「芸術漂流教室」講師インタビュー


2019年度に美術家の岡田裕子さんを新講師に迎え、装い新たに開講した「芸術漂流教室」。倉重迅さんの「ArtLife Hacks (ALH)」、田中偉一郎さんの「芸術小ネタ100連発小屋」、岡田裕子さんの「ヒロコセンセイの芸術相談教室」の3つが併存する本講座。それぞれの授業内容、コロナ禍で考えたこと、講座の新展開などについて、講師の皆さんにお話を伺いました。

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写真手前から岡田裕子、田中偉一郎、倉重迅

無理してアーティスト一本でやらなくてもいい

倉重 (岡田さんが加入して)講師は3人ともアーティストになったね。(※)

岡田 私は美術畑出身なので、実際に手を動かしたりワークショップを通じて何らかの学びになるようなことをやっていこうかなと始めました。

田中 岡田さんが2019年に講師になってからも、僕の講義自体はあまり変わらなかったです。「誰も知らない現代美術講座」という、自分で作家名や作品名をつくって現代美術史の流れの講義をやったり。全部ウソなんだけど。実践で言うと、やはり展覧会を開いた方がいいから、展覧会にどういう準備がいるかということは今までどおりやってます。「1hour展覧会」と題してたったの1時間で構想から実際に作品をこしらえて、展覧会を誰かに見てもらうところまでやってみましょうとか。

倉重 僕も偉一郎くんと一緒でやってることはあまり変わってなくて、瞬間的に映像を作るとか、テレビ番組を丸々一個模写して作るとか、お題でポンとか映像中心ですね。ただ撮影技術、編集技術的な方向はあまり掘り下げずに、アイデアやそれを作品として落とし込むプロセスなどに重点を置いています。

僕自身がその時点で興味があることに手を伸ばしていった結果、幾つかの制作会社や食品輸入、飲食店なども並行してやっていたりするのですが、皆が皆フルタイムアーティストになる必要はないと思っていて。むしろ真面目に美術を勉強して、美術の考え方とか文脈を学んだ人が公務員になったり美容師になったり一般社会に出たほうが、世の中絶対面白くなると信じています。講師がアーティスト3人になったことで、その考えがより強くなったかな。だから、生徒にアーティストになるなとは言わないけど、どちらかと言えばパートタイマーの方をオススメする感じで僕はやってる。

もう少し補足すると、自分の経験なんだけど、大学在学中とか卒業後数年はアート=ライフ、何だったらアート>ライフみたいな考えで前のめりに生きていたんだけど、そのうちライフ>アートのような考えに変わっていって。やっぱり自身の生活基盤や環境をある程度確保してから余裕を持って制作なり観賞なりアートとの接点を持っていく方が健全なのかななんて今は思っています。パートタイムって言葉が少しネガティヴでうまく伝わらないかもですが。

田中 その話で言えば、迅さんとは大体一緒なんだけど、ちょっと違って、僕はフルタイムアーティストは悪くないっていうか、そのほうがいいと思ってる。ただ、他の仕事しててもフルタイムアーティストであってほしい……という感じかなあ。自分も広告代理店の仕事をしてるからむしろ思うんだけど、美術を武器にして既存の社会を相手にしてほしくない、美術で得た情報とか知識を経済に還元、消化してほしくないなって思ってるの。美術が相手にするのは世界であってほしいっていう。世界っていうのはグローバルって意味じゃなくて、我々が生きてるこの世界。お金や人のためになる必要がないってこと。どこに勤めてようとフルタイムアーティストだろうとかまわないけど、そういう人が増えればいいとは思ってる。だから、何しようと全然いいし、アーティストかアーティストじゃないかにすら、縛られる必要はないと思う。迅さんと一緒なのは、無理してアーティスト一本でやってないとダメだってことはないってこと。

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美術はディスタンスのある文化

岡田 受講生にもいろんな人がいるから、必ずアーティストになってほしいとか、そういうおこがましいことは私もあんまり考えてなくて。もちろんなりたい人は全面的に応援したいし、でも美術を知るってことはそういうことだけじゃなくて、作品を作ったり考えたりする過程って、何か、生きる上での訓練になるんじゃないかと。物事を今までと違う視点で見よう、考えようっていう意識が培われていくっていうか。その辺を伸ばせるワークショップをやってみたつもり。

