「サウンドプロダクション・ゼミ」講師・横川理彦インタビュー


演奏家の横川理彦さんが講師を務める「サウンドプロダクション・ゼミ」。講座では、DAW(Digital Audio Workstationの略、パソコン上の音楽制作ソフト)を用いた音楽制作の技術を学びながら、オリジナリティの確立を目指します。2021年には、本講座をもとにした横川さんの著書『サウンドプロダクション入門 DAWの基礎と実践』(ビー・エヌ・エヌ)も刊行されました。数々の音楽グループに参加し、電子楽器と生楽器を併用するスタイルで、国内外で演奏を行ってきた横川さんに、音楽とともにあった人生の一端と、講座についてお話しいただきました(写真は以前のもので、2023年度はオンラインで開講しています)

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横川理彦(よこがわ・ただひこ)|作編曲、演奏家。80年に京都大学文学部哲学科を卒業後、本格的な演奏活動に入る。4-D、P-MODEL、After Dinner、Metrofarce、Meatopia等に参加。電子楽器と各種生楽器を併用する独自のスタイルに至る。海外でのコンサート・プロジェクトも多数。現在は、即興を中心としたライブ活動などのほか、演劇・ダンスのための音楽制作など多方面で活動中。また、コンピュータと音楽に関する執筆、ワークショップなども多い。

 都会に出てロックをやりたい

横川 出身は鳥取市です。僕はぎりぎりビートルズに引っかかっている世代で、中学2年生のときに学校で『レット・イット・ビー』(1970)を観に行ったのを覚えています。すごく暗い映画なのに、翌日学校に行ったら男子はわけも分からず「ロックバンドをやろう!」と言っていました。5歳年上の兄貴はベンチャーズ世代で、兄が持っていたベンチャーズモデルのエレキギターを譲ってもらったんだけど、僕らの世代になるとベンチャーズモデルはもうダサいんですよね。同級生の友人は高校の入学祝いで、ジミー・ペイジモデルのレスポールを買ってもらっていて、それで必然的にバンドでは彼がリードギター、僕はベースを弾くことになりました。

 だけど、高校時代は受験勉強ばかりやらされて、思ったようにバンド活動はできませんでした。バンド仲間だと思っていた友人たちも「勉強しないといけないからバンドはやめた」と言って次々脱落してしまう。しょうがないから、僕は家で一人でヘッドフォンでロックを聴きながら、ベンチャーズモデルのギターを掻きむしると。当時の僕にとって人生の希望は、ロックをやりたいということと、髪を伸ばして長髪にしたいという、そのふたつでした。それだけを望んでいて、そのためにはなんとかして鳥取から出て大きな街に行くんだと思っていました。

 そんなふうにロックにかぶれていたので、当然ながら勉強には身が入りません。見かねた親父が京都の大学に進学していた兄に頼んで、夏休みに兄のもとへ遊びにいくことになりました。行った先で兄が大学の軽音楽部の存在を教えてくれて「大学に入ったら軽音でいくらでもロックができるぞ」と言うわけです。それで受験勉強をするための強い動機ができました。ものの見事に親父と兄貴の策略にはまったんですね。それで、僕も京都の大学に進学することになりました。

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突然の音楽家デビュー

横川 当初、大学では建築を専攻していましたが、公団などの大規模な公共建築をつくるための勉強が中心で、クリエイティブな面白さはありませんでした。それで文学部に転部して哲学を学びました。別の学部ですが、心理学者の河合隼雄先生の授業は落語みたいで面白かったですね。ただ、僕の勉強の仕方が偏っていて、大学院は不合格でした。軽音でのバンド活動も、一緒にバンドを組んでいたドラマーが海外で交通事故に遭ったりして、なかなかうまくいきませんでした。大学を卒業するときには、もう何もやる気がでないし、そもそも何をしたらさっぱりいいのか分からない状態です。

 でも、これ以上親から仕送りしてもらうわけにもいかないし、卒業後は喫茶店でウェイターのアルバイトをはじめました。企業に就職するつもりはまるでなかったですね。今もそうですけど、昔から社会性にかけているんです(笑)。喫茶店では、コーヒーの淹れ方を習ったり、おばさまたちのバラバラの注文をさばいたりと、目の前の現実を感じながら働きます。自分が今生きていて、社会に役立っていると感じられて、非常に充実感がありました。

