「立体・空間制作ゼミ 時空を超えて」講師・利部志穂インタビュー


2025年度5月期から新たに開講する「立体・空間制作ゼミ 時空を超えて〜彫刻からインスタレーション」。講師を務めるのは、美術家・彫刻家の利部志穂さんです。幼い頃から世界に疑問を抱き、自身のこだわりを捨てられなかったという利部さん。周囲とのギャップに苦しんでいた利部さんにとって転機となったのが大学時代に出会った彫刻でした。利部さんの制作の根底にあるもの、試行錯誤を重ねた大学時代のことなど、開講に向けて話を聞きました。

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利部志穂(かがぶ・しほ)|美術家、彫刻家、サンライズサーファー。2004年文化女子大学立体造形コース卒業。2007年多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。2017年より2年間文化庁新進芸術家在外派遣にてイタリア、ミラノで活動。国内外の美術館やギャラリーなどで発表。生活の中で不要となったものや、壊れて廃棄された拾得物、建築資材など様々な既製品を使用し組み替え彫刻作品を作る。サイトスペシフィックなインスタレーション、映像、写真、パフォーマンス、音、言葉を用いて、モノと人との距離や時空に触覚的に関わっていく。日々の細やかな機微と大規模なスケール感とが同率、様々な言語感覚が物理的、詩的に混在、展開される作品世界。近年は世界の地形から見る神話、民話、口伝伝承、旅や食、生活活動を通して世界の共通言語を探求、制作、発表。http://www.kagabu.com/

疑問を抱き続けた10代

利部 幼稚園から高校までカトリックの学校に通っていて、日常的にミサやお祈りの時間がありました。自分や家族がクリスチャンだったわけではありませんが、聖書の時間はすごく好きでしたね。「聖書のお話と現実は違うな。それはなんでなんだろう」とか、哲学的なことを考える子どもでした。あと、異常に正義感が強くて、いじめとかを見過ごせないんですよ。必要以上に人のことで怒ったり悲しかったり、小学校では学級会で一番盛り上がってました(笑)。

 中学、高校になって周りが勉強に集中しだしても、私はまだその感覚を引きずっていて、その頃は音楽や映画、小説や哲学書がすごく好きでした。映画や本の中では、自分が疑問に思っていることが堂々と語られていたので勇気づけられたんです。絵を描くのも好きで、小学生のときにテレビで画家のドキュメンタリーを見て、将来はシルクロードを旅しながら絵を描いて暮らせたらいいなとか思ったり(笑)。でも、そういう暮らしをしている人が身近にいなかったし、周りから絵が上手だと褒められるわけでもなかったので、密かな夢という感じでした。

 高校3年で先生に「やっぱり美大に行きたいかも……」と言ったときも、先生は「え?」という感じで。だけど、つくることは好きだし、インテリアや建築にも興味があったので、そういうことを学ぼうと思って、文化女子大学(現・文化学園大学)に進学しました。

試行錯誤を重ねた大学時代

利部 文化女子大は入試で実技試験がないので、みんな初心者なんです。私も石膏の演習ではじめて彫刻をつくったんですが、それがすごく褒められたんですよ。「好きな野菜を観察してつくる」という課題で生姜をつくったら面白くて。しかも彫刻をつくりはじめたら、それまで蓋をしていた自分の疑問とかこだわりを我慢しなくていいってわかったんです。周りに面倒くさがられるようなことが作品においては主題になるし、むしろどんどん考えていいとわかって、美術を知ることでものすごく居心地が良くなりました。

 もうひとつ、大学に入ってすぐにファッションや音楽のイベントのデコレーションをはじめました。当時は日本でもパーティーカルチャー全盛で、イベントがたくさんあったんですよね。そこに遊びに行ってたんですけど、大学の課題だけじゃ物足りないから、他の美大の建築学科の子たちとユニットを組んで、毎月イベントのデコレーションをやるようになったんです。竹藪で竹を切ってトラックを借りて渋谷に運んだり(笑)。でもイベントって大体一晩で終わるから翌朝には片付けちゃうんです。そういう経験を通して、作品としてもっと鑑賞してもらうにはどうしたらいいだろうかと考えるようになりました。

