「劇のやめ方」講師・篠田千明インタビュー


やりたくない劇は、やめられる──「劇のやめ方」の開講にあたって、そう話してくださった講師の篠田千明さん(インタビュー全文はこちら)。4名の受講生とともに、自分が今どんな劇をしているのか、やりたくない劇をどうしたらやめられるのかを考え、実践してきた一年。次年度の開講に向けて、講師の篠田さんに一年を振り返っていただきました。

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篠田千明|2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで、中心メンバーとして主に演出、脚本、企画を手がける。以後、バンコクを拠点としソロ活動を続ける。「四つの機劇」「非劇」と、劇の成り立ちそのものを問う作品や、チリの作家の戯曲を元にした人間を見る動物園「ZOO」、その場に来た人が歩くことで革命をシュミレーションする「道をわたる」などを製作している。2018年Bangkok Biennialで「超常現象館」を主催。2019年台北でADAM artist lab、マニラWSKフェスティバルMusic Hacker’s lab参加。2020年3月に帰国し、練馬を拠点とする。

「中止式をつくる」「劇の書き換え」……

篠田 今年やったのは「中止式をつくる」「間接プレゼント交換」「劇の書き換え」「屋上をとある空間に変える」などです。「中止式をつくる」は、受講生に中止したいことを考えてきてもらって、エクササイズをしながら実際にセレモニーを作りました。例えば、図書館で借りた本を読み終わらないうちに返却期限が来ちゃうことってあるじゃないですか。そこで、受講生の松橋和也くんが考えたのが「読むのを中止して返却する」儀式です。どうするかと言うと、パッと開いたページの最初から最後までを音読して本を閉じて返却するんです。その本を読んだことにはならないけど、一通りの達成感がある。中止式をすることで、本を読んでいないというプレッシャーと、返却期限を過ぎているというプレッシャーの両方から逃れられるわけです。

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2021年10月に美学校屋上で行った「屋上をとある空間に変える」

篠田 「劇の書き換え」は、自分が普段している劇の中で、書き換えたいと思う劇を挙げてもらって、その方法を皆で考えました。受講生の伊藤満彦さんは、知人の飼い犬に話しかける時、飼い主の話し方につられてしまう劇をやめたいとおっしゃったんですね。満彦さんは犬に話しかけずにただ撫でていたいんだけど、飼い主が犬に「なになにちゃ〜ん」と話しかけるので、自分もつい「なになにちゃん、かわいいですね〜」と話しかけてしまう。それで、その状況をエチュードとしてお芝居でやってみました。飼い主役と来客役を立てて、座布団を犬に見立てて色々やっているうちに、犬に話しかけるんじゃなくて、飼い主に向かって「今日も(犬が)可愛いですね」って普通のテンションで言ってから、黙って犬を撫でればいいんじゃないかと。これは「書き換え」がうまくいきました。

年末には、美学校の忘年会に合わせて中間発表をやりました。小西善仁くんは自身の不眠から発想した《人生で一番のバタンキュー》、満彦さんは自身が危険な場に居合わせた時の体験を元にした《背中のためのリハビリ》、中島裕子さんはお客さんの悩みを聞いて常連客(観客)に劇として再現してもらう《スナックゆうこ》、松橋くんは参加者全員をオンラインでつないで、それぞれの場所で順々に灯りを消していく《消灯》という作品を発表しました。美学校のYouTubeアカウントで記録を公開しているので、ぜひ見てみてください。あと、最近は合宿にも行きました。松橋くんの地元の新潟に行って、いろんなアクティビティをしたり、旅館の部屋でパフォーマンスをやって旅館の人たちに見てもらったりしました。

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合宿での集合写真

受講生に共通したケアへの関心

篠田 今年の受講生4人は、普段やっていることはバラバラです。私の作品を見たことがある人もない人もいます。松橋くんは東京藝大の4年生で、今は休学して新潟で介護職をしています。小西くんはもともと演劇をやっていて、今は演劇だけでなく美学校で美術の講座も受講しています。満彦さんはダンスをやっていて、中島さんは東京・豊島区にある「BaseCamp」という就労継続支援B型の施設で働いています。

BaseCampは、精神障害がある人たちがイベントを開催したり、「当事者研究」を行うことを主な仕事としている場所で、私たちも遊びに行かせてもらいました。BaseCampではオープンダイアローグ(※1)もやっているんですが、そこで使う「リフレクティング」という技術が面白くて、授業でも取り入れています。

