講師:倉重迅、田中偉一郎、阿部謙一
修了生:長田雛子(2期生)、佐久間洸(2期生)、渕本ありさ(4期生)、前田菜々美(5期生)
進行:木村奈緒(美学校スタッフ)写真:皆藤将(美学校スタッフ)
収録日:2015年7月27日美学校
2010年に開講した講座「映像表現の可能性」(2017年10月期より「芸術漂流教室」としてリニューアル)は、アーティスト2名と編集者1名が講師を務める、美学校でもちょっと異色の講座です。講師3人の授業ってどんな感じ?「映像表現」というからには、受講生は映像を作るんだよね?などなど、知っていそうで知らない「映像表現の可能性」にまつわるあれこれを、修了生と講師陣の方々にお話いただきました。ここでしか聞けない(?)本音トークで「映像表現の可能性」の実態に迫ります!
連日の酷暑のなか、クーラーのない美学校に集まっていただいた修了生&講師のみなさん
「映像表現の可能性」は藝大の予備校&ダブルスクール?!
――本日は、お忙しいなかお集まりいただきありがとうございます。まずは講師の方から自己紹介をお願いできますか。
倉重 倉重迅です。1975年2月21日生まれ。美術家、映像作家他です。 ヨーロッパから帰国して、松蔭浩之さんのクラス(「ヨレヨレアートコース」※1)で2〜3年ゲスト講師をしたあと、映像クラスを立ち上げました。
田中 田中偉一郎です。男性、血液型B型、魚座、寅年です。いまの社会的な潮流に乗りたがらない美術作家です。広告代理店で働きながら、現代美術のほうはお金にならないことを積極的にやっています。「映像表現の可能性」には2期目から講師として参加しました。
阿部 阿部謙一です。美学校には展示を見に来たり、松蔭さんのクラスの修了展の講評会に参加したりすることはありましたが、講師として参加したのはこのクラスが初めてです。迅くんから直接誘いを受けて、初年度から講師をしています。普段は、現代美術周辺で書籍編集や雑誌記事の執筆をしていて、文字や紙媒体を扱う仕事がほとんどです。アーティストが二人(倉重、田中)いるうえで、編集者が一人いるという、ちょっと特殊なポジションです。
――修了生の方も自己紹介をお願いします。
長田 長田雛子です。秋田県出身の24歳で、「映像表現の可能性」の2期生です。1年間このクラスで勉強したあと、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科に入学して、いま4年生です。もともと映像に強いこだわりがあったわけではないんですが、先端に入ってからも、自分が何かしているところを映像で記録して、それを作品に展開することが多いです。
前田 5期修了生の前田菜々美です。「前髪」(※2)という名前でパフォーマンスもしています。いまは、藝大の音楽環境創造科3年生です。大学2年生のときにダブルスクールで「映像表現の可能性」を受講していました。
倉重 「映像表現の可能性」は、藝大の予備校もしくはダブルスクールってことかな。
一同 (笑)。
佐久間 佐久間洸です。2期生です。大学を卒業してから美学校に入って、松蔭さんのクラス(アートのレシピ)と映像クラスを同時に受講していました。大学は美術とは関係ない文系の学部です。いまはボムライ(BOMBRAI)(※3)という名前で活動をしたり映像作品を作ったり、いろいろやっています。
藤川校長の「映像クラスを作ってくれ」の一言で始まった
――そもそも、どういった経緯で「映像表現の可能性」は開講したのでしょうか?
倉重 藤川さん(美学校校長)に独立して講座を持てと言われたのがきっかけです。自分は映像だけにこだわりたくなかったんですが、映像の講座にしてほしいという校長の強い要望がありまして。ただ、自分一人では難しいと思ったので阿部さんに声をかけました。当時近所に住んでいたので、飲み屋で会議をしましたね。講座名にどうしても「映像」を入れる必要があるというので、えらい苦労してこのタイトルに決めました。
阿部 迅くんから話をもらったとき、美学校の授業がどんな感じかもよく知らなかったんです。だけど、迅くんが最初から「映像以外のことも積極的にやりたい」と言っていて、そこに賛同できたので一緒にやろうと決めました。松蔭さんが、三田村さん(※4)や宇治野さん(※5)と一緒に講座をやっているように、アーティスト同士で講師をやるのが普通だと思っていましたが、作り手ではなく見る側の人間が参加することで面白いことができるかもしれないとも思いました。最初はそんなに自信はなかったんですけどね。
倉重 当時はアーティストが講師を務めている講座が多かったから、阿部さんみたいな人がいたら面白いだろうなと思いました。だけど、なかなか二人では回せなくなって(笑)、次の年にはもう一人講師が必要だということになったんです。
――それで、田中偉一郎さんに声をかけられた。
倉重 映像作家というと、映像だけを作っている人が周囲に多いんですが、そうではなくて幅広く制作している人、活動の場が美術の世界だけではない人がよいと思ったので、偉一郎くんは適任だなと。
――偉一郎さんは、依頼を受けてどうでしたか?
