「俺も美学校。」会田誠インタビュー


バラバラアートクラスとは?


━━━ 本日は主に会田さんが講師をしていた「バラバラアートクラス」についてお伺いしていきたいと思います。
会田さんは2001年から2004年まで美学校で「バラバラアートクラス」という現代美術演習の講座を持っていたわけですが、どんな講座だったんだろうと思い美学校を探したら、会田さんのクラスの一年目のカリキュラムが出てきました。一年目はカリキュラムをちゃんと書いてあるんですよね。


(以下美学校2001年度パンフレットより引用)

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 当時のパンフレット。現代美術演習「バラバラアートクラス」会田誠

 前年度の小沢剛氏による「現代美術演習〈トンチキアートクラス〉」を事実上引き継いだ感じなので、こんな講座名にしてみました。僕自身作家として作風が一定せずバラバラなので、僕の教える内容も年間通してバラバラになるだろうな、くらいの意味です。混迷した現代(常套句)こういうのもアリかなと思いまして・・・現在、思いついているカリキュラムをアトランダムに挙げていきます。

・まずはオーソドックスに、テーマや素材を挙げて、そこから制作する。
・画材や古典絵画技法に関する講座。
・もちろん芸術に関わる現場で活躍しているいろいろな人をゲスト講師で迎える。
・美術家のための作文講座(プロのライターの添削付き)
・不真面目・虚脱・馬鹿アートの極北を目指すような講座
・美学校の新しい展示スペースを使った、4人程度のグループ展の開催。やっぱり表現者は場数がモノを言うことがあるから、実際にやって心構えを身につけたりノウハウを蓄積するのは大事
・民主的な生徒同士による講評
・紙メディア(ようするに同人誌みたいなもの)の共同制作
・美術史、あるいは現代美術の現状報告(これもゲスト講師か?)
・パフォーマンス、野外作品、写真、ビデオ・・・?
・僕自身もいっしょに研究して頭よくなりたい、なんらかの「調べもの」
ヨゼフ・ボイスの評伝を読んだり、グリーンバーグについて調べてくるとか
・急に普通な写実画教室。あるいはなぜか僕が教える抽象画

・・・といったぐあいに、カリキュラムは集まった生徒さんの様子をみてフレキシブルに決めてゆくと思います。この講座から僕とは全く違う個性の表現者が巣立ってくれたら、これ以上の成功はないと思っています。

会田誠


━━━ ちなみに二年目のパンフレットには箇条書きのカリキュラムはなくなっていて、最初の紹介文だけになっているんですけどね(笑)。
講師をされる前はそもそも美学校をご存知でしたか?

知識として知ってはいたけど、続いていたかどうかは知らなかったな。小沢剛から今年から美学校で講師をやることになったと聞いて、やっぱりまだあるんだという感じだったかな。

━━━ 小沢剛さんが講師をやっていた年なので恐らく2000年ですね。

たぶん小沢が講師をやっている時に1、2回遊びに行ったような気がする。小沢の生徒を何人か知っているから、多少は美学校ともつながりはあったかな。

━━━ 小沢さんの講座にゲストで来た人で今も美学校に関わってくれているは多いですね。松蔭さんや中ザワさんもそうですし。その翌年からバラバラアートクラスが始まるわけですが、まず講師をやることになった理由を教えてください。

きっかけは藤川さんというより小沢だった気がするな。あいつが文化庁の海外派遣制度で一年アメリカに行くことになって、美学校代表の藤川さんと相談してその後釜として、恐らく僕になったんじゃないかと思います。

小沢とは逆に僕はその時9ヶ月滞在したニューヨークから帰って来て金がなかった。それで渡りに舟という感じで、美学校とか教育とかいうより給料に目がくらんで、ホイホイと二つ返事でやることになったね。それに小沢のトンチキクラスが面白そうだったし、美大とは違って、絵はあまり描いたことはないけどゆるい感じで美術をやりたいと思っている人がいたから、そういう感じなら楽に楽しくできるかなと思って引き受けました。

━━━ 初めの年は生徒は何人だったんでしょうか?

