「劇のやめ方」の普段の講座は基本的に雑談から始まります。そのまま雑談で終わることもあります。日々の気付きや最近気になっていることを講師の私が話し、それを聞いた受講生がまた違うトピックの話をしたり、戻ってきたり、思考はかなりランダムに進んでいきます。
その中心には「劇のやめ方」という単語の聞き馴染みはあるけれど抽象的な響きの言葉が置かれています。
今回の「劇のやめ方・夏至」のゲストを交えてのトークでは、普段の講座の雰囲気たっぷり3年経って積み重なってきた考えを話しています。
篠田千明
トークゲスト
22日 遠藤麻衣(俳優・美術家)
29日 岩井秀人(作家・演出家・ぶどう農家・自転車修理)
劇のやめ方・夏至トーク 2024年6月29日開催レポート
2回目のトークは劇作家で俳優の岩井秀人さんをお迎えしました。篠田のほかに登壇した修了生は小西、伊藤、三井、藤中の4名です。
小西: 1期と2期の修了生、夏至では詩と戯曲物販、即興劇の上演
伊藤: 1期と2期の修了生、レクチャーパフォーマンスの「嘘で誠」作・演出、出演
三井: 2期修了生、コント作品の作・演出、出演
藤中: 2期修了生、映像「通夜の夜」を上映、三井のコントに寄稿・出演
篠田: この講座は今年で4年目ですが、今年度は休講しています。これまで3期の受講生たちと講座で話したことが積みあがっていて、すごく面白いんですが、知見としてはまだ一般化も抽象化もできていません。ですが、ここで1度外に開いてみようと考えて企画したのが、今回の劇やめ・夏至です。外の方から講座に対してどういうご意見がいただけるのか、このトークはそういう意図でゲストの方をお招きしています。本日のゲストは劇作家で俳優の岩井秀人さんです。よろしくお願いします。
岩井: 岩井です。よろしくお願いします。今回のイベントは講座の修了作品展ですか?
篠田: 違います。今回の作品群は講座というフィルタを通して作った新作になります。「劇のやめ方」を理解してもらうには、講座の中身ではなく修了生の作品を見てもらったほうがわかりやすいかと思いました。そうなんだけど、ふたを開けたら作品がバラバラすぎたので、トークを通して講座の内容について補足しようかと思っています。
岩井: 普段は講義を聞く感じなんですか?
壇上の修了生全員口々に: 雑談、雑談、雑談…
岩井: どんな雑談なんですか、その雑談でそれぞれが得たことはありますか?
三井: 講座のとっかかりで「劇のやめ方」の考え方を共有しました。ここで言う 「劇のやめ方」は演劇をやめるということではなくて、社会の中にある劇、親子関係とか、会社とか
岩井: 社会での役まわりとか?
三井: そういう役割による関係性を解消したいときにどうするのか
篠田: 社会の中にある劇とは、集団社会の原理に要請から生み出されるふるまいのことだと考えています。親子関係なら、産んだよねとか、小さい頃から知っているとか、時間の長さとか、血が強い家族もあるかもしれませんが。
岩井: そういう役割から決められちゃっている構造から外れようというような意味合いですか?
篠田: 社会にいてなんだか辛い、息苦しいというときに、そのふるまいを一旦やめてみたり、置いてみたりすることが、解決策になるんじゃないかという視点から出た言葉です。
作品はバラバラだけど、受講の動機はそれぞれ「劇やめ」な感じ
岩井: ところで、修了生の皆さんは何か作品を作ろうと思って受講したんですか?
伊藤: 私はもともとはコンテンポラリーダンサーなんですが、これまでもダンスの公演に演劇的な喋りを混ぜて公演をしてきました。ずっと家族のことで気になることがあって、ついにそれで作品にしようとしたときに、自分のダンスではしっくりこなくて。そんな時にSNSで「劇やめ」を知って、ピンと来たんですよね。ダンスはやってきたけれど、演出はわからないので学びたいなと。講師は演出家だし、篠田さんのステートメントも写真も好きだなと思ったので興味を惹かれました。
岩井: 講座の趣旨が良く伝わったね、ダンスをやっていて劇やめでピンときたんですね。家族の何かを作ろうと思っていて、どう作ろうかと考えていてここに来たんですね。
ありがとうございます。隣の方はどうですか?
