去る2014年2月6日(木)、美学校にて「本田靖春ナイト」を開催しました。その模様をレポートいたします!
マスコミが報道すれば「そんなこと報道するな」と罵り、報道しなければ「なぜ日本のマスコミは報道しないのか」と罵る。ネットにはそんな言説があふれています。
一見すると、読者が批評的にマスコミを評価するようになった、とも取れますが、果たしてそうなのだろうか?マスコミを批判するからには、批判する人の中に目指すべきマスコミ像があるのか?報道の一部だけを切り取ってバッシングすることは、新聞を始めとするマスコミの発展につながるのか?
アメリカ合衆国第3代大統領、トーマス・ジェファーソンはこんな言葉を残しています。
「新聞なしの政府と、政府なしの新聞のどちらかを選ぶなら、ためらわずに後者を選ぶ」[1]私も後者を選びたい。もし「マスコミ=マスゴミ」と言う人が前者を選ぶなら、「マスゴミ」と罵り続けるのも納得です。しかし、後者を選ぶのであれば、罵るだけじゃなくてジャーナリズムのあるべき姿を再考すべきではないのか。
そう考えていた時、私の脳裏に浮かんだのが本田靖春氏でした。
ここで早速壁にぶち当たります。本田氏の「肩書」です。読売新聞社会部記者として活躍し、退職後は数多くのノンフィクション作品を残した本田氏。だとすれば、その肩書は「ジャーナリスト」や「ノンフィクション作家」が妥当でしょう。
しかし、本田氏は「ノンフィクション作家」という肩書について「実をいうと本人はこの呼称をあまり気に入っていない。ある時期、ジャーナリストと呼ばれたことがあった、片仮名名を使う職業には、どこか浮薄な感じがある。できるなら日本語名の方がいい」と著書『我、拗ね者として生涯を閉ず』の中で述べているのです。
では本田靖春とは何者なのか?その問いに、本人はこう答えています。
「かつて私は新聞社の社会部記者であった。本人としては新聞社を辞めて長い年月が経た今も、変わりなく社会部記者をやっているつもりである」[2]
旧朝鮮・京城に生まれた本田氏は、「敗戦で支配層の末端から無一物の被支配者へ転げ落ち」ます。しかし、この体験を通じて「少数派・社会的弱者の視点から物事を考える」というテーマを授かった氏は、「新しい社会を創る動きにかかわりたい」[3]という気持ちから新聞記者を志します。
目出度く新聞記者となった氏が最も精力的に取り組んだのは、「『黄色い血』追放キャンペーン」でした。売血を根絶し、今の献血制度を確立できたのは、氏のキャンペーンに負うところが大きいです。
新聞社を退職した後は、数々のノンフィクション作品を手がけます。代表的な作品をいくつかご紹介。
(※リンク先はAmazon.comのサイトになります。)
- 東京オリンピックを翌年にひかえた1963年、東京の下町・入谷で起きた幼児誘拐、吉展ちゃん事件を取材。警察の数々の失態、犯人・小原保を犯行に走らせた背景とは?文藝春秋読者賞、講談社出版文化賞受賞。
- 1968年、暴力団員の射殺を発端に、静岡県・寸又峡温泉旅館で人質をとり籠城した劇場型犯罪・金嬉老事件。在日韓国人二世の金嬉老は、刑事が発した民族差別発言への謝罪を求めたが、マスコミは金を「ライフル魔」として煽ることに終始した。
- 読売新聞の検察担当記者として、スクープを連発していた先輩記者・立松和博が汚職事件の報道をめぐって逮捕される。その背景には検察の権力闘争があった。逮捕された立松は決して取材源を明かすことはなかったが、読売新聞社は検察に妥協する。新聞社が記者を見殺しにした時、何が起こるか。講談社ノンフィクション賞受賞。
- 本田氏の遺作となった自伝的ノンフィクション。敗戦時の引揚げ体験から、社会部記者を経てフリーに至るまで、常に権力と名誉を嫌い「由緒正しい貧乏人」であり続けた氏。両足切断、右目失明と次々に襲いかかる病魔と闘いながら最期までペンを握り続けた渾身の一冊。
ちなみに今はKindle版で本田靖春 全作品集が出ており、これまで入手しにくかった作品も安価で購入できます。
河出書房新社 編集者の武田浩和さん
2010年に河出書房新社から『文藝別冊 本田靖春 「戦後」を追い続けたジャーナリスト』が出版されたのですが、この本を手がけたのが他ならぬ武田さんでした。
ノンフィクション、ジャーナリズムの危機が叫ばれ始めた頃、河出書房新社への入社を控えていた武田さんは『我、拗ね者〜』を読み、「ノンフィクションが終わった、ジャーナリズムが死んだ、と大味なメッセージだけを投げて墓場に追いやろうとするのは先人たちに失礼じゃないか」と思い、入社後、本書を企画したそう。その後、武田さんは本田氏の単行本未収録作品集『複眼で見よ』も出版されています。
しかしながら、今も「ノンフィクションが厳しい」状況は変わっていないのでは?