10人はいたかな。

1期目は メガネ(注1)がいて、Chim↑Pom(注2)の岡田がいて。ちょっと記憶が曖昧だけど、だいたいそんな感じだった。いや、メガネは2期目だね。

━━━ 一年目の授業はカリキュラム通り進んだんでしょうか?

四年間通して大体それに近い感じでしたよ。ベースは展覧会だったね。グループ展を企画して、アイデアを練って、アイデアが固まったら次は手を動かして、それでフライヤーみたいなのを作ってという感じかな。けどフライヤーはちゃんと作ったことはなかったね。FAXで充分みたいなノリで。まだネットもそんなにだったからね。それで友達しか来ないけど展覧会を一週間ぐらいやると。

確か美学校が入っているビルの四階に二年間ぐらい展示室があったんだよね。その展示室があった時は一年の前半と後半の二回、その展示室を使って展覧会をさせてたと思う。岡田とかが面白い展示をしたのを覚えているから1期目からかな。あの展示室は確か小沢の忘れ形見なんだよね。小沢が壁を立てて白いペンキを塗って展示室を作った。最初の一年、二年はその部屋があったんだけど、やっぱり家賃が払えなくて、撤退したんだよね。


   注1:メガネ

ポールダンサー/特殊衣装デザイナー。美学校「バラバラアートクラス」二期修了。既存のポールダンスの枠からはみ出したオルタナティブポールダンサー。性の対象となり得るポールダンスというジャンルにおいて、メガネという芸名、自作の異色なコスチューム…個人の情報を極力排除したその姿で、観る者の妄想を掻き立て、アグレッシブかつセクシーな、パフォーマンスを行う。第15回岡本太郎現代芸術賞特別賞受賞。

  注2:Chim↑Pom2005年、エリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求で結成したアート集団。「生と死」をテーマにした作品や、現代社会に全力で介入した社会的メッセージの強い作品で評価を得、国際展への参加や今年開催された「アジア・アート・アワード」で日本代表に選ばれるなど、海外からの注目も高い。リーダー卯城竜太は2010年より美学校にて「天才ハイスクール!!!!」を開講、講師を務める。

バラバラアートクラスに集まった人々


━━━ 会田さんのクラスにはどんな人が来ていたんですか?

完全にバラバラだね。4期ともすごいバラバラだけど、タイプはいくつかに分けられて、美大受験失敗者、美大在学中のダブルスクールな人、岡田みたいな全然美術に関わりがなかったのが、ふらふら自分探しの途中に間違って引っかかって来ちゃったという人。これが一番面白かったりするけどね。

それと必ず毎年一人ぐらいいたのは、子育ても終わって一息ついて本当は絵とかをやりたかったというオバサマだったり、僕とほとんど同い年だよねという男性もいた。働いていた人なんだけど、そういう人たちはアーティストになりたいというわけではなく、カルチャー講座的な感じで来ている。その人たちとアーティストになりたいという人の差が激しかったな。

あとは何を間違ったか何となく来たかわいい保母さんとかね。彼女は保母さんだったから、子どもの美術教育の参考になると思ったのかどうかわからいないけど、アーティストになりたいという意思はかけらもなかったかな。

━━━ 四年間の会田さんのクラスからは、メガネさんもそうですし、愛☆まどんな(注3)やChim↑Pomの卯城さん岡田さん稲岡さんなど、現在アーティストとして活躍している人も多いですよね。

そこらへん今挙がったような名前は、おめでたいかぎりで、あとは臼井良平(注4)や 新美泰史(注5)というのがいたな。愛知がベースだけど。彼もけっこう頑張ってたね。

だけど繰り返すけどアーティストになる気のない人も来ていたから、どういうふうに授業を進めれば良いのか中々難しくて、一年限りで僕が提供する狭い意味でのアート体験みたいなものに付き合ってもらった感じかな。そのあとはどうであれ、そんなことがあったなあでもいいしね。

