さて「発掘!美学校」というどこに需要があるのかわからないコアな連載がスタートしました。この連載の目的は埋もれている美学校の過去の記録や資料を整理してwebにアップし、誰でも参照できる状態にすることです。そしてあわよくばこの連載を読んで美学校に興味を持ってくれた学生やライターが、美学校を卒論のテーマにしてくれたり、記事にしてくれたりということを”暗に”願っていたりもします。
そんな前置きはともかくとして、第一回目は、美学校の廊下(写真)に何気なく貼ってある新聞記事をピックアップしてみたいと思います。一回目から早速コアです。
美学校は1970年にこの校舎に移ってきたので、今年で43年目ということになるのですが、掲示物の整理とかもろくにしていないので、20,30年前のものが未だに貼ってあったりします。逆に言うと43年の歴史が目に見える形で物理的に積層しているのが美学校の面白さでもあったりするんですが。
今回扱うのは、そんな廊下の壁に貼ってあった美学校について書かれた新聞記事二つと学校案内の美学校のページのコピーです。
まず一つ目は2003年3月25日発行の朝日新聞の文化欄です。
『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞受賞との記事の下に「『美学校』、存続の危機に」というタイトルの記事が掲載されています。見出しが「存続の危機」とは、のっけから泣けてきますが、実は美学校は2003年以前からも、つぶれるかつぶれないかのギリギリで低空飛行してきました。
写真には会田誠さんの授業(制作?)風景が写っています。会田さんの左に写っている受講生は昨年岡本太郎賞を受賞したメガネさんでしょうか。会田さんは美学校では2001年から2004年まで「バラバラアートクラス」(詳細は会田さんのインタビュー参照)の講師をされていましたが、当時の記録はほとんど残っていないので、この小さな写真ですら貴重な資料になりえます。
この記事が掲載された直後は、電話の問合せが急増したそうですが、それに伴って入学者数が増加というようにはならなかったそうです。現代表の藤川さんが最後に「こういう場所って一度失うと二度と作れない。何とか存続したい」と述べていますが、お陰さまでこの記事から10年経った今も美学校は存続しています。
そして二つ目は、2003年5月2日発行の東京新聞です。こちらは記事ではなく、修了生の佐野史郎さんの連載コラムです。現在俳優としてご活躍されている佐野史郎さんは美学校の修了生で、1974年に中村宏さんの元で油彩画を学ばれていました。
コラムは「わが街 わが友」というタイトルの連載で、神保町の街について書かれてる中で、佐野さんが青年時代に通った美学校の話が出てきます。当時は二階にタイピストの学校が入っていたとは時代を感じさせます。
佐野史郎さんには、2010年の美学校の学校案内に一言寄せていただいているので、そちらも引用しておきます。
「シュルレアリスムという魔法の言葉に誘われ、中村宏を師とする油彩画工房で0号の絵筆を画布に置いて行く作業を通し、いつしかそれが肉体に言葉を染み込ませる俳優の作業へと移行していった私ではあるが、原点は今もあの工房にある。『全体より部分より始めよ』の師の教えに、今も戒められている。 佐野史郎」
最後は、30年程前の学校案内の本に掲載されたと思われる美学校のページです。出版年、出版社共に不明ですが、書かれている講座名から推測すると恐らく80年代半ばのものだと思われます。
今回ピックアップした三つの記事の中で実はこれが一番面白いと思います。この文章は美学校創立に関わった、第三代代表の今泉省彦さんが書かれたのですが、学校紹介というよりも、今泉さんの美術教育に対する個人的な主張が述べられています。まず活動内容の欄から見てきたいと思います。下に引用しました。
「活動内容 文部省主動形の旧来の芸術教育と、大学を始めとする各教育機関のインチキ性に抗して、芸術各分野に渉るまっとうな指導を貫徹しようと、悪戦苦闘をしている最中です。」
活動内容というと普通は「日本画や油彩画を教えています」といったことが書かれていると思いますが、”インチキ性に抗して””悪戦苦闘”中とは普通の学校ではない空気を沸々と感じさせます。
本文では、美学校の出自から開講している講座など一通り基本的な説明をしたのち、下記に続きます。
「美学校は、国なり地方自治体の補助金、あるいはいかなるオーナーもなしに独力で運営しています。そのかわり、教育の仕方について、誰からも嘴を入れてきません。累積した赤字と、累積した卒業生たちの活動とは、たしかな美学校の宝です。」
美学校は現在でも、この文章の通りに独力で運営しています。だからこそ今の時代にあっては特異で自由なカリキュラムを組むことができています。二つの宝も健在です。そして次の一節に続きます。
「東京芸術大学は数学の出来ない人間が美術家になる路を閉ざしています。私立の各美術大学は貧乏人が美術家になる途を閉ざしています。そして国と地方自治体は余計なカリキュラムを学生に押しつけています。一途であることでなり立ち得る芸術家の資格を一般教養家にすり替えようとしているしか思えないのです。馬鹿でも芸術家になれるという原点がなければ、そもそも芸術なんて意味がないではありませんか。私達は馬鹿と貧乏人に残されているものが芸術というものだと思うのです。がんばるぞ、畜生!!」
学校案内の本を読んでいて、「がんばるぞ、畜生!!」なんて言葉が出てきたらかなり驚きますが、他の学校もこれぐらい主張の激しい紹介文を載せてくれたら学校選びも楽しくなるんですけどね。(皆藤)