[講師体制変更のお知らせ]
講師の後藤秀聖氏は2023年6月をもって退職いたしました。7月から超・日本画ゼミの講師体制は暫定的に間島秀徳氏、小金沢智氏の二名となります。
受講生:小林加世子、香久山雨
取 材:木村奈緒(美学校スタッフ)
写 真:皆藤 将(美学校スタッフ)
収 録:2018年2月17日 美学校にて
美学校「超・日本画ゼミ(実践と探求)」(講師:間島秀徳+小金沢智+後藤秀聖)は、今の時代を自立した作家として生き抜くために、実践の可能性を徹底的に探求する講座です。小規模な塾制度において日々修練が重ねられていた、かつての日本画の習得の場を現代に応用し、基礎素材論、模写、古典から現代までの作家研究などをゼミ形式で開催します。本講座で学んだ受講生にとって「日本画」とは何なのか。なぜ「超・日本画ゼミ」を受講したのか。お話を聞きました。
修了生のお二人
Q1. 美学校を知った経緯を教えてください
知人から教えてもらって知りました。当時は、地元の群馬で事務員として働いていたんですが、元々絵を描くのが好きで、ずっと絵を描きたいと思っていました。ちょうど職場の契約が切れるタイミングで美学校を教えてもらったので、いい機会だし仕事を辞めて上京しました。美学校には何回か見学に来て、事務局のスタッフの方や校長先生とも話をして入校を決めました。
Q2.「超・日本画ゼミ」を受講したのはなぜですか。
「超・日本画ゼミ」を受講する前に「造形基礎Ⅰ」に2年通いました。「造形基礎Ⅰ」では、10メートルのロールペインティング=つづき絵(絵巻物)を描くんですが、その作業を通して描くことと自分とが密接するというか、自分のやりたいことが見えてきました。そこから、この先、一人の作家としてどうやっていくかを考えたときに、「超・日本画ゼミ」の「自立した作家として歩み出せるように……」「今の時代を作家として生き抜くために……」という講座紹介文を読んで、講座に興味を持ったんです。3期生の個展形式の修了展を観て、自分たちで展覧会を企画して展示するというプロセスが講座に組み込まれていると感じたので、ここで自分も学びたいと思って受講しました。
Q3. 授業について教えてください。
岩絵の具を溶いたり膠と混ぜてみたり、日本画材を取っかかりにして実際に墨で昔の山水画を臨写してみたりしますが、ひとつひとつ丁寧にやると3時間では時間が全然足りないので、追求したいことがあれば、自分で講師の人に伝えて講座で取り上げてもらったり、個人的に深めたりしていきます。あとは、作家でも画材でも何でもいいので、受講生が興味のあることを調べて発表する研究発表という授業もあります。私はフリーダ・カーロについて発表しました。その他にも、ワークショップ形式の授業や、月イチの講評会など、内容は本当に色々ですね。
《変態する自己ー境界線の狭間からー》(2015)
紙、墨、木炭 68cm×10m
©Kayoko Kobayashi
Q4. 講師はどんな方々ですか。
間島先生はすごくフラットな方だと思います。こちらがノリで言ったことにも乗ってくれるし、必要なことはちゃんと言ってくれて、話しやすいけど受講生のことをちゃんと見ている人です。小金沢先生は、作品について、こういう見方ができるとか、こういう背景があるとか、作家の間島先生とはまた違った目線でアドバイスをくれます。それは絵に対してだけでなく、作家活動に対しても同様で、こちらから相談すれば作家として活動していくうえでのアドバイスもしてくれます。
Q5. ご自身の表現について教えてください。
私は自分の身体についてずっと考えていて、身体表現と絵画表現を融合した表現を模索しています。モチーフ(不自由な左半身)を描くのは右手なんですけど、もっと直接的に不自由な自分の左手、左半身そのものを描けないか、残せないかと思っていたときに、川口隆夫さんの「TOUCH OF THE OTHER 他者の手」という公演を見て、これは参考にできるかもって思ったんです。寝転がっている川口さんが他の人に移動させられている間に、また別の人が川口さんの身体のアウトラインをチョークで描いていくんですけど、私も右手で自分の全身のアウトラインを木炭で描きつつ、左半身に墨汁をつけて、紙に擦り付けたり引き摺ったりすれば、左半身だけにしか描けないラインが描けるんじゃないかと。それに、外側から描いた右手のラインと左半身が残したラインの間には絶対に間隔ができるじゃないですか。右側で描いたラインがこうありたいと願うイメージで、左側で描いたラインが本来の自分のイメージなんじゃないか、とか。そんな風に、自分の中でのズレや、自分と他人のズレを表現したいと思っています。