小西: 大学時代は演劇をやっていたのですが、やっていくうちに、自分が演劇をやることで人に迷惑をかけてるんじゃないかと感じるようになりました。役者を駒のように扱ってることで自己嫌悪に陥りました。だったら、1人でやろうと。その後に美学校に入って現代美術の講座など受講した講座のひとつが篠田さんの「劇のやめ方」でした。コロナ禍に1本脚本を書いたんですよ。上演はしたいけどできなかったら、淋しいな、やっぱり演劇に戻ろうかな、みたいなのがあったので、戻るきっかけとしていいかなと。篠田さんが「劇のやめ方」で言わんとしていることは1発でわかりました。
岩井: すごい、ちゃんと講座名を理解して集まってきてる
三井: 僕も大学時代からサークルで演劇をやっていました。卒業してからも「IE-イエ-」という僕が代表をしている団体で今も活動しています。ただ、演劇を誰かに学んだことはなかったので美学校に入りました。1年目は別の演劇講座を受けて、まだ美学校にいたくて「劇のやめ方」を受講しました。これまで演劇を作ってきたし、今も作る場がある。普段は重くて観客に緊張感を強いるような強い作品を作っています。でもそれだけでは引き出しが少ないというか…この講座では、全く違う、もっと軽い作品づくりもしてみたいと考えて、篠田さんのフットワークの軽さに学ぼうと思って入りました。
岩井: なるほど
藤中: 私は当時交際していた女性との関係性に悩んでいて、私は男なんだからしっかり彼女を支えなくてはと、そういう思い込みがあったんです。でも本心では男性役がしんどくなっていて。いろいろ悩んだあげく、男性という役割をやめたくなって、女装して働いたりしていました。「劇のやめ方」には私と同じようなことを考えている人がいるんじゃないかと思って受講しました。
岩井: やっぱりちゃんと理解して集まっている
劇やめの効用は?
岩井: ちなみにみんな「劇やめ」の講座を受けて、スキルはあがったんですか?
伊藤: 僕は結構楽になりました。昨年は「かくれんぼ~」という、他人の視線や個人の隠し事についての作品を作りました。あるガラス張りのおでん屋で、初対面の人にご飯をおごられて困ってしまって、明日も来いよみたいなのが、落ち着かなくなり、その店に行かれなくなってしまいました。それからガラス張りの店全般に前を通るのも、見られている気がして苦手になってしまいました。他人の視線が痛い、隠れたいと思ってしまって。
岩井: 大分面白いね、思考が特殊だから、何か書いた方がいいよ。
伊藤: その体験を基に作品を作ったんです。
岩井: 自意識過剰だね、オモロー!
