ギグメンタ2021 「日々の公演2」感想文集 A面


「最終日の上演前に撮影された集合写真」撮影:皆藤将


2021年11月から2022年3月まで全7回開催された「日々の公演2」の参加者による感想文集です。人数が多いので何回かに分けて公開します。

まずは第1回目をA面とします。

演者役として参加された小林毅大さん、根本美咲さん、高橋利明さん、畠山峻さん、増井ナオミさん、瀧澤綾音さん、観客役の猿渡直美さんの7名です。

よろしく、どうぞ!

(生西康典)

ギグメンタ2021 「日々の公演2」感想文集 A面

A-1 「雑感:皹を引っ掻く」 小林毅大
A-2 「can be」 根本美咲
A-3 「心の中は見えないから」 高橋利明
A-4 「日々の公演に参加して」 畠山峻
A-5 「日々の公演2に参加して」 増井ナオミ
A-6 「そのままにいて 変化すること」 瀧澤綾音
A-7 「同じ場所に立っている。」 猿渡直美

「雑感:皹を引っ掻く」 小林毅大

日々の公演2に参加し始めてから生活にいくつか変化があった。
一つはジョギングを始めたこと。今年の2月末くらいから初めて、毎日家に帰ってきてから夜ご飯を食べる前に20~30分ほどジャージを着て近所を走った。中学の頃陸上部だった時にたまに走っていたコース。平坦かなだらかに登っている道から急に下り坂を降り、そこから今度は急な上り坂。あとはぐにゃぐにゃとさまざまにカーブしながら続く平坦な道を、という感じで一周するコース。当時はこれを平気で2周とか3周とかしていて、とはいえ優秀な選手ではなくて、というか全然ダメダメな部員だったので、部活というのは苦々しい経験だったのだけれど、タイムとか距離とか速度とかそういうことを特に気にもせずに、なんだか走ってみたい気持ちだから走っているという素朴さで走っている今はとても気持ちがよい。いくつかの発見もあったし、走っている時に考えていることは意外と多いのだとおもった。
調子に乗って2週間ほど特にストレッチや柔軟などせずに日課を続けていたところ、ある日走った後で風呂に浸かった時に膝が急に痛み出したのをきっかけにしばらく休んでいる。整形外科には行かなかったが順調に回復し、いつこの日課を再開しても良いぐらいにはなった。
だから実際に日課が続いたのは2週間くらいで、それからはジャージを着ていないのでジョギングに飽きて途中でやめてしまったということになるのだけれど、でもぼくの中ではあくまで休んでいる、休んでいるだけでジョギングをするという日課は続いているのだという心持ちがしている。いやいやそれは嘘でしょう、何日も走らなかったら日課じゃないんだよと思いつつ、でもあまりにも「いつでもジョギングをするということができる」という気持ちが強い。確かにジョギングをしているわけではないんだけど、しかしいつでもジョギングをする日々に戻れる、その準備ができている。そういう体感がある。これは言い張りたい。それじゃダメだよと言われても、いや俺は日課をつづけている。何かをし続けるということをそういうふうに考える。休んだり間が空いてしまっていても、そこに戻れる準備ができているかできていないか、この違いは明確にあるし大きいことのはずだ。この諦めの悪さ。

初回の自己紹介の時に鈴木さんに、よく生きたいってことですか?と何かの拍子に聞かれて、いやそれよりも楽しく生きたいという気持ちの方が強いっすね~と答えた。演劇というものに自分が引き寄せられてまだそんなに時間は経っていないものの、これだったら自分にも全然できそうだ~といったテンションではもういられなさそうだな、地味でしんどい何かを粛々とつづけていくことが大事らしく、ようやく視界に入ってきた長い道のりにうんざりしたりもして、一体全体自分はなんでこんなことを始めてしまったのかなんて思ったりもしている中で、怠惰な自分が顔を出して、それだったら演劇を楽しくやれたりあるいは楽しながらやれたりした方が絶対にいいに決まってると思っていた中で、不意に出たのが楽しく生きたいっすねという言葉だった。参加費のために母親に頭を下げたが、まだ返せていない。
「楽しい」というのは日々の公演2のキーワードで(僕だけかもしれないが)、それぞれの日の本番後の感想で「楽しくできました」「それが自分にとっては楽しいことだった」といった言葉が聞かれたり、そもそも一番初めに、募集に際しての文章で生西さんが「充実した稽古は本当に楽しいです。」と書いていたのだった。
ぼくにとって「稽古」は「ちょっとやってみましょう」とセットであって、それまでウダウダポロポロと雑談が続いてた状態から、「ちょっとやってみましょう」の発言をきっかけによっこいしょと腰をあげて、さっきまでの状態とは全然違う状態に自分の体や周囲の空間を持っていくみたいにおもっている。このよっこいしょと腰を上げるのが本当に億劫で、できればずっとウダウダポロポロをつづけていられればとおもってしまう。実際、タバコを吸いながらジョギングを日課で始めたことや手書きのノートを持ち歩くようになったことを話したり、習慣や何かを毎日続けることの困難を数人でぼやいたりして、そういう時間が素朴に楽しかった。
日々の公演のことを演劇の稽古というよりも、同じ時間を違う場所で過ごしている人たちがたまに集まってそれぞれの断片的な思いつきや変化の気づきが溜まっていく空間のことだと思っていた。溜まっていく、というより互いに互いの身体にかきつけあっていく、それぞれの腕が伸びて伸びて蠢きあっている。
初回が終わった後で、演者役で参加している三井さんが「言葉の無い「ここはこれで良い」「ここはこうじゃない」の意思疎通は楽しい。」と言っていて、ああそれは楽しそうだなとおもった。「ここはこれで良い」ということを「ここはこれで良い」とは言わずに、しかし「ここはこれで良い」ということが示され、そのことが伝わっているという状況。なんて素晴らしいことなんだろう。しかもそれが初対面の人同士でできていたというのだから尚更だ。
最初の3回くらいは一つの台本を12人の演者役が2~3つのグループに分かれてそれぞれで稽古をして本番をするという形で進み、ぼくは三井さんとは違うグループで動いた。三井さんのグループで起きていたこの奇跡みたいな状況は、おそらくは意思疎通できたから楽しいということよりむしろ、意思疎通のための交渉ができたから楽しいということなのではないか。自分の気持ちが伝わったから楽しいのではなく、自分の気持ちを伝えたり相手の気持ちを聞き取るという交渉の場で自分が動いている、から楽しい。
と同時に、複数のグループが稽古をそれぞれ同じアトリエの中でするから、いろんなところからいろんなことが聞こえて、要するにわいわいとやっていた。いろんな交渉をわいわいとやっている時間が上演の形を取って見せたり見せられたりする。本番は、そういうそれぞれのわいわいの時間を梱包したものとしてみることができるし、見せることができると思って、それはそれでとても楽しいことのような気がした。
美学校スタジオで本番を終え、頭痛と疲労を感じながら感想を言ったり聞いたりして解散したあと、外に出て駅まで向かう道のりで、初めて息が吸えたような心地がしてとても気持ちが良かった。それでまたたくさん話してしまったり大きな声を出してしまったりして、帰りの電車でまた酸欠になったりした。小学生の頃、先生の言いつけで朝遊ぶ前には校庭を2周走らなくてはいけないことになっていて、曇り空の中、自分と数人の友達以外は誰もいない校庭を走っていた時のことを思い出した。走ることが苦痛でなく、先生の言いつけに従わなくてはいけないという窮屈さも忘れていた。