《ライブパフォーマンス「Marginal-Man」より抜粋》(2016)
紙、墨、木炭 1360mm×10m
©Kayoko Kobayashi
Q6. ご自身の思う「日本画」についてお聞かせください。
日本には「日本画」っていうジャンルがあるけれども、それをひとつの取っかかりとして「あなたはどういう風にやっていくの?」という捉え方でいいのかなと思っています。講座名に「超」をつけているのも、ジャンルとか色んなものを越えて根源的なところに到達したいからだと思いますし。洋画だから、日本画だから、現代アートだからすごいのではなくて、何か人に響くものやハッとさせられるものを与えられたら、それが本物なんじゃないのかなと。「日本画はこうです。だから自分はこうありたいです」ではなくて、「どういうものを作りたいか。どういうことを表したいのか」が問われていて、その取っかかりとして「日本画」があるだけだと思うんです。
Q7. 受講を検討中の方に一言お願いします。
「超・日本画ゼミ」は「日本画」と言ってるけど、日本画にこだわらず、自分が何をどうしていきたいのかを考えられる場所だと思います。3期生の個展形式の展示から、受講生それぞれの「一人の作家としてこうありたい」という意思が見えたように、「自分はこうやりたいんだけど、でもこの先どうしたらいいんだ」って悩んでいる人が「超・日本画ゼミ」を受けたらしっくりくるんじゃないかなと思います。個人的な意見ですけど、私がそうだったので。
小林 加世子(こばやし・かよこ)
1981年 群馬県生まれ。2013年に美学校入学「造形基礎Ⅰ」を2年修了した後、2015年より「超・日本画ゼミ」を2年受講。生きることは表現すること。不在としてきた半身を手がかりに、自己と他者の境界を見つめ、点在していた輪郭を結びなおす事で自身を変態し(かたちづく)ろうと、現在、大阪に拠点を置く劇団態変のパフォーマーとして活動する傍ら、絵画表現と身体表現とを融合させるべく模索中。【Facebook】https://www.facebook.com/imomushi.kobayashi
Q1. 美学校を知った経緯を教えてください。
私が東京芸術大学の油画科に入学した年にO JUN(※1)さんも芸大に着任されて、何かと接する機会が多かったんですが、O JUNさんとのやり取りの中で美学校の話がよく出てきたんです。それで、なんとなく頭の中に「美学校」がありました。「O JUNさんは美学校で何かやってるらしい」というのが最初の印象ですね。
Q2.「超・日本画ゼミ」を受講したのはなぜですか。
芸大の油画科は、油絵具を使うという前提が残っていたり、現代アートの業界の話題も多かったりするので、日本人である自分は、よその画材を使ってよその文化が築いてきた業界について勉強しているということを4年間でひしひしと感じました。それで、卒業後は絵のことはいったん忘れて起業をしました。顔の歪みを整えるサロンを経営しているんですが、始めてみて、年配の方より若い方の骨格が歪んでいるのに驚いたんです。歪みの原因は生活習慣の西洋化にあると思っていて、ならば、ただ歪みを直すだけじゃなくて、日本の生活文化と身体のつながりを見つめ直したいと思い、自分でも着物を着てみたり日舞を習うようになりました。それから、サロンに飾るために美術作品を買うようになって、ようやく自分でもまた絵を描き始めてもいいかもな、と思えるようになったんです。そして、せっかく日本の文化や生活に興味を持ち始めたんだから、描くなら日本画がいいと。「超・日本画ゼミ」は先生が3人いるのが魅力的で、日本画を描くためだけの講座ではないと感じ、今の自分にはすごく良いかもしれないと思って受講しました。
Q3. 授業について教えてください。
私は九相図(※2)の模写をしたいという希望を最初に伝えていたので、先生に資料を持ってきてもらい模写をしました。でも、墨線をひくだけでもすごく難しく、一年では岩絵の具を使う段階までいきませんでした。とりあえず一通りのことをやってみるというより、ひとつの作業を納得できるまでちゃんとやる感じですね。授業でみんなが集まるときは、展覧会に行って感想を言い合ったり、芥子園画伝(※3)を模写したりしました。小金沢さんの授業では、1時間で自分史のようなものを書く回があって、結構赤裸々なものが出来上がって面白かったです。
《死の対は生ではない、性だ。》 (2011)
pencil on paper 515×364mm
©Ame Kaguyama
Q4. 講師はどんな方々ですか。
