開扉にあたって

美学校基本構想

撮影:成田秀彦 提供:長沼宏昌

裾野に至って現代における美意識(倫理)への介入という想定に立ちつつ
現在の美学校を全構想かつ最高形態の追求として位置づける

教えをうけることを、みずからの意志として据えて、欲するものを得ることはありえても、
教えることをみずから意図し、果たしうるということはないのであって、
教える意思は、生徒の脳皮質をかすめて消えるのである。
総じて耳目を通し、すなわち空間を媒介として、達して頭脳にいたるコースにおいてそうなので、
脳皮質を駁撃して残るのはきわめて生理的な衝撃感ということだけであったり、
あるいは、金蒔絵に使う筆は舟ねずみの毛で作らなければいけないといったことだけで終わるのである。
そこで、教えられる機関は考えるとしても、教える機関は考えるわけにはいかぬ。
そこで、最高の教育とは、教える意志をもたぬものから、必要なものを盗ませるということになろうか。

第56期2024年度生徒募集にあたって

美学校は1969年に現代思潮社という出版社によって設立されました。設立された背景には、既存の学校教育に対するアンチテーゼがあったそうです。あったそうですと伝聞形で書くのは、開校から50年を経たことによる人的、時代的な断絶があるからです。そして、それに伴って美学校も別の運動体へと変化してきました。

わたしたちは美学校をいわゆる「学校」という静的なものではなく、有機的な運動体として捉えています。ここでは美術や音楽を中心とした様々な教程を開講していますが、そこは技術や知識を体験的に身につける場であると同時に、様々な出会いや実験が起こり、そして自由と自治が存在する場にしたいと思っています。自由と自治というと難しく聞こえるかもしれませんが、自分たちが美術や音楽を通して勝手気ままに楽しむための場所を作りたいということです。自分が楽しむということは、興味を持って楽しめる何かを発見するということです。そして、その興味が他者や社会へと繋がることによって、世界が広がっていくのだと思います。それはわたしたちが50年以上に渡って歩んできた道でもあります。

受講にあたっては、ただ絵を描きたい、音楽を学びたいといった理由で充分です。その気持ちが大切だと思います。経験や年齢は誰も気にしませんので、勇気を持って飛び込んできてください。初めてここを訪れる人はきっと美学校を変わった場所だと思うことでしょう。それは校舎が築50年以上の古いテナントビルのワンフロアであったり、古本やチラシや何だかよくわからない物であまりにも雑然としていたり、フランクな講師やスタッフがいたりするからかもしれません。ですが、そんな光景も見慣れてしまえば、特別なものではなくなります。学校では、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと言われてきたと思いますが、本当にしてはいけないことなんてそうないはずです。ここは自由です。

教程は5月から始まり翌年の3月で終わります。この一年は長いようで短いです。美学校での一年間をどう過ごすか。それはあなたの想像力と行動次第です。みなさんや講師はもちろん、関係する様々な人々、そしてわたしたち自身にとって、これからが面白くなるようわたしたちは尽力します。

美学校 事務局

美学校史覚書

美学校は1969年に現代思潮社によって「現代思潮社企画」として新宿区若葉町に創立される。現在まで変わらない虫のような独特なロゴは、初年度に「絵文字 花文字」課程を受け持つ赤瀬川原平によるデザインで、同じく今も使用されている山羊と羊が合体したようなマスコットは、野中ユリがドイツの古い雑誌からコラージュの素材として取って来たもので、それを中西夏之が今泉省彦に似ているとのことでマスコットとしたそうだ。

美学校の創立初年度は、まず1969年2月に中村宏と中西夏之による二つのアトリエと今泉省彦による表現論講義が先行してスタートし、続いて4月から技能課程全7課に加え、多数の講師陣による講義がスタートする。技能課程の7課は次の通りだ。図案 模様(講師:木村恒久)、木刻 面打(講師:小畠広志)、絵文字 花文字(講師:赤瀬川原平)、硬筆画 劇画(講師:山川惣治)、細密画 博物画(講師:立石鉄臣)、模写(講師:藤田吉香)、漫画(井上洋介)。他にも小口木版、解剖図、刺青、器械図などアングラ感漂う講座の開催が検討されていたようである。ちなみに、「漫画」の講師は当初つげ義春にオファーしたそうだが、つげが一人ではなく複数で講師をやりたいと申し出たため、一講座一講師を原則としてカリキュラムを組んでいた当時の美学校の方針とそぐわず流れたそうだ。

講義では”錚々たる”という言葉を使いたくなるような講師陣が教壇に登っている。1969年当時の案内を見ると、粟津則雄、巌谷國士、内村剛介、片岡啓治、唐十郎、澁澤龍彦、白井健三郎、瀧口修造、種村季弘、出口裕弘、寺田透、埴谷雄高、土方巽、森本和夫の名前が並ぶ。ただ、ここに記載されているすべての人が必ずしも登壇したわけではないようで、一期生で現代表の藤川曰く「瀧口修造は来てないんじゃないかな。」とのことである。どちらにせよ、「澁澤さんというのは人前では話すような人ではなかったけれども、美学校の先生までやっているわけだから。」「澁澤さんだけじゃない。普通並ばないような人が並んでしまった。」と巌谷が述べるように、当時話題になるには十分な講師陣だったことは違いないだろう。

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歴代の講師

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1969年から現在までに美学校で講師を務めた人物と講座の一覧です。

中村宏 1969「アトリエ」 1970「絵画教場」 1971,72「絵画工房」 1973「絵画工房(二年制)」 1974,75「油彩画工房(二年制)」 1976〜79「油彩画工房(二年制)」(入間分校)
中西夏之 1969「アトリエ」 1972「素描教場」
今泉省彦 1969「表現論」 2000「絵画演習」 2001〜07「絵画の教室」
木村恒久 1969「図案 模様」 1970「図案教場」 1971「図案工房」 1972「図工工房」 1973〜77「図工工房(二年制)」 1978,79「デザイン図工工房(二年制)」
小畠廣志 1969「木刻 面打」 1970「木刻面打教場」、「木彫刻教場」 1971,72「木彫刻工房」 1973,74「木彫刻工房(二年制)」 1975,76「木彫刻工房(二年制)」(入間分校) 1977「彫刻工房(二年制)」(入間分校)
小畠廣志、手塚登久夫、水島道雄 1978「彫刻工房(二年制)」(入間分校)
小畠廣志、水島道雄 1979「彫刻工房(二年制)」(入間分校)
赤瀬川原平 1969「絵文字 花文字」(開講せず) 1972〜78「絵・文字工房」 1979,80「絵・文字研究室」 1981〜86「考現学研究室」
山川惣治 1969「硬筆画 劇画」
立石鐵臣 1969「細密画 博物画」 1971「細密画教場」 1972「細密画工房」 1973〜79「細密画工房(二年制)」 1979-10「細密画講座」

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美学校校歌

2019年に美学校の創立50周年を記念して制作した美学校の校歌です。

作詞|細馬宏通
作曲|岡村みどり
歌唱|sei、山田参助
録音・ミックス・マスタリング|中村公輔
デザイン|小田島等
協力|岸野雄一、藤川公三、上原修一、「校歌をつくろう〜作詞編〜」参加者のみなさま