
来る4月5日(日)に13期生のオムニバス修了公演『わたしのために そして すべてのために』が開催されます。現在、公演を観に来て頂いた方々に配布するための小冊子を受講生の皆さんと制作中ですが、Webサイトでも読んで頂けたらと思います(内容は冊子とは一部異なります)。
今回、様々な作品を制作中の受講生たちが、なぜ、自分はこの作品を作ろうとしているのか、その一端が良く理解出来るのではないかと思います。もちろん前情報無しに観て頂いても構いませんが(自分はそういう見方が普段は好きです)、彼ら彼女らが書いた文章を読んで、より深く上演に関わって頂けたらと願っています。舞台を制作する側と、観客は対峙するものではなく、実は同じ方向を向いてるんだよということは故・首くくり栲象さんがアーティストの武本拓也さんに伝えた言葉だそうですが、美学校の修了公演という場は、通常の劇場公演よりも、制作する側(作、演出、出演など)と観客が共に作品を立ち上げる場であると考えています。観に来て頂けるだけでも有り難いことなのですが、ぜひ、さらに積極的に関わって頂けたらと思います。そして1日だけしか上演しないので、気にしてくださっても来れない方もいらっしゃると思いますが、ぜひ上演には立ち会えなくても、彼ら彼女らの文章を読んで、思いを馳せてもらえたら幸いです。それもまたひとつの参加の仕方であると思っています。
(講師 生西康典)
他者の声
朝日
あーーー !の声を探しています。これまで私は、「死ぬ時に後悔しないように生きる」ということに動かされていることが多かったです。そうすると、いーーー、という声のものをたくさん集めたり、いーーーの声で何かをしたり、続けることが重要になって行きましたし、そうして来ました。けれどそれは確実なように思えるだけで、安心できるだけで、虚しいなと思うようになってしまいました。でもこれまでも、あーーー!もありながら、やって来たのだと _思います。それでも、これまで、意識的に向かうのはいーーー、の方向だったと _思います。いーーー、の時、すごく集中することになります。いらないものを取り除いたり、必要なものだけを複雑にしたりして、より、いーーーの声を強くしていきます。そうして、できるだけ一人の方がいいなとなっていきました。しかし、そうしていくことに、どこかうっすら違和感を感じていたと思います。それでも、それでを指針に進んでいくしかなかったし、それがなくなったら動く根拠がなくなってしまうし、自分でわかっていませんでしたが、見えないようにしていたのだと _思っています。美学校講座「演劇似て非なるもの第十三期」を受講したこの一年は、その違和感が無視できないものになった時間でした。きっと講座の影響も多くあったと思います。
無視できなくなってしまっては、しかたありませんでした。一時的に動く根拠がよく見えなくなり、あまり動けなくなりました。あまり動けないなりに、これまでの日々を惰性で続けていると、根拠とは違う、投げ入れる、という発想に出会いました。そこで、「死ぬ時に後悔しないように生きる」という前提に強く目が行っていたことに気がつきました。投げ入れるというのは、あっ、というような声だなと思っています。これでまた動いていくことができるようになったと思っています。それでも、これまでも、あっと動いて来てもいたと思います。問題は、あ、で、意識的に動くということでした。ささやかな日常生活は、あっ程の連続で流れていくのですが、時々、立っていられないような時があります。そういう時、背骨を鷲掴みにするような、あーーー!という声が、、、
これまで時々、あーーー!の声で動いていた気がするのですが、今ここにはないので、膝から崩れていってしまうと思っています。それは、どこかにあって探して見つかるものではなくて、少しずつ、つくっていかないといけないんじゃないかなあと思うので、その方向に飛び込んでみます。飛び込んで、形が崩れて、おおっとっとっと~、と、動いてみます。
え!というのが大切だなと思っています。他者の声に出会うには、え!というのに気がつけないといけないと思っています。え!、えーーーっ!となるには、頭がすっぱ抜けていて、澄んだ水が流れていないといけないと思います。他者の声との出会いが、あーーー!の声をつくるんじゃないだろうか。
◼️朝日 あさひ
美学校には4年通いました。彫師。絵を描いたり、踊りをしています。愛知県渥美町出身。現在は東京・高円寺と愛知・渥美を行ったり来たりしています。
これまで、これから
渡邉雄大
この講座を受講したきっかけは、今回上演するものとは別の戯曲を自分にとって特別な意味のある四階小教場で上演するために、教場を自由に使用する権利を得るためでした。その戯曲は自分ひとりで上演する必要があったため修了展に参加するつもりもなく、講座も八~十一月の間は欠席し自身の制作に没頭していました。
紆余曲折を経て十一月にその戯曲の上演は断念し、演劇上演からその前に行っていた漫画作品に戻り、数年は絵の勉強をしようと思っていたところで、一月の末に生西さんから「演出やるから修了展でひとり芝居してみませんか」と提案され、ここでやらなければ一生後悔しそうと直感したため、漫画作品で使おうと思っていた言葉から今回のテクストを制作しはじめました。
(続きは冊子版でお読みください)
◼️渡邉雄大 わたなべゆうた
「生まれてきたことは罰であり、生きることは罪であり、働くことだけが贖罪である」「自分は他者を傷つけることしか出来ないから、固有名を持たない「労働者」「消費者」以外の形で世界と関わってはならず、自分の力だけで自分の欲望を完結させなければならない」という信念のもと、二十代を通じ誰にもみせることなく自分では作品(批評/漫画/戯曲)だと思っている文字や線の塊をかき連ねていた。
制作の果てに「誰も自分のことは記憶しておらず、加害者としてすらこの世界に存在していなかった」「自らが生きてきた軌跡を加害性に見出していたに過ぎなかった」と自覚し、自分にとって耐え難く屈辱的な「存在をなきものにされること」「言葉を奪われること」を防ぐには、他者に対し自らの存在を知らしめる必要があると考えるようになった。
自分がいないとき
小西善仁
去年の9月、大阪で「ツアーツアー」を上演したとき、パンフレットの冒頭にこう書きました。
演劇は自分にとって、すこし乱暴な世界です。
どんな声も大声にしてしまいます。
いつもよりも情緒を揺さぶられて、それは時にエモーショナルで魅力的でもあるけど、同時に怖いです。
隣で誰かが怒鳴っていれば一緒に怒鳴ります。隣で誰かが泣いていれば一緒に泣きます。涙は出るけれど、それが自分のものかはわからなくなります。大学在学中、一度それを経験してから、演劇を心のどこかで遠ざけてきました。
でも、ほんとうは、自分を自分で認識できないくらいまで追い込みたいんだなって気づきました。そうしないとやっている気力が湧かない。
この時点で、すでに自分の中にある暴力性のようなものを、どこかで意識していたのだと思います。ただ、それは誰かを傷つけたいという衝動ではありません。この場を成立させている自分自身に向いているものです。
