文・写真=皆藤将
10月24日に「超・日本画ゼミ」の公開講座が開催されました。ゲスト講師は、昨年も膠についてのレクチャーを行ってくれた後藤聖秀さん。今年は戦後70年の節目の年ということで、 「絵具と戦争:絵画材料としての和膠について」(→告知ページ)と題して、戦時中の絵画と日本画材、主に和膠についての講義を行っていただきました。
戦時中の絵画について
まず膠の話しの前に、今回のテーマの一つである戦争画について振り返っていきます。受講生には事前に課題が出されており、受講生のプレゼンを挟みつつ、後藤さんのレクチャーが進んできました。
資料が多かったので、以下、写真を中心に見ていきたいと思います。
▼いわゆる戦争画とはどのようなものなのか、日本の歴史を振り返りつつ、時代区分から入っていきます。
▼後藤さんや受講生がプリントアウトしてきた戦争画が並びます。
▼後藤さんが持って来てくれた資料の数々。「聖戦美術展」といった戦時中の展覧会のカタログなどの貴重な資料が並びました。
▼戦争画としてまず最初に思い浮かぶ作戦記録画以外にどのような戦争画があったか。聖戦美術展では、作戦記録画以外に風景や銃後といった分類があり、そこから当時の作家はどのような状況で制作していたかなど話しを深めていきます。
▼配給されていた絵具と引換券。
和膠について
休憩を挟んで後半は膠についてのレクチャー。後藤さんが膠の研究をするきっかけは、学生時代に三千本膠の生産者が廃業、生産が終了したことにあるそうで、現在の膠の生産状況のお話からスタート。
近代以前の伝統的な膠はどのようなものであったのか、後藤さんは歴史や文化的な背景を交えながら、膠という素材に対する理解を深めていきたいと考えています。「にかわ」は「煮る皮」が転じた言葉とされるように、鞣(なめ)した革製品の屑皮を煮込んで作る接着剤。室町時代に発展した姫路の革製品は武具・馬具といった、合戦における軍需製品。しかし近代以降の戦争においても革製品は重要で、その副産物で作られる膠は、木製の戦闘機、兵舎や、写真・映写フィルムの接着剤として軍需産業あっての、利用頻度の高い素材だったそうです。そのなかで、日本画材用の伝統的な三千本膠の生産も。
近年の写真は、フィルムからデジタル、木製の接着剤はボンドなどのビニール樹脂の移行に伴い、それまでの膠の使用機会が低下、小規模の手作業中心の生産業者も減少し、三千本膠(和膠)は影響を受けていったとのことです。機械作業で大量生産が可能となった現在の工業的な膠(洋膠)には、製造時間を短縮するため、様々な漂白剤・防腐剤・凝固剤などの化学薬品が添加されているそうです。
当日はご自身で作られた鹿と牛の膠をお持ちいただきました。膠=ゼラチンはご存知の通り食用としても広く流通しています。持って来ていただいたお手製の膠は、化学薬品を使用していないので食べられますよとのことで、希望者で食べてみました。コリコリぷるぷるした食感で、個人的には料理に応用したら食感だけで楽しめるんじゃないかと思いました。鹿は無味だったのですが、牛の方は若干癖が強く合わない方もいたようです。無添加素材であることは、絵画修復の接着剤にも適しているとのこと。
もちろん、現在の画材用の膠は薬品が添加されているため食べることはできませんのであしからず。
写真ではお見せできないのですが、膠の生産過程の映像も見せていただきました。動物の皮をほぼ手作業で鞣(なめ)し、いくつかの工程を経て膠が出来上がっていく貴重な映像でした。
その後は、後藤さんが美学校で実際に作った「鰾膠(にべ)」を使って描いてみよう、といきたかったのですが、時間の関係もありでここで終了。「鰾膠(にべ)」は希望者に配られました。
▼今回の「鰾膠(にべ)」は鯉の浮き袋↓を煮出して作られています。接着力が強いそうです。
最後にささっと駆け足で、他の膠についてのお話も。
下の写真は三千本膠。中心に赤い斑点が見えますが、これは鉄鍋の錆だそうで、手作業で作られている証拠だそうです。小さく見える気泡は、皮をなめす過程で薬品が気泡として残留しているとのこと。
という感じで公開授業終了。後藤さん、短時間ながらもボリュームたっぷりの講義をありがとうございました。最後に超・日本画ゼミ講師の間島さんと小金沢さんとともに写真を。
▷授業日:毎週土曜日18:30〜21:30(毎月第三週は日曜日13:00〜17:00)
本講座では自立した作家として歩み出せるように、制作実践のための可能性を探究し続けます。内容は基礎素材論に始まり、絵画制作に必要な準備の方法を習得するために、古典から現代までの作品研究等をゼミ形式で随時開催します。