「アンビカミング: シャドーフェミニズムズの芸術実践」講師・遠藤麻衣インタビュー


2022年に開催したオープン講座「シャドーフェミニズムズの芸術実践」を経て、2023年5月期より、遠藤麻衣さんによる「アンビカミング: シャドーフェミニズムズの芸術実践」が開講します。開講にあたって遠藤さんにお話をうかがいました。

mai_01

遠藤麻衣(えんどう・まい)|1984年生まれ。おしゃべりやDIY、演技といった遊戯的な手法を用いる。民話や伝説といった史料、ティーン向けの漫画やファンフィクション、婚姻制度や表現規制に関する法律など幅広い対象の調査に基づき、クィア・フェミニスト的な実践を展開している。主な展覧会に、「燃ゆる想いに身を焼きながら」愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA・KURA(愛知、2021)、「フェミニズムズ」金沢21世紀美術館(石川、2021)など。2018年に丸山美佳と「Multiple Spirits(マルスピ)」を創刊。2021年東京芸術大学美術研究科博士後期課程修了。2022年文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨーク滞在。

「シャドーフェミニズムズ」と出会って

遠藤 私は俳優・美術家と名乗って作品をつくったり、パフォーマンスをしたり、演劇に出たりしていますが、そうした活動のベースにはフェミニズムへの関心がありました。けれど、自分が日本で見たり聞いたりしてきたフェミニズム的な芸術実践と、自分の芸術実践が少し違う方向を向いているとも感じていました。たとえば、自分がやってることに対して、「男性がまなざす女性像」のようなものに抵抗しているとか、そうした「見る/見られる」の構造を解体しようとしているとか撹乱しているといったように、「男女」という枠組みありきで語られることがたびたびあって。もっと別の仕方で思考を組み立てたり、語ったりしたいと思っていました。

 そういう私も、小さい頃に見たテレビ番組の印象などからフェミニストは強い女性だというイメージを持っていたときがありました。強い言葉やアクションで社会を批判する積極的な運動・表現としてフェミニズムをとらえていたんです。対して、私自身は積極的なアクションができなくて気後れしていたというか、何か言いたいことがあってもすぐに反応できず、あとからくよくよ考えて、全然フェミニストじゃないと感じていました。結婚制度が不平等な制度であると知りつつも、そういうものを完全に拒否できるほど、精神的にも金銭的にも強くなれなかったり。結婚に関しては「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」と自分への皮肉を込めたタイトルをつけて作品として発表したんですが、かなり消極的な方法で作品をつくっていました。フェミニズムへの興味はあるけど、自分はそこに乗り切れていないのではないかという思いがあったんです。

 じゃあ、自分は何をやっているのか。どのように自分自身の活動を説明できるのか。そう考えているときに出会ったのが「シャドーフェミニズムズ」という概念です。シャドーフェミニズムズとは、クィア理論家のジャック・ハルバースタムが提唱した「ネガティブ」で「パッシヴ(受動的)」な複数のフェミニズムのことで、ブラックフェミニズムやポストコロニアルのフェミニズムの流れにあります。

 ハルバースタムはオノ・ヨーコの《カット・ピース》を挙げ、鑑賞者に衣服を切り刻まれるのを黙って抵抗しないでいるこのパフォーマンスがフェミニスト的ではないと言われることに対して、その語りが前提にしている「あるべきフェミニスト」を批判し、別の語り方を模索しています。自己破壊的なまでにパッシヴだったり、政治的に正しくない欲望だったり、愚かな行為や失敗と言われる状況を投げ出さずそこに留まってみよう、そこにこそ創造的な可能性があるんじゃないかという話をしています。この、シャドーフェミニズムズという視点でいろんな芸術実践を見て、意見共有する場を持ちたい。そうしたモチベーションが、美学校でのオープン講座「シャドーフェミニズムズの芸術実践」(2022年4〜7月、9〜12月開催)につながりました。

mai_02

「当事者」ではないことに気づく

遠藤 いま振り返ると、私がフェミニズムに関心をもったのは、2014年に出演した演劇がきっかけだと思います。その年の「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」で──今は「レインボーリール東京」に名称が変わりましたが──劇作家・演出家の西尾佳織さんが演出された『8』という朗読劇に出演したんです。同性婚を禁じたカリフォルニア州の「Proposithion 8(提案8号)」の違憲/合憲をめぐって実際に起きた裁判をもとにした演劇(※1)です。もともと西尾さんの演劇が大好きで、彼女が演出する作品に出たくてオーディションに参加しました。