だから生西さんの「充実した稽古は本当に楽しいです。」という言葉はとても怖い言葉だった。地続きに流れている生活の時間から何度も何度も離れて飛び立ち、できるだけ違う時間へと向かおうとする、向かおうとするのを「ちょっとやってみる」。ところで「充実した稽古」とは一体なんだろうか。
年明け3回目から「抱えきれないほどたくさんの四季のために」という台本を演者役12人で上演する、それを鈴木さんと生西さんが演出するという仕方で進むことになったが、この台本の稽古の初回を欠席した。次の回に行ってみると、何か雰囲気が変わっているような感じがして、どこかピリッと緊張が走っていた。
本読みをしているときに「違う言い方ありますか」と生西さんが場を止めた。体がびりっとした。校庭で走っている体感から別の何かに、違う空間に自分が置かれていることがその時わかった。
声を出すことについて意識が向いた。しょこたんこと中川翔子がポケモンの映画で声優をやった時に、色んなセリフの言い方を準備して行ったがその全てをボツにされたと笑いながら話していたポケモンサンデーという日曜朝のテレビ番組のことを思い出した。ゴツいヘッドホンをつけたしょこたんが窮屈なスタジオで何度も何度も同じ台詞を言っている映像が(「行け!ドサイドン!」とかそんな台詞だった気がする)ワイプで小さく表示されて、アニメの映像の方が同時に大きく映し出されてる。
ポケモンにも、ポケモンですら、実際に声を出している人たちが現実にいるのだということを知った。大人に喋りかけられるのが嫌いで、そもそも大人が喋っているということが不気味で怖かったぼくにとってアニメは安心してみられるものだったのだけれど、スタジオでレコーディングしてるしょこたんの映像を見てからソワソワするようになった。忘れていたが。
本読みの間に挟まれる「違う言い方をしてみる」時間は、どこかしょこたんのいたスタジオに似た雰囲気があって、だからいささか居心地が悪かった。ある人が同じ台詞を言ってみるたびに、微妙に異なったニュアンスを、時には劇的な違いを感じることができる。ぼくもぼくでまた、さっきと全く同じように言うことができないこと、その度ごとの舌の湿り気、歯の温度、上下の唇の接触、口腔内の気圧があること、そのことを面白いとおもうことは確かにできたのだけれど、しかしこれは一体何をやっているんだろうとも思った。口元に専心しているこの私が、果たして何に対面しているのか見失ってしまうような気がした。演劇の初歩の初歩みたいな話だけれど。
しょこたんみたいにいろんな言い方を自室で試しながら言ってみるというのはなんとなくできなかったので、台本を何度か読み返してメモを取り、そのメモをノートにノリで貼ってそれをまた読み返すというのを準備だということにして当日を迎えるようにしていた。最終日の「もっと明るい声で」というような趣旨の生西さんのオーダーは本当に難しくて、なんとなくノートやメモには頼れなくてうろうろと神保町周辺を散歩しながらスマホのボイスメモに独り言を吹き込んだ。神保町の街灯はオレンジ色に光ってて、ぼくの家の近所に一本だけ立っているオレンジ色の電灯を思い出して、不思議と落ち着いた。あるいは普段常夜灯をつけて寝ている、そのオレンジライトでもあったかもしれない。吹き込んだ録音は聞き返さなかった。
後半の、全員で一つの上演を作っていく時期は、それぞれがそれぞれに台本をどう実践するか、ぼくはぼくで台本をどうにかやってみる、同時にそれぞれがそれぞれにどうにかやっている、そのどうにかやっていることの表れを互いに交換している、というような仕方で関係を取っていたようにおもう。どうやっているのか、なぜここはそうしているのかということは括弧に入れられた。台本をどうにかやってみるという一つの同じことを、それぞれの仕方できっとみんなやっているのだろうという仕方で関係を取っていた。生西さんの演出というか指示によって、何かに応えようとする、必死で応えようとしてみることで食いしばる口元や床を踏み付ける足元から、空間をアトリエではなく別のものに変えようとする。

三井さんが言っていた交渉の楽しさは、明示的にではないけれど演技を通してそれぞれがそれぞれとの関係の取り方を交渉し合っている、あるいは良い落とし所を見定めるための契約の手続きを踏むことだった。が、どうにもぼくは生西さんとうまく交渉することができないままだった。生西さんのことを俳優に指示を出す人としてではなく、生西さんと交渉するみたいな仕方で話すことがきっとできたはずだ。違う言い方ありますかに対して、なんでそう言うんですかと返すことは可能だった。
ぼくにとって生西さんは「それはどういうこと?」の人で、基本的には聞き手に回って人の話を聞きながら、お?となったポイントで「どういうこと?」とストップをかける。ウダウダダラダラと連想のままに思いついたことを話していると途中でオッと止められて、なんというか限定がかかる。自分の中ではこの話とこの話は繋がっているのだが、なんで繋がってるんだっけ、こういうのが間にあった気がする、あるいはこういう繋げ方をする癖がある、しかしよくよく考えるとそれは自分だけのルールや体感だっただけだったかもしれない、という気がしてくる。
ここまで書いて、痒いところを自分で引っ掻いていると痒い箇所がどんどんと広がっていってしまうけれど、人に掻いてもらおうとすると、違うそこじゃないもうちょっと横、そうその辺と、患部が狭くなっていくという話のことを思い返す。気持ちよく自分の患部を引っ掻きながら広げているところに生西さんの腕が伸びてきて、そうじゃないでしょこの辺じゃないのと言われる。つかのま、ポカンとする。と同時に生西さんのその手付きは繊細で親密に、というよりはガサツで、ぼくの痒みそのものにはまるで関心がないようにある種ぞんざいに扱った。医者のような無関心さに似ていると書いていておもった。それが生西さんにとっての接触の際のマナーのようなものだとしたら、できるだけ教祖にならないようにしようとしているのではないかともおもった。教祖のように、君は本当はここが痒かったんだろう?と起源を捏造するのではなく、たぶん炎症でしょうとぶっきらぼうに塗り薬の処方箋を出す。
医者のような無関心さ。ぼくの稽古場での困惑は、医者に対して、おれの痒みをわかってくれと駄々をこねようとしたことから来ているのかもしれない。たぶんそうだ。おれの痒みは見た目よりずっと酷くていつか全身の皮膚がこぼれ落ちてしまうかもしれない。だから何か特殊な処置をしてほしい。たぶん炎症!?なんて無責任な!しかし医者はそうとしか言えないだろうし、演出家として生西さんがみているのは症状という効果、症状という上演の方で、ぼくの安心や不安ではない。自分の姿が子供っぽく滑稽に見え始めたところで日々の公演2が終わった。