ハウツーアーティストみたいな実用的な指導は元々僕もできないし、そういう要素はかなり少なかったから、直接的な意味で、僕の指導が良かったからアーティストになれた人が多かったというわけでは全然ないと思う。美学校の先生はそういう発言をする人が多いだろうけど、あんまり押し付けることもなく自由にやらせていたという感じですね。

1期と2期は教室の上の階に展示スペ−スがあったから、そこで展示をやったんだけど、3期目からはその展示スペースがなくなったんだよね。それで困ったなと思っていた。そうしたら3期の時に年度の途中で群馬近美からグループ展の話しが来た。予算はないから新作じゃなくてもよくて運搬費しか出せないけど参加してくれみたいな話しで、一瞬断ろうかなと思ったけど、はっと思いついた。そういえば今年の生徒の展示場所がまだ決まってなかったし、もう群馬でやっちゃっていいんじゃないかなと。

でも人数的には全然足りなかった。その頃は今に比べて若手の知り合いはそんなにいなくて、今やっているTAT [TRANS ARTS TOKYO](注6)みたいな、あるいは遠藤一郎(注7)がやっているような若者がわいわいというような感じのものは、当時のアートシーンにはあまりなかったからね。ただ、あてはなかったんだけど芋づる式に探せば自分のクラス以外でも、人知れず作っている若者達、あるいは素人とプロの微妙なトワイライトゾーンを漂っているような人々を呼べるんじゃないかなと思って、かき集めて展示をしたのが3期目だったね。

正直言っちゃうと僕の四年間のクラスで一番お得感があったのが3期目なんだよね。群馬はちょうどいいことに年度の終わりの二月か三月のタイミングだったし、それ以外にも夏には「じょうもんしきかんじゅうのうんこ」という野外作品を作りに青森に行ったりしたね。二週間ぐらいだったかな。キャンプ場に合宿をしてすごい大変だったけど楽しかったね。合宿続きだったのが3期目で、生徒同士も仲良くなった。愛ちゃんも三期目だね。

 


  注3:愛☆まどんな
女流美術家。美学校「バラバラアートクラス」三期修了。2007年より愛☆まどんなと名乗り秋葉原の路上を起点にライブペインティングの活動を開始。国内外問わず活動。2009年以降は年1度のペースで個展を開催。スノーボードやフリスビー、ファッションなど美術外のカルチャーとのコラボレーションも積極的に行う。

  注4:臼井良平
1983年静岡県生まれ。美学校「バラバラアートクラス」二期修了。個展として2003年「盗まれた日記〜curated by 工藤キキ〜」康ギャラリー、2007年「Sunday Remains」無人島プロダクション、2008年「Flying goza mat」無人島プロダクション2009〈encounter〉無人島プロダクション、2012年「PET (Portrait of Encounterd Things)」無人島プロダクション。他グループ展多数。

  注5:新美泰史
1975年名古屋生まれ。美学校「バラバラアートクラス」三期修了。2011年に自身の2005年からの制作を振り返る個展「Taishi Niimi Recent Works 2005-2010」がGallery HAMにて開催された。

  注6:TRANS ARTS TOKYO
2012年秋に開催された展覧会。会場は取り壊し前の旧東京電機大学11号館で、全17階のフロアに200組以上のアーティストやクリエーターが参加した。美学校からは「天才ハイスクール!!!!」と「絵と美と画と術」が参加。

  注7:遠藤一郎
未来美術家。車体に大きく「未来へ」と描かれた、各地で出会った人々がそのまわりに夢を書いていく『未来へ号』で車上生活をしながら全国各地を走り、「GO FOR FUTURE」のメッセージを発信し続ける。主な参加イベントに「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」わくわく混浴アパートメント、「TWIST and SHOUT Contemporary Art from Japan」BACC(バンコク)、「愛と平和と未来のために」(水戸芸術館)「六本木アートナイト2012」(六本木ヒルズアリーナ)他。美学校では2012年より特別講座「未来へ号バスツアー〜ぶらり不思議発見〜」を不定期で開催。

━━━ 遠藤一郎さんがやっていたふつう研究所(注8)とはどういう繋がりがあったんでしょうか?