演劇は、生身の人間を扱い、観客に上演時間を差し出させる媒体です。それだけで十分に暴力的だと思っています。だからこそ、その責任をすべて自分が背負わなければならない、という感覚を毎回強く抱えてきました。自分がこの場所に人を呼んでいるという事実を、必要以上に重く受け取ってしまう。その重さが、演劇を遠ざけてきた理由の一つです。
それでも上演後には、強い爽快感が残ります。最初は純粋に気持ちよかった。けれど、その気持ちよさは求めれば求めるほど穏やかではなくなっていきます。小さく丁寧にまとめた作品よりも、何かが行き過ぎたときのほうが、はっきりとした爽快感が残る。ただ、その感覚に身を任せていると、どこまでが演出で、どこからが無責任なのかがわからなくなります。自分が意図して大きくしているのか、それとも場に流されて膨らんでいるのか、その区別がつかなくなる。快感と無責任が、同じ場所に立ち上がる。そのことが怖くて、気持ちよさに距離を取ろうとしてきました。
この気持ちよさに言葉を当てるなら、「わざとらしさ」と「スペクタクル」だと思います。正直に言えば、どちらも好きです。過剰であること、感情や出来事がはみ出していく感じに強く惹かれます。でもそれを選べば、その判断はすべて自分に返ってくる。そう思っていました。
ですが5月から始まった講義のなかで、自分がこの判断を一人で引き受け続けすぎていたことに気づきました。その反動として、抑えていた気持ちよさが崩れ始めました。講義内で「コルクフローリングで待ってる」という、少し穏やかな作品を夏に書きました。ですが、どこか欠けている感覚が残りました。正しい判断をしているはずなのに、気持ちよくなれない、という違和感です。
それは、9月の大阪での公演と10月の恩師が死去という二つの出来事で、膨らんでいきました。整理のつかない怒りのようなものがありました。自分の中だけで収まらなくなってきました。
そのとき気づいたのは、自分は追い詰められると、「ここにいていいのか」「ここにいる権利があるのか」という判断を、誰かに委ねてしまうということでした。判断を放棄しているというより、決めてもらうことで少しでも楽になろうとする感覚です。
自分がしている介助の仕事では、その感覚がより現実的に伝わってきます。
介助の現場では、「楽になりたい」という感覚が、抽象ではなく、身体の問題として現れます。どうしようもない失敗が重なりすぎると、「ダメだ」という感情を超えて、官能的な状態になる、と脳性麻痺の方から聞きました。
最初は理解できませんでした。けれど時間が経つにつれて、その言葉が自分の感覚と重なっていることに気づきました。追い詰められて、「ここにいる権利があるのか」と自分の存在を疑っているとき、変に冷静になり、周りの状況がよく見えることがあります。周囲の影響しか受けていない自分しか残っていないような感覚です。自分で何も決めていない状態。それを、自分がいない状態と呼んでいます。
その状態は、不安でありながら、どこか軽い。存在を証明しなくていい。責任の発生源が曖昧になる。その歪んだ軽さに、惹かれてしまう瞬間があります。
今回の『楽にするならゆるさない』という作品では、その感覚をなるべく制御せずに持ち込んでいます。けれど、その感覚は、言葉のままだと伝わらないんです。
一人称で断定すれば、すぐに固まってしまう。モノローグにすると、「私はこうだ」という決定になってしまう。それはすごくわざとらしくなる。一方で、抽象に逃げれば、ポエムになり、現実との接地が弱くなる。それは、一人の人間に抱えきれないほどのスペクタクルになる。
「自分がいない」という感覚は、そのどちらにも収まりません。主語がはっきりしないまま、でも現実には確実に触れている状態です。その不安定な位置にある言葉を、どうすれば成立させられるのか。それを試す形式として、演劇は適していると思いました。
演劇の中の言葉は、作者の一人称でもなく、完全な詩にもならずに、主語が少しずれたまま、現実の時間と空間のなかに置かれます。そのずれのなかでなら、「自分がいない」という感覚も、ただの説明ではなく、出来事として立ち上がるかもしれないと思いました。
ここまで自分のことをものすごく分析しながら書きましたが、正直、どうなるのか、どう見られるのかはわかっていません。暴力性があるのは事実ですが、それが他人から影響されたものなのか、自分から発生しているものなのかもわかりません。もはや、これが自分です、と言い切れるのかどうかも揺れています。
ただ変わらないのは、なにかしらの判断を引き受けながら存在することも、手放して楽になろうとすることも、どちらにも暴力性があるのだということです。
そのあいだで揺れ続けている状態そのものを、この講座の修了公演にぶつけようと思います。
◼️小西善仁 こにしよしひと
1997年生まれ。桜美林大学演劇専修卒業。美学校の複数の講座を受講。演劇を起点に、音楽、パフォーマンス、映像などの媒体を用いて制作を行っている。
(※冊子には『楽じゃない人間同士』という別の文章を寄せています)
「サンドボックス」について
磦田空
関係のない話だが、それなりに最近のある時期、自分の周りには白い壁が立っている気がしていた。意味的な比喩ではなく質感として本当にそれはあった。壁はゆっくりと私に近づいてきて、世界を狭め、視界を埋め尽くしていった。気がつけばその壁は見えなくなっていたが、本当はまだずっとそこにあるのかもしれない。どちらにしたって見えていないなら問題はないので、そうしていられるうちはあまり思い出さないようにしている。
『サンドボックス』は、初めて講座に顔を出したあと、次までに何か書いてきてみてと言ってもらったことで生まれたものになる。上演のために書いたというよりも、たまたまそのとき書いてしまったものを後から上演の形にしようとしていると言った方が自分の意識には近い。
内容の多くはごく個人的な考えごとから始まっている。ある日の日記をそのまま引用している箇所もあるし、いろいろな出来事や考えを粘土みたいにちぎって繋げて混ぜ合わせたような話もあるし、そのどれでもない、なぜか書かれてしまったものもある。いずれにしても不思議だったのは、色々な方に声に出してもらう中で、このテキストが自分のものだという意識がかなり早い段階で遠くに行ってしまったことだった。もちろんどういう意図で書いたのかを考えれば導き出すことはできる、その意味でこのテキストに一番近いのは自分だと言えはしそうだが、稽古をするときの意識としてはただそこにあったものとしてこれを使っている、という感じになっていった。書いていた瞬間の自分のことももう思い出せない。楽しかったような気もするが、それすら定かではない。
テキストの中では、ぼんやりとした世界像が混在している。目の前のものとの距離感が、いまいる場所の広さがわからない。いつも色々なことを間違えて、人間を含む他なるものたちとうまく関わることができない。何にも追いつかない頭で考えて、私が私を守るためにはいくつかの異なる網目を持つ世界を同時に生きていることを、二重三重に重ねられた画像を見るようにして知覚することが必要だと思った、それができるようになれればわたしは「安全」に「健全」でいられる気がした。だけど実際にはそれはとても難しいことだと分かってもいる。本当はずっと外の音は聞こえていて、だからそんなところで回っていたってまだ安全な場所で何かを考えているだけ、いつかそんなことどうだってよいと思えるようになれたらやっと、想像もしない開けたところに出られる気がする、そうなってようやく自分の足で歩ける気がする。いつかちゃんとそう思いたい。
