「『おもちゃ』と『テストプレイ』のアートへ 〜ポストコンテンポラリーアート実践編〜」受講生インタビュー


※このインタビューは2021年度に開講した「「おもちゃ」と「テストプレイ」のアートへ」の時のものです。「「おもちゃ」と「テストプレイ」のアートへ」は集団創作で制作するところまでしたが、23年度開講の「自分を越えた作品を 計画的につくる方法と発表の実践」は個人創作での発表も含まれます。

2021年5月に開講した「『おもちゃ』と『テストプレイ』のアートへ 〜ポストコンテンポラリーアート実践編〜」(講師・岸井大輔)。講座では、作品を「おもちゃ」と、展示を「テストプレイ」と捉え、受講生が提案した「おもちゃ=作品」に対し、他の受講生が「遊び」を提案することで、「おもちゃ=作品」作りの実践を重ねます。本稿では、講座を受講中の皆さんに、受講のきっかけや、受講してみて感じたことなどをお話しいただきました。

受講のきっかけ

神山 神山朝人です。大学で彫金を学んだ後、しばらくアートをやっていなかったんですが、またやり始めたいなと思ったときに、美学校のウェブサイトで岸井さんのインタビューを読んで、とても面白かったので受講しました。今は金属にこだわらず、立体で作品を作っています。

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神山朝人さん

藤中 藤中康輝です。東京藝術大学大学院でグローバルアートプラクティスを専攻していて、現在は休学中です。普段はインスタレーションやパフォーマンスをしたり、Oku Projectという名前のユニットで活動しています。自分も岸井さんのインタビューを読んで、これは受けなくてはと思って受講しました。ボードゲームが好きなんですが、ゲームにおいて「テストプレイ」は、ゲームの面白さや強度を確認するためのもので、そうした眼差しを作品に対して向けるとどうなるんだろうなと思ったんです。あと、父親が人形劇団員で、自分の作品も人形劇の要素があるので、岸井さんのインタビューに演劇との出会いがおままごとや人形劇だったと書かれていたことにもシンパシーを感じました。

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藤中康輝さん

田中 田中真由美と申します。多摩美の油画科を卒業して、仕事をしながら図書館で3ヶ月に1回掛けかえる絵の展示をさせていただいたり、個展を何回か開催していました。私も別の場所で開かれた岸井さんの講座に参加して、そこで「プレイ」という概念を知って面白いなと思いました。「遊び」と言うと、短歌だったら本歌取り、美術だったらマニエリスム的な暴き立てとか色々ありますが、それを「『おもちゃ』と『テストプレイ』」というキーワードで捉えたところに新鮮さを感じて、美術の文法に囚われない遊び方が考えられたら面白そうだなと思って受講しました。

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田中真由美さん

作品をプレゼンし、遊びを提案する

田中 授業では作品のプレゼンをする人がいて、それに対して他の受講生がその作品の「遊び方」を提案します。作ってこないと始まらないので結構忙しいですね。モノに凝集するための技術を教えているわけではなくて、「遊べること」と「作品として成立すること」の一致点を探している感じです。だから、遊べてはいるけど、この場でしか持たないとか、作品として完結しているけど、遊べているかと言うと遊べていないみたいな微妙なすり合わせが毎回面白いです。遊べているかどうかの判断は岸井さんではなく作者(受講生)がします。岸井さんは交通整理をしてくださる感じですね。だから、「これは遊べていないと思う」と断るときは結構勇気がいります。「なんとなく嫌だから」ではマズイので、断る理由を考えるのも勉強になります。

藤中 作品=おもちゃが遊ばれたかどうかが作者には分かると岸井さんはおっしゃるんですが、確かにその感覚は分かります。遊ばれていればOKで、遊ばれていなければダメですと判断を下すターンがすごく面白いですね。神山さんがスプーンの作品をプレゼンしたことがあって、そのスプーンは掬う部分が四角く盛り上がっていて実用的ではないんですが、朝比奈さんという受講生の方が、それを無理やり使って調味料を舐める遊びをプレゼンしたら、神山さんからOKが出ました。でも、この作品を絵に描きたいですとか、この作品を展示したいですといったプランが出たときには、遊ばれている感じがしないという理由でNGでした。作品の何を遊んでいれば遊んでいることになるのか、そこを探っていくのが面白いし、それが演劇においては戯曲をプレイ(=上演)することと共通していると聞いて、演劇における感覚が応用されていることにワクワクします。

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藤中さんが提案した田中さんの作品の「遊び」を検討

神山 僕はどんな提案が来ても、作品をそれ用にもう一つ作るから、切り刻んでも爆破してもどんな遊びをしてもいいですよという気分でいたんです。だけど、遊びを提案する人に「オリジナルの作品でないとダメだ」と断られるケースもあるのが意外で面白かったです。