リフレクティングでは、AさんとBさんが向かい合って話しているのをCさんとDさんが聞いて、話を聞いて思ったことを、今度はCさんとDさんが二人で話します。その際、CさんとDさんはAさんとBさんから目線を外します。つまり、話を聞くことと話すことを分けるんです。オープンな形の話し合いだと、自分も何か言わなきゃという前提で人の話を聞いてしまうことがあるじゃないですか。だけど、話すことと聞くことを切り分けることで、聞くことに専念できるし、話す時も、ただただ思ったことが出てくるんです。中間発表の満彦さんと中島さんの作品にも、リフレクティングの技術が取り入れられていましたね。来期以降もBaseCampには遊びに行かせてもらいたいと思っています。

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篠田さんによる授業の記録

ヘルプを出せないと劇をやめられない

篠田 これはたまたまなんですが、今年の受講生はそれぞれ違うやり方で、全員が「ケア」について関心を持っていました。もともと、自分の中に「やりたくない劇をやめる」という選択肢を持つことが自己決定権を持つことにつながる、主体的に自分の身体を使って社会と関わっていく方法のひとつになると思って「劇のやめ方」というタイトルを掲げていたんですが、ケアについて考えていく中で「ケアの責任の所在」が浮かび上がってきたんです。

今までは、国家という劇やジェンダーという劇、家族という劇、カップルや夫婦は二人一組といったモノガミー的な感覚にケアが結びついていた部分があると思いますが、それらを解体していった時にケアの責任が浮いてくる。つまり、劇をやめた時に誰がケアをするのか。でもそこで、別の誰かが責任を取るのではないやり方も考えられるわけです。まずひとつの手段として、誰にでもヘルプを出せるのはすごく大事なことだなと思いました。それが割と難しいんですが。逆に言えば、誰にでもヘルプを出しやすい環境にいなければ、劇をやめることができなかったりするんです。

恋人として付き合っているから話を聞くとか抱きしめるといったように、劇がある前提で踏み越えられる、ヘルプを出せるみたいな考え方があると思うんですけど、そうではなくて、もっと色んな人に、色んな関係の状態でへルプを出せたり、どんな相手からでもヘルプをキャッチできることが大事なんですよね。だから、劇をやめていく過程でヘルプを出す練習をリハーサルとしてやる必要があるんじゃないか。一年間「劇のやめ方」をやって、皆の作品の制作に触れて、今はそんなことを考えています。具体的にどうしたらヘルプが出しやすくなるのかは、来期の課題でもありますね。ちなみに私は最近、鬱ってほどでもないけど気分がクサクサする時は、話し相手になってくれる人に電話をするようにしています。

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「劇をやめられる」だけでなく

篠田 来期も引き続き「劇のやめ方」から発展して、なぜ今劇をやめるのか、どういうふうにやめたらいいのかといったことを考えていこうと思っています。講座では、自分がやっていることや他人がやっていること、コミュニティがやってることなど、いろんな単位ですごく細かく見ていると思います。微細なところをよくよく見て、雑談をしながら皆と話をする。当たり前だけど、それぞれがそれぞれのやり方で社会や世界を認知しながら生きているわけじゃないですか。受講生の人たちと細かく話していくことで、ただ「劇をやめる」と言っていた時よりも、社会や世界の解像度があがっていく感じがします。

どんな人もどんな時にでも、その劇をやりたくないんだったらやめていいと、今もそう思っていますが、一方で、劇がセーフティーネットみたいになっている人たちもいっぱいいると思います。例えば高齢者の夫婦も、本当に仲が良くて一緒にいるというよりは、ぶっちゃけ今更別れるほうが疲れるとか、もうこの生活を変えたくないから一緒にいるということも多いんじゃないか。それが悪いんじゃなくて、そういうセーフティーネット=劇が存在して、果たしている役割があるということです。

それに、やりたくない劇はいつでもやめられるという考え方に照らせば、プーチンがロシアの欧州評議会脱退を決めたのも、劇をやめたと言えるわけです。欧州の国々が和平的に協力しあおうという建前があって、もちろん建前の裏では色々あったかもしれないけど、そういうものとしてあった劇を「もう知らない」ってないがしろにしてしまった。この劇は変えてもいいけど、この劇は変えちゃダメというのは違うと思うんですが、どんな時も劇をやめられるようにするだけでは何か足りないのかなとも思っています。そのあたりのことも講座を通して引き続き考えていきたいです。

2022年3月28日 収録
聞き手・構成=木村奈緒 写真=皆藤将

※1 オープンダイアローグ
「開かれた対話」を意味し、患者と医師の一対一ではなく、患者・家族・専門家らのチームで対話を重ねていく治療的介入手法。


劇のやめ方 篠田千明

▷授業日:隔週火曜日 18:30〜22:00
劇は始めるよりやめるほうが難しい。社会で起きている劇をやめるのはさらにとても難しい。難しいけど、劇をやめ方を考えることはいま必要とされているように思う。ワークショップや、今だから出来る実践を通して、みなさんと一緒に『劇のやめ方』にまつわる思考を捕まえたいです。