きっとそういう話ですが、そういう話であることとは一切関係なく楽しく見られるものにしたいと思って稽古をしてきました。参加してくださったみなさん、稽古を見てくださったみなさんありがとうございます。楽しく見ていただけたら嬉しいです。
それからいくつかの作品に参加させてもらいます。ずっと一定以上近づけないものだという意識があったし今でもそうあるから、それでも演劇に、他の方の作品に関われることはいつでも不思議で嬉しいです。
良い日になりますように。
◼️磦田空 つかだそら
発話の難しさと周りの音をときどき意識してきた気がします。最近は小さい音声作品を作りました。演劇は出演と音響の機会がありました。なるべく頭を静かにしたい。
15年目の3月11日に
カキヤフミオ
ウクライナ侵攻が始まった四年前、各所卒業予定の皆さんに向けて、以下の文章『戦争・コオロギ・反転・宇宙』を書きました。今回上演させていただく『う、つ、わ、』と『アニエスとラシィナ』(両作品の戯曲全文を下記に掲載)の制作にあたって考えていたことを振り返りながら、今日、15年目の3月11日に、この文章のことが思い出されました。演劇の世界に飛び込んで13年、ずっとこのようなことを考えつづけていたのだと思います。どうぞご参照いただけましたら幸いです。(『う、つ、わ、』は、ご来場の皆さまにご参加いただく形での上演となります)
『戦争・コオロギ・反転・宇宙』
戦争がはじまってしまいました。ゲンパツに火の手がまわったそうです。胸がしめつけられます。隣国に攻め込まれた市民のみなさんは、毎晩、明日は命がけの抵抗を、と決意を固めるのでしょうか。相手を正当防衛だからと殺せるのでしょうか。個人の尊厳が蹂躙されそうなら自分や家族の命を絶つとも考えるのでしょうか。命がけの抵抗をせず、自国が占領されることになっても、戦わなかった誇りは残り続けると思えるでしょうか。
毎年夏、新しく生まれて成長したコオロギさんが美しい声をかなではじめます。面白いことに、15秒間の声の回数の平均値を、ある公式に入れると気温がわかります。結構ぴったりで、いつも驚かされます。気温によって鳴く回数がきっちり変わるんですね。生きものは不思議です。コオロギさんの声が聞こえた、その年の最終日付も記録しています。昨年は12月10日で、前の年より一週間ほど長生きでした。それが、昨年、家の近くで生まれた全員の生命活動が停止した時期です。
自分の抱える弱さを反転させることをある本で知りました。例えば、皆さんの中に、引っ込み思案で、まったくしゃべらないひとがいて、あるとき、そのひとが、急にワーっと、大きな声をあげ始めたときの衝撃はすごい。空気も一変します。赤ちゃんの声があがる、誕生の瞬間にも似て、ひとつの奇蹟といえるでしょう。それなら、いつか必ず訪れる死という弱みも反転させましょう。花は、散りゆくからこそ、えもいわれぬ美しさ。静寂なる死をみすえ、バーっと躍動して生きられるなら、こんな素敵なことはありません。
「地球はやがて太陽に飲み込まれ消滅します。科学的に立証済みで、数十億年後のことらしい。そんな未来に向かっていったい何を心がけたらよいのでしょうか。」(飴屋法水『たんぱく質』新潮 2021年8月号より) コオロギさんが、毎年、世代交代するように、わたしたちも宇宙の法則によって、生まれそして死んでいくだけ。なんて、本を読んで考えたり。社会に出てから、本はあまり読まなくなってたんですが、昨年からまた読み始めました。今、とっても、楽しいです。
ご卒業おめでとうございます。
11年目の3月11日まであと数日。
いっこくも早い戦争終結を祈りながら。
『う、つ、わ、』 作:カキヤフミオ
登場人物:A、B、C
場所:暗い部屋。廃墟かも知れない。
(スマホで本戯曲を開き、画面を横向きにし、見ながら読む)
(視線は基本的にスマホの画面。何かの動画を見ているようである)
(A・Bは椅子に座り、部屋の電気が消えて10秒ほどたったら、読み始める)
A はぁー、、、で、か、すぎる、、、
B あれじゃ、倒れるなんて、、、ありえない、、、
A 言い切れるの?、、、いつかは、、、どっ、しーんと、、、、、
B 下敷きにならなければって気にして、、、ここにいるだけで厄介なのに
A やっぱり、このまま、、、
B そう、、、変わりはしないわ
(5秒くらいの間)
A いったい何を決めようとしてたんだっけ?、、
B もう覚えてない、大事なことだったのかどうかも、、、
A いい加減にしてくれない、大きすぎるの、気にしないのね、
B 構わない、、、、、大事なのは、そこじゃないわ、、、、、
A でも、シンケンに、進めていくんじゃ、、、なんじゃない?、、、
B この壁、どこまで続いてるん、、、出られるわけがない、こんなん
(5秒くらいの間)
A まっくらな、、、閉じ込められて、、、外に出る方法が見つけられない、、、
B 出たって、はたして何があるの?、、廊下が無限に続くだけじゃ、、、
A それでも試してみる価値がある、、、希望を捨てちゃ、、、、
B 希望?、、何の希望があるって言うの?、この状況で、、、、
A わからない、、、でもあきらめるのはまだ、、
B (笑いだして) あきらめる?、、何もわかってない、ずっと何も変わらない
(5秒くらいの間)
A 何かを決めるためにここにいるんじゃ、、、そういう設定の中で、、、、、
B 設定、、、、そう、ここで、生きることを強いられてる、、、
A でも、、、、、誰か、、、答えを持っていないの、、、、
B 答えなんてあるはずない、、、会議が無限に続くだけって言うんでしょ、、、
(5秒くらい の間)
A 永遠に続く地獄、、、、、、、、
(突然、Cがあらわれ、A・Bの近くまで行く)
C まだ、見つづけているのですか?
A 誰なの?
C 呼ばれるのを、ずっと待っていたんです、、それで、やっとさっき、、、
B 誰に呼ばれたの?
C 驚きました、、まだ、これを、見つづけているとは、、ほんとに
(5秒くらい の間)
A 何をしようというの?
C 見届けにきたんです、、
B いったい、、何を?、、、
C これまで、できなかったことが、、、
A どういうこと?、、、
B 同じことが繰り返されるのに?、、、、、
C セイドにとらわれている、、、、、ウチュウはゲンシからなるイチゲン的セカイ、、ところどころミツなところに、、ウ、ツ、ワ、あるキセキ、、、、、、
C (肩にかけていた手提げ袋を机の上におろし、手のひらをかざしながら、呪文をとなえるように)タールピッツ、タールピッツ、タールピッツ、ラ・ブレア、、、、、もう肉食はしません、もう肉食はしませんと、首にジュズをかけたネコがいう、、、、、タールピッツ、タールピッツ、タールピッツ、ラ・ブレア
(C、どこかに姿を消す)
(5秒くらいの間)
B タールピッツ、、、って何?、、
(10秒くらいの間)
A タール、、タール、、タール、、いったい、セキユ、って、カセキ、なの?
(5秒くらいの間)
B プ、ロ、パ、、、ガンダ?、、、、、あっ、、、カ、カ、ク、、、ソウサ、、、、、
(10秒くらいの間)
A わか、れ、、、よ、、、
B えっ、何?
