【5/28】実作講座「演劇 似て非なるもの」第五期開講前プレイベント「世界を眺めてみる 舞踊と音楽から 2」




昨年に引き続き、今年もダンス批評家の武藤大祐さん、シタール奏者のヨシダダイキチさんをお招きして、実作講座「演劇 似て非なるもの」第5期の開講前にプレイベントを開催します。

昨年は「世界を眺めてみる 西洋以外の舞踊と音楽から」というタイトルでしたが、今年は「西洋以外の」ということばを外しました。

何故、「西洋以外の」とあえて強調したのかというと、こういう理由からでした。

……

例えばコンテンポラリーダンスにおいてはバレエの技術が基礎となっており、
音楽の世界では西洋音楽の十二音音階が基礎になっているわけです。
(少なくとも日本に住んで教育を受けているとそう感じる)
でも実際には、おそらく世界中の舞踊を見渡してみれば、バレエこそが非常に特殊な踊りであり、
音楽においても、西洋の機能和声や十二音階が音楽の全てとは言えないと思います。

コンテンポラリーダンスの世界に留まらず、アジアを中心に広い視野で舞踊について研究考察されている武藤さんと、インド音楽はもちろん日本の古典音楽についても造詣の深いヨシダさんに、
映像や音で、さまざまな舞踊や音楽を紹介していただき、
当たり前だとされていることを、簡単に当たり前だと思わないで、
少しでも視野を拡げて世界を眺めてみたいと思います。

……

ですが、そもそも「西洋」と「東洋」という概念自体が、近代の「西洋」中心の世界から生まれたものであると思います。

武藤さんがSNSでこう書かれていました。

明治以降の日本舞踊を少し掘ると朝鮮やインドでも近代化のプロセスとしてはたいてい似たことが起こっている。しかし日本や朝鮮やインドの人々はそのことを知らない。お互いの歴史を知らない。「西洋」と自国の比較しかして来なかったし、今もしていない。「西洋」と比較しながら、国を単位として自文化を語ることが、結局は「西洋」を中心に置いて自分たちを周縁に位置づけることになる。…横のつながりをもっと多元的に見れば視界がガラッと変わる。

……

今年も世界の様々な舞踊や音楽を、お二人に映像や音で紹介して頂きながら、縦糸と横糸を、楽しみながら、少しでも解きほぐすことが出来たらと思います。

生西康典

武藤大祐(ダンス批評家)

武藤大祐 ダンス批評家、群馬県立女子大学文学部准教授、振付家。20世紀のアジアを軸とするダンスのグローバル・ヒストリー、および、それをふまえた新しい振付の理論を研究。共著『Choreography and Corporeality』(Palgrave Macmillan、2016年)、『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012年)、論文「アーティストが民俗芸能を習うということ」(『群馬県立女子大学紀要』第38号、2017年)、振付作品『来る、きっと来る』(2013年)など。三陸国際芸術祭プログラム・ディレクター(海外芸能)。
Photo by Satoshi Nishizawa

ヨシダダイキチ(シタール奏者)

1996~インドにてシタールを始める。ウスタッド・シュジャート・カーンの弟子。ボダムス・YOSHIMIとのsaicobaba、AlayaVijana、sitaar-tahで活動。多くのオリジナル・アルバムをリリース。UAのアルバム「ファティマとセミラ」「テュリ」他を楽曲提供、奄美民謡・朝崎郁恵アルバム「はまさき」をプロデュース、タブラ奏者アルナングシュ・チョドリ、マタプラサッド・ミシュラ、ガムラン・グループ「スダマニ」、ブラジル音楽のヘナード・モタ、パトリシア・ロバート、マリコス・スザーノ、ジム・オルーク、デバシーシ・バッタチャリアほか共演。インド、中国、台湾、韓国他で公演。http://www.yoshidadaikiti.net

生西康典

生西康典(演出家)
さまざまな領域の作家たちと広範な活動を展開しており、近年は演劇とインスタレーションの狭間にあるような作品を送り出している。『風には過去も未来もない』『夢よりも少し長い夢』(2015、東京都現代美術館『山口小夜子 未来を着る人』展)、『瞬きのあいだ、すべての夢はやさしい』(2014、MAKII MASARU FINE ARTS)、『おかえりなさい、うた Dusty Voices , Sound of Stars』(2010、東京都写真美術館『第2回恵比寿映像祭 歌をさがして』)など。


出 演:武藤大祐、ヨシダダイキチ、生西康典
日 程:2017年5月28日(日)
時 間:19:00〜(22:00終了予定)
参加費:予約1500円/当日2000円
会 場:美学校 本校(地図
    東京都千代田区神田神保町2-20 第二富士ビル3F

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。