 西尾さんの稽古は、ただ台本を読むだけではなく、俳優陣と映画祭の制作陣が一緒に勉強会に参加して、里親制度や日本の同性婚にまつわる状況などへの理解を深めながら役作りをしていきます。私は、カリフォルニアに住んでいる女性同士のカップルの息子役を演じたんですが、そこで私自身は「当事者」ではないんじゃないか?という疑問が生まれました。

 映画祭は、セクシャルマイノリティの方たちの「自分たちの映画祭をつくる」という意思によって企画・運営されています。一方で、自分はそれまで社会的に権利を得られていない状態にあったことがなかったし、そうした問題があること自体、深く考えずに過ごしてきました。映画祭の人たちと自分の、社会における立ち位置や視点の違いを感じながら、劇中ではそんな自分とは異なる立場の人を演じている──。法律や社会が決めたルールによって、ジェンダーやセクシャリティにまつわる「当事者性」が線引きされてしまう状況をどう捉えればいいのか。『8』への出演をきっかけに、こうしたことを考えるようになりました。

「不適切さ」のなかにあるクリエイティビティを見る

遠藤 そのような考えをベースに、これまで芸術実践を重ねてきていて、そのやり方は演劇だったりパフォーマンスだったりジンを作ったりと色々です。そのひとつである「シャドーフェミニズムズの芸術実践」は、すごく面白かったですね。Zoomで行いましたが、オンラインの良さも感じました。私自身も滞在先のニューヨークから参加していたし、日本の北から南まで、いろいろな場所で生活している方が参加してくれました。講座の前半を私のレクチャー、後半をみんなでおしゃべりする時間にしましたが、それぞれの視点を共有できる場になっていて、とても刺激的でした。

 たとえば「親密な関係性」を主題にした回では、昨今、私たちが他者と関係を築く際に、お互いが対等な関係であることと、両者の合意があることがすごく重要視されているけれども、それもまた近代がつくった「規範」ではないかという話になって盛り上がりました。その回では『狂気な倫理──「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の肯定』(小西真理子、河原梓水・編著、晃洋書房、2022)や、ジャック・ハルバースタムの『The Queer Art of Failure』(Duke Univ Pr, 2011)を参照しながら話をしました。

mai_03

オープン講座「シャドーフェミニズムズの芸術実践」でのレクチャーの模様 

 今年新たに開講する講座には「アンビカミング」というタイトルを付けましたが、「アンビカミング」には「不適切」「場にそぐわない」「雰囲気をぶち壊す」といった意味があります。今の世の中で、不適切だと思われていることがあったら、「不適切でダメだから、いい方向を探そう」となるのではなく、それがなぜ不適切とされてしまうのか、不適切とされる理由のなかに、実はみんなが生きづらくなる規範のようなものが存在しているのではないか。そのように、講座では「不適切なもの」のなかにあるクリエイティビティを積極的に見ていきたいと思っています。

 芸術的な生活の仕方を考える

遠藤 「アンビカミング:シャドーフェミニズムズの芸術実践」では、美学校での対面講義とオンラインでの講義を交互に開催します。場所を選ばずに参加できるオンラインの良さを活かしながら、対面講義でなにか身体的なワークショップ──例えばシャドーフェミニズムズ的な考えと共鳴する活動をされている方を招いたワークショップ──を開催したいと考えています。受講される方の関心もいろいろだと思うので、それぞれの関心事をベースに、講座でやってみたいことを展開できたらと思っています。