 そんな生活をしているときに、仲間のギタリストから「今度フュージョンバンドでデビューするんだけど、一緒にやらないか」と声をかけられました。まさに棚からぼた餅ですが、バンドは鳴かず飛ばずで、レコードもまったく売れません。あと、アルバムの録音期間が短くて、ソロパートもアドリブに見せかけて、予め譜面に書いたものを演奏しているだけ。面白くないし、クリエイティブじゃないんです。それで、僕は2枚目のアルバムを出すと同時にバンドを辞めました。

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4-DからP-MODEL、そしてAfter Dinnerへ

横川 とはいうものの、僕の人生はラッキーの連続なんです。フュージョンバンドでデビューしたのが23、24歳で、「4-D」というニューウェーブユニットや自主レーベルをはじめたのが24、25歳。そうこうしているうちに、ライブでよく一緒になっていた「P-MODEL」という東京のバンドからベースを弾かないかと誘われて東京に引っ越してきたのが27歳頃です。非常にスピード感がありました。

 特に、4-Dを結成して、当時のパンクニューウェーブ的な波に参加できたのは、とても面白かったです。シーンがあって、若者たちがパンクニューウェーブ的な音楽を期待してライブに来る。ライブではP-MODELやいろんな人たちと横のつながりができる。そうした経験を通して、自分が曲をつくったり演奏したりすることに意味があるという実感が持てました。自分はこれでいいんだと思えるようになったんです。

 P-MODELに参加したのは1年半ぐらいですが、ツアーで全国約30箇所の小さなライブハウスを回ったのはすごく面白かったです。P-MODELを辞めたあとは、関西にいた頃に手伝っていた「Aftter Dinner」というバンドのヨーロッパツアーに参加することになります。「なんでそんなに運がいいの?」と聞かれると、謝るしかないんですが(笑)。1987年に、総勢11人のメンバーでヨーロッパツアーに行きました。

 これは僕の中で最も大きな出来事で、というのも、ツアーに参加したことで、ヨーロッパのインディーズシーンにおいて、ミュージシャンたちがどうやって活動しているかがはっきりわかったんです。みんな面白い音楽をやっているけど、そんなに売れていない。レーベルもインディーズみたいなものだし、簡単に言えばみんなお金がないんです。そのなかでいろいろ工夫して自分たちの音楽をつくり、ライブで人々に聴かせている。彼らは基本的にカウンターカルチャーの流れのなかにいて、メジャーの音楽産業とは関わりのないところで活動しています。そういう人たちの音楽が面白いということは、僕にとってすごく価値があることでした。それで俄然やる気になったというか、自分もやっていけるぞと確信が持てたわけです。

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自分のやりたい音楽ができる

横川 ヨーロッパツアーで参加した南フランスのフェスでは、夜にコンサートをやって、昼はミュージシャンたちがフリーセッションのようなことをしていました。そこには、ハイナー・ゲッベルスとかフレッド・フリスといった僕のなかでのトップミュージシャンもいれば、世界各国から来た優秀なミュージシャンたちもいて、面白い音楽をどんどんつくっていく。このやり方でミュージシャンと交流していけば、いくらでも面白い音楽はつくれるし、バンドもできそうだなという期待感がありました。

 ただ、日本ではそうしたことをできる相手があまりいません。だから、ツアーから帰国したときには、オランダかベルギーに移住しようかなと考えていました。だけど、「Tipographica」というバンドをやっている今堀恒雄と外山明と出会って、彼らと組むのが一番強力だし面白いと思いました。彼らは僕がやりたいと思っている音楽を、ほとんど説明なしに演奏できると感じたんです。

  自分にとって音楽をつくるということは、楽譜を書いてミュージシャンに演奏してもらうとか、自分が歌うといったことより、スタジオでマルチトラックのレコーダーを利用して音を重ねていくことなんですね。だから、最初のソロアルバムでは、9人の異なる相手とデュオを組んで、セッションのように曲をつくりました。それまでのバンド活動を通して、スタジオ作業こそが音楽の創造性であると思うに至ったんです。

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DAWで音楽をつくる「サウンドプロダクション・ゼミ」

横川 少し話が戻りますが、パンクニューウェーブの流れのなかで自分が音楽をつくっていけるなと思ったのは、シンセサイザーやシーケンサーが登場して、自分の大したことのない演奏技術でもちゃんと音楽をつくれるようになったからです。あとはマルチトラックのレコーダーですね。スタジオ環境で機械に演奏させることで音楽ができていくと。90年代に入ってからは、「自分は生演奏と機械を併用するスタイルの音楽家だ」と自己紹介していました。技術的な話で言えば、2005年頃にそれまで別々の機材だったシンセサイザーやレコーダーが、コンピューターに統合されたことはひとつの革命でした。僕は80年代からそれらの機材を使っていたので、そうした技術革新に適応するのは割と早かったと思います。