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 文化を卒業した後は、多摩美術大学に進学しました。最初に入ったのは粘土のクラスで、当時は人体の彫刻を制作するアトリエと、人体以外を制作するアトリエが分かれていたんです。普通はどちらかを選択するんですが、私は午前中は人体のアトリエに行って、午後はもうひとつのアトリエに行って実験的な作品をつくっていました。そういうことをやっているのは自分しかいなかったし、その時の先生からは「どっちのアトリエにするんだ」って怒られましたけど、私は両方やりたかったんですよね。

 あと、当時は学内に今よりも小さな角の一部屋に、写真家・安齊重男さんのアーカイブセンターがあって、もちろん授業とは全く関係ないのですが、作品制作で困ったことがあると、そこに行ってこっそり相談していました。詩人や研究者の方達が集まっていて、「こういうものをつくりたい」と相談すると、彼らの仕事とは関係ないのに「●●年にこういう作家がいます」とか「この作家は同じ素材を使っています」とか調べて教えてくれたんです。多分本当に困ってそうに見えたんだと思います。先生に作品のマケット(模型)を「こんなのは物理的に無理だ」と否定されても、センターに同じものを持っていくと「面白い」と言ってもらえて、すごく嬉しくて助けられました。

 自分は作品制作をはじめたのが遅いから、在学中は下の学年の展示にも積極的に参加していました。講評会にも片っ端から参加していましたね。作品に対して作者の話すことや先生のコメントを聞くとすごく勉強になるんです。途中で粘土からミクストメディアに移るんですが、そこでも自主的に上映会や勉強会を開催していました。粘土にいた頃は、自分が影響を受けた映画や写真の世界と、古典的な彫刻の世界との隔たりに戸惑うことがありましたが、ミクストメディアに移ってからは、そのギャップもだいぶ解消されて、うまくいくようになりました。

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制作の根底にあるもの

利部 大学院を卒業する頃に、ようやく納得して自分の作品だと呼べるものができてきて、卒業と同時に初めて個展を開催しました。そしたら、自分が期待していたよりも多くの反応があったんです。多摩美に進学したときには、自分はアーティストとしてやっていくより他に道はないと思っていたし、プロとして時代や美術史に点を打てたら勝ちだと思って戦っていたのですが、ある時から、そういうことが悲しく思えてきたんですよね。

 もともと自分の制作は、子どもの頃に抱いていた「なんでみんな平等じゃないんだろう」といった疑問や、世界への哀しみや慈しみのようなものからはじまっていたのに、気づいたらそこから離れていっている気がしたんです。そこで2017年に文化庁新進芸術家在外派遣でイタリアを選んで行きました。出産して子育てをはじめたことも大きかったかもしれません。

  今って、答えを急ぎすぎるあまり、追い詰められている時代だなと思っていて。相手にすぐ何かを求めてしまうけど、そもそも今生きている人の中だけで解決できることかどうか分からないし、自分のことでも他人のことでも、考えすぎて思い詰めても、あまり良いふうにはならないと思っているんです。正面から衝突するんじゃなくて、もう少し風通しをよくしたい。たとえば、何か光っているものがあると、人は自然とそこを見ますよね。照明の高さをちょっと変えるだけで、人が自然とそこに座ったり集ったりする空間をつくることができます。

  私は自分の制作について「共通言語をつくる」みたいなことをよく言っているんですが、考えの違いや、国や文化の違いを超える言語や方法がないかなと思っているんです。やっぱりそこには、子どもの頃から抱いている「なんでこれがうまくいかないんだろう」という疑問があります。それ自体で完結する作品ではなく、関係や状況を動かせる作品をつくりたいと考えています。

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本当に関心のあることを一緒に探る「立体・空間制作ゼミ」

利部 「立体・空間制作ゼミ 時空を超えて〜彫刻からインスタレーション」では、出口を限定せずにやりたいなと思っています。だから、参加する方のこれまでの経験や作品の方向性、受講の目的はバラバラでいいと思っています。頭の中で考えているだけでは自分の中で終わってしまいがちなので、モノでも映像でもなんでもいいんですけど、出てきたモノを通してやりとりすることで、その人が何を考えているのか一緒に探っていけたらなと。最終的に「良い作品」をつくることがその人の目的なのか、そもそも「良い作品」なんてものがあるのかどうか、そういうところから考えていきたいですね。

