「版表現実験⼯房」はその名のとおり、(銅)版を⽤いて表現を探求する講座です。銅版画制作の技術習得を基本としながら、まずは⼿作業を通じてモノ作りの楽しさを経験します。また、版画表現の特性である「複数性」を土台とする間接的表現方法を徹底的に学びます。 さらに、基礎を習得した意欲的な生徒は、版画作品を自由制作するだけでなく、版画の垣根を飛び越えた「実験的版表現」を探求します。様々な素材や技法による地道な試作を積み重ねることで、「絵画や彫刻」の領域を超えるような未知の版表現を研究するのです。
「『版表現実験工房』が目指す方向とは、もはや額縁に入った平面の版画作品でなくてもいい筈です。私が生徒の皆さんに強く期待することは、上達した器用な技術力ではなく、不器用でも何かを表現したい『熱い創作意欲』なのです」(「版表現実験工房」講師・清野耕一)
約30年前に会社勤めをしながら美学校の銅版画⼯房に通い、その後サラリーマン生活を辞めて当校講師となり、美術家としても国際的に活動されてきた清野耕⼀さんにお話を伺いました。
吉田克朗さんとの出会い
⼤学卒業後、ドイツ系総合化学会社に就職した私は、ドイツ出張先の美術館で偶然見たエッチング作品に魅了されたことが契機となり、⾃分自身で銅版画を制作してみたいと思うようになりました。最初は都内の某カルチャーセンターの銅版画講座に参加したものの、仕事が忙しく途中で断念。その後小型プレス機を購入し、独学で版画制作を始めるようになりました。それから数年の歳月が流れ、本格的に銅版画を学ぼうと決心し、最終的に美学校を訪れたのが1991年の春。その時初めてお会いしたのが、銅版画工房講師の「吉田克朗」(*1)先生でした。彼との偶然の出会いが、私の人生の大きな転機に繋がろうとは、当初は想像もできないことでした。
吉⽥克朗⽒は版画家としての側面を持つものの、その当時日本の現代美術における「もの派」の代表的作家として既に有名な存在でした。彼の授業は一般的な版画教育とは一風変わっていて、自らの作家活動の経験談を交えながら、絵画・版画・彫刻・インスタレーションなど、あらゆる表現形式や技術を越えて最終的に「表現とは何か」を厳しく問う刺激的な時間だったのです。また、彼がいる銅版画工房には、常に笑いが絶えない明るい雰囲気があったので、美学校の中でも大人気の講座でした。当時の生徒たちは皆、彼の作家性と共に、素晴らしい人間性によって、瞬く間に「吉田ワールド」の虜になったのです。そして、地道な作品制作を通じてアートの楽しさを味わった生徒達は、ついには作家活動を目指して展覧会の出品の機会を持ち、徐々に自らの作品を個展やグループ展で発表するようになりました。
私は美学校・銅版画⼯房の吉田教室に2年間通った末、34歳の時に12年間勤めていた会社を辞め、思い切って自らの人生を180度転換し、美術分野での制作活動に集中するようになりました。丁度その頃、吉⽥⽒が某⼤学の教授に就任して美学校を離れることとなり、私は彼の後を引き継いで銅版画講座の講師となったのです。会社勤めから⼀転、私が制作活動に専念するようになってから、今年で約30年の月日が経ちます。師である吉⽥克朗氏との運命的な出会いは勿論のこと、美学校というユニークで開かれた美術教育の場がなかったら、きっと私は別の人生を歩んでいたでしょう。
銅版画の魅力
銅版画の代表的な製版技法として、「ドライポイント(直接彫刻技法)」と「エッチング(間接腐食技法)」があげられます。これらを用いた「製版工程」によって、光り輝くまっ平らな銅板表面には、突如数⼗ミクロンの深さを刻む銅版凹部が形成され、ついに目に見えない暗闇の神秘的世界が現れます。その目に見えない凹部の世界を現実に投影する作業が、銅版画の「刷り(プリント)工程)」です。まずは、マイナスに製版された銅版凹部に油性インクを詰め、凸部表⾯に付着した余分なインクを寒冷紗(*2)で拭き取ります。それから、⽔で湿らせて柔らかくなった紙をその版に乗せて、エッチング・プレス機で何トンもの重量によって加圧。最終的に、紙をめくり上げると、反転したイメージが突如出現して作品がついに完成します。このように、銅版画の制作過程は常に感動の連続なのです。