ふつう研究所は群馬近美の時だね。その時は卯城に限らず色々な人に友達とか知り合いで面白い奴がいたら教えてくれみたいに声をかけていた。そうしたら卯城が強力なのを一人知っていると。高円寺辺りのライブハウスで対バンをした遠藤一郎というのがすごくて、家に遊びに行った時に部屋がぐちゃぐちゃで、真ん中にポツンと丸いちゃぶ台があって、そこにふつう研究所って書いてあった。それが爆笑もので、最低でもあのちゃぶ台は展示会場にあった方がいいよねという流れだったかな。

記憶があいまいだけど、遠藤一郎自身がちゃぶ台を持って群馬に来たかもしれないし、卯城がトラックで運んで来たのかな。ともかく一郎くんとはその時群馬だったか東京で会ったんだよね。

━━━ 元々卯城さんは会田さんの手伝いをしていらっしゃったんですよね?

そうそう。ミヅマのね。当時はあまり売れそうもないような、ノーフーチャーな音楽活動をしていた。僕の想像だけど、このままじゃ埒があかないなと思って、僕の作風とかを見て、アートの方がまだ自由度が高くて可能性あるんじゃないかと思って、偵察みたいな気持ちでミヅマのお手伝いインターンに来たんじゃないかな。そうしたらキャラクターも面白いし、林もそうだけど、当時我々の世界では相対的にヤングでイケメンだったので、うちの妻が飛びついてさっそく脱がして写真のモデルにしたりして、そんなんで仲良くなっていったんだよね。

━━━ バラバラアートクラスをやめるきっかけは何だったんでしょうか?

忘れたな。だから具体的な何かがあったわけではなくて、ただこちらが忙しくなったということだったと思う。確か4期目からこちらも段々忙しくなってきて、美学校の授業の負担が大きくなってきていた。その時はゲストに任せたりとかして続けていたんだけど、かえって悪いなと思って、話し合ってじゃあ昭和40年会(注9)というので僕も関わるけどメンバー6人で分担して、僕の負担も六分の一で、という流れだったんだと思う。

美学校について


━━━ 会田さんは教えるのが嫌いだといつもおっしゃいますが、その理由を教えてください。

教えるというのは矛盾があることだよね。僕はあらゆる面で教えるのが嫌いだけど、唯一堂々と教えられるとしたら、全部自分と同じような方法論とか描き方とかで、自分のコピーロボットみたいのなら作れるかもしれない。けれども美術界で自分と同じようなやつが増えるというのは全然喜ばしいことではないしね。なるべく自分は珍しい少数であって、珍しがってもらいたいしさ。僕と同じ路線で僕より良くなったらヤバいじゃん。

そういうわけで共存共栄するためには、新人は自分と違う方向性の方があらゆる意味でいいわけで、それを教えるとか育てるとかなると妙なことになるんじゃないかな。まあせいぜいいいねっておだてるくらいかな。

━━━ 一般的な教育機関だと技術を継承することや、今まで培って来たものを後の世代にとかが目的の一つだったりしますが、そういうのはないのでしょうか。

因果な現代美術というところに来たからだろうね。本当は職人とかが自分の技能を弟子に伝えて脈々と続くというのが健全なことのはずなのに、自分のオリジナルのやり方を人に伝授するのがためらわれてしまう現代美術は、なんだかもしかしたら間違った変な文化なのかもしれない。

 


  注8:ふつう研究所
遠藤一郎が自宅のちゃぶ台に「ふつう研究所」と書いたことから発足したグループ。結成は2004年。30人近くにおよぶ若者たちによって構成された。所長遠藤一郎のもと、2005年には工藤キキが企画するポレポレ東中野のイベントで、「ドラクエ」のテーマ曲をフル・オーケストラで演奏することに挑んだ。