最終日が終わってからの帰り道で、一体何が終わったのだろうとおもった。九段下駅は右、神保町駅は左へと別れる交差点で、あまりにも呆気なくひとまとまりだった集団が手を振り合いながら二つに分かれていった時、こんなにも名残惜しい時間は久しぶりかもしれないとおもった。頭痛と全身のだるさがあった。それでも神保町組を引き止めて、この時間を繋ぎ止めようと思えばできたかもしれない。したかったけれどできなかったことを、話したかったけれど話せなかったことを、九段下駅組とも分かれて本当に一人になってから電車に乗ってぐるぐると考えていた。一体何が終わったんだろうか。
何かが終わることを、自分の意志や自由から離れたところにあるものだと考えると納得ができるのかもしれない。最終日の九段下駅には晴れ着をきた人たちがたくさん歩いていて、アトリエに行く前に寄ったドトールでも隣の席に大学の卒業式にこれから行くのかもう終わったのか、親子3人が座った。1メートル隣に振袖があるのを感じながら台本を読み返して、今日で日々の公演2が終わるのだということを考えないようにした。というかいざ終わりですと言われるまでの自分はそういうふうに終わりというものを考えてそのことにとてもしっくりきていたのだった。座っていたら映画は見終わるし、乗りつづけていれば電車は目的地に着く。お腹が空いて何か食べて気づいたら寝てしまって、起きて日付が変わって曜日が変わっているのに気づく。日々の公演2もまたそんなふうに続きそして終わるのだろうとおもって、そのことがなんだか良いなあとおもって参加を決めたこともあるのだろうけれど、しかしいざ終わりですと言われると、自分でもギョッとするくらいそのことを受け入れる準備ができていなかった。なんで終わるねん、とおもって、その後で、おわんなや、とおもった。日々の公演2に参加していた人たちと、これまでのようにまだこれからも付き合っていきたいと思えるほど、自分がこの場を楽しんでいたことを知った。ごくごく素朴に、終わってほしくない、まだ続いてほしいと未練タラタラおもった。
同時に、ぼくの手には終わらせられないことがあまりにも多すぎてしまうので、とりあえずでも、あるいは形式的にでも、何かを始めて終わらせる(終わらせたことにする)ということを自分の手でやってみることが大事なのもわかっている。始めて終えることを、そのリズムを自分の身体に取り戻すこと。これを楽しくやってみることの一つに、おそらく日課や習慣を考えることがある。

かなり脱線した。日々の公演2に参加してどう生活が変わったかということを書いていたんだった。もう少し書いてしまったけれどジョギングの他にもう一つあって、手書きのノートとメモ帳とボールペンを持ち歩くようにしたこと。ノートはロルバーンというブランドなのかわからないが多分ドイツの会社が作ってるのか、の薄くて方眼が入っているものを、サイズが違うものを三種類携帯している。メモ帳はロディアというこれはどこの国のものかわからないが携帯している。紙の上部に切り取り線が入っていてビリビリと切れるようになっている。サイズ違いで三種類持ち歩いているというノートの真ん中のサイズのノートがこれを貼るのに一番ふさわしいサイズ感で、切り離したメモの四辺をスティックノリで塗りノートに貼り付けていく。ノートの中央にメモが貼られ、その余白に読み返した時にまたメモを書き足していく。小さい方のノートは日記として、大きい方のノートは思いつきを膨らませていくアイデアノートとして使っている。使い切ったノートはすべてのページを写真で撮り、データをクラウド上に保存してスマホとパソコンから見れるようにしている。ノート自体が薄いので割とサラッと使い切ることができるし、写真を撮るのもそこまで苦ではない。2ヶ月ほどの試行錯誤を経て今のところこういう運用で落ち着いた。高校を卒業してからノートパソコンを持ち歩くようになったので文房具からはかなり離れていた中でのこの生活はかなり小学生時代を思い出すもので、青のスティックノリなんかはもう完全に漢字の練習ノートの記憶と結びついている。大きく漢字一文字がプリントされたものをノートにスティックノリで貼って、その余白にその字をいくつも並べたり、例文をドリルから写したりする。使い終わったそのノートが、ノリで貼ったプリントの分買ったばかりの時よりもかさばっていて、その太り具合が今使っている真ん中のサイズのノートにもある。
なぜ自分が生きている最中に自分が生きているということがわからないのだろうとぼんやりおもい続けている。生活している、日々生活している。にもかかわらずそれがどんな生活でどういう仕組みで成立していてそれがどう動いていて、明日起きたらどこから続きが始まるべきなのか、わからない。あまりにも説明ができない。だけど生活がある。ここに生活がある(こう言い切れる、自分で自分の生活があると素直に言い切れている時点でぼくは相当に幸福なのかもしれない)。
生活をしているということと、生活をしているということが生活がわかることの間には、何かギャップがあるのだ、そのギャップを抱えているのが人間の生活なのだ、ということはわかる。おそらくはそのギャップに対してあーだこーだうだうだしたい、した方がいいんじゃないかとぼくは思っていて、その気持ちとジョギングなりノートを持ち歩いたりという習慣を立てるということがどこかでつながっているような気がする。
ジョギングなりノートなり日課や習慣を立てることは、その時ごとの自分の身体と交渉することでもある。今から走れるか、どれくらい走れるか、今ノートを開けるか、どれくらい書くことができるか、どんなことを書けるか。できなかったとしても、ジャージに着替えられなかったとしても、ペンを持てなかったとしても、今それができるかという声がどこかから聞こえてきて、そのことによって自分と自分の身体とのなんらかの交渉が始まる。
交渉とおもい始めたのは、日々の公演2に参加していた間にしていた短期バイトの際に、特にこれをしなければいけないという仕事が無い中で上司とマンツーマンで話をするという習慣ができてからだった。上司はそこで、仕事についてこうした方がいいといったアドバイスや、仕事場の別の、僕たちとは関係がない部署の噂話や、飲み屋で友達と交わした話なんかをして、たまに寒くないか聞いた。仕事についての指示と取り止めもない雑談という二つに区切ることができない仕方で上司は話しつづけ、ぼくはぼくでその上司の話にどう関わればいいか戸惑った。正直に言えば上司の話は不快か退屈なもので、しかしその上司の話し方を根本的に変えるようにぼくが働きかけるというのはできないし、かといってこのままお行儀よくはいはい面白いですねその話と相槌を打つのも不愉快で耐え難い。結果的にぼくは上司の話に対して相槌のリズムを少し遅らせて打つようになった。「あー」なり、「はい」なり、「そうですよね」なり、なんでもよいのだけれど、とにかく自分でここで言ってしまいそうになるなあとおもう時間の後でそれを言うようにした。上司がこれにどんな反応をしていたかその細部までは思い出せないけれど、ぼく自身の中で上司との会話が以前ほど退屈か不快なものになっていないような、楽しいとまではいかないけれどもそんな感覚があった。思い出して書いてみるとこの交渉の仕方は少し意地が悪く子供じみていなくもない気がするが、同時にこの話を何かの時に母親にしたら、それは大人だねえと言われた。
生西さんの言う「充実した稽古」は例えば、この僕と上司のやりとりと似ているとすると少しわかるような気もする。上司はわからないが少なからず僕は以前より充実した会話ができるようになったし、僕が上司とそうした関わりを持ちながらでもバイトを続けられたということはそれを見ている母親からしても充実したものだっただろう。最近母親は、一人称がお母さんから私に移りつつある。

