通年講座「美楽塾」の公開授業を7月15日に開催します。ゲストは、「ひかりの輪」(東西の思想哲学の学習教室)代表の上祐史浩さんです。公開授業はどなたでもご参加可能です。お気軽にご参加ください。
「いつの日かやりましょう、21世紀の新しい宗教と芸術の融合を!」
3年数か月前の寒い冬の日、お会いした上祐氏は、私に対しこの前向きで力強い言葉を投げかけた。
私は以前から、芸術・科学・宗教の不可分性を確信しそれらを天的嗣業と、またそれ以外の経済・政治を人的稼業と呼んでいた。
その”天的嗣業:人的稼業”の関係性は、”心:肉体”、”無機:有機”、”情報現実:物理現実”などとの関係性と同一と認識している。
経済・政治の人的稼業は、芸術・科学・宗教の天的嗣業と同じ比重を持つ対概念であったはずが、資本主義経済が過剰に威力を帯びていった旧世紀においては、この天的嗣業の不可分性を破壊し、分解した上で、人的稼業の目的充足を果たすための素材化し、更に人的稼業こそが、人生の喜び、幸福を実現するものとして、天的嗣業を下位概念として内包するに及んだ。
私は旧世紀に生じた様々な種としての、また個としての不幸な問題の元凶は、この比重の転覆にあり、端緒は天的嗣業の不可分性破壊にあったと信じている。
同時に経済・政治の人的稼業が芸術・科学・宗教の天的嗣業を利用しようとしていた不自然な旧世紀が、今、緩やかに、しかし力強く修正されようとしていると楽観している。
それだけに、前述の上祐氏の言葉は、単なる再会の為の威勢の良い社交辞令ではなく、私に於いて核心を突く重大さを持っていた。
上祐氏は予てより、宗教と科学は別物ではないという”一元思想”を、ひかりの輪オフィシャルサイト上でも明らかにされていた。
サイト上で上祐氏は、トランスパーソナル心理学の創始者の一人でもあるスタニスラフ・グロフ氏が、第7回トランスパーソナル学会(1982年インドにて開催)で述べた以下のような言葉を引用紹介されている。
「現代の西洋科学—天文学、物理学、生物学、医学、情報理論、システム理論、深層心理学、超心理学、意識研究—における革命的な発展で最も興味深い点は、宇宙や人間の本性に関する新しいイメージが、古代や東洋の霊的哲学—さまざまなヨーガの体系、チベットの金剛乗、カシミールのシャイヴィズム、禅仏教、道教、カバラ、キリスト教神秘主義、グノーシス主義—のイメージとしだいに類似してくる傾向があるということである。
われわれは古代と現代の驚くべき総合、そしてまた、この惑星上の生命に甚大な影響を及ぼすにちがいない、東洋と西洋の偉大な業績のとてつもない統合に向かっているように思われる。」
(「個を超えるパラダイム」スタニスラフ・グロフ編 吉福伸逸編訳)
旧世紀に破壊された天的嗣業の不可分性再構築という命題は、私個人のみならず、旧世紀の残滓が及ぼす閉塞感と、近未来に於けるシンギュラリティへの楽観を持つ全ての人々にとって、大きな関心事となるだろうと思う。
あの寒い夜から3年数か月を経て、改めて上祐氏とお会いし、「いつの日かやりましょう!」とお約束した「21世紀の新しい宗教と芸術の融合を」、ようやく具体的に一歩踏み出す初夏の夜となる。
ここから何かが変わっていくだろうと、私は強く楽観し、わくわく楽しみにしているのだ。
(JINMO)
講 師:JINMO
ゲスト:上祐史浩
日 程:2015年7月15日(水)
時 間:20:00〜22:00
参加費:予約2000円/当日2500円/美学校生1500円
申込み:ご予約は締切りました。当日参加は、開始時間までに席に余裕があった場合にかぎり、お並びいただいた順番でお席にご案内いたします。満席の場合はご参加いただけない場合もありますので、事前にご了承ください。
会 場:美学校 本校(地図)
東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F
※公開授業はどなたでもご参加可能です。お気軽にご参加ください。
※ご予約された先着20名の方に、鼎談「終わらないオウム」書籍がプレゼントされます。(7/4)
ゲストプロフィール
上祐史浩
「ひかりの輪」(東西の思想哲学の学習教室)の代表。 1962年福岡県に生まれる。 早大大学院理工学研究科修士課程を修了後、 宇宙航空研究開発機構に入団するも、 まもなく退職し、オウム真理教に出家。 地下鉄サリン事件発生時にはモスクワに滞在、 事件後に帰国し教団のスポークスマンとなる。 偽証罪で逮捕され、出所後「アレフ」代表となるが、 麻原・オウム信仰から脱却し、2007年に脱会、 「ひかりの輪」を設立した。 著書に『オウム事件 17年目の告白』(扶桑社)、 鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)、 対談『危険な宗教の見分け方』(ポプラ社)、 などがある。
▷授業日:曜日不定(月2〜3回/年間27回) 19:30〜21:30
本講義は芸術表現の技法や知識といった”情報”の伝授の場ではない。五感、総ての感覚器官で対峙する状況における美の”体験”を実感する場としたい。良質のインプット無しには良質のアウトプットはあり得ない。美しいインプットに貪欲であれ。