それに対し、武田さんは「売れる、売れないで言えば、本田さんのような屈強なノンフィクション作品はこれまでずっと“売れ筋”ではなかったと思います。だからこそ、『最近ノンフィクション厳しいから』という言い訳を安易に持ち出すのではなくて、いかにしてノンフィクション作品を生み出し続けるかを考えていくことが重要だ、と個人的には感じています」
もちろん、ノンフィクションの発表の場だった月刊誌の相次ぐ休刊で、取材費をどうするのか?といった金銭的な面で「ノンフィクションが厳しい」のは事実です。
武田さんは、売れ筋のベストセラー作品を例にあげ、「○○をするだけで痩せるダイエットや、サプリメントのようなメッセージ本が軒並みベストセラーにチャートインしています。なんだか、あんまり『身動きしない』でいい、その場や今の自分にできることをやればいい、という感覚が歓迎されている。この『身動きしない』というのは、ノンフィクションともっとも真逆にある態度です。ノンフィクション作家はとにかく率先して現場に行きます。こちらが『お願いします』という前に、せっせと現場に入られて、聞いたことのない情報や見たことのない風景を引っ張り出してくる。それに対するリスペクトは持ち続けたい」と話してくれました。
「生涯社会部記者」を自任した本田氏。ならば、ノンフィクション作家としてだけではなく、やはり新聞記者の視点からも考えてみたい。
そう思ってお越しいただいたのが、もう一人のゲスト、読売新聞記者 鶴田裕介さんです。幼いころから、ミュージシャンか弁護士か新聞記者になりたかった、と一風変わった経歴(?)をお持ちの鶴田さん。
読売新聞社 記者の鶴田裕介さん
常々「批判するだけではつまらない。自分だったらどうするか、対案を出せることが大事だ」と考えていたところ、読売新聞が憲法改正試案を出しているのを見て、読売新聞への入社を決めたそう。
当初は朝日か毎日への就職を考えていた本田氏が、読売新聞のキャンペーンを見て「読売の社会部に入って、おれもキャンペーンをはってみたい」と思い、読売に入社した経緯と似ています。
「社会部が社会部であった」時代・「社会部黄金時代」に記者でいられた本田氏。
当時について、鶴田さんは「うらやましいとは思う。完全に時代が違うので。一番違うのは警察回り。今は警察署のデカ部屋に入っていって、『お巡りさん、こんにちわー。飯食わしてもらっていいっすか?』っていうのは不可能。今は情報管理がしっかりしていて、基本的には中枢には入っていけない。だから夜回りをやるんですけどね」とのこと。
では、当時とくらべて、今の新聞社はどう変化したのだろうか?