例えば手近にあるものを作品だと見立ててタイトルをつけるとか。(ペットボトルにペンを乗せて)こんな立体作品があったとして「戦争」ってタイトルだったらそうかなと思うし、「癒やし」ってタイトルだったらそうかなって思うでしょ(笑)。タイトルがどれだけ作品に影響を与えているかってことを知り、モノをどう見るか、見せるかを学んだり。あとは、簡単な線をいくつも描いてみてそこから好きなものを選んだりというワークショップもしました。自分が描いたものでも、気に入ったものとそうでないものがあって、しかも他者にとってはそれが逆だったり、なぜか人気が集中するものがあったり、同じものを前にして自己と他者に解釈の違いや同意が生まれてくる。そういうことって、制作していると常に意識することだから、私は日常的にそういう眼を持つようにしている。でも改めて授業でそれを伝えていくと、学生からすごく新しいものに出会えたみたいな感想をもらえたりして、やってよかったなという手応えがあったりした。

倉重 1年間一生懸命やったら確実に効くからね。たとえ美術と関わりのない仕事でも、今後50年生きていくなかで効いてくるから、有効な1年だと思う。

岡田 でも私、結構楽しいかも、美学校の仕事(笑)。教えるの嫌いじゃないんだけど、大学の仕事はやっぱりプレッシャーとか悩みも多くて、それなりに制約もあるし、緊張とか、孤軍奮闘しているような寂しさも感じてしまうわけ。美学校は少人数なのもあるし、授業中にこんなにリラックスできてる自分が珍しいので、いつもほっとするんだよね(笑)。もちろん大学は学生が大勢いて、彼ら同士が縦横無尽にお互い影響され合うという利点は代え難いものもある。でも大勢人がいると、講師が一人ひとりとじっくり話し合う時間を全員に作るのはすごく難しい。これだけ少人数で学生も講師もガチで向き合えるという意味では、美学校は面白いよね。

倉重 少人数だと生徒もお互いを良く観察、把握できるから、2、3回目くらいから自分がこの中でどんなロールを持ってるか、ポジションが決まってくるよね。

田中 そうね。生徒一人ひとりの重要度は上がるけど、先生の責任感は減るから、美術をやりやすい環境なんじゃないかな。美術はマスに対して一方通行でやるのは向いてないんじゃないかなって感じはする。コロナ禍でよりはっきりしたと思うけど、もともと美術って一人でやるもので、コミュニケーションプロジェクトじゃなかったじゃない。モノを作っておいて、時限爆弾的にどうだっていう感じで離れる。もともとディスタンスのある文化ジャンルだった気がするんだけど、それがだんだんワークショップ化してきたり、イベント化してきた。それもどうかなと思ってたところでコロナ禍があって、こういう時に、そもそものアーチストの感覚が活きるなぁってより分かったというか。

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こういう時だからこそ出来ること

田中 なんとなく今年は「〇〇アート」とテーマに寄って、講座をやってみるのはどうですかね。たとえば、「デザインとアートの両側から攻めるアート」とか「パブリックアート」とか。僕自身は最近、パブリックアートにヤマっ気を感じていて。パブリックアートって言っても既存のそれじゃなくて、パブリックアートの新しいとらえ方に興味があるから、パブリックアートとはなんぞやみたいなところから入って、自分たちのキャラをパブリックアートに落とし込むみたいなことにテーマを絞ってやるのもいいかなと思ってます。

岡田 そういう絞り方面白いんじゃないかな。パブリックアートなのかはわからないけど、コロナ禍で感染拡大を防ごうっていう時流の中で、狭い室内で展示をする形式で発表することにこだわることが果たしていいのか。屋外から観れちゃう作品に絞って、それだったら鑑賞者にも観に来てくださいって言いやすいかもね、とか。なんにしても、発表形態を工夫することを意識した年にしていいような気がする。私も今年はアート活動の一環ってことでオリジナルのマスク作ったり(Double HIROKO PROJECT)してるんだけど。

