「全日本 無意味塾」
講師・田中偉一郎インタビュー

美術家として《ハト命名》《板Phone》などの美術作品をつくりながら、広告代理店でTVCMやパッケージデザインなど、数々の広告を手掛けてきた田中偉一郎さん。美学校では「芸術漂流教室」の講師を長年務めてきました。そんな田中さんが「芸術漂流教室」を飛び出して、このほど立ち上げたのが「全日本 無意味塾 〜無意味からはじめる美術とデザイン〜」です。
非実用的な美術作品と、ヒット商品のデザイン。一見すると対極に位置するようですが、両者とも起点には「無意味」があると田中さんは言います。美術もデザインも、ひいては自分の存在すらも「意味」が求められる現代。だけど、そもそも美術やデザインは「意味」に縛られたものだったのでしょうか? 美術とデザインの両ジャンルで「無意味」を追求してきた田中さんの経験に裏打ちされた、これからの時代に期待される本講座。開講にあたって田中さんに話を聞きました。

Iichiro_01

田中偉一郎(たなか・いいちろう)|このせかいのほとんどに意味はない。その“ほとんど”を扱っています。1974年生まれ。2000年より《ハト命名》《板Phone》《マネースケッチ》といった無意味に立脚した作品を展開。写真作品《ストリート・デストロイヤー》(2004〜)は、2018〜22年にEテレ番組内でコーナーになり、制作・出演。また、広告のアートディレクターとして、数多くのTVCMからパッケージデザインまで幅広く企画制作。絵、写真、音楽、動画、パフォーマンス、書籍、広告など、媒体を問わず無意味な作品を乱れ撃ちしている。趣味は中距離走と釣り。

つまらないものが多い世界

田中 「無意味」に関心を持ちはじめたのは、生まれてすぐ、ですね(笑)。そもそもは、子どもの頃に、つまらないものが多い世界だなって感じてたんですよ。そう感じてたのは僕だけじゃないと思うんだけど、子どものときの感覚を持ってる大人ってなかなかいないでしょ。みんな削ぎ落とされて、役に立つしっかりした人間になっていく。それがイコール「人間的に進歩した」「大人になった」と良いことにされるけど、はたしてそうなのかな?と思ってて。つまらないものが多い世界では、おもしろいものをつくるしかない、って感覚は子どもの頃からありました。

 よく覚えてるのは、小学校のイスにキーホルダーの「ホルダー」部分をつけて、「イスのキーホルダー」と言ったら数人にウケたこと。しかも、普通にギャグを言った時とはちょっと違うウケ方をしたんです。中学の美術の授業でも似たようなことがあって。白い石膏の塊を彫って立体物をつくる授業で、僕は炎をつくろうと思ったんです。そこでいわゆるおもしろい子はアニメキャラをつくったりするんだけど、自分はテレビをあまり見ない家だったので詳しくなく、でも「白い炎」をつくったらカッコいいんじゃないかって。

 結局、炎は全然うまくつくれず、途中で「これどうしようもねぇな」と思ってひっくり返してみたところ、「巨大な歯」に見えたんですよ。時間がなかったからこれでもういいやと思って「歯です」と提出したら、それも同じようなウケ方をした。先生も「歯だって!おもしろいね〜、みんな!」とか目を輝かせて(笑)。炎だとちょっとカッコつけてて意味がある。だけど、歯だとまったく意味なくて面白いじゃん!って。しかも大人も納得させる力があるぞ、と。今思えば、その時に「無意味」のほうが力があるなって感じたんだと思います。

Iichiro_02

アートもデザインもどっちもやればいい

田中 ただ、当時はそういう「無意味」的なものの受け皿がどこにあるかわからなかったから、美術には直結しなかったです。至極一般的な高校生で、サッカーやバンドをしていました。現代美術に出会ったのは高校2年ぐらいの時で、たしか美術のサブ教科書にマルセル・デュシャンの《L.H.O.O.Q.》が載っていて、「こんなことしたやつがいるんじゃん」と発見。あとは本屋でトマソンの本を見て赤瀬川原平を知ったり。これまで自分がつくってきた変なものが科学なのか音楽なのか国語なのかすらわからなくて困っていたけど、それらに出会って「現代美術っていうのが、あるんだ……」と思ったんです。