  注9:昭和40年会
1994年に昭和40年(1965年)生まれのアーティストによって結成されたグループ。現メンバーは松蔭浩之、会田誠、大岩オスカール、小沢剛、パルコキノシタ、有馬純寿の六名。美学校ではメンバー全員が40歳になる2005年に「ヨレヨレアートコース(現・アートのレシピ)」を開講。

━━━ 美学校自体も教えることをみずから意図し果たすことはできないと言っていますしね。

美学校が創立された60年代の美学校と美術大学からは双方とも大分様変わりしただろうけど、でも相変わらず美大というのもののカウンターとして、機能しているんじゃないでしょうかね。

TATも芸大と一緒なんでしょ?偏った僕のTwitterのタイムラインだけど、芸大の展示と美学校たちの、美学校だけではなくてね、展示を対比的に語っている人も散見するよね。それは僕のタイムラインだからこっちの方がいいというのが多いけどさ。逆側だったら逆の方が多いだろうけれど、ともかくちゃんとパキッと対立軸になっているような感じは、美学校の伝統的な感じではないんじゃないですかね。

━━━ TRANS ARTS TOKYOでは卯城さんが講師を務める「天才ハイスクール!!!!」のフロアも好評ですね。

僕が直接関わることもなく勝手に成長していて、喜ばしい限りだね。卯城も頑張っているんだろうけれども、   中村奈央さん(注10)とかキュレーター的立場の人が重要に動いているよね。ああいうのもすごい大切だね。卯城がそう仕向けたかどうかわからないけど、僕の四年間で僕ができなくて卯城がやったのは中村奈央ちゃんみないな人を育成したことだろうな。案外アートの状況を変えるためには、ああいう人を育成するのも重要なんじゃないかな。

━━━ 2000年から藤川さんが美学校の代表になり、現在の美学校を築いてきたのは藤川さんだと思うんですが、会田さんの藤川さんに対する印象を教えてください。

若手の展覧会に頻繁に顔を出すのは良いことだよね。恐らく他の美術学校の校長先生は、そういうふうに足繁く行く人はあまりいないでしょう。現場主義なところが藤川さんのいいところだろうね。それと60年代もあるんだろうな。60年代から70年代のあの頃の残り香がぷんぷん漂う感じ。あれが貴重だね。ある種の人は80、90年代にそういう過去の匂いを消したりしていたけど、藤川さんは頑なにそこらへんのマインドをキープし続けている。時代錯誤といったら時代錯誤なところが、逆に今や貴重な存在かもね。

━━━ 最後に美学校の印象を教えてください。

美大もそうかもしれないけれど、美学校は特に積極的に利用するところで、利用してこそ美学校だと思う。それに他の美大よりも恐らく実際の美術界に開けているしね。

美大はいい面もあるけれども、アカデミーの中で閉じている構造で、もちろんそれによってゆっくりと技法を覚えられたりとか、そういうメリットもある。それに比べて美学校はスカスカで掘っ建て小屋みたいなものだけど、でもまあ美術界の風は掘っ建て小屋の方が入りやすい構造だし、特に野心があってやる気のある人は、美大より美学校の方がいいだろうね。

逆に言うとやる気がないなら美学校には来ない方がいいのかもしれない。

━━━ 本日はどうもありがとうございました。会田さんは現在森美術館で個展「天才でごめんなさい」を開催中です。2013年3月までですので是非足をお運び下さい。

 


  (注10)中村奈央
「ナオナカムラ」ディレクター。美学校でOJUNが講師を務める「生涯ドローイングセミナー」を修了後「天才ハイスクール!!!!」助手を務める。2012年に素人の乱12号店にて「ナオナカムラ」を始動、月一回のペースで若手アーティストをフィーチャーする展覧会を開催。