ぼやぼやと、日課を立てることは自分で自分に呪文をかけることなのではないかと思い始め、それが黒魔術なのか白魔術なのかはよくわからないが、「今それができるかという声がどこかから聞こえる」という文章のいかにもスピリチュアルなニュアンスは、呪文と呼ぶにふさわしい気もする。痒さという皮膚表面にかけられた呪文。どこかから今日はジョギングできるのかと声がする。どこかから聞こえる声に対して交渉をはかってみる、その交渉のうちのどこかに楽しさが垣間見える。あるいは楽しくやれるような交渉を模索する。このことが充実した稽古であり充実した日々なのだとしたら……というところで、また日々の公演2の続きをやるらしいという連絡が来た。まだ終わらない。呪文が解けるのはいつなのだろう。よくわからないが、いつでもそれができるように準備しておく。

小林毅大 Takehiro Kobayashi

1998年生まれ。千葉県出身。劇作家。鉄くずについて主宰。上智大学文学部哲学科中退。ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校5期卒業。アートコレクティブポストパッションフルーツのスペース管理人。近作に『ストロー』(2021年)『お腹が痛い』(2020年)『グッドシーズン』(2019年)。

「can be」 根本美咲

高校生から20代の半ばくらいまでは、生きることが苦痛で、よく泣いていた時期がありました。理想とプライドだけは高いのに、羞恥心で何も行動できず、劣等感に苛まれる、そういう、とても普遍的でちっぽけでおおきな悩みを抱えながら、人間関係のしがらみに傷ついていた時期です。

現実に耐えられず、逃避するために絵を描き、本を読み、日記を書き、音楽を聴き、故郷を離れ、嘘の中でしか見せられない本音を抱えたまま、新しい人に出会う。またひとりで勝手に傷ついては、別れ、景色をかえて生きていく。家族が死んだり、友人が死んだり、耐えられない別れも何度か経験した。そのたびに泣いて、人に八つ当たりしては落ち込み、自分で自分を救うしかないのだと悟る。わたしの人生はこれの繰り返しです。

もういいかげん離別にはうんざり、というなかで、可哀想な自分を仕立て上げるのも飽き、最近はようやくじっくり内省する時間もできて、記憶を整理し、今はできるかぎり自分の価値を信じ、やさしく、欲に対して素直でありたいと思っている。そういうタイミングが重なり、「日々の公演2」に、観客役、ではなく演者役で参加することにしました。

「日々の公演2」が開催されたのは5ヶ月間で全7回、わたしは皆勤賞でした。だからといって何かを成し遂げたわけではないです。むしろ他人と比べて自分のかっこわるさを思い知るばかりでした。あの場所で行われていたことは、地続きの日々を繰り返し生き抜くなかで出会う、切実な瞬間に再会するためのささやかな営みだったと思います。

開催日が近くなると生西さんからぽつりとメールが届き、健太くんの書いた台本が添付されている。いくつかあったうちのそのほとんどは読むと、記憶を手繰るような、死の訪れを待ち受けているような、うす暗い夢のなかにいるような気持ちになる台本でした。わたしは目を通した後、そこにある言葉を自分の引き出しにある記憶にちょっと重ねてみて、繰り返し声にする、ということを寝る前に続けました。案外セリフを覚えるというのは簡単で、いざ当日、参加者の人たちと一緒にやってみると、他人と隣り合って音を出すということにすこし怯む。うまく音を打ち返さなきゃ、でも人の邪魔にならないようにしなきゃ、とか思っちゃったりして、結局うごけず、エスカレーターに乗るタイミングがわからない子どもみたいな気持ちになる。

なんとか玉拾いをする新入部員みたいな気持ちで周りの人を観察してみると、どうやらみなさんセリフをちゃんと覚えているかどうかとかじゃなくて、まず戯曲と対峙することから、どんな環境で、どんな時間軸で、どんな関係性のうえにある言葉なのかを知るところからはじめているみたい。それやってなんの意味があんの?と口が滑りそうになるけれど、これがほんとうに大事で、その土台づくりをやっている人の言葉の中には景色があり、説得力が生まれていた気がします。

客席に座っているだけじゃわからないことはたくさんあった。人前に立って表現する人たちをみつめては「終わらないで」と願ってばかりだったけど、やってみる側に立ってみると、表現をやり続けている人と自分とのあいだにある歴然とした蓄積の差に落ち込む。

初回だったか、戯曲を読んだあとの感想で参加者のひとりが「一生懸命になれるものを探していた」と言った。その言葉はこれまでの人生で一生懸命にならなくていい理由ばかりをみつけていたわたしの喉に魚の小骨が刺さったように残った。そういえば保育園の運動会で、友だちがかけっこで1位になりたいって言うからわたしは力を抜いて走り、親にも全然やる気なかったねと笑われるほどで、べつにそれが悪かったといいたいわけではなく、ていうかそれもまあわたしの魅力の一部だよなとか、なしくずし的に肯定しつづけて、でもそんな自分のかっこわるさにもう飽き飽きしているからこうやって、すこしだけ一歩前に足をだしてみたんじゃないの、と。

「日々公演2」に参加してよかったと思います。やらないよりやったほうがずっと楽しい。ただ、一歩前に足をだすのはできても、そこから状況をかえるには一歩前に足を踏み出し続けなければならないんだとも思いました。

それから他人と一緒にやるのはとてもおもしろい。6回目の本番、参加者のひとりの星くん、「一生懸命になれるものを探していた」と言っていたあの彼の演技を直にくらったときは泣きそうなほどだった。どうすればそんなにまっすぐに、一生懸命に、切実に、擦り切れるように、自分の心をうごかせるんだろう。そんなことを考えているうちに終わってしまった。

演技ってなに?と言う話になったとき、beingじゃなくてdoingが演技、止めること、そこから降りることができるならそれは演技じゃないかって、宮崎さんが言ってた。わたしはわたしの人生から降りられないし、日々の公演もbeingな気がする。

根本美咲 Misaki Nemoto

1993年熊本生まれのおとめ座。
絵を描くのが得意な子どもでした。今は都内の児童館で働いています。チャームポイントは癖毛。占い師に手相を見せたら「地上にいることが奇跡」と言われたことがあります。