 私自身は、ビデオ作品をつくってギャラリーや美術館で展示をしたり、野外で演劇をやったり、丸山美佳さんとアートZINE『Multiple Spirits(マルスピ)』をつくったりしていますが、この講座で言う「芸術実践」では、私も想定できていないような取り組みを期待しています。必ずしも「作品をつくって発表すること=芸術実践」とは捉えていません。今の新自由主義的な政策と、それによって出来ている社会の仕組みに限界を感じている人が、自分の生活の仕方をいかに芸術的に考えていけるのか。そうしたさまざまな「実践」を、講座を通して行いたいです。

mai_05

『Multiple Spirits』のウェブサイト( https://marusupi.love/

  過去2回のオープン講座には、いろいろな人が参加してくれました。学生、アーティスト、魔女、会社員、研究者、動物との生活を芸術的に実践しようとされている方もいました。ろう者の方も参加されていて、その方にアドバイスをいただきながら日本語手話の通訳を授業で取り入れるなど、授業の枠組みそのものも受講された方と一緒に考えることができましたし、ろう者のコミュニティや文化のなかにあるジェンダーの問題を考えたりもしました。性の話だけが主題になるというよりは、今まであまり語られてこなかったことのなかに、実はジェンダーやセクシャリティの話が絡んでいて、両者が交わる点を探っていくことも多かったと思います。

 参加者の方のフェミニズムへの関心の持ち方もさまざまで、フェミニストと名乗りたくないけど、フェミニズムにはすごく関心があるという方もいました。「アンビカミング:シャドーフェミニズムズの芸術実践」は、クィアフェミニスト的な芸術実践に関心がある方はもちろん、かつての私のように、フェミニズムに関心はあるけど距離を感じている方も歓迎しています。あるいは、批判的な視点をお持ちの方もいると思いますし、何かしらの関心を持っている方に来ていただけたら嬉しいです。

 ニューヨークでの出会いを日本につなぐ

遠藤 文化庁新進芸術家海外研修制度で、2022年から1年間ニューヨークに滞在しているんですが、この1年はめちゃくちゃ面白かったですね。帰国するのが寂しいです!ニューヨークの私立大学プラット・インスティテュートのなかに「フランクリン・ファーネス(Franklin Furnace)」というアート・オーガニゼーション・イン・レジデンスがあって、そこでの研修が主な目的で滞在しています。1970年代に、マーサ・ウィルソンというアーティストが──この方もフェミニストのパフォーマンス/コンセプチュアルアーティストですが──当時まだ「芸術」と見なされていなかった実験的なパフォーマンスや、アーティストブックの発表場所としてつくったオルタナティブスペースが、フランクリン・ファーネスの始まりです。

 スペース自体は2000年代に閉じまして、今はその30年近い活動のアーカイブのデジタル化や、世界中から今も送られてくるアーティストブックの収集、若手アーティストの支援などを行っています。本当にたくさんの貴重なパフォーマンスの記録映像や資料が残っていて、アーキビストの方たちが、それを日々整理されています。マーサは75歳になった今も精力的に活動をされていますが、スペースを運営する人はどんどん世代交代していて、現在は台湾から来たファン・ユ・ルゥや、ロシアから来たニコール・ローゼングルトがアーキビストとして働いています。フェミニストのアーティストが自らはじめたスペースが、どのように続いているのか、すごく興味があったんですが、実験的な活動やアーティストへのリスペクトは変わらず、活動形態を変容させながら場所が続いていく様子を知れたのが良かったです(フランクリン・ファーネスについて知りたい方は、「クィア・フェミニストの先駆者イトー・ターリとは? いま向き合うべき『人びと』という概念」をご覧ください)。

 また、中国の深圳から来たアーティストのイティエン・ヤンとパフォーマンス/インスタレーションをつくったのがきっかけで、ニューヨークのチャイナタウンに住んでいる東アジア系のアーティストたちと仲良くなりました。チャイナタウンに古くからあるコロンバス・パークでのゲリライベントを見にいったりもしましたね。コミュニティガーデンにもよく行っていたんですが、アナキストブックフェアやセルフディフェンスのワークショップ、ツアー型演劇などさまざまな野外イベントが常にありました。コロナ禍で人々が集まることが難しくなったからこそ、その大切さや方法、理由などを問い直すイベントが多かったと感じます。去年、ニューヨークにいながら美学校の講座を持てたのがすごく良かったので、日本に帰国したら、今度はニューヨークで知り合った人たちの実践を、美学校の講座とつなげられたらいいなと考えています。 

mai_05

「Pavilion People」でのLullady(左)による音楽パフォーマンス、2022年10月30日、Columbus Parkにて。
撮影:山本悠

mai_05

「The City Breathe in the Interior of Buildings」のオープニングパフォーマンス「Night」でのYitian Yanと遠藤麻衣
2022年11月4日、mhPROJECT
映像撮影:Lane Lang