伊藤: 見られていると思うと辛いので、逸らせるために、コーピングという認知行動療法を使って、何をすると気持ちが楽になるか点数をつけて、意識を恐怖や不快から分散させることで、対象ばかり見るのではなく、全体を見る視点に気付いたらだいぶ楽になりました。
岩井: 見られていることが怖い自分をやめられたんだ
藤中: この講座で言われる「劇をやめる」には2種類の意味がある気がします。1つは社会の劇をやめる、もう1つは個人の癖やトラウマのふるまいをやめる。伊藤さんみたいなケースはセルフケアっぽいですね。最初の頃の講座でも、自分がついついやっちゃう行動をやめるための小さな儀式を考える、みたいなことをやっていたりしましたね。
篠田: まだ社会劇か自分のふるまいをやめるものか、区別はつかないよね、どっちなのか、どっちでもないのか、何かもっと違うものがあるのか、精査しないと混在している。
小西:劇やめに2クールいて思うんですが、2年ぐらい考え続けると、もうそもそも劇って何?っていう話になってきちゃって、ずっと考え続けるのは精神的によくないって最近思っています。パンクしちゃって、ちょっと距離を取りつつあります。グループで話すよりかは、結構1対1とかのほうが楽で。今は物販やってますけど、個人と個人のやり取りを大切にしていきたいと思い始めています。セルフケアと社会の中の劇はわけています。1期の修了作品はセルフケアの作品で、「人生で1番のバタンキュー」という作品ですが、当時不眠で悩んでいたんですけど、それを解消するために、会場にマットレスを用意して、それに毎回姿勢をかえてバタンキューをして、倒れるたびに10点満点で評価して、何回もやって10点を目指すというパフォーマンスを作りました。実際それで微妙に不眠が改善されたんですよ。
岩井: この体勢だと寝れそうかなって発見があったのかな。なるほど。
小西: それと、社会の中の劇やめには差があって、それはわかんなくなりました
岩井: 本人が苦しくなければいいわけね
篠田: わかんなくなったといっても、1対1ならいいとか、できているからいいんです。
三井: 僕は特に辞めたいことがなかった。最初篠田さんに「劇やめ」ってライフハックですかって聞いた記憶があります。それだったら、割と僕はできちゃっている。できちゃってることが良くも悪くもですが。講座の中では例えば、誰かが悩んでいることについて、僕はどう対処してるか…みたいな話をするような感じでしたね。
篠田: 最近の三井君の社会の話は面白いですね。「この人は○○の人」と相手と割り切って付き合うことができているそうです。私にはできない、個人として近づいちゃうか、無視するかしかできない、三井君は人との距離や関係性をコントロールすることができるんだなあって。
「劇のやめ方」はこの言葉そのものが問題提起
岩井: 何年もかけて構築した「劇やめ」の感覚で、コミュニケーションの問題を社会の中の「劇やめ」と個人の中の「劇やめ」と解釈して、社会の構造の劇や個人の思考の制約から抜け出せるようになる、という篠田さんの主張はわかった。でもこの「劇やめ・夏至」のイベントには「劇のやめ方」ってタイトルには入っているけど、個人個人の作品のモチーフとしては「劇やめ」は入っていないという理解でいいの?そこが俺、生真面目なのよ。
篠田: この作品は劇やめ何パーセントですか、みたいなこと?
岩井; そうそうそう。今のここでの話を聞かないと、作品も含めた全体の意味がわからない可能性がある。今からでもイベントのタイトル変えたほうがいいんじゃないかと思うよ、もう明日しかないけど。
篠田: 「劇やめ」の濃度は個々に任せているっていうか、ここまで話が広がるじゃない。
私は「劇のやめ方」はこういうものですよって定義したいわけじゃない。「劇」も「やめ方」も聞いたことない言葉じゃないでしょう。ふたつの単語がくっついた途端に「劇のやめ方」ってどういう意味?ってなるじゃない。聞き馴染みはあるけど、意味としては確定していない、という状況を利用しているんだよね。
岩井: それでもなんかやるんだっていう?
篠田: 何を意味しているかわからないけど、イメージは湧く。私は言葉の意味を定義しようとしているんじゃなくて「劇のやめ方」という言葉を投げたら、言葉の周辺に波紋として何ができるのかを見ている。それは全修了生の作品について言えるじゃないかな。
岩井: そういうことをさせたら、篠田さんは一流ですよね。僕なら「○○」を観に来たということで、この作品は○○のなかの〇〇という風に整理してまとめたくなるから、そこらへんは篠田さんは自由ですね。
例えば、よく演劇って敷居が高いと言われるんですが、それはミスだと思っているんですよ。
どういうミスが起こっているかっていうと、これをミスって呼ばない表現者もいるんですが…例えば桃太郎のストーリーを演劇の稽古で1か月やっている間に、途中で内容を曲げることがあります。例えば雉を鷹に変えて、そのうちヘリコプターにしたら面白いなとか変化していく。とうとう猿も雉も犬も桃太郎も出てこなくなったとします。最終的に筋肉もりもりの人と動物3匹になって、桃太郎というタイトルもつけなかったとします。稽古している最中に起点から変化していくのが面白かった。1か月かかってココからココまで曲がったのが面白かったのに、最終地点しか見せない作品があるでしょ。それは僕は恐ろしいと思っています。本人たちは起点から終点までを辿ってきた充実感があるでしょ。デモ見ている人は最終地点しか見ていないから、なにがどうして筋肉もりもりの人と不思議な動物たちしかいないのかわからない。それは作り手のミスだと思っているから、僕は観客に起点からの経緯を全部喋ろうとするんです。このイベントもそういう不親切に見える可能性があるから、心配だと思います。
講座起点のイベントの話が立ち上がってから、みんなでガーっと作品を作り上げたっていう起点や過程が今のこのトークの時間だけで観客に共有されるのだとすると、なんかワオな感じがするってこと。
篠田: なんでこの人たち集まって作品を発表してるの?って思うってこと?