「心の中は見えないから」 高橋利明

この文章では私が「日々の公演2」というWSに参加し、体験したことを感想としてつづります。

まずはじめに、私が「日々の公演2」に参加した理由を書きます。

理由は4つ。

1つめは、生西さんの講座を受けてみたかったからです。
私は5年ほど美學校に通っていて、その中で、生西さんが講師を勤めている「演劇 似て非なるもの」が気になっていました。毎年「受講しようかな」と迷いつつ「スケジュール的に、ちょっと大変そうだ」と考えて断念。

「日々の公演2」を受けたのは、ジェネリック「演劇 以て非なるもの」だと思って参加したふしがあります。(参加した結果「WSと講義はたぶん別物」ということがわかりましたが)

2つめは、演劇の世界に触れることによって、「自分を高めて、モテたい」と思ったからです。これ以上、説明しようがありません。

3つめの理由は、恋人を作って結婚したいから。

4つめの理由は、金持ちになりたいから。

ざっと、こんなところです。

1→2→3or4と段階を追ってクリアしていきたいところですが、正直あまり現実味を感じていません。本気で「結婚」や「金儲け」を目指しているなら他のことをやった方がいい気がします。

でも私のような中途半端な人間は、何かにすがりたい。すがる気持ちで美學校に通っています。

私はきっと中途半端な人間のまま夢を追い続けながら醜くなっていく。そんな私を愛している。ちょっと哀れなところや、したたかなところが良いと思う。こればかりはどうしようもない。

WSに参加して、私は「美」の感じ方が少し変わりました。

もともと、私は「美しい」という感覚がよくわからなかったのです。

どんなに素晴らしいとされている芸術作品を見ても、強烈に打ちのめされた体験がない。

だけど「美しい」と思うことはある。

それは自然や野生に触れた時だったり、大好きな音楽を聞いた時だったり、綺麗な写真を観たとき。「いいなあ」と思って、ほわーっとする感覚。びびびとなる感覚。

それらの体験には、官能的な要素が入り混ざっていて、異性にときめく感じと少し似ています。

「日々の公演2」の中で味わった感覚も、それに似ているが、すこし違って。それを押し拡げた美しさでした。

WSの、あの空間で立ち上ってきた「美の価値」を基礎づけていたのは、主催者の鈴木さんと生西さんだと思います。

上から降りてきた「美の価値」を(われわれ)<演者(役)>は下から、トレスしようとしたり、或いは言いよどみ、読み間違えたりしながら、意識的/無意識的に、ちょっと歪んだ線を描いていきました。

「美」の価値は、<演出> – <演者(役)> – <観客(役)>という、「日常」から逸脱したサークルの内側で循環して(時に転倒して)、乱反射を繰り返しながら、(おのおのが)「美しいとはどういうことなのか」と問い、(おのおのが)感覚的に導きだした答えを、ぼんやりと身体にすり込ませていった。そんな気がしています。

私にとって「日々の公演2」とは、身体の感覚が、ある価値観に沿って、まるで開かれていくかのように書き変わっていく、そんな体験でした。(ちょっとオーバーな表現になってしまいましたが、文章を書くのが苦手なので赦してください。)

さて、「日々の公演2」を受け終え、この文章を書きながら考えているのは、「WSを受ける前の高橋と、WSを受けたあとの高橋は一味違うぜ。」ということ。「これでモテるようになったんじゃないんか?!」と!!

私の中で起こった「美」の認知の変化は、他者の目から、どう映るのだろう。周囲の人間に「ねえねえ、自分はWSを受ける前と、受けたあとで何か変わった感じに見える?」と聞いてみました。

…聞かれた人たちは困惑しながら「あんまり変わってないんじゃないかな」と答える人が多かったッス。…やっぱりWSを受けたくらいじゃ、そうそう変わらないんだな人は。

高橋利明 Toshiaki Takahashi

1988年生まれ。専修大学中退。フリーター。普通自動車免許(AT限定)、所持。趣味は、音楽と読書とサイクリング。

「日々の公演に参加して」 畠山峻

snsで募集を見かけて興味本位で参加してみたのですがとても楽しかったです。全員がモチベーションを持って参加し発言をしている場というのは(もっともっとあるべきだと思うのですが)とても貴重だと思いました。
ある回で、生西さんがその日出席できない方の代役で入っている人に結構な時間を割いて演技の注文をしているのをみて、その一見コスパの悪そうな行為にとても大事なものを感じました。参加できて良かったです。

畠山峻 Shun Hatakeyama

舞台俳優。people太主催。円盤に乗る派プロジェクトメンバー。

「日々の公演2に参加して」 増井ナオミ

昨年10月

地元ヨコスカのシニア劇団に入りたてで、外郎売なんぞの稽古を週に2回始めたばかりの身としては

美学校=(いつもホントに色んなことをやる場所だなぁ)からのメール見ると

そうだこんな、なんか、よくわからんよな、考え込むような演劇が面白い!んでは?と

この、生西さんの誘い文句に惹かれた (抜粋)

日々の生活も繰り返しですが、日々の公演も繰り返しです。
日々の繰り返しに疲れることもありますが、そのことに支えられ、
救われてもいます。似たような代わり映えしない毎日かもしれませんが、
同じ日は二度とありません。集まった人たちによって、
日々の公演がどのような姿を見せてくれるのか、
どんな人たちに出会えるのか楽しみです。

*なるほど日々の公演とは面白そう

で3年ぶりの、『日々の公演2』は、「日々の公演」と大きく異なるという。

生西さんの文を自分都合ではしょると

出演者も観客も基本的に同じメンバーで、月に1回集まり、
半年間続けるということです。同じメンバーで継続して深めて行きたいという気持ちもありました。
観客についても、観客役と言った方が近いかもしれません。観客も継続して参加してもらい、
公演後に出演者、観客、みんなで感想を話し合うという時間も今回は長めに設けることにしました。

鈴木さんの誘い文句

今生きている人たちと、思ってもみなかったところへたどり着く日を楽しみにしています。

*これも惹きつけてくれた

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観客役もいるんだ! 役者は,演者! そういう在り方や、感想を話し合い、考えるのは、ますます面白い。

ポチリました結果
7回中 肘骨折手術の次の日だけの1回お休みの濃い参加

毎回、演者が異なり、なんだかんだ言っても『みんないい人だった』
と括れない参加者ばかりなので、充分に面白がれました。

私の御守り『すべてのことははじめて起こる』と相性がいい『日々の公演2』
続きがあるなら、今度は、思ってもみなかったところへたどり着く実験がしたい。

増井ナオミ Naomi  Masui

2020初夏から、杉並、京都、横須賀、
3ヶ所を『旅するように暮らし』てみたけど
クルクル目が回るような慌ただしさ、肘骨折、でざせつ。
ここんところは『港を見渡す赤い屋根の平屋』で、草花、とんびを眺めるのが楽。