田中 ちょうど、2011年の3月に個展をやったんです。当時はギャラリーに所属していたけど、ギャラリーがあんまり広報に協力的じゃなくて、オープニングに30人くらいしかお客さんが来なかった。これじゃあダメだと思っていたところに東日本大震災が起きて、これはいよいよ現代美術家としてダメかなと思ったんです。これまでの作風からして、あまりにも社会的な作品を作ると作家として辻褄が合わなくなるし……。だけど、松蔭クラスがオープニングに来てくれていて、松蔭さんに修了展の講評を依頼されていたんです。それで、たまたま講評会に行ったら、たまたま阿部さんと迅さんも映像クラスの講師として講評をしていて、たまたま迅さんにちょうどいいと思ってもらったんですね。それで、たまたま……。
一同 たまたま(笑)。
田中 美学校の講師になれば、いろいろ情報も入ってくるだろうし、現代美術からはみださない感じでいられるかなと。当時はそんな気持ちもあって、講師を引き受けました。
――長田さんは、どうやって美学校と映像クラスを知りましたか?
長田 もともとは、ぜんぜん知らなかったんです。行きたい美大に行けなくて、でも作品は作りたいと思っていたときに、複数の人から美学校っていう面白いところがあるよと教わって、調べてみたら「映像表現の可能性」というタイトルの講座があった。映像には興味があったので、一年くらい映像に専念してもいいかなと思ったのと、やっぱり作る環境と見てもらう環境が欲しかったんですね。それで、受講しました。
――前田さんはいかがですか?
前田 どうやって知ったのかはあんまり覚えてないんですけど、なぜか知っていました(笑)。
田中 美学校を知って、最初から自分と関係あると思った?
前田 最初は覚えていないんですが、大学2年生になるときに、本当にこの大学、この専攻でよいのか悩みはじめて、大学をやめるかやめないか、他のところに行くかと考えたときに「あ、美学校!」と思い出したんです。それで最終的にダブルスクールというかたちで受講しました。もともと映像に興味があったわけではないんですが、映像って何かな、わからないな、講師も3人ってなんかよくわからないし、じゃあそこに行ってみようみたいな感じです(笑)。
田中 いちばん謎めいていたっていうこと?
前田 そうですね。
田中 何をやるかわからないというよさはあるかもしれないね。
――佐久間くんはどうですか?
佐久間 国立新美術館で美学校のパンフレットを見て知りました。パンフレットがイカしてるな、ロゴが悪魔的でヤバいな(笑)、面白そうだなって思ったんです。映像クラスを選んだのは、時間的に通いやすかったのと、先生が3人いてお得感があると思ったからですね。
(※1)ヨレヨレアートコース
2007年〜08年まで現代美術家・松蔭浩之が講師を務めた講座。松蔭・会田誠ら昭和40年会のメンバーが05年に開講した「ヨレヨレアートコース」が前身。09年に「ヨレヨレアートセミナー」に、10年からは「アートのレシピ」となり、現在第6期を迎える。倉重は08年からゲスト講師を務めた。
(※2)前髪
前田菜々美さんは、前髪(まえがみ)という名前でパフォーマンスも行っている。展示やパフォーマンスの情報はこちらでチェック→Twitter@まえがみ(まえだななみ)
(※3)ボムライ(BOMBRAI)
JOYCE a.k.a. 佐久間洸と大勢の仲間たちによるアート集団。ほぼ毎週「ボムライ(BOMBRAI)TV」をYoutubeにアップ中→ボムライ(BOMBRAI)チャンネル
(※4)三田村さん
美術家・三田村光土里。松蔭浩之とともに美学校「アートのレシピ」の講師を務める。midorimitamura.com
(※5)宇治野さん
美術家・宇治野宗輝。2002年〜06年まで「ゴージャラスの『肉体塾』」などで松蔭浩之とともに美学校講師を務めた。the-rotators.com