 現代美術を知って、自分がやってきたことは間違ってなかったと思ったけど、美大には現代美術科がなくて。かといって油絵でも日本画でもないので、高校卒業後は武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に入りました。一応授業は出てたけど、現代美術方面に傾いてましたね。ダダイズムの意味のない歌のCDを買って聞いたり、友だちにレントゲンヴェルケが出してる冊子を見せてもらったり。そういう人は僕以外にも結構いました。当時は、マンガ科とかアニメ科とかがなかったから、視覚伝達デザイン科といっても、グラフィックデザインをやりたい人だけじゃなかったんですよね。それも今の美学校のようで良かったと思っています。

 僕の時代の美大生は、卒業したら「作家になる」か「就職する」かの二者択一で、作家になると言ったら苦しい生活を想定されるし、就職するって言ったら「魂捨てるんだ」って言われて、デザインとファインアートは対立するものとして捉えられてたけど、僕はどっちも同じなんだけどなという感覚がありました。大学を卒業してから大学院に入るまでの間に広告代理店でバイトをしたことがあって、それはそれは過酷な労働ではありましたが、アートディレクターの仕事をしながらでも全然作品はつくれるなって感じたんです。それもあって、アートもデザインもどっちもやればいいじゃんと思ったんですね。そこからニート時代や大学院生時代を経て、広告代理店で働きながら作家として作品をつくってきました。

 よく、イラストレーターと画家の違いとか言うじゃないですか。だけど、昔の宮廷画家なんか発注された絵を描いてるだけで、今のイラストレーターとなんら変わらないし、逆に言うと、今のイラストレーターも、もしかしたら新しいペインティングの表現をやってる可能性がなくはないじゃないですか。アートとデザイン両方やるのは良くないという人も未だにいるけど、正直全く気にしなくていいんじゃないかなと思います。

Iichiro_03

田中偉一郎さんが制作したフィギュア、作品、書籍、個展のDMの一部

無意味なことをちゃんとやる「全日本 無意味塾」

田中 「全日本 無意味塾」の内容は、一言で言うと「本当に無意味なことをちゃんとやる」です。例を挙げると、まず自分を無意味に改名してみる。また『無意味ハント』といって、見つけた無意味をみんなで鑑賞し合う。そもそも、無意味は情報や意味が集まってないところ、つまり都市部よりも、あまり整備されていない地方のほうが多いかもしれない。それも無意味塾生を全国から集めたいと思った理由のひとつです。

 ほかにも、隔週の講座なので、次の講座までの2週間の無意味なスケジュールを立てて、それをやってみた報告をしたり。あと10年後くらいに本当につくろうと思ってるんですけど『Tokyo無意味〜ランド』というテーマパークの準備室として、みんなで無意味なアトラクションを考えてみたり。たとえば「くだらないジェットコースター」は、ガッガッガッと上がっていき頂点に来たところで「ご乗車ありがとうございました」ってエレベーターで降りてくる「ずっとくだらなかったね」というジェットコースターとか。

 基本はオンラインなんですけど、季節ごとに1回ぐらいは、全国からみんなで集まって無意味演習をやろうと思っています。集まってなんにもしないで解散するかもするかもしれない。カラオケに行って無意味に知らない歌をみんなで歌って帰るかもしれない。夜に集まって昼に撮った雲の写真をプロジェクターで映してそれをデッサンするかもしれない。観る価値が無いと思われる小さなコミュニティの絵画展を鑑賞しに行くかもしれない。そんな、どこに価値を見い出せば良いのかわからないこともやりたいなと思ってます。

Iichiro_04

「無意味」があるから全然平気

田中 AIが台頭してきたり、市井の人がデザインをカジュアルに語るようになったり、アートが「アートっぽさ」で成立するようになったり、要はプロとアマチュアの見分けがつきにくくなったことで、デザイナーの仕事が減ってきたとか、アーティストの価値が古くなって化石のような美術文化だとか言われている空気があるけど、僕はそうは感じなかったんですよ。むしろ「無意味があるから全然平気だけど?」みたいな感覚があって。AIも、意味のある分野に「面白テクノロジーAIくん」みたいなやつがひとり出てきたぐらいのことでしかないと思うんです。