 だから「サウンドプロダクション・ゼミ」では──映画美学校時代から数えると20年超になりますが──一貫してDAWで音楽をつくる方法を教えています。授業は、録音の仕方やリズムのつくり方といった、基礎の部分から順に学んでいきます。DAWで音楽をつくるにあたって向き不向きはあって、向いている人であれば、3ヶ月もすれば一通りのことができるようになります。ただ、上達が遅いからといって、その人のつくる音楽がダメかと言えば、そんなことはありません。DAWというシステムの中での適性はあるけれども、自分の音楽をつくれるかどうかは、根本的な欲求があるか否かです。たとえば「ヒップホップをつくりたい」「フュージョンをつくりたい」といったように、自分のつくりたい音楽がはっきりしていても、実際につくってみたらネオソウルのほうが向いていたとか、そういった発見もあって面白いです。

 僕はヒップホップを含めて、ポピュラーミュージックの一連の流れに密着した形で音楽をつくってきたので、現在の音楽制作のあり方は一通り分かっていると思います。あと、自分の主張とは裏腹に、生活のためにCM音楽やゲームミュージック、芝居の音楽なども制作してきました。だから、受講生がつくりたい音楽がバラバラでも、「こういう音楽がつくりたいんだったら、こうすればいいんじゃないか」とか「そういう音楽をつくりたいなら、これを聴いてみたら」といったアドバイスができます。むしろ、好きな音楽の幅が広すぎるきらいがあるので、余談が過ぎて授業時間が伸びてしまい、スタッフの長尾くんに注意されることもよくあります(笑)。

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「音楽をつくりたい」という初期衝動

横川 僕がたびたび出演した南フランスのフェスは、世界各地でワークショップを開催していて、そこでフェスティバルの開き方やコンピューターを使った音楽制作の仕方などを現地の若者たちに伝えています。僕もロシア、イタリア、ベイルート、ダマスカスといった地域でワークショップをやりました。コンゴ民主共和国のキンシャサでやったワークショップには、アフリカの7ヵ国ぐらいから意欲的な若いミュージシャンが集まりました。アフリカのなかでも音楽性がバラバラだということがよくわかったし、ヨーロッパのクラシック的な音楽の成り立ちは通用しないし、これが本当に面白いんです。

 映画美学校時代から数えれば、何百人という受講生を見てきましたが、美学校にも面白い人はたくさんいますよ。高校ぐらいまでずっと武道をやっていたけど、ある日突然ヒップホップに目覚めた人とか、今はボイスパフォーマーとして活躍している人とか、若い人に限らず、面白いノイズミュージックをつくっているおじさんもいます。コンピューターというプラットフォーム上で、自分の創造力の限りをつくして、それぞれが好きな音楽を勝手につくる。僕はそれを横で楽しく見ながら、技術的なことと同時に、「音楽をつくる」とはどういうことかといった「スピリット」の部分について、いくつかのモデルを供給しながら、受講生の制作を応援しているという感じでしょうか。

 コンピューターがすごく高性能になったことで、今やオールジャンルの音楽制作に対応可能だし、初期衝動から完成品をつくるまでの技術的な距離がものすごく近くなっています。実際に音を打ち込んで聴いてみれば、それが自分のつくりたい音楽かどうかすぐに分かりますからね。だから、音楽制作は簡単なんですよ。むしろ、絵を描くほうが画材を揃えたりする必要があるので大変かもしれないですね。究極的に言うと、音楽は歌ってしまえばそれで出来上がりですから。

 やっぱり自分が一番面白いと感じるのは、「音楽をつくりたい」という気持ちがあふれている人と作業している瞬間です。受講生の「どうしてもこうしたいんだ」という思いに触れると感動します。だから、その人が表現すべき何物かをどのように持っているか、毎年一人ひとりの受講生について考えます。それで僕が何かの役に立てればいいし、自分のつくりたい音楽をつくるために「サウンドプロダクション・ゼミ」を存分に活用してくれたら本望です。

2023年2月27日zoomにて収録
取材・構成=木村奈緒、撮影=皆藤将

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サウンドプロダクション・ゼミ 横川理彦 Yokogawa Tadahiko

▷授業日:隔週月曜日 19:00〜21:30
アーティストとして作品を世に出していくために、自分の表現の幅を広げ、オリジナリティを掘り下げていくためのゼミナールです。自分の作品の強みは何か?アーティストとしての個性を模索しながら、一年かけて自分の作品をまとめたアルバムをつくることが目標となります。