酒井貴史
しかし、わらしべ長者に描かれる個人対個人の間で行われる物の交換は『経済活動としての物々交換』の一部分でしかありません。
では他にどのような形の物々交換があり得るか、民話『迷い家』をヒントに考えてみたいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/わらしべ長者
http://ja.wikipedia.org/wiki/迷い家
わらしべ長者における物々交換は「一定量の何らかの物体」の需要を満たす見返りに、別の「一定量の何らかの物体」を受け取るという形式です。
これは人間の経済活動の歴史の中では比較的新しい形式のようです。
魚と肉を交換したい、採集物と加工品を交換したい、という場合、その需要と供給の変動を調節しつつ公平な比率で交換しようとする試行錯誤の末、穀物や貴金属のような
「価値の基準となる品物」を定める方法が編み出され、そこから劣化することの無い「価値」だけを抽出した貨幣が発明されます。
「わらしべ長者」モデルの物々交換は、公平性や再現性の観点から洗練されていけばやがて貨幣を仲介する取引きに行き着きます。
このような等価交換経済の前段階にあったのが余剰分配型経済です。原始共産制とも呼ばれるこの形式では自分の収穫物は集団全体に分配するものであり、逆に別の誰かの収穫物は自分も分配を受けることができます。ここで発生する品物の移動は結果的に時間差を置いた物々交換と捉えることができます。
しかし集団の人口が増え、分業が複雑化していけばこのユートピア的譲渡経済は維持できなくなります。
この一定条件下でしか機能しない「相互譲渡経済」を貨幣経済の内部に限定的に設定するのが「迷い家」モデルの物々交換所です。
ここでは共同体周辺の「誰でもない誰か」のために自分の余剰物を提供し、「誰でもない誰か」によって置かれたものを受け取ります。
この時、個々人の物資の提供と享受は必ずしも等価である必要はありません。物の供給のみ、あるいは取得のみを行うこともできます。
迷い家はその存在自体がアノニマスな物件です。誰が作ったもので、誰が管理しているのかも不明であり、唯一『その建物内の物は自由に持ち帰ることができる。』という定義だけがある究極の公共物です。
迷い家への投資、運営は経済的利潤と無縁です。しかし、『等価交換の背後にある余剰価値の蓄積』という現代の錬金術を体現する「わらしべ長者」氏ならば、〈匿名の物々交換が自己生成的に連鎖する場所を成立させることで『共同体内の余剰価値の再分配』を惹起させる〉という実験的プロジェクトに価値を見出してくれるはずです。ぜひ「迷い家」設置への投資をお願いします。
物々交換所
物々交換所はまだ使える不要品を収集して貰い手を探すための場所です。ここに置いてある物は遠慮なく持ち帰ってください。
物を置く時、貰う時にどんな物があるかツイッターでつぶやいてください。もしくは交換所の棚を整理してもらえるとありがたいです。
酒井貴史
1985年10月28日宮城県山元町出身。2009年武蔵野美術大学卒業。現在、物々交換所管理人。詳しくはツイッターから。https://twitter.com/koukanjyo