[Aは、以下終演までのセリフや動きが頭に入ったら、スマホをポケットに] (Aは、机の上の黒い手提げ袋から、銃を取り出し、前方へ向けながら)
A うつ、わ、、、でかいの(外へ行こうとする)
B (立ち上がり、Aに向かって) 待って
(A、振り返り、Bと向かい合う。そのまま10秒ぐらいの間)
終演
【ご参考】
1. 石油は化石燃料とされていて、数億年前の有機物(植物や動物の残骸)が地層に閉じ込められ、圧力と熱によって分解され、炭化水素に変化したものと認められています。この見解は「有機成因説」として知られ、化石燃料の定義に基づいて石油、天然ガス、石炭が含まれます。ただし、石油の起源については「無機成因説」もあり、これは石油が地球の内部の化学反応で生成されたものであり、有機物の残骸に由来しないというものです。有機成因説の方が、石油の希少価値を高める効果を有しており、前世紀の議論の方向性については、意図的に形成されたものではないかという疑念の声もあります。
2. ラ・ブレア・タールピッツ (La Brea Tar Pits) は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルス市内に所在する天然アスファルト(石油由来タール)の池で、そこに落ち込むことにより堆積した、主に氷河期(約5万年前~1万年前)に属する動植物の化石が発掘されています。
3.「もう肉食はしませんと、首に数珠をかけたネコが言う」は、モンゴルの古くからの言い伝えで、決して達成されることのない誓いのことを言うようです。
『アニエスとラシィナ』 作:カキヤフミオ
ここでくらす,ひとびとの,朝は早い.
リビアヤマネコが,草むらでのびをしている.
さっきまで光っていた,ヤマネコの目の輝き.
アニエスは,起きて家事を終えたら,イチバへ向かう.
黒いサングラスをかけ,白いつえをついている.
イチバは,早くからにぎわっている.そのまわりには,なあんにもない.
遠くまでずっと,サヴァンナの平原.そのまたまわりを砂漠がとりかこむ.
太陽をさえぎるために,店同士の屋根にわたされた,色とりどりの布.
砂塵よけのためのスカーフを,頭に巻くひとびと.
アニエスは,耳をそばだてて,ラシィナをさがしている.
ラシィナは,イチバのにぎわいの中を,すいすいと,踊っている.
ひとの波をくぐり抜け,上下左右に,手足をあげたりまわしたり.
みんな,びっくりしたり,楽しんでいたりする.
ときには,牛飼いについていく群れと,ラシィナは一緒に踊ったりもする.
ラシィナに話しかけているみんなの声が,たえず聞こえてくる.
ラシィナは,耳が聞こえていない.みんな,そのことをわかっている.
ラシィナの反応に,みんなの歓声があがる.まるでおしゃべりしているよう.
アニエスは,ラシィナにはラシィナ自身の想像した音が聞こえていると思う.
ラシィナにしか聞こえない音を創造し,ラシィナ自身の音楽を奏でている.
アニエスにとって,ラシィナは,イチバの風景を聞かせてくれる聴覚表現者だ.
アニエスは,小枝で木箱をたたいてリズムをとってみたりする.
そんなとき,ラシィナは,アニエスの手をとり,一緒に踊ろうとする.
アニエスは,白いつえを,丁寧に横たえて,立ち上がる.
つえがなくても,ラシィナに手をひかれながら,アニエスは,踊りはじめる.
そのうちアニエスは,ラシィナの手をかりずに,ひとりで踊ってみたくなる.
ラシィナは,ひとりで踊るアニエスが,自分にはまねできない視覚表現者だと思う.
平原のむこうに夕日が沈むころ,ラシィナは,空に星を見つける.
ラシィナは,アニエスとからませあった手指で,こいぬ座のことを語る.
アニエスは,かつて見たプロキオンのあざやかなかがやきを思い出す.
リビアヤマネコが鳴けば,アニエスはそちらを指さし、ラシィナに教える.
ラシィナは,アニエスの指先をとり,ヤマネコの光る目の動きをなぞる.
ふたりは心の中で踊り,おしゃべりは続いていく.
ふたりをさえぎるものは,ここには,ない.
◼️カキヤフミオ
演劇制作・スペース運営。2019年より山下澄人さんのLAB、Aokidさんの『Street River』に参加、渋谷警察前で踊る。たくみちゃんと武本拓也さんの『杖をつくる』、佐々木敦さんが主任講師の『ことばの学校』で作品創作。2022年、生西康典さんの『集まって話す』に参加。一昨年、美学校『演劇 似て非なるもの』修了公演にて俳優デビュー。
初めての美学校
古川眞理
受講を決心してからは、怖気付いたり、尻込みしないよう、講座開始の日までは美学校の情報から遠ざかっていた。
講座の始まり 5月から9月
講座に集まったひとりひとりの話を聞く。
気が遠くなりそうな長い時間…。
この時間は、いわば実作演劇講座の準備運動というものだったかも。
12時から6時すぎまで。
用意していったことはほとんど話さず、なるべく場違いにならないよう、気をつけながら(私なりに)座っていた。
場違いなのは、いつでもどこでもそうなのだが、
どうやら場違いの感覚を持っているのは、私だけではないようだった。
美学校と生西さんに対する、みなさんの信頼と敬意を感じた。
6月 二回目
砧公園でのワークショップの一週間後に書いた感想。
《あの日、公園の木の下でのワークショップが胸に残っています。
ビアニカの縦に伸びる音が響いたとたん、意識がすーっと木のてっぺんに飛び、瞑想的な気持ちになりました。
鈴木健太さんの「地面、星の背中」を朗読。公園の木陰のひんやりした空気や、音の広がりを思い出します。》
7月 三回目
課題は「10分ほどで読める、できれば戯曲を用意してくること」。
戯曲は書いたことも、読んだこともほとんどない。
これまで自分が書いた文章の中から、なんとか使えそうなものを探すことにした。
ひとつは「一枚の写真」。※
娘が小学四年生で転校した私立小学校の卒業旅行のときの写真から、学級新聞に載せた文章である。
もうひとつは「ミヤと海」。
厄年のときに書き、むりやり完成させてしまって、どこか変になってしまった作品だ。
今回の講座で完成させるヒントが得られないか、と思っている。
とりあえず10分ほどの長さになるよう切り取り、コピペしてつなぎ合わせたものを持っていった。
当日、生西さんに
「会話がほとんどないんですが」
とお見せすると、
「いいですよ」
と言ってくださり、その場で印刷することになった。
集まったみなさんが順番に読んでくださる。
自分の書いた文章が、ひとりひとりの声になる。
もったいないような体験に、思わず涙が出た。
講座の中で話題に出たサルトルの『出口なし』を図書館にリクエストした。
サルトルは『嘔吐』をしばらく本棚に持っていた記憶がある。
が、読んだ記憶がない。
だから『出口なし』も読めないかもしれないと思っていたのだが、これが面白い。
「ああ、これが戯曲というものなのか」と思った。
あらかじめYouTube で芝居を観ていたことも助けになり、初めて戯曲を面白いと感じた。
『出口なし』の原題「Huis Clos」を調べてみる。
一般には密室審査のような意味を持つ言葉らしい。
観客を入れない芝居を指すこともあり、コロナの時期には隔離の意味でも使われたという。
いまでもバカロレアの試験に出るそうで、試験対策の記事まで見つかった。
高校三年生にこのような戯曲を読ませるフランスという国。
ドストエフスキーの話しができるのもうれしい。
渡邉さんからカラマーゾフの話しが出たので、ひさしぶりに全集を取り出して読んでみた。
ドストエフスキーのなかに登場する少年と犬がとても好きだ。
え? こんな小さな字を読んでいたの?