「そのままにいて 変化すること」 瀧澤綾音

日々の公演2に参加した。

美学校と、23歳で受講した「演劇 似て非なるもの」は私にとって ものづくりの原点。この講座に出会ったとき、こんなおもしろいと思える作品や場所があるんだなと思った。受講していときは、自分に向き合う修行のような時間で辛くもあったけど、毎回の講座が濃密で魂がうちふるえて。そんなことって本当に奇跡だと思う。

「美学校は私にとってかけがえのない存在です。
毎回の講座で魂がうちふるえ喜んでいるの思いました。生きていてよかったと思いました。
真摯さと純粋さにあふれた多様な人達との創造の日々。人生や表現への種を一生分くらいもらった日々。
今も初心を思い出したりさらに進むきっかけをくれる場所です。
全ての人に開かれているのも魅力の一つ。ご縁があり直感が働いたら踏み込んでみることをおすすめしたいです。」

2022年度募集のパンフレットへ書かせてもらった文章より

現在30歳目前、受講していた頃の自分より生きやすくなった部分/切実さや芯の強さが薄らいだ部分があった。演劇や表現を続けていっていいのか 続けるなら初心を思い出したい そんな気持ちだった。
数年前に行われた 日々の公演を私は祖母が危篤でキャンセルさせてもらっていた。いつか機会があるなら参加したいとずっと思っていたこともあり、やろうと決めた。

「抱えきれないほどたくさんの四季のために」
私は与えられた役割を、問題提起/少数派/怒り/感情かなと思っていた。
そして 感情をぶつけることが苦手で、表現の場でやることが怖くなっていた。
怒りとはどうやって出てくるのだろうと試行錯誤していった遍歴を書いてみる。

1回目
本読みをすると「ここはもっと強い口調で」との指示があった。「役の流れを成立させないと」と思っていて 役の全体のセリフで怒りを強くしてみようと思った。
初回の怒りをぶつける役の星さん役は代役の武本拓也さんだった、武本さんはなんだか人形のような声を発して苛立ちやすいようなキャラクターになっていたように思う、迷いなくいる様にすごいなと思った。「演劇 似て非なるもの」同期という安心感もあり怒りをぶつけやすかった。
最初は自由に動けたので、乱暴に動くと苛立ちを覚えた。
この時の役のイメージは、意図せずに(生育歴などで)感情的にものをいう性質のある人。怒りをぶつける相手にストレートにぶつけた。

2回目
この回の怒りをぶつける役の星さん役は代役の堀江進司さんだった、堀江さんとも生西さん鈴木さんのWS「星座はひとつの願い」でご一緒したことがあった。どもり方と堀江さんの役との向き合い方が印象的で、とても滋味のある堀江さんの入った星さんが立ち上がっておもしろかった。
このとき、なんだか怒りをぶつけることが上手くいかなくなった。それは怒りをぶつけるのが堀江さんだったからではないと思う。嫌な怒り方をした。それは、内発的に怒りを増醸して それを相手にぶつけるよりも自分の中で弾けているような感じだった。
そんな怒り方をたくさん見てきて そういう怒り方が一番身近で、そのことを自分でも否定していたんだろう、だから苦しくなった。
この時の役のイメージは、怒りを覚える感じの悪い人。多分自己否定している人。

3回目
星さん役に星さん。
自ら”感じの悪い人”を演じることはおかしいと思っていた。
この時のイメージは、問題提起をしている少数派の人、口数が少なく多分語彙もないから口調が強くなる人。
なんだか怒りなんて湧いてこない。武本さんと堀江さんは大きめのどもりによって 怒りをわかせてくれていた?のかもと思った。星さんへの怒りよりも三井さんへの怒りの比重が大きくなっていった。
本当に怒りや感情は必要なのか、私はインスタントにやっていないか、そんなふうに思っていた。けれども 振り付けの強い口調部分の辻褄を合わせる方法が他に見つからなかった。
怒りを作るため、体に力を入れて硬直させ 呼吸をずっと浅く早くしてみた、口調と台詞を入れるタイミングを早めた。できることにはできるけど、なんだか違う気がした。

4回目 最終回
星さん役に星さん。
振り付けの強い口調部分を一旦忘れることにした。怒ることもやめてみた。もう自分で考えた役割で自分を縛って”頑張る”のをやめようと思った、何が正解なんてわからないし、そんなものはない。ただ言葉を発してみる。
しかし、そうするとますます空気感やテンポ感がのっぺりした。(全体的に低気圧で、みんなゆっくりめ だるさのある感じだった)
鈴木さんと生西さんに相談すると鈴木さんが「人間にはいろんな面がある」「笑ってみたら」「瀧澤さん、音とかで決めてセリフいうのあってない」「自分のセリフを焦らずゆっくりとやっていい」生西さんが「瀧澤さんが(あるがままに)そのままそこにいてくれたらいい」というようなことを言ってくれた。
「抱えきれないほどたくさんの四季のために」の私の役は私が喋らなそうなのをということでやることになったらしく、「真っ暗闇」では私の言いそうなことを渡してくれたらしい。なんとなくそうかなとは思っていた。そんな風に鈴木さんや生西さんはみんなそれぞれのことを みていてくれたのだと思うと、感動した。そんなに人を見ることってないんじゃないか。

私は、桒野役の気持ちがよくわかる。「人間は怖かったことだけはずっと覚えているんです。」ことあるごとにこの5年思い出してしまうことがあった。

私は、「演劇 似て非なるもの」4期修了後にとある場所で「演劇に必要ない人間は社会の役に立つために早くやめてもらわないとね」と冗談のように放たれた言葉が重く残っていた。その後、その場所にいるための選考に落ちた。
私は、それらのことを繋ぎ合わせて考えてしまった。
選考を外れた理由がわからなかったから、私が 演技で突き抜けてしまい和や流れを乱した?感情を使う芝居をしたから?わがままで自己中心的だったから?才能のない私は社会のために演劇をやっていてはいけない?と自問し続けて、生きやすくなった部分と苦しみ続けていた部分があった。

和を乱さない、流れを守る、自己中心的なことをしない。と、どんどん小さくまとまっていった気がする。そして、”過去”を引きずっていることへの自分への違和感。
そんな自分に終止符を打ちたくて、この作品に参加しようと思ったのだった。

いい悪いなんてない、判断をしたくない。そしてあるとしたら、それは自分で決めたい。
桒野役に私は問いかける役割で、瀧澤役のセリフに「お前らカッコつけて貧しいフリすんなよ」というのがある。これは自分に言っていたと思う。とても大切な言葉をいただいたなと思っている。

本番、私は私のままに、突き抜けることも、感情を出すことも、感覚的に楽しんでやってみようと思った。いい/悪いなんてひとつもないのだ。
みにきてくれた人が「異質で、一番危なっかしい人だった」と言っていた。そうだったと思う。生々しい感情やその場に自分として反応していたとは思う、それに人間は想像できないことをする人を怖いと思うんだと思う、だから作品の質感から少し外れ、怖かったのかもしれない。

そのときは、恐れから流ればかりや辻褄合わせをすることをやめていた。自分そのままにいて、感覚重視に、反応と相手に渡すをしていた。今までで一番、怒りも自然に出たし、その場にいることができたと思う。
いいか悪いかは本当に本当にわからない。
でもこの場では、そんなこともゆるされていたように思う。懐の深い作品。