倉重 マスクどう?調子は。

岡田 美術関係の人からの反応が思いのほか良くて、ミュージアムショップでの取り扱いの話とかも出てきていい雰囲気で進んでるよ。そもそも、かなり早い時点で美術の展覧会はしばらくできないんじゃないかなと思ったわけ。冬だってどうなるかわからないし、これまでの形態にこだわると気持ちがキツくなってくるんじゃないかなと思ったの。ギャラリーとか美術館で展示できる日をジリジリ待つよりも、別のことをしてみようかなと思って。そんなことから形式も今までにないやり方で感染をテーマにした何かを作ろうってプロジェクトが始まってマスクを作ることになりました。マスク以外のプロジェクトも進行中です。美学校の授業も形態の自由さがあるし、いつもと同じことができないから、しょうがなくこれをやりましたってことじゃなくて、こういう時だからこそできることにしていけたらいいねと。アクシデントもポジティブに変えていくというか。

田中 美学校はコロナ禍でいい影響を受けた気もするんですけどね。ある角度で見れば。こんなことでは騒がないよっていう。ダイレクトなアクションを起こさなくても、むしろパンデミックな時でも、普段会わないような人たちに会うのがより面白いって感じられればいいんだけど。今はマッチングシステムが盛んにできてて、マッチングから外れたものに出会えないじゃん。

倉重 選択肢がないからね。大学だと「あいつと話合いそうだから」とかで友達になるけど、美学校だと、目の前にいるおじさんだったり少女だったりと友達にならざるを得ない(笑)。

田中 美術の基本なんだけど、デペイズマンってあるじゃないですか。マグリットとかがやった。関係ないものが結びつくのが面白いと思える空間ではあるよね。人もそうだし。何にもないところに、なるべく関係ないものを考えて持ってこないといけないから。ジャンルが限られた美大の〇〇科みたいなところだと得られない体験。関係ないところまで頭を飛ばせるっていう意味では、美学校は近場にあるけど一番遠いところにいける場所かもしれない。

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一人でいられること

岡田 私は、そもそも自分のために美術制作してるみたいなところがある。制作してた方が気が紛れるしね、ここのところ面白いことが全然ないから。そういう時に千葉の郊外にある小さな縫製工場にマスク縫いにいったりすると、自分の中ですごい刺激があってアガる(笑)。でも、アーチストが作品でコロナ禍を扱うべきとか、そんなことは全然ないと思う。この間、ある作家さんが「コロナ禍は自分には全然影響がない。出かける用事もなくなったから集中して作品いっぱい作れて幸せ」って言ってて、そういうライフスタイルを持ってるアーチストって存在しているだけでも、世の中のためにいいことなんだと思うんだよね。今コロナだから何かやらなければ、みたいなことを無理に考える必要はないと思うんだ。私も何かを作ってるときは楽しいし、外に出られなくて人と会えなくても全然辛くなかったりしてる部分があって。さすがに家族とずっと同じ家にいてたまには辟易するけど。

田中 僕も本当にストレスないですね。経済的な余裕の話は置いておいて、家にいることも楽しくてしょうがないし、空気も綺麗になっていいし、美術を知ってる人はそんな感じじゃないかなあ。まあ、つまらん日常は世の一般感覚として味わいつつも、コロナ禍だからといって悲嘆に暮れる必要はない。

倉重 でも皆家族いるじゃん。一人暮らしだったらアーティストでもキツくない?