しかも紙が劣化して、字がうすくなっていて、老眼を酷使しても思うように字が追えない。
コーリャ・クラソートキンと犬の箇所を探そうと思って、
もしや? とネットを検索するとばっちり出てくる。
コーリャと愛犬ペレズヴォン、そして昔は気にしてなかったコーリャの母。
9月7日 見学にいらした首藤さんに、朗読をお願いしてみる。
聞き入れていただける。
「ミヤと海」の朗読者が決まった!
講座の後半から現在3月まで
毎回、全員で読み合わせをして作品を発表する。
推敲を重ねるたびに、面白くなるひとの作品に感動する。
ものを創るエネルギーとピュアな才能がすごい。
そのなかに座って居られることがとてもうれしい。
ここまでは、講座一回一回に進展というか、変化というか、実感できていたが、
後半に入って、自分が自分のやりたいものから、離れていくような、
やればやるほど遠ざかっていくような…そんな気分に陥ることが出てきた。
2月の講座で、ミヤを自分で読んでみようか、という気持ちになった。
ひとたびその気になると、なかなか後に引けず、《これじゃあないよなー》という違和感に足を取られる。
しかし、自分がミヤになってみると、ミヤがこれまでと別の生きた存在になってぼんやりと浮かんでくる。
付き合いのあった女性たち、だれかかれか。
彼女たちが懐かしくなって困った。
すぐれた演出とすぐれた音楽に助けられながら、今は終了展に向かっています。
※「一枚の写真」…沖縄学習旅行より、2003年 秋
五泊六日の沖縄学習旅行へ行った6年1組の子どもたちの撮った写真が一枚ずつ廊下に貼り出されています。多くの子が海の写真を選びました。自分の足元の砂浜からまっすぐに続く海を撮った写真、人物を背景にした海、子どもたちみんなの遊ぶ海、だれもいない海、空の面積のほうが海より広い写真、岩のある海、木々の間から見える海、一匹の魚を中心に撮った海中の写真、色とりどりの魚を撮った写真、魚の大群を遠くから写した写真、家の守神シーサーの写真、さとうきび畑の写真もありました。
写真の下には選んだ理由が書かれてあります。
赤木の写真
生き残った。すごい戦争の悲しさがわかった。
壕の中の写真
暗い壕の中で、看護したりいろんなことをした。大変だ、と思った。
座間味の海の写真
集団自決があったなんて信じられない。
嘉数高台から見た景色
戦争のとき、この海が真っ黒になった。この景色からはそのことはぜんぜんわからない。
安保のみえる丘
小さく写っているのは米軍の飛行機、午後の練習に向かうところです。
F-15戦闘機
嘉手納基地はうるさくてびっくりした。
園田の踊り
踊りも音もすごく大きかった。子どもの数だけの写真を見終わると、感慨に打たれます。
「ヒロシマ・モナムール」(マルグリット・デュラス原作アラン・レネ監督)という映画のなかで、原爆の直撃を受けた広島の焦土と、ナチ占領下にドイツ人兵士と関係を持った女性の丸刈りにされた頭皮を対比して映し出しています。原子爆弾で焼かれた土の上に、恐るべき速さで虫や植物が再びうごめき始めるドキュメント映像と、リンチで丸坊主にされた頭皮に髪が生え始め、女性たちが、ふたたび日常を生きる現実を描いています。
戦争の暴力とはなんなのでしょう。
戦争の被害者とはだれなのでしょう。
子どもたちの写真のなかの、静けさがしみてきて、
戦争の悲惨さと、美しい海、今日も訓練に向かう米軍機、
悲惨な戦争と信じがたい暴力のあとも、
れんめんと続く穏やかな海と、生きつづけていく生命を感じて胸が熱くなるのです。
◼️古川眞理 ふるかわまり
世田谷パブリックシアターにてロイヤルナショナルシアターのワークショップを受け、深く感銘を受ける(1999)。
一昨年、20年ぶりに世田谷パブリックシアターの「地域の物語」に参加し、同参加者が出演した舞台で初めて美学校に足を踏み入れた。
避難口誘導灯
山口ヤスヨ
その昔、下北沢は本多劇場の柿落とし公演を見に行った時だったと思う。客席の上手下手の入り口のところに黒ずくめの人が一人ずついて、黒い棒の先に黒い箱状のものがついた道具を構えているのに気がついた。彼らは芝居が始まるその時に、入り口の上についている避難口誘導灯(光る白いボックスに緑色のピクトさんが走り出そうとしている、と記憶しているが、なにしろ四〇年くらい前の話だ。図柄は違うかもしれない)の光が演出の妨げにならないように、黒い棒の先の箱で避難口誘導灯を覆うという重大な任務を遂行していたのだ。
それがわかった時「あの人は劇団の人だろうか? 劇場の人だろうか? あれは毎日芝居が見られるのか、もしあれが仕事なら私にもできないだろうか? 立ちっぱなしでも毎日芝居が見られるならやってみたい、あとで話を聞けないものか」などと考えていたけれど、芝居が始まりしばらくすると、黒ずくめは姿を消し、芝居がはねる頃には私もすっかり黒ずくめのことなど忘れていた。また次の演目を観に行った時に思い出すのだが、結局私は黒ずくめの仕事志願について、誰にも話すことはなかった。
今では、開演前のお決まりの場内アナウンスが「演出の都合により誘導灯を消灯する」旨を伝えることでその役割は消滅した(他にもいくつか決まりはあるようだ)が、今でも場内アナウンスを聞くと、避難口誘導灯を覆っていた人がいたこと、それに憧れていた若い自分を思い出す。
私は高校で何を思ったか演劇部に入った。部室に転がっていた「ぴあ」を見て、高校を卒業した春に紀伊國屋ホールで「熱海殺人事件」を観て、その後は順調に芝居を観続けた。やがて、恋愛・結婚・出産・子育て、と芝居から遠ざかり(まったく芝居と恋愛の相性の悪さったら!)、自由になる時間が出来たあたりからまた芝居に通うようになった。「若い頃は時間はあるがお金がない。お金が出来ると今度は時間がない。時間もお金も出来た頃にはもう気力がない」とは、観劇仲間の先輩の言。気力がなくなる前になんとか芝居通いに戻れた私はラッキーだったなと思う。まさかやる方に回るとは、ちょっと想定外ではあったけれども。
この講座を受講し始めて何回目かの時に、短めの脚本を書いてみることになった。ハイバイの「ワレワレのモロモロ」のファンでもあった私は、迷わず家族のことを書いた。さらさらっと書いたものの、受講生仲間に役を演じてもらうようになって、だんだん本当の芝居っぽくなって行くにつれ、
「あれ? この時、娘は、息子は、本当にこう思っていたのか?」と疑問が浮かんだ。
「あれもこれも私の側からはこう見えたけど、もしかして違っていた?」と恐ろしいことに気がついてしまった。
ああ、これがやっぱり私が引き受けるべき演劇のチカラなんだろうなぁ。
避難口誘導灯は常に隠されている。誰が黒ずくめの役を担っているのかもわからない。覆いを外して誘導灯が見えたところでどこへ避難すればいいのか。
だが、私は今「間に合った。ギリ間に合った。間に合ってよかった」と間違いなく思っている。
◼️山口ヤスヨ やまぐちやすよ
二〇二六年二月定年退職。「仕事なくなったら絶対ヘンになるから、退職後も続く何かを早めに始めておいた方がいい」と先輩の愛ある助言を受け昨年五月から美学校の『似て非…』に通っている。三月現在、喪失感など感じる間もない日々ではあるが、終了公演後は果たして…?