作家は頑固な人が多いので、大学では「これはないでしょ」とか言ってくる先生もいたけど、間島さんはそういうことが全然ないので安心して何でも話せました。ちょうどよい距離感で、目の前の現実について、どうすればいいかをいつも一緒に考えてくれます。小金沢さんは学芸員をされているので言葉に対して厳密で、研究発表の時も言葉の間違いを指摘してくださったり、展覧会を作るにあたって、お世話になる方へのお手紙の書き方など、細かいところをひとつひとつ丁寧に見てくださるので、すごく有り難いです。後藤さんは、文化人類学者に近いイメージです。もちろん画材について専門的に研究されていますが、しょっちゅう色んなところに行って色々見てきているし、歴史についても詳しいんです。
Q5. ご自身の表現(の変化)について教えてください。
「超・日本画ゼミ」を受講する前は、ツルツルした紙にボールペンでカリカリ描くのが大好きだったんですが、和紙に筆と墨に持ち替えた途端、コントロールが効かなくなって思い通りの線が描けなくなりました。でも、不自由だからこそできる表現があるんだと実感し、同じものを描いても素材によって感じることが全く違うということがよく分かって、すごく楽しくなりましたね。私は画家になりたいわけではなく、文化や歴史と自分自身がちゃんとつながっていることを証明したいというのが一番なので、その実感を持ち続けながら描いていければ本望です。
Q6. ご自身の思う「日本画」についてお聞かせください。
私の中で、美学校に入る時点の日本画は九相図でした。九相図に興味があるから日本画に興味を持った、というスタンスです。でも、九相図が描かれた当時は「日本画」とは呼ばれていないわけです。単なる巻物で、絵画ですらなかったかもしれない。講座を受講して、「日本画」という表札がかかったドアをパカっと開けて、中をよく覗いてみたら時代によって意味合いが違うことに気づいたんです。佐藤さんという名前の人は日本にいっぱいいるけど、全員が同じ人間じゃないように、日本画も時代によって役割も素材も意味合いも全く異なる。そういう意味で、「日本画」は無限に増えていく概念なので、概念の増殖を恐れず楽しめれば良いのではないかなと思います。
Q7.受講を検討中の方に一言お願いします。
日本という土地や文化の中で、こういう素材や描き方が生まれてきた理由に関心がある人は受けてみたら面白いと思います。おそらく美大の日本画科ともアプローチが全く然違いますから。歴史的なことに詳しい先生もいるし、客観的に色んなジャンルの表現を見られたうえで日本画を見ることのできる先生もいるので、色んな文化、画材、絵画と比較しながら、「日本画」というものが存在する理由を考えたい人にはすごくいいと思います。
香久山 雨(かぐやま・あめ)
画家、経営者、現代美術コレクター。1989年東京都出身。性文化・宗教による帰属意識、解剖学、植物、などから美術作品、日本の伝統を研究している。2013年東京芸術大学絵画科油画専攻卒業。大学卒業後、結婚、出産、自身の運営するスペースの開業などを経て2017年より美学校「超・日本画ゼミ」で日本画を学び現在に至る。2018年5月7日から13日まで、御茶ノ水のギャラリー蔵にてグループ展「美学校 超・日本画ゼミ モーレツシロウト」に参加予定。詳細はこちら。
Web Site:https://www.amekaguyama.com/
Twitter:https://mobile.twitter.com/0ii00
facebook:https://www.facebook.com/ame.kaguyama
※1 O JUN
1956年東京都生まれ。1982年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修士修了。1984-85年スペイン・バルセロナ滞在。1990-94年ドイツ・デュッセルドルフ滞在。絵画・ドローイング・版画と、さまざまな媒体の平面作品を制作し、身の回りの日常的な対象を自身の視点で新鮮に捉え、その絶妙な線や色、空間は、見る者に新たな視点を与える。美学校「生涯ドローイングセミナー」講師。
※2 九相図
屋外に放置した死体が朽ちていく様子を九段階に分けて描いた仏教絵画のこと。日本では中・近世を通じて描かれた(参考:山本聡美「日本人は闇をどう描いてきたか」ちくまweb)
※3 芥子園画伝
清の画家・王概が編集した彩色版画絵手本。古来の名家の絵を例示しながら山水画の技法が解説されている。
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