子のことを考えた。うまれる前の存在は、いつから生じるのか。肉体的には受精した瞬間とかなのだろうけれど、亡くなった人は肉体がなくても存在している(不在がある)とすると、うまれる前としんだ後の存在は、同じでなくとも、近いようにも思う。

それを、いのちの幽霊、と言ってみる。生殖することでいのちはうまれるけど、生殖しない者/できない者にも、向こう側にいのちの幽霊がある気がする。

*****

講座の終わりに、高山さんが善福寺公園の木々の中に佇み、草が茂った大きな池を背にして鈴木健太さんのテキストを読んでくださった。高山さんの身振りは穏やかで、声は目の前にいる僕らだけに届くくらいのボリューム。だけどその声は、ときに地面に落ちて土を伝って、ときに風と呼ぶには頼りないほどの空気の流れに乗って、広く染み渡っていくように感じられた。

僕はそのとき高山さんを通じて、「かつてここにいて、そしていなくなったもの」を想像した。土の中に埋まった生物たちの死骸、ここが公園になる以前にあった人間の営み、僕が認識できないかつて存在したものたち。僕はそんなものを見ていた。そのあと、生西さんとあおいさんと話すと、お二人とも感じていたものがバラバラだった。生西さんは、ひたすらに目の前に存在する高山さんを見ていた。あおいさんは、公園の中で今生きている生物たちを見ていた。僕はこれから先、「今ここにいるもの」「かつてここいて、そしていなくなったもの」「いつかここにあらわれる、まだいないもの」をどれだけ見ることができるだろうか。

撮影:三井朝日


こんにちは。
お久しぶりです。お手紙をもらって、嬉しくて興奮しました。だって、わたしに向けて、こんなにたくさんの言葉を書いてくれたなんて、嬉しいです。ありがとうございます。というわけで、読んだ順番にお返事めいたこと書いてみます。

あおいさん、
罹患されていたんですね、それは大変でしたね。今は体調どうですか?誰かと連絡を取らないと「私の死」にならないかもしれない、と書いてあって、これを読めたということは、あおいさんが生きているというお便りで、心から良かったと思いました。

そうですね、生きているだろうと思いながら過ごしています。便りがなくてもどこかでまぁまぁ元気でいるだろうと、あとから知らされる死は悲しいです。そうでなくても死は悲しいです。でも死んでしまったら、死んだその日から、死んでいるけどまぁまぁ近くにいるだろうと思いながら過ごしたいです。とはいえ、生きている人のために死に方は選べないので、これは随分勝手なことなんですが、でも。

あの日わたしはしゃいでましたね。人が会いに来てくれることがとても久しぶりで、わたしがこれまで過ごしてきた街を紹介することが嬉しくて、いろいろ見せたかったし説明したかったのですが、それで歩かせすぎてしまったようで、あとで反省しました。けど、人と会えるのはいいことだなと、つくづく思ったんです。

あおいさんはまた手紙に「私は表現者として、高山さんの声のような武器をまだ掴めていないのですが、見つけていかないといけないと思いました。」と書いてくださいましたね。ありがとうございます。嬉しいです。わたしは自分の声が武器なのかわたし自身わからないのですが、おそらく誰かが「いい」と言ってくれた時から、声が輪郭を持ち始めたのかもしれません。わたしは何もないと思ってました。ずっと、何も出来ないと思っていました。それでも誰かがわたしのことを必要としてくれたら、一生懸命やりたいと思います。その人が喜んでくれるとうれしいので。声だけじゃなくて、わたしの作った作品でもいいし、体操もやってるので体操でもいいです。おばあちゃんの手を支えてあげて喜んでもらえるのもいいです。この日のように生⻄さんが散歩しましょうとか、テキストを読んでほしいと言ってくれたりすることもそうです。そうしたことを一つ一つ経験していくことで、積み重なって、わたしはわたしの輪郭が濃くなっていくように感じます。

あおいさんはどうですか?わたしはあおいさんの映像作品をお会いする前に観て、ご自身の持っている世界観を作品にすることがとても上手な方だと感じました。武器というのはなんというか、もうみんなそれぞれ持ってるもので、たくさんあるんじゃないでしょうか。あとはそれを自分自身で認めてあげさえすればいいように思うんですが、どうですか?

三井さん、三井さんとはあの日そんなにお話ししなかったように思うんですが、こうして言葉にしてくださったのを見ると、三井さんという方がよくわかるような気がしました。

概ね、そうそうそうそうです、と思いながら読みました。何をお返事するといいのかなと思い、「IE-イエ-」の公演文章を抜粋してくださったので、それに呼応して(?)前作『ここで会いましょう。』の中から〔空き地について〕の一部を引用してみます。

– 空き地にはネガティブ、消極的な意味合いが多分に含まれる。積極的な利用を促す状態としての空き地というのは稀である。空き地は未来へ向けては可能性の場所ではあるが、過去へ向けては失われた場所である。

– 空き地の周りの建物は、空き地の隣に建つ建物としての振る舞いはしていない。そこに建物があった、そしてこれから建つ体で見えない建物と対峙している。隣接する建物は空き地の幽霊と呼応した表情でそこに存在している。

– 空き地は空き家とは異なる存在である。廃屋ともまた違う。空き家には建物の記憶が継承されている。廃屋に至ってもその記憶は存在している。空き地は建物の記憶が分断された場所である。身体と社会をつなぐ記憶の断絶である。

これは、制作メンバーであり建築家の石川卓磨さんが書いたものなのですが、おっしゃる通り、空き地とは家の幽霊が住まう場所のようですね。また空き地は心寂しく、そこにあった歴史を知り得ないから、物語を想像(捏造)しやすいのかもしれません。

これはあの時に話したかな。わたしには家族や親戚みんなが集まっていたお家が京都にあって、おじいちゃんが亡くなって3ヶ月経った頃、父が壊してしまったんです。それを聞いたとき、衝撃と怒りで数日泣き続けたんです。もうこの世に居ない祖母、祖父、母、みんなの大切な記憶を全部、ガガガッと壊されたようで、「この人でなしー」と泣き狂ったけど、父は「当たり前だ」という平静な物言いでした。ああ、人ってこんなに分かり合えない、思い出の価値は人それぞれなんだな、という、そんなこともあって、取壊された建物についての作品を作りました。やはり壊された建物を思う時、大切な人たちの不在が重なりあいます。

三井さんはなぜ空き地(更地)に興味を持たれたのでしょうか。

テキストを終わりに読みました。虫の声、水の音、風、木肌、それと気を使ってしゃがんで前を通り過ぎた人たち、外は気持ちが良かった。でも同時に、パフォーマンスをすることが、当たり前ではなくなっていることを思い出していました。こうして3人が、目の前でわたしを見ている。あの時マスクを外してもらって、初めて見た三井さんとあおいさんの顔があって、こんな、ささいなこと、これは、今が、いつなのか、過去のようで、未来のようで、どこか、わからない。わたしには何の力もない、もとより力なんてなかった、そんな無力感も感じていました。

生⻄さんが「こんなに声が小さいのかと思った」というようなことをおっしゃった時、それはとても当たっているように思いました。

最近、表現をするのにエネルギーが必要ですね。これが本当に必要か、だれに、どこに、なんの為に、そんなこと、いちいち言わないでもやれることをやっていきたいです。全ては自分自身が生きていく為です。生きて、生きながら、また会いましょうね。

高山玲子

実作講座「演劇 似て非なるもの」校外へ

第1回 ゲスト:飴屋法水


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。