田中 自分が思ってもいない遊ばれ方をしたときに、その飛躍を自分の許容範囲の狭さで受け入れられないのか、それとも本当に面白くないから受け入れられないのか自問自答する時が一番難しくて、それをみんなはどう思っているのかなと。他の皆は納得してるようだけど自分には分からないという時があって、自信を持ってNGを出せないんですよね。

藤中 自分は結構自信を持ってNOと言えてしまいます。例えば、展示の話をいただいて参加したときに、無理をしないと作品やパフォーマンスが成立しない場合があって、参加しなきゃ良かったかも、ちょっと違ったかもと思う時と、講座でNOという時の感覚がちょっと似ている感じがします。

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今度は、藤中さんの作品を田中さんが「遊んだ」絵画作品をプレゼン

神山 僕は自分の範疇外の提案の方が面白いと思います。ひとつの作品に対していくつか提案があった場合は、ひとつを選ばなければいけないので、そういう時は一番自分が思いつかなかった遊び方を選びがちです。あと、作品を作る時は自分だけで完結したいというか、パフォーマンスとかは苦手なんですけど、人の作品を遊ぶ時には世間を巻き込んだ案を考えたがることに気づきました。今は、朝比奈さんの短歌を使った遊びを制作中です。25首の短歌を5音、7音、5音……と音節ごとに分けて、ハムスターの回し車と連動させるんです。回し車が100回回るごとに、各音節がランダムにピックアップされてハムスターが短歌を生成するという遊び方をプレゼンをしてOKが出たので、仕組みを制作してくれる人と打ち合わせをしています。

藤中 プランが通ったと言っても、とりあえず進めていいですよというだけで、出来たものを見た上であらためてジャッジされるから、意外と厳しいんですよ。

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受講生がこれまでにプレゼンした作品と遊びを板書で整理
点線で囲まれた遊びは制作中で、最終的なOKは出ていない

遊びから生まれる発見

田中 岸井さんは受講生のやり取りを邪魔したり誘導したりしないように気を遣ってくれていますよね。

藤中 この遊び方はOKですと言うときに、岸井さんから「良いと思った時にどこを見てましたか」と聞かれるんですが、見ている場所を具体的に絞っていくのが面白いと思います。岸井さんは、見えているものしか遊びに使えないはずだからと言っていて、作品に対して思っていることと、実際の遊びを具体的につなげようとしていくやりとりが面白いです。あと、作品を作った理由を聞いてもしょうがないというのも面白いですね。例えば「幼い頃にこういう体験があって、この絵を描きました」ということは話さないんです。

田中 エピソードとモノは分けているんでしょうね。エピソードをつけたいのであれば、それも含めて作品に起こさないといけない。

神山 制作理由は強力なのでなるべく聞かないようにして、理由を聞きたい場合は他の方法で事実を掘り当てていくんです。「どういう時にこれを作りましたか」と質問したり。

田中 美学校は大学とは違って社会的な経験を持つ人が集まっているので、こんなところから矢が飛んできたみたいな緊張感もあるし、そこが面白いところだと思います。一人でやっているとコントロールできてしまう感覚が身についてくるけど、ここではアンコントロールな偶然性が増えてくるので、すごくありがたい場だと思っています。

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講師の岸井大輔さん
「遊べているかどうかはモノにならないと分からないので、
オブジェクトになった瞬間OKになることもアウトになることもあります。
つまりそれが、アートにおいてオブジェクトが大事だと言われる所以じゃないでしょうか」

田中 遊ぶことには発見がありますね。自分の制作に対する態度や特性に気づいたり、作ることに対して違った視点を得られると思います。

本多 自分は、講座が日常生活に役立っていると思っています。人と話をしている時に、相手は「この話」がしたいのか、自分と話がしたいのかどっちなんだろうと判断する時の感覚が、遊べているか否かを判断する時の感覚と同じだなと思います。そういう感覚が磨かれています。

田中 私はおもちゃ=作品を「使用する」のか「遊ぶ」のかの違いについては毎回悩んでいます。岸井さんのインタビューに「ポストコンテンポラリーアート」についての本が出ると書いてあったので、それを読むのも楽しみにしています。

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2021年12月26日収録
聞き手・構成=木村奈緒 写真=皆藤将


「おもちゃ」と「テストプレイ」のアートへ〜ポストコンテンポラリーアート実践編〜 岸井大輔 岸井大輔

▷授業日:隔週火曜日 19:30〜22:30
ポストコンテンポラリーアートでは作品をおもちゃと考えます。絵画もおもちゃ。だから展示はテストプレイ。詩も遊具、Tシャツに刷るのはテストプレイ。いつもの作品を「遊戯具」発表を「テストプレイ」としてやってみましょう。そしてキュレーションも演出も業界もないアートの在り方を実現します。