私が銅版画に強く惹かれたのは、版画技法の中で最も「物質的な質感」を表現の中で生み出すことができる点です。強酸の「塩化第二鉄水溶液」を使って銅板を腐食する「腐食(エッチング)工程」は、コントロールの難しい陶芸の窯入れに似た「ブラックボックス」のような存在。この計算が難しい腐食作業は、他の版画手法にはない銅版画ならではの特殊な効果が期待できます。また、銅版画の制作過程では、腐食作業以外に様々な薬剤や溶剤を使ったりするので、錬金術的未知の体験を楽しむこともできるのです。
美学校の私のクラスは、生徒のほとんどが未経験者なので、まずは銅版画の基礎をしっかり学びます。そして、自由制作の中で技術力と表現力を培い、間接表現である版画の面白さを体験します。この段階まで到達するのに、最低でも2年位の鍛錬が必要となるでしょう。ただし、技術力は多くの作品を手掛けることで徐々に上達するので、これが最終目標ではないのです。つまり、ハングリー精神を常に持ちながら、何かを表現したいという「情熱的な創作意欲」を失わないことが重要であり、その過程で自らの「オリジナリティー(独創的な表現)」を追求するのです。
版画の垣根を飛び越えて(複数性から多様性へ)
版画表現の基本的特徴は、全く同じイメージ、つまり「複数性」を生み出すことが可能な点です。その際に「版」の存在は不可欠であり、同じ色彩のインクと版を用いて刷ることによって、複数の同じイメージ作品を作ることができます。ただし、この複数性を土台とする伝統的な版画定義は、テクノロジーの進化に伴って大きく変容し、版画芸術は徐々に輝きを失ってきました。コピー機器の普及や、コンピューターを用いたCGやデジタル・プリントの出現によって、容易に早く大量の複数性を生み出し、簡単にイメージの拡大・縮小が可能になったのです。
とはいえ、伝統的版画表現の銅版画・木版画・リトグラフ・シルクスクリーンは、「版」を使って手作業で制作する全くのアナログ方式なので、絵画でも彫刻でもない、デジタルのCGでもない、新たな表現の可能性を依然として秘めています。仮に版画本来の特性である「複数性」を除外するとしたら、版画の垣根を飛び越えた「実験的版表現」を探求することによって、無数の新たな「多様性」が生まれるはずです。つまり、「版」の持つ隠れた能力を充分に発揮させることで、新たな表現方法や未知の作品を創造できるかもしれません。
参考例として、1988年に京都を拠点に生まれた「マキシグラフィカ(Maxi Graphica)」(*3)という関西の作家グループを紹介します。彼らの結成目的は、版画分野の枠から飛び出して「版画表現の可能性」を究極まで追求することでした。例えば、既成概念を覆すような超大型の画面によって、当時の日本版画界に大きな衝撃を与え、「絵画」に匹敵する程のスケールと強度を持った版画作品を発表したのです。また、様々な素材や技法による多様な版表現の実験的試みが行われ、「版画と絵画」の領域を超える新たな版表現が生まれました。そして、関西から生まれた「マキシグラフィカ」の革新的な活動は、ついに時空を越えて、今日の私の作品表現にも大きな影響をもたらしたのです。
モノをつくる場所
最⾼峰の版画教育で知られるカナダ・アルバータ⼤学のW.J.教授が来⽇した際に、私は彼を東京案内する機会がありました。アルバータ⼤学は、素晴らしい版画設備と広いスタジオ空間を備えており、過去に世界的な国際版画シンポジウムや大々的な国際展を開催するなど、版画教育が充実した大学の一つとして世界的に有名です。W.J.教授から「君が教える美学校へ是非とも連れて行って欲しい!」と突然のリクエストを受けた時、彼を案内するかどうか本当に迷ってしまいました。というのは、私は以前にアルバータ大学を訪れたことがあり、正直なところ美学校の設備や環境について少し劣等感を抱いたからです。とはいえ、最終的に美学校へ彼を案内することになり、神保町にある古臭いビルの階段をテクテク上がったのです。そして、W.J.教授が学校に入るや否や「美学校はモノ作りに最適な場所だよ!制作意欲を掻き立てる独特の雰囲気がある。」と思いがけない嬉しい反応を示してくれたのです。