猫舌の置き去り
伊藤満彦
「あんたは、たたーっと行っちゃうから付いて行くのが大変だった」
先日、親と話していると子供の頃の僕の思い出話しになり、この手の話しになると必ず聞く事になる、たたーという擬音をまた耳にした。動物園に行って大変だったという話しはよく聞かされていたが、テーマパークや博物館でもそうだったらしい。猫舌だから分からないが、熱々のたこ焼きを次々に口に入れる人はこんな感じなのかも知れない。温度が、鮮度が大切、がっと行く。本人の中での賞味期限が短いと言うことだろうか。猫舌の自分には分からない感覚だ。つまり幼い頃の動物園での僕は丁度そんな感じで、最初に飼育されているカンガルーまで走り柵に体重を掛け、カンガルーを凝視すると次の瞬間には走り出していた事を覚えている。早く次が見たかったから。体一杯に動物達を感じたかったから。だから僕は、たたーっと行ってしまったのだろう。熱々のたこ焼きを頬張る人のように。そうして、様々な場所で親達は僕に置き去りにされたのだろう。軽く目を閉じて想像をしてみる。はしこいただでさえ小さな存在があっという間に消え、更には人混みに紛れて行く。親戚の子供とよく遊ぶ今なら想像は容易い。振り返る事もなく、様々な場面で僕は親を置き去りにして来たのだろう。ある意味で身軽になる行為な気もする。
置き去りにする。置いて行かれる方は身軽とは逆に圧が掛かるだろう。
気付かずに自分が置き去りにされている事もあるかも知れない。より大切な何かを選び。付いて行けなくなり。視界に入らなくなり。置いて行かれないように、必死だった場合、そこに喪失感に似た何かは生じるのかも知れない。「置いて行かれた」では無く「置き去りにされた」ような感覚。
「新しい事実を知る事で過去が改変された感覚を持つ事ってありますよね」作品を作るにあたってオンラインミーティングをしていた際、講師の生西さんが言っていた。今回自分が作る切っ掛けとなった出来事の中に自分の何かが部分的に変色した様な、空間がほんの軽くひび割れた様な、一本何かを抜かれた様な感覚があったが、自分の内部で部分的にドミノの様なものが倒れたのかも知れない。倒れた事で変色、またはひび割れ、またはすーっと糸を一本掠め取られるような……それは自分にとって大切なものだったのかも知れないと、今こうして文章に書いていると思う。
しかし、その改変が行く行くはペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスの作品の様に、よく分からないけど面白い事になったりするかも知れない。分からないけど。現在は若干どんよりとしている気がする。不明瞭。
置き去りにされたと感じた事は、よく「あんたは橋の下で拾った」と言われていた事に由来するかも知れない。信じ易い僕はそれが心のどこかに残っている事を感じる。とても薄っすらだが。家の目と鼻の先に川と橋があった事が、イメージに輪郭を持たせたであろう事は想像に難く無い。
親に言われた、何かは色々と自分に残っている。何気なく向こうが言った事だと記憶しているし理解している。「あんたは行動が遅いからね」「考えてる振りをしているだろ。考えてないくせに」「字を小さく書くなぁ」信じ易い性格だったからか、それらの言葉に沿うように発現する様々を感じる。ゆったりした自分を、好ましく無い自分の字を、思考が止まった時も考ようとして考えられてない自分をよく感じ、それを卑下してしまう。
親たるもの気を使い言葉を選べ。と言うのではなく、ただ親の言葉とは幼少期の子供には鳥の刷り込みのように純粋な影響力を持っているのかも知れないなと思う。例えば、「あんたは橋の下で拾った」と何度も耳にした僕は、幼稚園に入園する前後に自分が捨てられていた事に関する詩を口にしたり書いたりしている。そんなものを真に受けるのは一例だと思うのであくまでそんな事もあると言う話。
・「橋の下で拾った子」という表現は、かつて日本にあった「拾い親」という風習が由来です。厄年などに生まれた子を一度わざと橋のたもとなどに捨て、別の人が拾うことで、災いを避けて健康に育つよう願ったまじないでした。この名残で、「親が産んだのではない」という比喩として使われてきました。
アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)に関連したものにラベリング効果というものがあるが、卑下した自分はそれにあたるのだろう。対処の一つとしては、リフレーミングというものがあると聞いた。恐らく僕の作品の制作は、リフレーミングや認知行動療法に近いセルフケアとしての側面もあるのかと思う。制作上演をする過程で、対象の新しい側面を知り、自分とそれらの距離や捉え方にほんの少しの変化が生じると感じている。その変化が行く行くどのようになって行くのかは分からないが、動けず静止していたものに些細だとしても何らかの動きがあるのは大きなことのように思う。色々な角度から突つく事で停止していた記憶や思考が立体感を持って行くとでもいうか……それが、自分も対象に抱いていたであろう、無意識の思い込みを変化させたりもしている気がする。「新しい事実を知る事で過去が改変された感覚を持つ事ってありますよね」良きにつけ悪しきにつけ。自分にとって良い改変と感じられるか悪い改変と感じられる事になるかどちらかは分からないが。生西さんのあの言葉。
