【レポート】「会田誠の月イチぼったくりBAR」第12夜 ゲスト:笹山直規


文=木村奈緒 写真=皆藤将


会田誠さんを聞き役に、若手アーティスト等の活動や作品について話をうかがう連続企画「会田誠の月イチぼったくりBAR」。2016年10月から半年間続いた2ndシーズンの最終回となった第12夜は、会田さんも参加した「現在戦争画展」のキュレーションや、交通事故現場などを描く死体画家として活動する笹山直規さんをゲストにお迎えして開催しました。

ごく簡単にではありますが、当日の様子をレポートいたします。

出会いは群馬青年ビエンナーレ


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笹山さんと会田さんの出会いは、2005年の群馬青年ビエンナーレ。笹山さんが大賞を受賞したこの年の審査員の一人が会田さんでした。会田さんの記憶によれば、藝大の先端芸術表現科の卒業制作の応募が多かった年で(同学科は1999年に創設)、インタラクティブな作品やメディアアート的なる作品の中で、交通事故現場を描いた笹山さんの作品(『空が泣いている、あたしが流せない涙のかわりに』)が「特異な存在感を放っていた」(会田)とのこと。同じく審査員を務めたインディペンデント・キュレーターの東谷隆司さんと二人で笹山さんの作品を推したそうです。

とは言っても、以来特別な接点はなかったお二人。当日は笹山さんの生い立ちから現在までのキャリアをお話いただきました。幼少期は「自閉症気味で、7年くらい家にいて一人で絵を描くしかやることがなかった」という笹山さん。養護学校で共同生活を送っていた時期もあったそう。その後、大阪芸術大学に進学。大学3年のときにMacを手にし、インターネットで初めて検索した言葉が《死体》。「それまでは奈良の山の絵を描いていたけど、風景だけを描いていても仕方がないし、何か強いモチーフがほしかった」(笹山)。作家としての進路に迷う時期にネットで目にした交通事故現場や死体が笹山さんの絵のテーマになっていきました。

内臓、キュレーション、戦争画から結婚まで


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トークの後半は、この日の「会田誠お手製謎のつまみ」にもちなんだ内臓の話、アーティストによるキュレーションの話、美術界における政治的立ち位置の話などに及んだのち、最終的には笹山さんの結婚の話に。昨年、本物の死体を見るためにメキシコに1ヶ月滞在した笹山さん。「メキシコから生きて帰ってこれたら幸せになりたい」(笹山)と思い、帰国後ツイッターで結婚相手の候補を募ったところ、唯一連絡をくれたのが、会田さんが講師を務めた美学校の講座の受講生だったという驚きの展開に。群馬青年ビエンナーレでの大賞受賞といい、笹山さんの人生に会田さんは期せずして大きな影響を与えている(?)のかもしれません。

▼この日のお手製謎のつまみ調理中。青い……。

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▼完成したのは、スパイシーなモツ煮の青玉のせ。見た目に反して味は美味しいと好評でした。

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▼5月には、ナオナカムラで釣崎清隆さんとメキシコの成果展を開催するとのこと。こちらも是非!

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▼滋賀在住の笹山さん。遠方からのご参加ありがとうございました。彼女と末永くお幸せに…!

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今後もご贔屓に


ということで、2ndシーズンも多くのお客様にご参加いただいて終えることができました。3rdシーズンの開催は未定ですが、再開の際には美学校のサイトやSNSでアナウンスをしますので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。今後とも「会田誠の月イチぼったくりBAR」をどうぞご贔屓に!