 僕が好きなレイモンド・ローウィってデザイナーがいるんですけど。タバコの「Peace」のデザインをした人で、ローウィは自身の「MAYA(Most Advanced Yet Acceptable)理論」で、ロゴデザインの基本は「すごく先鋭的だけど、受け入れられるもの」だと言っていて、それ以外はどうでもいいってことも言ってるんです。

 たとえば「みかんジュース」の缶をデザインするとして、パッケージをオレンジ色にして、みかんの写真を入れて中身を表そうとするのがデザイン、な感じがする。でも、デザインの巨匠たちは全然そんなことは言ってないんですね。むしろ、中身を直接表そうとすることはデザインとはほぼ関係ないと言っている。IBMのロゴをつくったポール・ランドも、ロゴマークで唯一気をつけることは「他と区別できて、記憶に残り、明確であること」としか言ってません。

 要は「無意味」でいいんです。意味づけなんて見る人がしていくだけで、意味を最初につけようとしなくていい。Peaceのパッケージなんて、そこらへんの美術作品やデザイナーの仕事より長い70年以上、愛されて使われている。そういう意味では、それをつくった人のほうがすごいことを言ってるはずなんです。

Iichiro_05

意味のあるもののほうが少なくて狭い

田中 よくよく考えると、世界は「意味のあるもの」のほうが少ないんですよ。この教室も今使ってるけど、24時間のうち使ってるのは長くて10時間。半分以上の14時間はただの空間で、ほとんどの人にとってなんの意味もない。今ここにいる3人にとっては意味があるけど、別の会社にいる人にとっては意味がない。つまり1億2千万人にとってほぼ意味がない。

 だから、無意味なフィールドのほうが広いのは事実。じゃあその空間に行ったほうが面白いものがいっぱいあるんじゃないか。意味があるところでも、面白いものがなかなか見つからないのに、みんなそこばかり探している。だったら無意味な世界に飛び込んだほうが早いんじゃないかと。旅行とかするのもいいけど、近所のそのへんに無意味っていうめちゃめちゃ広い世界があることを知ると、もっと退屈しないかもしれませんね。

 子どもの頃ってみんな無意味なことをやるでしょ。たぶん「無意味」をやりたいんだと思うんだよね。「ちょっと寄り道してこうか」ってことに近くて……つまりは「無意味さ」が良いんだろうと。「タイパ」とか「時間を無駄にした」とか言うけど、「無駄にするのが時間」なんだって前提に立ったほうが良いと。意味を重ねて研ぎ澄ますのが良いと思ってるのが現代人だけど、それだと生きる手応えがすごく狭くなって行き詰まる。無意味のほうに広い世界があるとわかったら、みんながみんな意味のほうに向かなくて救われるんじゃないかって感覚もあります。

Iichiro_06

《ストリート・デストロイヤー》

デザインメソッドやAIより強力なツール=無意味

田中 デザイナーの観点で言うと、今までのデザイナーはアートとの違いを図ったり、アートの世界にちょっと入り込んでアートをやってみたりって感じだったと思うんですけど、これからのデザイナーは、デザインやアートの外に出ていく必要がある。美術家も「デザインされた思想」とか「デザインされたステートメント」じゃないところに手を出して、次なるものを開拓していく美術家を目指す。その足がかりが「無意味」なんじゃないかと踏んでいます。

 無意味は、美術とかデザインといったジャンルに関係なく使えるものっていうのが僕の感覚なんですよね。僕も昔は美術とデザインの仕事を分けてやってたんだけど、分けていたにもかかわらず、無意味がデザインに生きて、デザインで構築するプレゼンの仕方や段取りが美術に生きたことがありました。《板Phone》なんかはまさにそうですね。無意味な美術の作品を広告に使った。しかも単に仕事につながったというだけじゃなく、無意味という概念の強さ自体が、美術とかデザインとか広告という枠を超えて伝わった感じがします。

Iichiro_07

《板Phone》

 無意味なものは、受け手の反応が大きかったりするんです。「これこれこういう意味でこういうふうにつくりました」って意図が伝わるのも、それはそれで素晴らしいけど、それどまりというか。無意味だけど面白いものを発表すると、意味だけのときより大きい反応が返ってきます。