折角なので、置き去り、という事について考えてみる。社会から、地域から置き去りにされる。災害の中やむなく置き去りにしてしまった。ここは俺に任せて先に行け。など現実から、戦争映画やファンタジーまでぼんやりとながら置き去りにしてしまったようなイメージはパッと浮かぶ。楢山節考なども置き去りだろうか。コインロッカーベイビーも置き去りだろうか。僕の家の前にはよく猫が捨てられていた。20万円を添えて「よろしくお願いします」などと言う事もあった。止むに止まれぬ事情もあったのかも知れない。その子には母により20万という名前が授けられた。20万は結構長生きをした。戦争なんかも置き去りなんだろうか。生西さんが自転車に関する急な法改正の話をしていたがそれも置き去りだろうか。そう想像を巡らせたとして、あまり大きな風呂敷を広げるのは良くない。僕に確実に言えるのは、置き去りにされた感覚を抱いたことと、20万の存在した事実くらいなのかも知れない。相手の事情の正確なことは分からないが、何か事情らしきものがあったのだろう。譲れなくなってしまった何かがあったのかも知れないという想像をする事くらいしか出来ない。だから、なんだとも言えない。私はあなたがどこかに行ってしまうかも知れないとずっと不安だった。それだけはあり。それは事実ではない妄想のようなもの……掴み所のないズブズブとしたもの。なんだろうか。
「演劇、似て非なるもの」に参加して3ヶ月目だったろうか。ある月の課題により、僕は「この世の終わりの遊園地」という戯曲を書き始めた。初めて書く戯曲だった。2人芝居で、書いたり消したり納得が行くまで数ヶ月調整を続けた。気に入り始めた頃、この作品を修了展に向け作って行くか?と考えた時、違うような気がした。何となく。そこで自分がやらなきゃいけないと思った事はダンスだった。コロナ以前散々踊って来たダンスと向かい合わずにいたら、5年?6年も経っていた。自分の作る作品と自分に馴染んだダンスが合わない気がしていたもどかしさが、自分を美学校という場所に向かわせた一つの要因だと感じていた。恐らく、3月14日現在、ここから自分と向かい合う、それこそ置き去りにして来たダンスと向かい合い、改めてダンスというものに出会うような作業を4月5日までにしなければいけないのだと思う。それがダンスと言えるものに結果なるのかは分からない。自分の憧れたダンスとは程遠い何かなのかの知れないし、その逆かも知れない。何にしても憧れというものが往々にして自分の足枷になりがちだと感じているので、大切な時間になるのではないかと思う。この修了展はかつて自分が置き去りにした対話劇にようやく出会える機会ともなった。高校の頃何かを見失った自分は何と言うだろうか。同期に置いて行かれない様に必死なこの数ヶ月。
「置き去り」も、色々ぶれながら例っぽいものを挙げたりしたかも知れないが、何にしても置き去りにされないように頑張るのではなく、置き去りにしないようにしたいななどと思う。何がとは言わないが。置き去りにされたという感覚は……味で言うなら美味しいものでは無かった気がするから……しかしながら、そんな僕は置き去りを望む時がある。友人と食事に行く時だ。猫舌の自分は食べるのが遅く、早々に置いて行ってねと申告するようにしている。
◼️伊藤満彦 いとうみつひこ
不安の転換や、繋がり難くなった存在への接近や視点の変化の試み、失われる場所への角度を変えた再接続を目指した作品の制作をしている。
レクチャーパフォーマンスやフェイクドキュメンタリーに影響を受け自分の記憶を素材とし語りや、映像、ダンス、書、音楽などが交錯する作品の制作に取り組んでいる。パフォーマンスプロジェクトengram主宰。
行方のない向こうみずな親密さ
藤澤奈穂
親密さとは実は関係性の中にあるのではなくて、たったひとりの時間の中にあるものだと思います。
ふと思い出したり、大切なことを教えたくなったりすることだと思います。あなたを知ることはあなたの全てを知ることではなくて、あなたの気づいていないよそ見や足取りを私は知っている、ということでもあると思います。
今回の作品は、その行方のない親密さに形をつけたくなって作りました。
去年の冬に、大学を1年間休学する事を決めました。
ぽっかりと時間が空いてしまった焦りもあり、以前から気になっていたこの講座の見学に行くことにしました。授業を見学していく中で、この講座では演劇のことというよりも、「人の話を聞く」「自分の言葉で話す」とはどのようなことなのか学べるのだろうと直感的に思い、受講を決めました。今の私に最も必要なことだと感じたからです。技術が必要であったというよりかは、喉が渇いた時に水が必要というのと同じように必要でした。
実際に講座が始まって、集まった10人は本当に多種多様な人たちでした。しばらく他人の言葉を聞くことに夢中になりました。子どもが初めて雨が降ることや海があることを知るようなことばかりでした。正直なんだかそれだけで満足してしまって、なかなか自分の作品を作れずにいました。
その時、「ミヤと海」の稽古で魔法のような瞬間を見ました。古川さんがミヤ自身を演じると決めてから、初めて見た稽古でした。そこで、ここで言葉にするのは難しいけれど、自分の身体を伴ったテキストはこんなにも世界を一変させてしてしまうのだなと思いました。私はようやく自分のやることについて考え始めました。
作品中に登場するのは、私が3年前喫茶店で働いていた時に拾った誰かの書いたメモです。しかしこの文章が他人のものだとは思えず、私とメモを書いた彼女の迎える運命について独りよがりな想像をしました。そして彼女の書いたメモ(それは台本のようなものでした)を上演します。
きっとこの講座で出会った方たちとの時間も静かに影響していると思います。なので、みなさんに揃って作品を発表できることがとても幸せです。ありがとうございます。
最後に今回の作品を作るにあたって読み返していた詩の一節を紹介します。
I shut my eyes and all the world drops dead;
I lift my lids and all is born again.
(I think I made you up inside my head.)