 制作にあたっては、関心がその人自身から生まれているかどうかが重要なんです。絵が上手だと言われて美大に進学した人が、いざ「自由に作品をつくってください」と言われると、何をつくればいいのかわからなくなってしまうことって結構あるんですが、表面的に描いたりつくったりするだけではなかなか続かないんですよね。私自身、絵が上手くて美術の道に進んだわけではなく、子どもの頃から持ち続けているこだわりを捨てられなくて制作をしているタイプなので、その人がどうしたら面白くなるか、見ていてよくわかります。

 私の展示を見た人に「パーティーが終わったあとみたいですね」と言われたことがあるんですけど、展示ってその人の振る舞い方が出るんですよね。だから、受講生に一人ずつ展示をやってもらうのもいいかもしれません。パーティー自体もすごく好きで、どんなメニューにするかとか、どんな飾りつけにするかとか、個展並みにエネルギーをかけてやるんですよ(笑)。料理をしながらみんなでおしゃべりするみたいなイベントもやれたらいいですね。教室という区切られた空間だとしても、手元のモノだけで遠くのことを取り入れられるとか、そういうスケール感で取り組めたらいいなと思っています。

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生産的でないことに考えを傾ける悦び

利部 自分にとって作品は「他にはないもの」でないとつくる意味がないんです。すでにあるものだったらお金で買ったり別の方法で手にして楽しめばいいわけで、それでは叶えられないことを作品でつくりたいと思っています。逆に言うと、そういうものが見えた瞬間に作品になるんです。

 自分のバックボーンを考えると、子どものとき登山をさせられていたんですよね。父が私を登山家にさせたくて、5歳頃にはピッケルを使って雪山を登ったりしていました。私は全然興味がないんだけど、父に「こうやって登れー!」とか言われて号泣しながら崖を登ったり(笑)。でも今思うと、標高が上がるにつれて生き物がだんだんいなくなってくる感じとか、山の中で感じる孤独や静けさが自分の心の中に染み付いているんです。お祈りをしていた聖堂の雰囲気も心の中に常にあって、作品をつくることでそういう場所に行きたいという気持ちがあります。

 日の出前や日没後に空が青く染まる時間帯のことを「ブルーアワー」と言って、自身の作品のタイトルでも使っているんですが、静けさについて考えたときに、この時間帯のことを思いました。影がなくなって、すべてのものが等価に見えるとき、自分はすごく安らかでニュートラルな気持ちになります。そうなると、自分という存在自体ももういらないというか、どんどん手放していくことになる。そうした自分の制作スタイルを「光の波に乗る」という意味で、「サンライズサーファー」と呼んでいます。

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 10代のときは人間が一番面白いと思っていたけど、彫刻に出会って人間以外の世界があると知りました。大学院の頃にアジア哲学に関心を持ち、中国美術を学んだことも大きかったと思います。美術評論家・峯村敏明さんのゼミを受けた時に「芸術以上に人間ひとりの命が一番尊いものであるなんてことはありえない」と聞いて衝撃を受けました。

 それは人間中心主義に疑問を抱くこと、過去の作家の作品や日本人の自然観などからも来るお話だったと思うのですが、MTVを見ながら育った私の価値観がガラッと変わったんです。普段の生活ではなかなか難しいところもありますが、彫刻や芸術を通してならば、また違う距離感で考えて実践することができます。

 一見、生産的とは思えないことに考えを傾けたり、時間をかけたりすることで、人類の可能性の幅が広がるというか、そういう時間を持つこと自体がすごく良いことなんじゃないかなと。自身の作品制作においても、最初は自分が知っている人間が使う言葉の中で考えて手を入れていきますが、色々動かしていくうちに、ただの光の現象というか、それを超える瞬間というのがあって、そうした時が作品として成立する感じがあるんですよね。問題を直接的に考えるだけじゃなくて、もう少し違う角度で見ることができる。作品制作や芸術に触れることには、そうした悦びもあるんじゃないかなと感じています。

2024年12月17日収録
取材・構成=木村奈緒 写真=皆藤将


立体・空間制作ゼミ 時空を超えて〜彫刻からインスタレーション 利部志穂

▷授業日:毎週火曜日 19:00〜22:00
この講座では立体や、空間的な制作表現について学びます。作品制作、作品鑑賞体験、美術を考えることは勿論、それぞれの特性や関心がどのようなところにあり、どのように展開していくのか。どのような手段で制作や思考が進められるのかを、実践的に取り組んでいきます。