岩井: 観客は作品の連なりをもっと感じたかったりするんじゃないかな。もうちょいまとまっていてもいいですよ、例えば各作品の裏っ側にワンテーマ見えるとか。タイトルに共通点がある、例えば劇やめ+○○とかにするとか…。
浦: 私は美学校の事務局の浦です。去年の修了公演のレビューを書いたんですが、そのために作品を観ました。何をやめるだろうこの人たちはと思って、その視点で見ていたら、違うかもと思いました。
岩井: そんな感じそんな感じ
篠田: だからこのトークを作ったのよ
岩井: だからこのトークが毎作品のあとにあればいいのよ
篠田: それは無理なので、ゲストを呼んでトークをしているのよ
作品を商品化するか、セルフケアにとどめるのか
岩井: ところで修了生のみなさんは、作品で世間に打って出ようという気持ちはあるんですか、商品作ろうという気があるかどうかなんですが…(登壇者がそれぞれ反応)人によるんだね。
篠田: 私は作品を商品になる手前の段階で、個人の発散の発露として使うのも、全然かまわないと思う。
岩井: そうなんだよね、篠田さんの素晴らしいところはそこなんだよね。僕は一生商品作んなくちゃっていう劇にいた人なので…
篠田: 作品にすることが偉いんじゃないよ、別に。
岩井: でもさ俺、そこは何かハイブリッドでもいい気がしてて、人によっては商品作りたいんだったら、商品を作るケースにも対応できるほうがいい
篠田: できるよできるよ
岩井: できないって(笑)
篠田: そういう風に意見をくださいって言われれば、それだとかなり詰めるタイプですよ、
演出家としてではなくて、プロダクションマネージャーみたいな立場で作品作りをサポートする仕事も過去に経験しているので、その人の進行度とか作品におけるその人のポジションで対応はできる。 例えば藤中の作品(「通夜の夜」)では、これが作品と呼べるかどうかを、本人にもわかっていないけれど、それでいいと考えています。もちろん個人に起きた出来事を全て作品にしなくちゃいけないわけじゃないけれど、個人では抱えきれない問題を整理するのに、それを作品化しようとすることで明確になる、捉えられる、ということはあるので、それで作品にしようとしたけど、ならないな…でもいいんじゃないかと。
岩井: それは本当にそうだ
藤中: さっき、岩井さんとそれに近いことをお話しました。見に来る方は、作品を見に来ているけど、実は作品になる途中の動機が発散的なものを見せられる、このタイムラグみたいなところに混乱したということを指摘されて、なるほどなと。
今回、自分はこの場所で篠田さんイズムに乗っかって作品を発表しており、作品としてまとめようというよりは、やってみよう、でやれちゃう、感じでした。一方、私は芸大の大学院の修了生なのですが、自分個人の芸術活動は、もうちょっとステートメントが見えてくるものにしようとしています。
篠田: 伊藤さんの作品だと、講座にいたときからずっと家族のことを話していたので、今これをパフォーマンスとして作ろうとしているんだなと思いました。前段として「現代美術の勝手口」という美学校の別の講座でインスタレーションを作ったというのがあります。今回も一貫して自分の家族をテーマにしていて、先週までシーンが連なっているだけの印象があったけれど、構成に序破急をつけたりして、最終的には作品としてすごく詰まってきたと思う。
伊藤: 「現代美術の勝手口」では、家族を丸ごと使おうとして、情報を全部使ってテキストを書こうとしたら筆が進まなくなりました。篠田さんのアドバイスもあり、公演の10日前に父親のコスプレをしたら面白いと思って、父だけクローズアップしたら整理しやすくなった。方向性が出始めて、今回の作品になりました。