「良くも悪くも組織化はしていると思う。取材にしても、本田さんのように一人で行って書くということはない。何か起きたときは、関係各所に記者を派遣する。ひとつの蛇口からなかなか水が出ないので、いろんな蛇口からちょこちょこっと出す。だからスター記者は生まれにくいでしょうけれどもね」
ただ、記者個人の裁量が著しく狭められたかといえば、そうではない。
「自分で問題を掘り起こすのは今も奨励されており、合間をぬっていかに取材するかが記者の能力なんだと思う」
しかしながら、新聞ゆえの難しさは確かに存在する。
「我々の仕事はファクトを積み重ねることだと思っているが、中立公平が立ちはだかって、個人的な意見を差し挟みにくい苦しさは確かにある。新聞には出来ない部分をノンフィクションに補ってほしい」と鶴田さん。それに対し、武田さんも「ノンフィクションには、新聞など大手メディアに出来ないことをやる、という一面がずっとある。本田さんの作品群を振り返っても、『なんで新聞がこれをちゃんとやらないんだよ』という心根があります。新聞という軸があって、そこに対してノンフィクションが補っていく、そして時には刃向かっていくべき」とのこと。
会場からの、「特定秘密保護法下でいかにジャーナリズムを貫くか?」という質問に対しては、
両氏とも「自粛しないことが大事。これまで通りやるだけだ」と力強い答え。
昨年末には秘密保護法反対デモが盛り上がりを見せるなど、同法に否定的な意見も多いが、「海外に国家機密がこれだけダダ漏れになっている現状で、防護策は必要だと思っている。もし我々が取材の結果逮捕されるというなら、されればいいと思う。本当にそんな世の中が来れば、全力で戦う」と鶴田さん。
一方で、法案可決時には盛り上がりを見せた報道や反対運動も今や下火気味。そのような状況に対し、武田さんは「(秘密保護法などの問題を)強行採決されたことを、いやらしくずっと覚えて、それをなにかと伝え続ける、ということが必要です。雑誌でもウェブでもノンフィクションの書籍でも、新聞がやらないのであれば、他の媒体でやり続ければいい」と付け加えた。
「本田靖春氏の生涯と著作を通して、現在とこれからのジャーナリズム/ノンフィクションを考える」と銘打ったものの、結局そこまで辿りつけぬまま時間ばかりが過ぎてしまいました(すみません)。
本田氏は、ジャーナリズムに対して厳しい視線を送り続けると同時に、その視線は私達にも向けられていました。
「努力はしない、辛抱はできない、そのくせおいしい生活は人並み以上にしたいという、身勝手で自己中心的な国民」で「社会性を欠いた」我々には、「日本の腐った政治を変える能力はない。悲しい予測だが、この国は間違いなく滅ぶであろう」[4]記しています。
新聞を始めとするマスコミがゴミとして葬り去られ、やがて国も滅びる…。そうなる前に、記者が、ノンフィクション作家が、編集者が、読者が…それぞれ出来ることを考えていきたいと思います。
トーク終了後には、1979年にテレビ朝日で放送されたドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」を上映しました!長らく再放送&ソフト化されていないこのドラマ。関係者の方のご好意で、このたび上映することができました。この場を借りてお礼を申し上げます。
芸術祭優秀賞、ギャラクシー賞など数々の賞を総ナメにした本作。監督:恩知日出夫、主演:泉谷しげる、ナレーション:伊丹十三と映画なみの豪華スタッフ・キャストで制作されています。今のドラマでは考えられない演出や、俳優陣の迫真の演技に皆さん見入っていました。
そしてイベント閉会後も終電間際まで議論が白熱したのでした…。
[1] 『朝日新聞』 2014年1月1日朝刊 「記者有論」
[2] 本田靖春(2005)『我、拗ね者として生涯を閉ず』 講談社
[3] 同上
[4] 同上
「ルポ 場末の現場から」
筆者 木村奈緒が企画したイベントのレポート、気になる人へのインタビューなど、私の趣味に偏った主観的ルポルタージュを発信。都会の片隅で忘れ去られがち、見過ごされがちなヒト・モノ・コトに光をあてていく(予定)。
木村奈緒
1988年生まれ。上智大学文学部新聞学科でジャーナリズムを専攻。卒業後、メーカー勤務の傍ら美学校に通いだして人生が横道に逸れ始めて脱サラに至る。これまで企画したイベントに「工藤哲巳ナイト」(2013、美学校)などがある。