 無意味はわかりやすくパッケージングすることだけど、無意味は野生のまま提示するのが基本なので、閉じていない。だから、受け手が違うことを考え出して広がる可能性を秘めている。僕はこれを「デザインメソッドやAIより強力なツール=無意味」と呼んでいます。講座を通して「無意味って使えるな」って思ってもらえたら良いですね。

デザインもアートも課題解決ではない

田中 コンセプチュアルアートとか抽象表現主義とかって、絵につけられようとしたレッテルをなるべくはがそうとしてきた歴史ですよね。コンセプチュアルアートは「コンセプト」だから理屈っぽいアートでしょって勘違いされがちなんだけど、そこが大きな間違いで、既存の意味はないけど、新しい意味を探すために「無意味」を提示してるんだと思うんです。本当は意味はないんだけど、これに対してどう考えるかをそれぞれ違うみんなが発信してほしいっていうのがコンセプチュアルアートなんじゃないか。

 デザインも、最近は「課題に合わせて解決するのがデザイン」とか言われるけど、本当に良いデザインってできあがるプロセスがわからないものも多いじゃないですか。「なんかよくわかんないんだけど良いんだよね」みたいな自然物のようなデザインのほうがいつまでも強く残ってると思ってて。課題解決になると、デザインもアートもつまらない。受け入れられやすいけど、SDGsのためのアートとか、災害をかわすための工夫が凝らされたアートとかって、アートじゃなくてアート風の事後報告じゃないかなと思います。大前提で、デザインとかアートってアルゴリズムで出てこないような説明できないものである、という定義があるように思います。

 僕がデザインしたパッケージなどもそうなんだけど、「昔からあったかのようにそこにある」ことが結構大事で。大山のぶ代さんがはじめてドラえもんの声でしゃべったときに、藤子・F・不二雄先生が「ドラえもんってこういう声だったんですね」って言ったらしくて、それに近い。これから正解を考えて出すというよりは、先に正解以上のものがあって、それをつくれるかどうか、みたいな。そっちにデザインの方向が向いてほしいんです。課題解決のためとか、目の前の売上のためとか、上司を説得するためではなくて。やっぱりそこでも「無意味」が起点になってくると思います。

Iichiro_08

田中偉一郎さんがデザインを手がけたパッケージ

どんな分野にも存在する「無意味」

田中 「全日本 無意味塾」がどんな人にオススメか。一概には言えませんが、たとえば美術関係の学生ではあるけど、今の世の中の展示や作品、美術家たちがやってることにピンとこない若い人が受講したら「ピンとこなくても良いんだな」と思えるかもしれません。何かつくっているわけではないけど、つくっている人たちの世界を知りたい社会人も、一度「無意味」の観点を知ると、スッと入っていけるんじゃないかな。

 逆に玄人というか、プロのデザイナーで考えに考えたけど、仕事も一周してうまくいかないなっていうくらいの人もいいと思います。さらに意外と美術もデザインも全く興味ない人のほうが、ジャンルを越境できてハマる可能性もあるなと思ってて。まあ、話してきたように今は名も無き活動も、現代美術の受け皿なわけだから、ちょっとでも興味があったらのぞいてみてほしいですね。

 こうやって話していても僕の考えすらまとまりきらないのは、「無意味」が未だにツールとして使える状態にならない謎のままのものだからだと思います。そういう状態が何千年も続いている。それはそれでやっぱりおもしろくないですか? 現代美術における「反芸術主義」にも近いものがあるけど、どっちかと言うと「侘び寂び」とか「無常」とか、日本の「無」の感覚のほうが近いかもと思うし。「無意味」は決まった目的を持たない幅広い概念だと思うので、「その無意味に共感しました」という人とは逆に「私は無意味をこう捉えてきています」みたいな人がいても良いですね。

 「無意味」は、どんな分野にもあるんですよ。音楽でも数学でも国語でも、そのジャンルで無意味と言われる作品があったり、無意味と呼べる人がいる。それを集めて掘って考えるとめちゃくちゃ面白いんじゃないかな……と。だからアウトプットも最終的に展覧会じゃない何かをぶち上げたいと思っています。いろんなことを言ったけど、正解があるわけじゃないので、どれも合ってるかはわかりません(笑)。だから、極論、1年目は「無意味塾だけに、人が集まらなくて開講しませんでした!」っていうのも、いいと思ってます。でも、僕自身が若い頃にこういう講座があってほしかった、とも思っているし、すごくおもしろい講座にする自信はあります。もちろん、定員オーバーも全然うれしいです(笑)。

