やりたくない劇は、やめられる──「劇のやめ方」講師・篠田千明インタビュー


2020年に開催した「劇のやめ方 導入編」を経て、2021年5月期より開講した「劇のやめ方」。開講にあたって篠田さんにお話をうかがいました。

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篠田千明|2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで、中心メンバーとして主に演出、脚本、企画を手がける。以後、バンコクを拠点としソロ活動を続ける。「四つの機劇」「非劇」と、劇の成り立ちそのものを問う作品や、チリの作家の戯曲を元にした人間を見る動物園「ZOO」、その場に来た人が歩くことで革命をシュミレーションする「道をわたる」などを製作している。2018年Bangkok Biennialで「超常現象館」を主催。2019年台北でADAM artist lab、マニラWSKフェスティバルMusic Hacker’s lab参加。

集団で作ることの面白さ

演劇に出会ったのは大学時代です。もともとは映像志望で、多摩美術大学造形表現学部の映像演劇学科に通っていましたが(註:造形表現学部は2014年度をもって募集停止)、学科では、映像でも演劇でもインスタレーションでも、何をつくっても良かったんです。何を作るかよりも、誰かと一緒に作ることに重きを置いたカリキュラムでした。そこでの実作を通して、集団制作の中で自分のアイディアと他人のアイディアがどんどん融合していくことに面白みを感じました。卒業制作で同級生と一緒に「小指値」というチームで演劇を作って、それが後の「快快」になります。

当初は演出が何かもよく分かっていなかったので、照明や音響といったスタッフワークをやっていました。スタッフワークやアイディア出しを通してみんなで作ることが面白くて。3作目くらいからドラマドクター、今で言うドラマターグみたいな名前をつけて、その後、短編で初めて演出を担当したのをきっかけに、演出として関わるようになりました。

創作は快快を通して学んで、演出は演劇を通して学んだというよりは、当時やっていたふたつの仕事──学童保育の指導員と旅行の添乗員から学びました。旅行添乗員は2年ぐらい、学童指導員はトータルで7年ぐらいやりましたね。学童では、子どもたちと新しい遊びのルールを決めて一緒に遊ぶ。旅行では、お客さんの前に立って何かをしゃべったりして集団を引っ張っていく。集団の外からルールを設定する学童指導員と、集団の中で役を演じて集団を引っ張る旅行添乗員。それらの仕事を通して様々な集団との関わり方を自分なりに学習しました。

東京がふるさとになった

出身は東京なんですけど、2011年の東日本大震災のときに、電気の消えた東京を見て、「やっと東京を離れられるな」と思ったというか、東京がふるさとになったように感じました。東京的なものって、割とどこでも見つけられるから、ツアーで外国に行ったりしても、東京が自分のふるさとだって強く思ったことはありませんでした。もちろん、全然違う国だということは分かってるんですけど。たぶん、ふるさとって離れたり失くしたりしないとできないんでしょうね。電気が消えた東京を見て「自分が生まれ育った東京はなくなったな」と思うことで、逆説的に帰ってこられる場所ができた気がして、違う場所に住んでみようと思いました。

行き先にバンコクを選んだのは、現地に友達がいて、インディペンデントな活動が可能な土地だったからです。ベルリンと大阪も候補でしたが、ベルリンは遠すぎるし、大阪は近すぎるしということで、バンコクにしました。当初はバンコクに行っても快快は続けようと思ってたんですけど、快快では言葉を使わずに伝えていたことを、もう少し言語化して他の人にも伝わるようにしたいと考え、一度違う場所に身を置いてみようと思って、快快を脱退することにしました。

誰かの地元を肯定する

バンコクでは、ナンロンというエリアをリサーチして、2014年にリサーチを元にした作品《It’s my turn》を上演しました。ナンロンとはその後も関わりを続けて、2018年にBangkok Biennialで《超常現象館》を主催したときもナンロンのお寺で上演・展示をしました。Bangkok Biennialは誰でも参加できるアンデパンダン的な国際展で、アノニマスで集まってきた人たちが運営を行い、それぞれに場所を見つけて運営を立てて……と、自主的に企画を行います。

バンコクでは、2014〜15年ごろに若い世代の作り手がぐっと出てきた印象がありますが、演劇界として独立しているというよりは、芸術業界自体がまだギュッとしているので、ギャラリーやオルタナティブスペースが集まるエリアに行くと、いろんなものが見られました。

2020年は、タイだけでなく、フィリピンや台湾など、いくつかリサーチしたい場所がありましたが、コロナがあって2020年3月に急きょ帰国しました。とは言え、そろそろ日本に帰って東京でやりたいこともあるなぁと思っていたタイミングではありました。今までいろんな場所を移動しながら活動して、誰かの地元であるその土地その土地を肯定していくわけじゃないですか。でも、自分の地元に関しては、積極的にその作業をしていなかったので、あらためて自分のふるさとというか、自分の地元を肯定したいなと。

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Bangkok Biennial 2018《超常現象館》

劇はやるより、やめる方が難しい

講座名でもある「劇のやめ方」は、2019年に沖縄で「BARRAK」というチームと一緒に神里雄大さんの戯曲《イスラ!イスラ!イスラ!》を上演した際に出てきた言葉です。彼らとの制作の過程で、演出とは何かを言葉にしていて、例えば「誕生日を祝うこと、準備すること。それはすべて演出になる」とよく言っていたんですが、最終的に「劇は、やるよりやめる方が難しい」という言葉が出てきました。「普段自分がやっている劇をやめることのほうが、劇をやるより難しい」「人前に出るのが嫌な人は、本当は何かをやるのが嫌なんじゃなくて、自分がやっている劇をやめるのが嫌なんだ」といった話をして、「劇のやめ方」という言葉に至りました。自分の考える演出論みたいなものになるでしょうか。