この本番ですっかりできたという気持ちはないし、「演劇 似て非なるもの」を受講していたときを全く思い出せたわけではない。
けれども挑戦はできたし、さらなる新しい私に向けて進んでいけるような気がした。
素人と動物はおもしろい、もう素人ではないのかもしれない、だからこそ いろんなことを知った上で自由さを持ちやっていきたい。何も正しいなんてない、疑って、今のそのままの自分を受け入れながら軽やかに飛べるようになりたい。

出演者で集まった12人はあたり前だけどみんな違う。
みんな違うことがおもしろかった。この人はなんでこういうようになっているんだろう、全てはわからぬまま終わっていった。もっと話を聞きたかった。

今回、人数も多くあまり話す時間がなかったなと思っていたのだけど、(SCOOLの)土屋さんと別件でやりとりしていて「ああやってそれぞれの感覚を素直に話し合える場はなかなか無いです。」と聞いて そうだったと思った。
みなさんの考えていることが聞けて嬉しかったし、帰り道に演者役の小林さん三井さん、観客役の猿渡さんと話したり、みなさんのことが好きになっていったり、関係がゆっくり変化していくのもおもしろい経験だった。

みなさんのことをたくさんみせてもらった、覚書。
(つれづれなるままに書いたので失礼があったらすみません。)

加賀田さん
佇まいの不思議さ、空気のようにふわっとしっかりそこにいるような。
ペンが好きなのか、かわいい万年筆を持っていた。服なども自分の好きをちゃんと持っていていいなと。
いつもやるときは自分ごとのようで、たのしいをみつけて すんなりやっているのすごいなと思った。

野口さん
野口さんも少し地面から浮いているようなふわりとした佇まいと風のよう。いつもいい風がふいている。
まよいがない。声の透明さ、存在の透明さ、軽やかさ。
服や靴がいつも可愛かった。ご飯もおいしそうなものを食べていて。自分をいつもごきげんにできる心地よくあれる人なんだと思った、素敵。

高橋さん
そこにあるのを感じる。人間らしさ。
優しく、柔らかく、正直さがある。そのまま居ていいことを思った。
本当にたくさん気づく、それを言葉にしてくれていた。
ウクレレの音が場所を柔らかくしていた、ありがとう。

宮崎さん
初回のとき、チームの人をみて それをまとめ 包むようにしていて。自分のことよりも。すごいなと思った、なんでそんなことできるんだろう。とても話が聞きたかった。
それと同時に、宮崎さんの突き抜けるところ?がみてみたいと思った。

桒野さん
しっかりと向き合っているさまは本当にすごいなと思った。
自分の感覚に正直に、作品や役のことに真摯にいる姿。
最後の回では、役の居方や声が変わっていた、何を考え起こっていたのかとても気になった。
私は、桒野役に寄り添うようにいたいと思っていた。

増井さん
どんどん増井さんが回を重ねるごとに役の演じ方などが変容していくのがおもしろかった。
興味を持ち続けること、挑戦し続けることの素敵さ。
思いきりよくいれて本当にすごいなと思った。

小林さん
なにか生西さんに言われたことを咀嚼して、変化していってみていておもしろかった。
生活の変化が小林さんに表れていて、素直な身体と心の人なんだなと思った。
ゆらいだり まよったりも人間らしく素敵だと思った。仲良くなれて嬉しかった、ありがとう。

畠山さん
演じるときの佇まい、言葉と身体と畠山さんと役の違和感。抑圧感。すごい!なんだこれ!なんでこうなるの!と初回からずーっと気になっていた。
畠山さんの唯一性。すごい。
その片鱗に少しでもふれたく 一度聞いてもよくわからず、また聞いてもわからず、よければ また 少しゆっくり話し聞けたら嬉しい。(聞かれるの嫌だったらすみません…笑)

根本さん
初回に「そのままいることしかできない」と話していたのを聞いていいなと思っていた。
Beingのすんなりできる人。きっと根本さんは自分をお気に入りで生きれる人なんだと思う、素敵だ、いいな。
「すんなりそれになれる」というのもいいなと思った。
いいな、そんな風に生きれたらな と彼女をみていて思うことも多かったけど、同時に人それぞれに全然違う人間で 自分で生きるしかないのだなと思った。

星さん
熱の入り方や切実さ誠実さがすごかった。
求心力と可愛げがある。コミュニケーションのできる人だなと思う。
初回に私が 最近は美学校に通っていた頃の切実さが減った。いい部分と悪い部分がある。と話すと、「渦のようにつかっていけたらいいですね」というようなことを言ってくれた、ありがとう。

三井さん
自己肯定のしっかりある、安定感、愛のある、つよいひとだなと思った。
自分の好きや違うをしっかり言葉にできる。俯瞰がある。
背が高いけれど、柔らかさで威圧感などが全くない。
帰りにいろいろ大切な話聞けた、それから私にも「好きなひと」が増えていったと思う。ありがとう。

猿渡さん
最初からずっとみてくれて。みる視点があっての作品があるのかなとその尊さを思った。
そして、ひとりひとりを猿渡さんの視点からじっくりとみてくれていた。
いまどこにいるのエッセイも素晴らしかった、本当にありがとう。

あとこさん
演劇似て非なるものの場で何度かお会いしたが、なんだかお顔をみると安心する。
最後の回で、前に感想を言ってらした方と全然感じ方が違って。とてもいいなと思った、その人なりの感性があること、それをあたりまえに持てることが素晴らしいと思った。

鈴木さん
考えることもたくさん、ひともたくさんの中で、周りをみて その人の言いたいことをすっとわかってすごいなと思った。私のわからないを一緒に考えてくれてありがとう。
鈴木さんの言葉とても好きだから、また言葉にふれられて嬉しかった。それに大切にしたい言葉をたくさんいただいたなと思う、ありがとう。
4期のときからのゆっくりとした変化などもみれて嬉しかった。

生西さん
生西さんはいつもみていている、それってすごいこと尊いことだなと思う。
そしてあたりまえのように信じて いつもいてくれる感じがあって。その時々で集まった人で 全く違う、おもしろいと思う魂ふるえるようなものが立ち上がる。
いつも対等にいてくれる。みんながそれぞれでいれる場・話せる場。
心遣いなどもありがとうございます。生西さんや生西さんのつくっているものに出会えて 本当によかった。

心のなかで一緒にいた人
全員ビニール袋を持って横並びに立っているというシーンがあった。
そのビニール袋には、
・祖母の写真(以前の日々の公演中に見送った祖母)
・ホームステイマザーとニュージーランドの思い出のチョコ
・大林三佐子さんの最後に持っていた5円と1円を3枚
落としたくない忘れたくないものを入れた。ありがとう、私は覚えています。