2026年1月13日収録
取材・構成=木村奈緒 写真=皆藤将


〈現代美術〉


アートのレシピ~写真と映像から生まれる表現 松蔭浩之+三田村光土里 Matsukage Hiroyuki

▷授業日:毎週土曜日 13:00〜17:00
本講座では、長年にわたり好評を博してきた現代美術講座「アートのレシピ」のエッセンスを凝縮し、現代美術の表現として最も有用な手段である「写真」と「映像」を活かした作品制作と、さらにその展示方法について実践的に学んでいきます。


ビジュアル・コミュニケーション・ラボ 斎藤美奈子 Saitoh Minako

▷授業日:毎週火曜日 13:00〜17:00
作品制作を中心に、現代美術に関する講義を交えて進む講座です。制作を通して、美術作家としてのものの捉え方や考え方も学んでいきます。まず、ゆるやかな方向性をもったカリキュラムを用意します。とにかく、何か作ってみる。そこからスタートです。


芸術漂流教室 倉重迅+岡田裕子+渡辺志桜里

▷授業日:毎週月曜日 19:00〜22:00
倉重迅、岡田裕子、渡辺志桜里による講義・演習のほか、ギャラリースペースでのグループ展や、2,3泊程度の夏期合宿なども行う予定です。現代美術の領域で活動しながら他ジャンルにも軸足を持つ、経験値の高い講師陣とともに「楽しく」「真面目に」漂流しましょう。


現代アートの勝手口 齋藤恵汰+中島晴矢 現代アートの勝手口

▷授業日:毎週金曜日 19:00〜22:00
「現代アートの勝手口」は、この20世紀を総崩れにした30年の後に、改めて勝手に現代アートをやろうという集まりです。私たちは広く深く種々の形式を取り扱います。知的好奇心の赴くままに一緒に遊べる人と、これからの遊び方を再発明したいのです。この講座を通し、三河屋のようにひとの勝手口から勝手に出入りして、その勝手を盗み合えるひとたちと出会えれば幸いです。


アンビカミング:シャドーフェミニズムズの芸術実践 遠藤麻衣+ゲスト

▷授業日:隔週火曜日 19:00〜22:00
アーティスト・遠藤麻衣による講座。フェミニズムの領域でも「ネガティブ」で「パッシヴ」な「シャドーフェミニズムズ」に焦点を当てて学んでいきます。クィア・フェミニズム、ソーシャルプラクティスとしての芸術に関心を寄せるさまざまな方の受講をお待ちしています。


サウンドアート・入門と実践 渡辺愛

▷授業日:第二日曜日 14:00〜16:30
この講座では、音や音楽を考えるうえでの基礎的な学びとして、広く現代音楽や電子音についての知見を深め、音自体の構造を理解し、電子音響による音づくりを通じて「音とは何か」を考察、実践します。


立体・空間制作ゼミ〜時空を超えて 利部志穂

▷授業日:毎週火曜日 13:00〜17:00
この講座では立体や、空間的な制作表現について学びます。作品制作、作品鑑賞体験、美術を考えることは勿論、それぞれの特性や関心がどのようなところにあり、どのように展開していくのか。どのような手段で制作や思考が進められるのかを、実践的に取り組んでいきます。


全日本 無意味塾 〜無意味からはじめる美術とデザイン〜 田中偉一郎

▷授業日:第2、第4木曜日 19:00〜22:00
「すべては“無意味”から生み出される」美術家とデザイナーを並行し続けてきた田中偉一郎が開設。“無意味”で美術とデザインを同時に考える新しい講座です。ありがちなアート思考、デザインメソッドやAIより強力なツール“無意味”を手に入れましょう。


未来美術専門学校 遠藤一郎 Endo Ichiro

▷授業日:不定
未来美術家・遠藤一郎による講座。本当にお前がやりたいことは何なのか。お前の夢を好きなまんまにやれ、わがままに。夢バカ最強宣言。非実力派宣言。最初の一歩。世の中にはへんなやつが必要だ!!