 社会が「存在してほしくない」と考えているもの

遠藤 先ほど「講座では不適切なもののなかにあるクリエイティビティを見ていきたい」という話をしましたが、私自身にダメ人間的な部分があって、「自分はなんでダメなんだろう」と反省することが多いんです。そういう人でも生きていていいんだって優しくエンパワメントしてくれるのが芸術の良いところじゃないかと思っています。こう言うと、「包摂」とか「ダイバーシティ(多様性)」と同様に受け取られるかもしれませんが、いずれの言葉も、これまでの講座では用いませんでした。「誰が」「誰を」包摂しようとしているのか、そこにある主語と述語の関係を疑い深く見ていきたいからです。

 「ダイバーシティ」も同様で、ジャスビル・K・プアというクィア理論家は、多様性が実現される際の例外主義を厳しく批判しています。たとえば、プアはテロ対策とダイバーシティの関係について、アメリカであらゆるジェンダーやセクシャリティの人が社会参加できるように法律が変わっても、その多様で寛容な社会は、テロリストを不寛容で抑圧的な存在として批判し排除することで成立していると指摘しています。講座では、プアも例として挙げていて、「テロリストドラァグ」と評されるアーティスト、ヴァギナル・デイビスの活動を見ながら、どんな文化的コミュニティにも不適切でなじめない表現について考えました。 

 ある「正しさ」が通用し形を保っている社会では、「正しくない」人は社会から排除されてしまいます。正義と一体になった社会は排除された人たちの声を聞こうとはしません。そうした「排除の思想」に乗っからずに、今の社会が「存在してほしくない」と考えいているものはなんなのかということを、この講座では丁寧に見ていきたいと思っています。

2022年1月24日Zoomにて収録
取材・構成=木村奈緒

(※1)カリフォルニア州では2008年5月に同性婚が認められた。しかし、半年後の同年11月に結婚を男女間に限定する「Proposithion 8(提案8号)」が賛成多数で可決され、ふたたび同性婚が禁じられる。これを受けて、2009年に2組の同性カップルが「同性婚を禁じた『Proposition 8』は、憲法が定める法の下の平等に反する」としてカリフォルニア州を提訴。2013年6月に連邦最高裁判所が「Propotison 8」は違憲であるとする判決を下し、カップルは勝訴。ふたたび同性婚が認められた。本裁判は、映画『ミルク』でアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞したダスティン・ランス・ブラックによって脚本化され、世界各地で上演が行われたほか、2014年の「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」では、西尾佳織による演出、岸本佳子の翻訳/ドラマトゥルクのもと上演された。

授業見学お申込みフォーム

授業見学をご希望の方は以下のフォームに必要事項を入力し送信してください。担当者より日程等のご案内のメールをお送りいたします。

お名前
必須

メールアドレス
必須

確認のため、もう一度入力してください。


希望日
必須

見学希望教程
必須

備考


*ご入力いただいたお客様の個人情報は、お客様の許可なく第三者に提供、開示することはいたしません。
*システム不具合によりフォームが正しく表示されない場合がございます。その場合はお手数ですが、美学校事務局までメールか電話でお申込みください。
*フォーム送信後3日以内に事務局から返信のメールが届かなかった場合は、フォームが送信できていない可能性がありますので、お手数ですが美学校事務局までご連絡ください。


アンビカミング: シャドーフェミニズムズの芸術実践 遠藤麻衣+ゲスト

▷授業日:隔週火曜日 19:00〜22:00
アーティスト・遠藤麻衣による新講座。フェミニズムの領域でも「ネガティブ」で「パッシヴ」な「シャドーフェミニズムズ」に焦点を当てて学んでいきます。クィア・フェミニズム、ソーシャルプラクティスとしての芸術に関心を寄せるさまざまな方の受講をお待ちしています。