篠田: 伊藤さんの場合は、家族テーマをやり切れるように作品化した経緯がありました。結果的に作品か、作品じゃないかということは作る側にはなくても、観客には関係あるということはありますね。夏至ではいろんなタイプの作品があって、それぞれが違うけれど、所属する集団からの要請に対する「ふるまい」を扱っているという共通点はあります。
岩井さんの「劇やめ」の流儀
篠田: 岩井さんの「劇やめ」についてはどうですか
岩井: 自分の「劇やめ」は、自分の問題を手放すために演劇化することだったかもしれない。少年期には長く引きこもっていて、その後演劇と出会い、家族をテーマに舞台を作ることで救われてきました。父が暴力的で、演劇の題材に事欠かない関係性だったんです。父は外科医なんですが、皮肉にも医療過誤で亡くなって、ある作品でそのことを題材にしようとしました。でもそのことに対して十分客観的になれず、対象との距離の取り方が不十分だったときに無理やり扱ったら、自分自身がパンクして、引きこもってしまった。必要だから書いたけれど、それを題材にするのはまだ早かった。一方でその前に書いた「て」という作品は、対象と距離がとれてから書いたもので、作家性が定まったいい作品だと思います。作家が実生活を題材にするなら、この作品くらい成果がなくては合わないですよ。間違ったタイミングで取り扱うと、大けがをしますから。実人生を商品にするならば、必死でやらないと。「て」はぜひチャンスがあったら見てください。
「いきなり本読み」という作品は、初見の台本を俳優に読んでもらうという企画ですが、ずっと続けています。出演俳優は台本が初見なのが条件ですが、上演を観たことがあるくらいだったらセーフです。俳優を集めて一か月稽古した演劇を観てもらうよりも、こっちの方が、観客の目の前で今起きていることだから、演劇としては面白いと思っています。稽古はいらなくて、知名度がある俳優を一日集めれば興行は成立します。今や、一月稽古して作る演劇よりも面白いと思うんだよね。
なんだかこのトークも演劇だった。いずれにせよ「劇やめ・夏至」の作品は、今日みたいなトークをぎゅっとまとめてあるステートメントを読んでから、見てもらった方が面白いんじゃないかな。少なくとも観客を不意打ちするようなことにはならない。
篠田: 本当は講座が一番面白い。でも一年見てもらうわけにはいかないから、こういう短期講座みたいなトークと、修了生の作品を合わせて見てもらったらいい感じです。
(Text: モトカワマリコ)
イベント「劇のやめ方・夏至」
美学校で「劇のやめ方」という講座を担当している演劇作家の篠田千明です。劇場の外にある劇を考えたくて、この講座を始めて3年経ちました。
今年度は一旦休講します。その代わり、今まで受講生たちと話し考えてきた事を試す場として、短期講座と文化祭が合わさった感じで、トークイベントと作品展をすることにしました。
トークイベントではゲストを迎えて社会の中の劇について話したり、これまでの修了生と講座について振り返ります。
同時開催の作品展では、年齢や背景が違う修了生が、この講座を経て現在地でわさわさ作っているので見にきてください。
私はタコスをフードで出すのと、合い間にカラオケする予定。タコスを出すのは私なりの劇やめで、手食が好きだ、という表明です。
日 程:2024年6月22日(土)、23日(日)、29日(土)、30日(日)
時 間:13:00〜21:00
会 場:美学校 本校 2階(地図)
東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル2F
料 金:フリーパス3500円/U25・美学校割2500円/当日券4500円