田中 でも僕一人っ子なんで、基本一人が楽なんです(笑)。僕はそういうネジが抜けてるんでキツくないんですけど、それで言うと、養老孟司さんと五味太郎さんが「人と会わない分、モノと向き合えていいじゃないか」みたいなことをコロナ禍になんかの記事で言っていて。コロナ禍で人に会えないのの何が寂しいの、今までが過剰に人とコミュニケーション取らなきゃいけないっていう観念に駆られてたんじゃないのって。なるほどと思いました。

美学校も、もちろん人はいるんだけど、集団でワイワイやりたいという目的では来ないじゃない。集団の中に紛れ込んでいたい、つるみたいっていう感覚は、実はあんまり必要なくて。自立してないっていうか。受講生が3人だったら、自分が空気の3割を占めてるわけだから何かしなきゃって気にもなるし、そこで無駄なことをやるって相反するようにも見えるけど、無駄な時間をどう過ごすかって考えるきっかけにもなるし。そういうことを鍛えられていると屈しなくていいっていうか、寂しがんなくていいっていうか。寂しがる時間って結構無駄じゃん。

岡田 そうなんだよ。一人でいられることってすごい大事なことだと思うのね。日本の教育も「みんなで」みたいなの多すぎない?なんでそういうことばかり教えるのかなと思うわけ。みんなで仲良くするのも大事だけど、一人でいて大丈夫であることって、人生にとって大事なことでその人の強さにもつながるし。

倉重 教育テレビのドラマとか「みんなで」「みんなで」だもんね。

田中 「みんな」がいるからいじめなんか起きるんだよ。

岡田 美学校に来ると、一人で物事を考えて一人でいること自体が悪いことじゃないって、じわっとわかるかも。

田中 集団の中に居すぎると、何かしら役割が与えられてしまって、手応えある生きる感覚を忘れそうだよね。たくさん人がいるのもいいけど、一人でも大丈夫な人がいい。そうなると講座名は「芸術漂流教室」じゃないかもしれない……。「アートのレシピ」に対して「孤独のレシピ」みたいな(笑)。すみません。「孤独のグルメ」みたいになってしまいましたが……。たくさんの個に集まって欲しい、そんな感じが近いかな。

2020年6月25日 美学校スタジオにて収録
撮影=皆藤将 取材・構成=木村奈緒


※ 岡田裕子の加入以前は倉重、田中(ともにアーティスト)と阿部謙一(編集者)が講師を務めた。


講師略歴

倉重迅(くらしげ・じん)
アーティスト。フランス国立高等芸術大学マルセイユ(ボ・ザール)DNSEP課程修了。トリノ・トリエンナーレ、シドニー・ビエンナーレ、「笑い展」(森美術館)など、国内外の展覧会に参加。また、多数のa.k.a.を使い、CMやTV番組などのディレクションなどにも携わっている。面白そうなことに積極的に関わっていった結果、運営や経営、関連する企業、NPOなどは多岐にわたる。最近は農業、漁業など第一次産業に興味あり。

田中偉一郎(たなか・いいちろう)
美術家、クリエーティブ・ディレクター、ストリート・デストロイヤー。2000年よりレントゲンヴェルケ(東京)、「六本木クロッシング」展(森美術館)、Scion Installation(LA)、成羽美術館(岡山)など国内外の展覧会に参加し、《ハト命名》、《板Phone》といったノーメッセージな作品を展開。著書に「やっつけメーキング」。また、広告のアートディレクターとして、数多くのTVCMやグラフィックアドなどを企画・制作。写真作品《ストリート・デストロイヤー》の展開をNHK Eテレで企画・出演するなど、媒体を問わず作品を乱れ撃ちしている。

岡田裕子(おかだ・ひろこ)
現代美術家。多様な表現方法による社会へのメッセージ性の高い作品群は、国内外の美術館やギャラリーで数多く発表された。代表作に男性の妊娠をテーマにした「俺の産んだ子」や、未来の再生医療を予想した「エンゲージド・ボディ」などがある。2019年は「第11回恵比寿映像祭」(東京都写真美術館)、「Compass – Navigating the Future」(アルス・エレクトロニカ・センター[オーストリア])などで展覧会。個人活動のほかにも、オルタナティブ人形劇団「劇団★死期」や、家族ユニット「会田家」など、ユニークなアートプロジェクトも立ち上げている。2020年はファッションデザイナーのHIROKO ITOとともに、感染をテーマにしたアートプロジェクトW HIROKO PROJECT(https://www.w-hiroko.net/)をスタートした。
https://okadahiroko.info/