ただそこにあること、それが美しく尊いと思い続けている。
そのままのあなたが美しい、とっても素敵。
そしてただそれをみて。あなたの真にあるものをみたいと思い続けている。
そのままにとか、あるがままなんて、そんなのはないのかもしれない。
私は特にそれに苦手がある。だから私は探している、探し続けて、演じることや創作を続けている。

いつかいのちは終わる。ここにはいなくなる。

いつかただただあなたをみて、ただただそこにあれますように。

「夜露と葉っぱのいいにおいだ。
 じゅうぶんにあたたかいくらいの、すずしさだ。
 月の光に照らされて、水にうつった揺れる影。
 こういうものを安心して、感じること以上の幸せはない。
 これが私の人生か。
 きっと、本当にそうだ。
 きっと、本当にそうだ。」
                瀧澤役のセリフより

真摯さや魂がうちふるえるってなんだ、必要なことなのか。いつ死ぬかわからないから、私のもてる全てをお渡ししたり、人の役に立ちたい。
この文章を書きおえて10日ほど。そんなことは必要かわからないし、自己満足だし、それが誰かに誤解されたり、煙たがれることがあるのだなと、いろんなことを経験して揺らいで知った。
どう生きていきたいか、何を大切に生きたいか。自分で選んで、今を生きたい。

瀧澤綾音 Ayane Takizawa

新潟県生まれ。
心と身体のことやあるがままとは何か考え、生きていることの尊さ/小さな幸せに光をあてるため活動。愛と感謝を大切に生きている。

美学校 実作講座 「演劇 似て非なるもの」4期生。
演者として、演劇/映像/インスタレーションなどの作品に参加。
フィルムカメラで撮影する「日々を愛でて」/ひとりのひとをいろんな視点からうつしだす「あるがままを愛するために」主催。
takizwaayane.com

「同じ場所に立っている。」 猿渡直美

この度は、全7回の「日々の公演2」に参加させていただき、ありがとうございました。毎回変わっていく公演を長期的に観れて、とても楽しかったです。その後の話し合いでも、参加している方、一人一人の話されることから気づくことや学びがたくさんありました。

まず、最終日の公演の感想から書きたいなと思います。最終日は雨が降っていて、湿度も高く、外に通じる出入り口が締め切られていたので、空気がこもっている感じがしていました。観客の人数もそれまでより少し増えていたので、空間の温度が上がっている気がしました。

兄妹の再演の場面も、前回と違って、陽が焼けた後のような、煤っぽい熱の名残りと暗さを背景に背負っている感じで、人の記憶・心象風景の曖昧さを感じました。兄妹の視線の先の、暗いところから寄せては引いていく波しか見えない感じでした。その記憶に入ってくる、その場面では匿名性が高いはずの人の輪郭が空間の熱気によって浮き出てくる感じがしたので、足された台詞やその日の気温・気候・それに呼応する人と人から発せられるもの、すべてが空間に作用するのだなと思いました。

目線を足元に向けると、背中を丸めて眠る子ども達を感じて、見上げた瞳の中に星の反射光を見て、人が体を揺らして顔を覗かせるので、木々の存在を感じます。月が映り込む水辺と、青白く辺りを照らす白い月と、その場の静かな空気を吸って立つ人、すべてが調和して自然に存在してみえるから、そのまま受け取ることができて、きれいだなと感じるのだと思いました。それまでのこもった空気があるから、最後の静謐な空気と差がでて、より鮮明に感じるのかなと思いました。

正直なことを言いますと、このワークショップに参加している間は、ずっとふわふわしていたというか、現実味があるような、ないような気持ちでいました。観客は、周りが見えづらくなる夜に、その場へ向かい、明るい場所で虚構を観ます。なので、現実の方が見えづらくて、虚構の方がよく見えます。集まっている人達との関係性は距離が保たれたまま、作品の深度は回を重ねるごとに増していきます。扱われているものも、現実の中で、普段は忘れているような、平穏に過ごすために見ないようにしているような、でも日常のなかで在り続ける、普遍的で根源的な問いかけが、純度が高く表出されているので、重さがあります。現実と虚構の重さが逆転している気がして、純粋な創作物として距離を持ってみることができず、境目はどこからだろうと、ずっと揺らされていましたが、境目は、ないのだなとわかりました。

他人事としてみれることは、本当はひとつもなくて、傍観者で居られる状況は、ひとつもないのだと思いました。皆、同じ場所に立っていて、その場所が安全かどうかは、その場に立つ人達に委ねられているのだと、同じ場所で生きている人達に委ねられているのだと思いました。

終わりがあるから始まりがあり、別れがあるから出会いがある。よく聞くようなその言葉が、やっと腑に落ちたような気がします。死を遠ざけることは、生を遠ざけることであったのだと、死ぬことを考えるから生きることを考えられるのだと気付きました。当たり前のことかと思いますが、私にとっては、とても大事な気付きでした。

生きていくには安全な場所が必要で、信じられるものが必要です。それを揺らされると、人は攻撃的になってしまうと思います。安全が保たれないと生きられないから、生きるために他者を攻撃したりしてしまいます。でも、同じ人なのだから、尊重し合うことはできるはずだと信じたいです。

この公演も、信じる人が集まったから始められて、人が減ったり、増えたり、代わりの人が入ったりしながら、繋げるために続けて、終わりを迎えることができています。人の重さが軽んじられることのない営みの一要素であったという、確かに残っている実感を希望として進んでいけるのだなと思います。それが一人の視点だけでなく、多くの視点で語られるというのが、希望だなあとおもいます。そもそも演劇自体が信頼関係のなせる行いなのだなと改めて思いますし、人をはからない・はかられない場が存在することに、とても癒されました。

人と関わる上で、伝えること・聞くことを諦めてはいけないなと思いましたし、自分が偏った視点で物事を判断していたことにも気づきました。いろんな視点から物事をみつめないと全体は見えてこないのだなと思いました。

生きることは、光を見ること、光を信じることで、つないでくれた人の言葉を信じることなのかなとおもいます。いろんな言語でつながれてきた 生きて というやさしい言葉が、今生きている人の生を照らしてくれていることに感謝して進もうとおもいます。そして私も拙くても繋いでいけたらいいなとおもいます。

みんないろんなかたちで生きることと向き合っているのだなと、とても励まされましたし、とても楽しかったです!本当にありがとうございました。

猿渡直美 Naomi Saruwatari

女子美術大学 デザイン・工芸学科 VD専攻 卒
主に装丁や書籍等のエディトリアル全般の
業務を行うデザイン事務所勤務。
在宅勤務継続中。

photo by Ji Woon Kim

これにてA面は終わり!
B面に続く!
(最後まで読んでくださった方ありがとう!)


実作講座「演劇 似て非なるもの」 生西康典

▷授業日:週替わりで月曜日と金曜日 19:00〜22:00(6月から開講)
「演劇」は既成のイメージされているものよりも、本当はもっと可能性のあるものなんじゃないかと僕は思っています。それを確かめるためには、何と言われようとも、自分達の手で作ってみるしかありません。全ては集まった人達と出会うことから始めます。