“私が目を閉じると世界は息絶える。
私が目を開けると世界はもう一度生まれ直す。
(きっと私は頭の中であなたを作り上げたのでしょう)”
Mad Girl’s Love Song – Sylvia Plath
◼️藤澤奈穂 ふじさわなお
2003年生まれ。千葉県に生まれ東京都で育つ。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科在籍中。
半歩
堀内美夕紀
子供の頃から詩を書いていて、大学を卒業した後からは小説も書いています。
わたしがこのクラスに来た理由は、身体を使って何かしたかったというのと「ひとり」でやることに閉塞感を感じていたので誰かと何かをしたかったというのが一番の理由でした。
「戯曲を書いてきてください」と言われたとき、わたしは始め「出られない」という作品を提出しました
「出られない」こと、あると思います。
家の中から。自分の世界の中から。ルールやルーティンの中から。お腹の中から。輪廻の輪からこの世界へ。
それらは確かに「出られなくて」。長い時間そうだと、それが「出られない」ことだと気付かれないこともあります。
ずっとそうだから、目に見えないから。
気付かれない。
出たいのに出られなかったらそれはとても悲しいことだと思います。
でも、出られていない状況だとさえ誰も知らない。のぞみを声高らかに口にする人は少ないと思います。
個人的には、できなくてもいいと思います。
けれど、したい、と思うのにできないのは苦しいだろうなぁとわかります。
わたしは長い時間その人(この時は、人でした)のことを考えていて、ふとした時、その悲しみと苦しさとままならなさに涙が溢れて止まらなくなったりしました。
呼吸が落ち着くと、わたし自身が混乱してしまって癒着してしまったみたいなわたしとその人を剥がす作業から始める必要がありました。
わたしは最初、「気付かない人たち」に怒っているのだと思っていたのですが、そうではなくてわたしの関心はずっと「気付かれない」ことそのものでした。
「出られない」は悲しくて苦しくて書くことができませんでした。
クラスでそのことを話せたら良かったのですが、わたしのクラスのスタートは劣等感でいっぱいでした。
誰かと関わりたい。
作品が、自分の言葉が、伝わるところが見たい。そう思っていたけれど、「関わり方」はわかっていなかったし、「表現したいこと」も持っていなかったように思います。
ショックでした。でもそれを知った瞬間だったと今は思います。
でもまだ何かしたくて、それで、わたしは小説を書いてクラスに提出しました。その時もまだ誰かと何かしたい、とか関わりたい、とかを言っていて、その時に「誰かに読んでもらうことは関わることではないですか」ということを言われました。
その言葉を今も考えています。
考えているけど、わかっていません。
感覚がちゃんと先にあるのにそれではわからないから理解しようとして捻じ曲がります。
そして、もうひとつ大きな発見がありました。
フランス語にsignifierとsignifiant という言葉があります。意味するとか示すという動詞signifier の活用違いです。
signifierは言葉の外側、容れ物。みたいな感じで
signifiantが言葉の意味、中身。みたいな感じです。
本来のフランス語signifier は動詞なので使われる文脈によって活用しニュアンスが変わりますので日本語に相当する、容れ物、中身、みたいな言葉ではないですが、言語学用語としてこの二つは使われています。わたしはこの言葉を大学生の時に知りました。
水や花に「綺麗」だよ、「好きだよ」と声をかけたら水は正六角形の結晶をつくり花の開花は早くなる。逆に「不細工」「嫌い」などと声をかけると歪な六角形の結晶になり、花はなかなか咲かないと言った有名な実験の話です。
学生のわたしは、じゃあ嫌いって気持ちで好きって言ったらどうなるんだろう~とか漠然と思っていました。
それがちょうど大学生の頃なので、ここら辺からわたしは他者が見るわたしと、わたしがわたしに見るわたしにズレを感じ始めました。それでずっと、なんで、とかわかって、みたいな気持ちを持っていたと思います。そしてそのズレの原因を作るのが自分の振る舞いのせいなのですが既にその時にはズレの修正はできず悪循環になっていたと思います。感覚的に、ここから脱したかったのだと思います。
わたしのクラスでのあり方は、やはりずっと劣等感とかの意識が続くのですが、ここではそのズレを感じない瞬間の方が多かったのです。わたしにとってそれはとても大きな発見でした。
クラスの中で、伝わる伝わらないの話になって、わたしはまたふと過去のことを思い出しました。人には「部屋」があって(胸の奥や頭の奥などをイメージしてそこから入ってずっと奥深くまで行くとある部屋)その部屋で、同じく自分の部屋に入った誰かがいて、そこで会えばいいんじゃないかなぁと思っていたことです。わたしがわたしの部屋に入れば入るほど、会えるのです。この身体を使って日常生活の中で会えなくても別にいいんじゃないかなぁそんな世界だったらいいなぁと素直に思っていた時のことを思い出しました。
中と外のズレがないなら、これももしかしたらできるのかも知れない、と思いました。
そもそも好きって思いながら「嫌い」は言えないんじゃないかな、とも思いました。
中と外はズレていない。
年が明けて、生西さんから公演で小説を読むことと冊子として販売(配布)することを提案されました。やってみようと思いました。
「出られない」は戯曲にも小説にもできなかったけれど、わたしが普段書いていた男の子ふたりの話があって、そのふたりの話を書きました。できることが全然なかったからです。どこをどう探しても見つからない。癒着は剥がすと血が出てくる。
でもたくさんある作品の中で彼らの話を書きたかったのは、わたしの中にある「気付かれないこと」への関心がやっぱりずっと残っていたからです。
書くことまではできます。
今回、クラス、公演を通じて、「気付かれないこと」を自分以外の人に見てもらう機会があって、だからわたしは彼らを見てほしいと思いました。
そこまでの道を作ろうと思い始めたのが一月の終わりくらいだったと思います。
まず、小説を声に出して読む。わたしの頭の中で生きているふたりを文字ではなく外に出す必要があります。人前に出たこともないし。技術もない。最後2回の授業で聴いてもらって話を聞きました。
生西さんに、時間も限られているので、なるべくそれぞれが、いろいろなことを考えたり、試したりすることが必要かと、というメールをもらって、試すを繰り返しています。
それと同時に冊子制作も進めなければなりません。当初冊子本を作って、今回の小説以外もうひとつ書いた作品と過去の作品、3作を入れて一冊の本を作ろうと思っていました。
けれど、ふと、この一作だけにして蛇腹本にして届けられないかな、と思いました。
それで蛇腹本の制作が始まりました。
けれど、本の制作もまた初めてで。どれだけ外に出すことをしてこなかったかとまた落ち込み、そんなことを言ってる場合ではない、と目の前のやるべきことをやり、という日々を送っています。
わたしひとりでは到底できそうにないと判断し、クラスメイトである山口さんにお声がけさせていただきデザイナーとして制作に入ってもらうことになりました。
他者と何かやることも初めてです。
進め方、判断、これもまた未熟さを痛烈に突きつけられます。
でも、きちんと届けられる蛇腹本を作ることが山口さんに対して一番失礼にならないことなんじゃないかと思ってなんとかやってます。
まだ終わってないので今必死です。
公演の日には山口さんと笑っていたいです。
蛇腹本、形になるの、楽しみです。
そんなふうにしてできたのが、今回の作品です。小説を声に出して読むので、ふたりのことを見てくれるとうれしいです。
蛇腹本にして形にしたので、広げたり縮めたりして手に取ってくれるとうれしいです。
最後に、
先週、稽古や仕事、蛇腹本制作に家のこと、いろんなことが詰め込まれ過ぎていたので、植物園に行って散歩しました。
閉園の少し前、夕陽が後ろからさして影が長く伸びて、わたしはその影を見ていました。
コートの先から出たわたしの指先が実際にはあり得ないほど長く伸びています。少し指先を動かしてみると影は揺れてまたその隣の指も動かすと影は重なりひとつの生き物みたいになりました。
ゆらゆらしていて、その後は蟹みたいな具体的な動きになったり、また風が強く吹いて周りで揺れている木々と同じ動きをしたりしました。風が強かったです。
わたしはしばらくそうして過ごしました。
「表現したいこと」ありました。
まだ、全然わかりません。
◼️堀内美夕紀 ほりうちみゆき
詩や小説を書いています。
「演劇 似て非なるもの」第13期 修了公演で小説を読みます。
美学校 実作講座「演劇 似て非なるもの」第13期生 修了公演
「わたしのために そして すべてのために」
日程 2026年4月5日(日)
前篇 開場12:00 開演12:30 (終演予定16:00)
後篇 開場17:00 開演17:30 (終演予定20:40)
料金 (冊子付き、先着100部)
前篇か後篇:予約1,500円 当日2,000円(いずれも当日現金精算)
前篇と後篇:予約2,000円 当日2,500円(いずれも当日現金精算)
会 場|美学校 本校(東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F)
ご予約|予約フォームこちらから
問い合わせ|nitehi13@gmail.com
▷授業日:月1回日曜日 12:00〜17:00
始まりは何かをつくってみたいという静かな衝動です。でも、それが何なのか、何をどうしたら良いのか分からない。それを見つけるためには遠回りに思えても、手ぶらで集まって話すということから始めたいと思います。