どうやら、私は誤解していたようです。版画教育で重要なのは、充実した設備や綺麗な新しい環境でもないのです。⼀流の環境設備が整った場所は、むしろ⽣徒達を過度に甘やかし、その結果彼らは与えられることにすっかり慣れてしまう。彼らが一度大学を離れると、充実した設備や環境がないことから、多くの卒業生が制作活動を途中で断念してしまう。W.J.教授の意外過ぎる経験談から、真逆な存在に思われた美学校をようやく再認識することができました。
シンプルな基本的版画設備。インクや画材の匂いが漂う工房。歴史を感じさせる廊下や掲示板。制作に悪戦苦闘し、互いに刺激し合う生徒達。ひょっとしたら、美学校こそが制作意欲を大いに掻き立てるモノ作りに適した場所かもしれません。言葉では表現しにくいものの、なんとなく昭和レトロの居心地良い雰囲気を醸し出しているのです。たとえ環境や設備が完全に満足できなくとも、最低限基本的なものがあれば、工夫次第で何とかモノは作れるはずです。更に、逆境でこそ創意工夫の素晴らしいアイデアが生まれ、それを手間暇かけて実行することで、モノ作りに重要な価値を与えるのです。
汗を流し奮闘努力によって生まれる新たな作品との出会い。手指を動かし、制作することで味わえるモノ作りの楽しさと達成感。今まで見えなかったことが、作品制作を通じて発見できた時の喜び。作品を人前で発表した時の緊張感と満足感。これらの風景は美学校の日常を描写するひとコマですが、こうした絶え間ない制作活動は、最終的にその人の人生に大きな影響を与え、精神的な「心の豊かさ」や「生きる喜び」をもたらすことは間違いありません。どうぞ、美学校の「版表現実験工房」を一度見学してみませんか。版画の経験者も、未経験者も、版表現に興味のある方であれば誰でも大歓迎です。美学校の存在が、モノ作りの価値の理解を深め、生徒同士の化学反応を促進し、更なる出会いの機会に発展できることを切に願います。
2021年1月20日 美学校にて収録
写真提供=清野耕一、聞き手=木村奈緒
※1 吉田克朗
美術家。1943年⽣まれ。68年から70年代にかけて「もの派」の中⼼作家として木材や鉄板、⽯や紙といった素材を組み合わせた⽴体作品を発表。一方で、版画作品も⼿がけ、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで⼤賞受賞。後に絵画作品も⼿がける。美学校では80年から「銅版画⼯房」の専任講師を、93年から99 年まで特別講師を務めた。99年没。
※2 寒冷紗
銅版の余分なインクを拭き取るために用いられる、目の粗い薄地で硬い織布。
※3 マキシ・グラフィカ
版画表現の可能性を最⼤限に追求することを⽬的に結成されたグループ。1988年、京都を拠点に結成。これまでの版サイズを超えた巨⼤な作品や、様々な技法や素材による版表現の試みがなされ、版画と絵画の領域を越えるような表現が⽣まれた。結成20周年の2008年にグループとしての活動を終える。(参照:「現代版画・21⼈の⽅向現代版画⼊⾨」国⽴国際美術館)
講師略歴
清野耕一(きよの・こういち)
1957年東京都生まれ。1980年早稲田大学社会科学部卒業。1992年美学校・銅版画工房修了。2002-03年文化庁新進芸術家海外留学制度により、カナダ・カルガリー大学にて研究活動。2011年第8回高知国際版画トリエンナーレ展にて優秀賞受賞。その他、日本国内、及び北米やヨーロッパにて個展や国際展に多数出品。従来の版画作品のみならず、「版表現」を応用した平面・立体・インスタレーション作品へ展開している。
講師・受講生の作品
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