修了生インタビュー 浅生ハルミン


現在の美学校 浅生ハルミン×藤川公三


 ーー ここから美学校現代表の藤川さんが参加 ーー

藤川 ハルミンは運がいいんだよな。運がいいのと色んな人と付き合えたっていうことだよな。

浅生 伊勢参りに毎年行っているからですよ。

藤川 知らねーよそんなもんは(笑)。美学校については何か言いたいことある?

浅生 美学校は本当に変わったなと思いました。私が来た時は、思い詰めている感じが漂っていましたが、この前ふっと訪ねた時に、ファッションのクラスができていたりするのとかびっくりしましたし、来ている人たちもいい意味ですごい軽くなっている気がしましたし。

━━━藤川さんが2000年に代表になってから変わったんだと思います。

藤川 いい加減にしたんだって。

━━━「良い加減」ですね。そういうさじ加減でやっている学校なんてないから面白いですよね。

浅生 そう思いました。

藤川 多分ね、ハルミンがいた頃なんか、変わり目なんだよ。俺の先生の今泉さんという人が代表やっていた時の20数年間は普通の美術学校をやっていたわけ。版画だとか写真だとかさ。普通の学校だよ。ただ人が違うだけなわけであってさ。それは商売上仕方なかったわけさ。そうしないと保てなかったわけだから。

浅生 私は美学校を卒業していないし、美学校というものが自分の中で消化できていない問題だったんです。けど、去年久住昌之さんと藤川さんとトークができたり、こんなインタビューを受けていたりして、ほっとしています。

━━━やっぱり80年代後半ぐらいまでは、美学校には師弟関係みたいのがあったんですか?

藤川 いわゆる先生をやっちゃっているんだよ。だから会田誠くんなんかを呼んだ時に、先生稼業はやめてくれと言ったの、稼業じゃなくて、何というか遊びにきてくれと言ったの。あんたという人間が来てくれればいいんで、先生として呼ぶんじゃないよって俺は言ったんだよ。会田くんにも言ったし、小沢剛くんにも言った。あんたがいて、若い人と話をしてくれれば十分なんで、教えてくれなくたって別に構わないよって話をしたの。でも彼らが何かを話すということは教えるということになっちゃうわけでしょ。それで十分なんだよ。

浅生 私が美学校に行っている時にそういう話を聞いていたら、もうちょっと距離を置いて接せられたかもしれませんね。

━━━最後に今後の活動の展望を教えてください。

浅生 イラストは挿絵なので、頼まれたらその役に徹して描きますが、本に関しては猫ストーカーみたいに外付けハードディスク的なことをやっていきたいと思っています。『三時のわたし』という本を書いたんですけど、これは毎日三時に私が何をしているかを一年間書いた本なんですね。今度は毎日自分の思っていることとは反対のことを選ぶ、というのをやりたいと思っています。例えばこれまでの私は赤い洋服と青い洋服があったら、赤い方を買うし、大きいものと小さいものがあったら、大きいものを手に取っていますが、そういう小さい選択を重ねて、今の私は作られていると思うんですけど、食べ物の趣味や、読む本や駅までの道順の選択などを、ちょっとずつ変えていったらどうなるかなと思って、それを試してみたいと思っています。

━━━常に自分が実験体なんですね。外付けハードディスクにゆだねてみたりだとか。

浅生 そう。自分を無くすのが面白いんです。自分のものの見方から逃れたいんです。

━━━結果が気になりますね。趣味が真逆になるということですもんね。楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。