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《イスラ!イスラ!イスラ!》
(撮影:石田祐規)

昨年美学校で開催した特別講座「劇のやめ方 導入編」では、ご飯を作るところをいろんな人が記述して、最後にそれを読み上げることで、一日の行為を演劇的に再演したり、一日だけオンラインで開催したときは、同じ指示で、まったく違う場所にいる人たちが信号のあるところまで歩くとか、空間を越えてユニゾンをしている感じがすごく面白かったです。いろんなアイディアが出たので、今期の講座でもそれらを膨らませてやってみたいと思っています。

他にも、「16種類の読む書く聞く話す」というのを、講座の初めのほうで取り組もうと思っています。これは、読むように読む、読むように書く、読むように聞く、読むように話す。書くように書く、読むように書く、聞くように書く、話すように書く。聞くように聞く、読むように聞く、書くように聞く、話すように聞く。話すように話す、読むように話す、書くように話す、聞くように話す……というように、「16種類の読む書く聞く話す」から、演出のコンセプトになりそうなアイディアを取り出してやってみるというものです。最初にテキストが書かれて、その次にテキストが読まれて、読んだテキストをパフォーマーが話して、最後に観客が聞く。そういうプロセスで演劇はつくられると思うんですけど、そのイメージを広げてみることで、新しい演出のアイディア、新しい演劇のやり方を、難しく考えずにシンプルに試してみたいですね。

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「劇のやめ方 導入編」
(撮影:皆藤将)

やりたくない劇は、やめられる

シェイクスピアの戯曲に「この世は舞台、人はみな役者」というセリフがあって、本当にそうだなと思うんですけど、じゃあ、リハーサルはいつしてるんだろうって。私はリハーサルで繰り返したりすることに興味があるというか、そっちのほうが面白く感じるんです。何が何によって繰り返されているのかを分析するだけで、劇の要素が成り立っていると思います。舞台上に立って、何かやりますというよりも、日々の生活で自分が繰り返していることが創作のアイディアになったりすると思うので、「劇のやめ方」を受講することで、「日々の生活が演劇化していく」と言ってもいいのかもしれません。相補的ではありますが。

やりたくない劇をやめられるって、すごい強みだと思うんですよ。劇が続いちゃってる状態なんだって気づくだけでやめられるようになる。「劇のやめ方」っていう講座名に込めた意味でもあるんですけど、「今、やりたくない劇をやってるだけだ」と思ったらやめられるんです。悪いことだけじゃなくて、「これ本当にやりたくてやってる劇なのかな?」ってシンプルに問い直すことで、「これまで意識してなかったけど、やっぱりこの劇がやりたいんだ」って気づくこともあると思います。「なんかうまくいかないな」ってときに、この状況がどういう「劇」の設定から生じているかが分かれば、逆説的に、こういう設定をすればこういう劇ができる、と「劇」を作ることもできる。

「劇のやめ方」を受講した人が、劇がどのようにできているかが分かると、いろんな劇が作れるようになると同時に、劇がつまらなかったら、やりたくなかったらやめられるようになる。それはつまり、自分自身の決定権が増えていくことだと思います。

キャンセレーションから考える/共有地としての作品

講座の前半は、いくつか少作品をみんなで作って、後半はひとつの大きな長い作品を作る予定です。今年また新たに《超常現象館》をオンラインでやるんですけど、それに受講生も参加してもらうことを考えています。

コロナ禍は、キャンセルされる身体や場所や行為を前提にして動いているんじゃないかと思っていて。例えば、聖火リレーを観に行ったんですけど、人もまばらですごい静かだったんです。人がたくさんいてうるさいとか、そういうストレスはなかったんですけど、つまり、聖火リレーは行っているけどすでにキャンセルされたものとしてやっている。盛り上げる気持ち=コマンドはあるけど、そのコマンドを実行してはいけない。だから“盛り上げる気持ち”はあるけど、“盛り上げる身体”はないんです。

キャンセルされた席がある劇場=コロナ禍の劇場で、今どんな劇が起きているのかがよく分かるときとも言えます。劇のやめ方は、まさにキャンセレーションの話だし。前期はオンラインで集まることを考えてもいいと思いますが、なんらかの場で集まって、その場から何がキャンセルされているか、したいのかを考えることが重要だと思います。

自分の身体とか、自分の場所とか、生きていくうえで、ある程度領土化していくじゃないですか。でも、そこが壊されて共有地みたいに作品が作られることが、集団制作の一番の楽しさじゃないかなと思うんです。もちろん自分のアイディアも入ってるけど、誰のアイディアか分からないくらい溶け込んでいる状態とか、その場にいる人が演劇を見ることで、見てる人も作り手と同じ立ち位置になるとか、そういう作品がいい作品だと思います。

2021年3月22日 ZOOMにて収録
聞き手・構成=木村奈緒


劇のやめ方 篠田千明

▷授業日:隔週火曜日 18:30〜22:00
劇は始めるよりやめるほうが難しい。社会で起きている劇をやめるのはさらにとても難しい。難しいけど、劇をやめ方を考えることはいま必要とされているように思う。ワークショップや、今だから出来る実践を通して、みなさんと一緒に『劇のやめ方』にまつわる思考を捕まえたいです。